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岡本綺堂 『風俗 江戸東京物語』 今井金吾 校註 (河出文庫)

「私はこういう悠長な時代に生まれて、悠長な時代に育って来たのである。今日の劇(はげ)しい、目まぐるしい世のなかに堪えられないのも無理はない。」
(岡本綺堂 「昔の東京の歳晩」 より)


岡本綺堂 
『風俗
江戸東京物語』 
今井金吾 校註
 
河出文庫 お-2-1 


河出書房新社
2001年12月10日 初版印刷
2001年12月20日 初版発行
430p 
文庫判 並装 カバー
定価977円(本体930円)
デザイン/フォーマット: 粟津潔
カバーデザイン: 澤俊雄
カバー画: 歌川広重「名所江戸百景」より



本書「解説」より:

「本書は河出文庫で以前刊行した『風俗江戸物語』と『風俗明治東京物語』を合本としたものである。」


章扉図版(モノクロ)計18点、「註」に「方位・時刻表」及地図各1点。



岡本綺堂 風俗江戸東京物語


オビの「ヨミガエル」はリリー・フランキー画。


カバー裏文:

「『半七捕物帳』をはじめ、江戸のおもかげを今に伝える岡本綺堂の名作の数々は、江戸を知る生きた資料としても名高い。
江戸城内の習慣、岡っ引きの給料、芝居見物の段取り等々――本書は、その軽妙な語りで江戸の生活の実情を描いた『風俗江戸物語』に、同時代であった明治の東京の市井風俗を活写した『風俗明治東京物語』を合本とした、綺堂版江戸東京事典。」



目次 (初出):

Ⅰ 風俗 江戸物語 (『木太刀』大正八、九年頃(推定)連載。大正十一年、贅六堂刊行。昭和六十一年九月、河出文庫刊行。)
 凡例
 江戸の春
 同心と岡っ引
 聖堂と講武所
 寄席
 江戸の化物
 両国
 芝居
 折助
 時の鐘と太鼓
 月見
 山王祭
 手習師匠
 旅
 江戸の火事
 心中の処分
 江戸の町人

Ⅱ 風俗 明治東京物語 (昭和六十二年五月、河出文庫刊行。)
 凡例
 東京風俗十題 (「能楽」のみ『舞台』昭和十五年十、十二月号。同月号で『舞台』は廃刊。改めて『国民演劇』昭和十六年三月(創刊)号~十二月号連載)
  湯屋
  相撲
  稽古所
  能楽
  劇場
  寄席
  祭礼
  寒の内
  初午
  酉の祭
 明治東京雑題
  魚河岸の一年 (『文藝倶楽部』明治三十六年二月十五日号)
  少年時代の回礼 (『随筆趣味』昭和十五年一月十五日号)
  開華楼の思い出 (『食道楽』昭和十三年三月号)
  職業についた頃 (『讀賣新聞』文芸欄 昭和七年十月十四~十七日)
  明治時代の春芝居 (『文藝春秋』昭和十年一月号)
  綺堂一夕話 (『新潮』昭和九年一月号)
  明治時代の寄席 (『日本及日本人』昭和十一年一月号)
  昔の東京の夏 (『婦人公論』大正十一年八月号)
  号外売り事始 (『オール讀物』昭和十二年十月号)
  昔の東京の歳晩 (『女性』大正十三年十二月号)


解説 (今井金吾)




◆本書より◆


「昔の東京の夏」より:

「わたしの少年時代、明治二十年前後の頃には、盛夏(まなつ)の白昼(まひる)というものはひどく寂(しず)かなものでした。勿論、電車などはなし、世の中も一体に忙しくなかったのでしょう、盂蘭盆(うらぼん)を過ぎて土用に這入(はい)ると、午前は格別、午後の日盛りには往来がひとしきり途切れて、どこの大通りもひっそりと静まり返っていたものです。殊にわたし達の住んでいる山の手などは、一町内に人影の全く見えないようなことがしばしばありました。その日盛りをしろしろしているのは、蟬(せみ)や蜻蛉(とんぼ)を追い廻している子供らぐらいのものでした。今と違って、蜻蛉はそこらに群をなして飛んでいました。
 また、その暑い日盛りに出て来る商人は、風鈴(ふうりん)屋・金魚屋・氷屋の類いで、氷屋は「氷、氷、冷(ひ)やっこい」と呼びながら、氷のぶっかきを売って歩くので、五厘か一銭も買うと、どんぶり鉢に一杯ありました。
 それからかの定斎屋が来る、角兵衛獅子が来る。どういうものか、角兵衛獅子は夏の日盛りに出て来るのが多く、大空には雲一つうごかないカンカン天気のまっ白昼(ぴるま)に、角兵衛の太鼓が遠く聞こえるのは、いかにも夏の昼らしい感じがするものでした。」
「日盛りには西瓜(すいか)売りも来ました。これは「西瓜、西瓜、真桑瓜(まくわうり)」と呼んで来るので、なかなかよく売れたものでした。買った西瓜は綱をつけて井戸の中へ冷やしておくのが習いで、路傍(みちばた)の井戸の中にも誰が放り込んだのか知れない西瓜が浮いているのをしばしば見受けましたが、別にそれを盗まれたというような噂も聞きませんでした。
 日が暮れかかると、どこの家でも水撒(ま)きを始めます。勿論、今でも水を撒きますが、その頃はほとんど同時刻にどこでも水撒きを始めるので、往来はひとしきり賑わいます。」
「男の児などは面白半分にその中にまじって騒ぐ。単に騒ぐばかりでなく、水鉄砲などを持出して無闇に弾(はじ)きかけるので、水撒き時刻に往来をうっかり歩いていると、あたら絽(ろ)の羽織の袖や裾(すそ)をぐしょ濡れにされることがある。
 その騒ぎがひとしきり静まって、家々の軒から蚊いぶしの煙がほの白く舞いあがるようになると、これから納涼台(すずみだい)の世界になるのです。」
「この頃はどこでも蚊が非常に少なくなりましたが、その頃は下町の一部を除いて、どこでも蚊いぶしをしない所はないくらいでしたから、狭い横町などを歩いていると、両側の家々から流れ出る蚊遣(かやり)の煙に咽(むせ)ぶほどで、その煙の中に走馬燈(まわりどうろう)の灯(ひ)がぼんやりと見えたり、きりぎりすやガチャガチャ虫の声が聞こえたりして、行くところに夏の宵らしい気分を作っていました。
 走馬燈は今日のように彩色したものは少なく、たいていは黒い影絵で、大津絵や桃太郎や骸骨の行列などが多かったようです。たいていの商人店(あきんどみせ)もまだ吊りランプを用いているのが多かったので、その薄暗い店先に黒い影絵の走馬燈を置いてあるのは、一種の涼しげな装飾になっていたようです。」
「電車はなし、自動車はなし、馬車や自転車も滅多には通らず、交通整理の必要なども認められない時代であるので、日が暮れるとたいていの商家の店先には納涼台を持出すのが習いでした。
 納涼台は長床几(ながしょうぎ)と縁台の二種で、いわゆる納涼台は縁台をいうのです。縁台は大小いろいろありますが、普通は畳一枚ぐらいの大きさで、その四つ脚を折って畳むことのできる仕掛けで(中略)、その上に団扇(うちわ)や煙草盆を持出して、台の上に坐るのもあり、台の端に腰をかけるのもある。そこへまた近所の人などが寄り集まって来て、将棋を指すのもあり、無駄話をするもあり、そこでもここでも笑い声が賑やかに聞こえて、昔の川柳にいう「涼み台また始まった星の論」の江戸情緒をとどめていたのです。
 その納涼台の賑わいを当込んで、流しの義太夫や新内や仮声(こわいろ)つかいが来る、祭文語が来る。どこかの納涼台でその芸人を呼び込むと、近所は勿論、往来の人までが集まって来て、そこに一種の野天(のてん)演芸会が始まるのです。
 そのほかには深川名物カリン糖を売りに来る、辻占(つじうら)を売りに来る、枝豆を売りに来る。」
「枝豆売りの声はいやに淋しいもので、夏の宵もいつか更(ふ)けて、家々の納涼台もそろそろ片付け始める頃に、十四、五の小娘や、赤ん坊を負ぶった若いおかみさんなどが、売れ残ったらしい笊を抱えて「枝豆や、枝豆」と疲れたような声で呼んで来る。町の灯(ひ)はだんだんに疎(まば)らになって、往来には夜露がもう降りている。こうした夏の夜更けの気分は、宵の賑わいに引換えて、わたしら少年の頃にも一種の淡い哀愁を誘い出すものでありました。」







こちらもご参照ください:

柴田宵曲 『明治風物誌』  (ちくま学芸文庫)
松山巖 『世紀末の一年』 (朝日選書)





























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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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