FC2ブログ

郡司正勝 『かぶき袋』

「かぶきの美には、一種の逆説的な美を含んでいるのは、かぶきへ加えられた制圧と、それに対してはねのけようとする力と、同時に妥協しようとする性向をも含むといった、相反する矛盾を統一しようとするエネルギーと美意識によるものだと想われる。」
(郡司正勝 「かぶきの美と民衆性」 より)


郡司正勝 
『かぶき袋』



青蛙房 
昭和45年6月25日 発行
355p 
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価850円
装画・カット: 著者



本書「あとがき」より:

「岡本経一氏のご好意で、これまでに、おりおり書き溜めた随筆らしいものを、はじめて本にして戴いた。
 「かぶき袋」は、「演劇界」に、一年間連載されたかぶきに関する語彙の、小考といったもので、そのときの題をそのまま、書名とした。山東京傳が、『骨董集』で考証した、浮世狂いをする輩(ともがら)が腰にぶら下げていた「浮世袋」、をイメージにおいて、それにあやかって命名したもので、浮世袋をかぶき袋と言い換えてみたばかりである。
 その一篇は、比較的纏まったシリーズものだが、二篇以下のものは、これまでに、新聞・雑誌などに発表してきた小文を、そのまま持ちこんだら、岡本さんが、みずから整理して、それぞれのジャンルに分け、かぶきの世界・鶴屋南北抄・芸能風土記と、無精な私のために命名して下さったのである。
 なかには、戦時中の若気の至りといったようなものもあり、生硬な論考めいたものあり、思い出や紀行文ありとった、かならずしも芝居や芸能に関係のないものもあるが、私なりの精神風土記の小窓のようなもので、あらためて校正を読みなおしてみると、取り除いてしまいたいものもあるが、いずれも、自分なりの器量のほどの、時の流れを感じさせるので、そのままにしてしまった。」



別丁扉・章扉に著者によるカット計5点。
本書はもっていなかったのでアマゾンマケプレで「良い」が585円(送料込)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。
「山東京傳の西欧の知識」「北海の民謡」「音声の文芸」「放下歌」「瞽女物語」は『郡司正勝 刪定集』に再録されています。



郡司正勝 かぶき袋 01



目次:

Ⅰ かぶき袋
 馬の脚
 芝居の血
 せり上げ
 衣裳見せ
 化粧声
 かつら
 はな(花・纏頭)
 幽霊の足音
 おこつき
 看板
 幟・丈
 顔見世・そそり

Ⅱ かぶきの世界
 かぶきの天皇
 山東京傳の西欧の知識
 かぶきと衆道
 曽我訓蒙図彙
 能と元禄かぶき
 上演されない「手習鑑」の場面
 唐土廿四孝と本朝廿四孝
 江戸時代の町人生活から見た能・謡
 忠臣蔵の趣向と水滸伝
 かぶきの美と民衆性
 かぶきの出発と茶
 市川団十郎とかぶきの世界

Ⅲ 鶴屋南北抄
 治助・南北・黙阿弥
 南北の笑い
 かぶきと新劇の四谷怪談
 南北と現代
 古典劇としての南北との対決
 鶴屋南北との出会
 「桜姫東文章」演出ノート

Ⅳ 芸能風土記
 象渡来考
 古曲慕情
 私の学究
 茶とかぶき
 アイヌの心
 顔について
 菊慈童
 佐倉宗吾の芝居と史実
 日本喜劇の伝統
 宝生新の思い出
 世阿弥の女躰論
 清十郎ぶし
 白峰行
 「経よみ」ということ
 竹婦人のこと
 民話の景清
 北海の民謡
 道明寺伝説
 紅葉賀
 唄三題
 北九州路の人形群と近松と
 熊本の古代と近代
 「さらし」考
 冬の祇園
 音声の文芸
 加藤清正の芝居
 放下歌
 瞽女物語
 隠岐の島からくる春
 声に骨のある話
 島原の餅搗き
 祭りの空間と演出
 随想天拝山
 うかれの蝶
 失われた大道芸
 馬・牛・羊
 「源氏物語」の芝居
 先生とズボンボと私
 芸術になってやらぬ系譜
 石投げの見得

あとがき




郡司正勝 かぶき袋 02



◆本書より◆


「かぶきの天皇」より:

「高雅なもの、尊厳なものを、地に引きおろして下世話にこれをみたおかしみを狙うのが、江戸の文芸思潮の一般であった。(中略)古典の部類に属する天皇も、やはりこの「俳諧化」をまぬがれるものではなかった。
 将軍のこととなれば、一言半句も口にされず、まして芝居に仕組むなどは思いもよらぬこと、その時世の出来事を脚色するにしても、幕府の施政方針にふれるのを恐れて、足利とか鎌倉の時代に、これを仮託しなければならなかった世に、天皇の御事を笑うことは、いっこう自由であったのである。」
「江戸庶民の考えた天皇は、古風な、多少ユーモラスな存在であり、すくなくも将軍よりは附きあいやすいお方であったに違いない。」



「山東京傳の西欧の知識」より:

「そのころの蘭医といえば、まず外科と眼科がもっとも進み、しかもその根本は解剖学であったから、悪魔の盟友呼ばわりされた西方の国の場合と似たような結果を来たしはしたが、彼の国のごとく烈しい憎悪や否定の対象とはならずに、むしろ空想と好奇心を満す一種の知識欲の対象となったところに、国情の違いと時代の流れがあった。
 京傳が『稲妻表紙』(読本・文化三年刊)の挿絵にみられる、二人の異人が女性の腹部を解剖している「(阿)蘭陀外科」の絵看板を掲げた家は、果して当時の蘭医家の写生でもあったのであろうか。解剖学の妖しい魅力と「一つ家」の伝説が結び付いたのが『優曇華物語』(読本・文化元年刊)の妊婦解体の趣向であった。ここでは科学は悪魔の所行と変貌する。この発想を助けた一つの理由に、当時の外科の進歩が著しく産科を発蒙したことを忘れてはならない。明和三年、賀川玄悦は『産論』を著し、その子、玄迪は安永四年に至り、さらに、その説を完備したのが新しい解剖学による『産論翼』であった。時代は敏感に、すぐそれを反映している。『百戯述略』に、
  其後安永天明の頃か、両国橋にて懐胎十月のさまを造り見世物をいたし候義もこれあり候
とみえ、京傳は黄表紙『作者胎内十月図』(文化元年刊)を創った。すこぶる皮相ではあったが、科学思想はこのようにして文学へいち早く反映している。これら解剖医学の流行の影響をうけた一連の作品には『十四傾城腹之内』(芝全交著・寛政五年刊)『芝全交腹内』(芝山人著・寛政六年刊)『五臓町細見絵図』(同寛政六年刊)『五体和合談』(京傳著・寛政十一年刊)『腹内養生主論』(一九著・寛政十一年刊)『腹中名所図会』(京傳著・文政元年刊)等のごときものがある。解剖学がこれらの文学に、多少なりとも心理解剖と写生主義をもたらさず、作者の内幕を暴露する「穿ち」に結び付いて、たんなる奇抜な趣向に終り、内面的深化をみるに至らなかったのは惜しいことであった。しかもこれらの多くは黄表紙であったために、滑稽の智的遊戯に結び付いたが、さらに合巻や読本の時代を迎え、伝奇的趣味が中心となるにしたがい、感覚的好奇心をのみ狙うようになったのは爛熟頽廃の世相であった。寛政五年七月の堕胎禁止令のごときは如実にその時代を物語っている。
 かくしてアストン氏のいわゆる感覚小説家(センセーションノベリスト)京傳は、読本にその時世相を現わすのであった。
 しかし伝奇小説たる読本は、その地位とプライドから常に古典を踏まえんとする。『優曇華物語』の、妊婦の腹を割いて胎子をとり、蛮方の秘薬を得る条が、蘭方外科を反映しながら、なお安達ケ原の伝統を踏まえ、『曙草紙』や『本朝粋菩提』で、死体が山谷に遺棄せられ、次第に腐敗して骸骨と変化する経過に、科学思想による解体を思わせながらも、なお「二人比丘尼」や「九相図」の古典を標榜しなくてはならぬところに、読本作者の得意と手法があった。この態度には、新知識の科学思想で、古典を見直そうというより、その見立の奇抜さを誇ろうとしているので、このことはどれだけ思想の進歩を渋滞せしめているか知れない。科学は当時の知識階級の学問的態度に影響するところはあったが、一般には何ら思想的革命をもたらすに至らなかったのである。」



「唐土廿四孝と本朝廿四孝」より:

「唐土廿四孝は、中国における二十四人の孝子の話をいうのですが、これは、元(げん)の時代に、郭居敬(兼とも)という人が編集したものだといわれ、日本へ渡ってきたのは、いつの頃であるかはっきりしませんが、近世の初頭、徳川幕府の創建時代、文教政策の波に乗って儒教精神が鼓吹され、忠孝の道が強調されはじめた慶長期に、嵯峨本と世にいわれる当時の富豪角倉(すみのくら)によってまず復刻刊行されたものがもっとも早いものだと言われています。」
「二十四孝が日本へ入ってから、これにならって、日本の二十四孝というものがたくさん考え出され『日本(やまと)廿四孝』とか『今様廿四孝』とか、さらに女性ばかりのものに『本朝女廿四孝』が出るというふうに、日本化されているので、日本の二十四孝の研究をすれば、中国の伝説が日本へ渡って、どういうふうに承け入れられたかの、一つの重要なケースを摑むことができるといえるほどです。」
「「八百屋半兵衛」の母の嫁いびり、「夏祭」の儀平次の「親だぞよ」という権柄づくの孝行の押し付け、「お祭佐七」の養母のエゴイズムによる縁切りなど、みな親らしからぬ親の、孝子いじめであって、孝子劇は、裏を返せば、孝子いじめ芝居にほかならないものだともいえます。
 このことは、すでに忠孝の倫理をもって精神的支柱とした封建社会の人たちにも気付かれていたとみえて、
  唐人も廿四色に子をいじめ (『俳風柳樽拾遺』)
と、するどく穿(うが)っております。
 元禄の井原西鶴は、この二十四孝を逆にとって『本朝廿不孝』を著し、不孝者の列伝を書いていますが、表向きは不孝者の教訓小説であっても、なんとなく不孝者のレジスタンスが漂っているのも、封建社会の家族制度の矛盾に触れるところがあったのでしょう。」



「かぶきの美と民衆性」より:

「たとえば、近松の心中物や殺人物にあらわれた要素を、悲劇的とみることはできても、これを西欧の概念の示す悲劇ということばであらわすことはできない。心中の男女は、この世では恋の成就はできなくとも、あの世では一緒になれるという、希望をもって信じあって死んでゆくという結末なのだから、現実生活からは敗北であっても一種の救いという形で打ち出されているので、これをたんに悲劇といって、割り切ってしまうことができない。」


「白峰行」より:

「能でもっとも鑑賞に価するものといわれている三番目物の女能などは、あまり文学的すぎる。私はそれよりも、このごろ五番目物の天狗や鬼が活躍する行動的な鬼畜物の方に引かれていたから、『雨月物語』の白峰の原拠となっている「松山天狗」などの方が興味がある。いまは雨月物語を愛好していた時代とはちがった意味で、相模坊という天狗をしたがえて、大天狗になった崇徳院の怨霊の活躍を、めざましい、中世のネガテブな精神史を、この白峰という土地に印している見えぬ歴史をおもしろいものにおもう。『太平記』を読み直してみると、この書の価値は、歴史的記述よりも、むしろこういった人間の怨霊の活躍するネガテブの部分――これは、この書の半分をしめていて、ちょうど歴史の裏側を覗いている感じのものだということに気がついた。つまり天狗や鬼が活躍する太平記のおもしろさを再認識したわけであるが、能の五番目物は、この『太平記』の思想なしにはわからぬのではないかとおもう。
 天狗や鬼が出現する芸能の場では、おそらく中世の山伏信仰と結びついているのであろうし、正史にはない、ネガテブの歴史を、こういう修験道の人々が芸能の場を借りて、民衆の目の前に、みえない世界の歴史を現出してきたのだとおもうと、文学的でない芸能としての「能」のもとの根源的なものを想ってみることができるかもしれない。」



「祭りの空間と演出」より:

「橋がかりの向うにはなにがある。いうまでもなく能であれば、橋がかりの行きついた揚げ幕のうしろは、「鏡の間」である。鏡の間は楽屋ではない。すでに楽屋で扮装を済ました役者が、鏡の間の大きな姿見に向い、じっと扮装した姿を鏡に映してみつめているうちに、魂が、扮装した神や霊と入れ替るのである。西洋でも、鏡のうらの空間は、あの世ということになっている。鏡の間は、扮装する場所でなく、そこで変身する特別な空間なのである。これは現実にはありえな空間でなければならない。別な場合でいえば、籠り堂といい願所といってもいい。与論島のウガンでもある。そこで人間の一念なり、願なり、祈りなりが成熟するための、特殊な空間にほかならない。ここに籠ることによって、ちょうど繭のなかに籠った生命力が、毛虫から蝶に変身するように、人間の一念が、いちど前身を死んで、蘇生し、生れ返って、変身して出てくるように、鏡の間といわれる空間を必要とするのである。
 島根県美保関の美保神社の四月七日におこなわれる青柴垣(あおふしがき)の神事は、海上に舟を浮べ、その舟の上に青柴垣を作り、そのなかに、神の依人(よりうど)が籠るのである。海上に突然、青い森が出現し、その青い森の中の空間に、神霊が生れるのである。」
「祭りの日に、別火斎戒沐浴して、一つの宿に籠り、祭りの行事を勤める方式は、おのずから日常性を脱出するのにある。人が神となるといわぬまでも、神に近づくことのできる時空は、この特定の空間をつくり出す以外にない。幽暗な、現実とあの世との堺目、さけ目を捜すことである。」
「人間が、甦る空間を、生活の場以外の空間を否定してゆくなら、ますます、痩せて、貧困になり、衰弱してゆくに違いない。
 人間が、祭りの日の空間を失うことは、地獄の沙汰といわねばなるまい。わずかに芸術上の空間のみがいまや一本の頼みの綱なのである。」



「失なわれた大道芸」より:

「このところ急に影をひそめてしまったものの一つに大道芸がある。そのもっとも大きな原因は、大道というものの性格がすっかり変ってしまったことによるのではないかとおもう。
 渡り鳥のように大道を生活の場として、訪れ、また去ってゆくといった大道芸人たちにとって、いや、その芸人たちを迎える人たちにとっても、その両方をつなぐ道が絶たれてしまったということなのではなかろうか。
 道は、都会では、すでに人の歩く道ではなく、まして、生活する場などとは考えにくくなってしまったのである。道で遊ぶなどということは、犯罪ともなりかねないことになってしまった。
 飴売りの太鼓で、道に飛び出すということも、四辻で、猿廻しの芸をのぞきこむということも、これからの子供たちの生活にはないのであろう。
 したがって、大道は、民衆の遊び場であり、楽しみの多かった場所であるということすら、本気にはできなくなる時代がやってきてしまったようにおもう。夏の夜の縁日などのそぞろ歩きも、縁台をもち出し、水を打って、通る人も涼む人も、ながめたりながめられたり、正月には、新しい着物をみせるために、通り、羽根をつき、凧をあげるといったことも、もうそういう空間ではなく、交通整理の信号によって、コンベア式に、押し出され、流されてゆく機械化してしまった人通りは、自由な意志の方向などめったに変更などできたものではないのである。」
「したがって、道を生活の場とし、芸のステージともしてきた大道芸人たちの世界は存在することが許されないことになる。
 彼らは、定着生活をしている社会秩序とは、元来、別な次元に住んでいた人々であり、いわば流離を生活としていたもう一つの世界の人々であった。」
「定着生活の人々にとって、彼らの世界は、自由な無限性をたたえてみえ、一種の憧れの気持をさそってくれたものである。」



「芸術になってやらぬ系譜」より:

「おそらく〈語り〉には、もと〈騙(かた)る〉という表現芸術以前の原罪的性格があって、ながい歴史を騙ってきた古代の傀儡子以来の漂流民が、しっかりと大衆の泣きどころを握んできた悪党の生活がかかってきたのであろう。
 祭の日のジンタとともに、どこからかやってきて、血を騒がし、娘っ子などを家出させ、やがて哀愁を残して、風のごとく去っていってしまう正体なき漂泊の芸人の群の心情は、おそらく今日の〈流し〉にまで、かすかに水尾(みお)を曳いているのだろうが、そこには、身をもってのめり込んでゆく、売りものと買いものがあるだけで、芸術のための表現などという高尚なものはありえないのではないか。むしろ、そこには、「芸術になってやるものか」といった無言の血の伝統の抵抗があるようにおもわれる。
 大衆は、いつも〈生身(なまみ)〉を要求してやまない。フランスやスペインの田舎では、今日もなお、生身のマリアの示顕を求め、キリストはいつも生血を流し続けているのを見たし、先頃みた「当麻(たいま)」の能でも、中将姫は、この世で生身の阿弥陀を見たし、狂言の「金津地蔵」は、肉身の地蔵を、京のスッパに売りつけられているし、佐渡の、のろま人形の「生(いき)地蔵」は、裸身になって小便をする。
 明治以来、ちょんがれ・阿呆陀羅経・でろれん祭文の大道芸が、桃中軒雲右衛門の浪花節と出世し、旅の盲僧の琵琶歌が、錦心流の家元となり、河原の説経節や歌祭文、あるいは浄るりが夷舁(えびすかき)の集団と結び、無形文化財文楽となってゆき、生身で売らずに、表現で売ろうと、芸術に成り上ると、そのとたん、大衆から見放されていった歴史だけが残る。」
「こうして大道芸が高速道路から追われたとき、大衆は、みずからの罪業を背負って、漂泊してくれた〈語り〉の芸人の姿を、おそらく永遠に失ってゆくのであろう。」








こちらもご参照ください:

岡本綺堂 『風俗 江戸東京物語』 今井金吾 校註 (河出文庫)


























































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本