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岡本綺堂 『鎧櫃の血 新装版』 (光文社文庫)

「「その時は我ながら夢のようでござった。」と、森垣さんはわたくしに話しました。」
(岡本綺堂 「落城の譜」 より)


岡本綺堂 
『鎧櫃の血 
新装版』
 
光文社文庫 お-6-26 
【巷談コレクション】
Okamoto Kido Koudan Collection


光文社 
2006年9月20日 初版第1刷発行
335p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価619円+税
カバーデザイン: 高林昭太



新字・新かな。
『三浦老人昔話』全12篇に、「新集巷談」として動物に縁のある短篇6篇が併載されています。



岡本綺堂 鎧櫃の血



目次:

三浦老人昔話 (大正14年5月、春陽堂刊)
 桐畑(きりばたけ)の太夫(たゆう)
 鎧櫃(よろいびつ)の血(ち)
 人参(にんじん)
 置(お)いてけ堀(ぼり)
 落城(らくじょう)の譜(ふ)
 権十郎(ごんじゅうろう)の芝居(しばい)
 春色(しゅんしょく)梅(うめ)ごよみ
 旗本(はたもと)の師匠(ししょう)
 刺青(ほりもの)の話(はなし)
 雷見舞(らいみまい)
 下屋敷(しもやしき)
 矢(や)がすり

新集巷談
 鼠(ねずみ) (昭和7年11月作 「サンデー毎日」)
 魚妖(ぎょよう) (大正13年6月作 「週刊朝日」)
 夢(ゆめ)のお七(しち) (昭和9年10月作 「サンデー毎日」)
 鯉(こい) (昭和11年4月作 「サンデー毎日」)
 牛(うし) (昭和11年12月作 「サンデー毎日」)
 虎(とら) (昭和12年12月作 「サンデー毎日」)

解説 (岡本経一)




◆本書より◆


「桐畑の太夫」より:

「その次の日曜日は陰(くも)っていた。底冷えのする日で、なんだか雪でも運び出して来そうな薄暗い空模様であったが、わたしは思い切って午後から麹町の家を出て、大久保百人町まで人車(くるま)に乗って行った。車輪のめり込むような霜どけ道を幾たびか曲りまわって、ようように杉の生垣(いけがき)のある家を探しあてると、三浦老人は自身に玄関まで出て来た。
 「やあ、よく来ましたね。この寒いのに、お強いこってすね。さあ、さあ、どうぞおあがりください。」
 南向きの広い庭を前にしている八畳の座敷に通されて、わたしは主人の老人とむかい合った。」



「落城の譜」より:

「わたくしはもうその年月を忘れてしまったのですが、きのう森垣さんにいわれて、はっきりと思い出しました。それは文久元年の夏のことで、その頃わたくしはどうも毎晩よく眠られない癖が付きましてね、まあ今日(こんにち)ならば神経衰弱とでもいうのでしょうか、なんだか頭が重っ苦しくって気がふさいで、なにをする元気もないので、気晴しのために近所の小さい講釈場へ毎日かよったことがありました。今も昔もおなじことで、講釈場の昼席などへ詰めかけている連中は、よっぽどの閑人(ひまじん)か怠け者か、雨にふられて仕事にも出られないという人か、まあ、そんな手合(てあい)が七分でした。
 わたくしなどもそのお仲間で、特別に講釈が好きというわけでもないのですが、前に言ったような一件で、家にいてもくさくさする、さりとて的(あて)なしに往来をぶらぶらしても居られないというようなことで、半分は昼寝をするようなつもりで毎日出かけていたのでした。」



「春色梅ごよみ」より:

「思い出すと、そのころの大久保辺はひどく寂しかった。つつじのひと盛りを過ぎると、まるで火の消えたように鎮まり返って、唯やかましく聞えるのは、そこらの田に啼く蛙(かわず)の声ばかりであった。往来のまん中にも大きな蛇がのたくっていて、わたしは時々におどろかされたことを記憶している。」


「鼠」より:

「近江屋七兵衛がよろこぶのも無理はなかった。彼はこの木曾の奈良井の宿で、一旦失った手のうちの珠(たま)を偶然に発見したのである。
 七兵衛は四谷の忍町に五代つづきの質屋を営んでいて、女房お此(この)と番頭庄右衛門のほかに、手代三人、小僧二人、女中二人、仲働き一人の十一人家内で、おもに近所の旗本や御家人(ごけにん)を得意にして、手堅い商売をしていた。ほかに地所家作(かさく)なども持っていて、町内でも物持ちの一人にかぞえられ、何の不足もない身の上であったが、ただひとつの不足――というよりも、一つの大きい悲しみは娘お元のゆくえ不明の一件であった。
 今から十一年前、寛政四年の暮春のゆうがたに、ことし七つのひとり娘お元が突然そのゆくえを晦(くら)ました。最初は表へ出て遊んでいるものと思って、誰も気に留めずにいたのであるが、夕飯頃になっても戻らないばかりか、近所にもその姿が見えないというので、家内は俄にさわぎ出した。七兵衛夫婦は気ちがいのようになって、それぞれに手分けをして探させたが、お元のゆくえは遂にわからなかった。」

「お元が無事に戻って来たのを聞き、親類たちもみんな喜んで駈けつけた。町内の人々も祝いに来た。その喜ばしさと忙しさに取りまぎれて、当座はただ夢のような日を送るうちに、四月も過ぎて五月もやがて半ばとなった。このごろは家内もおちついて、毎日ふり続くさみだれの音も耳に付くようになった。その五月末の夕がたに、お元が仲働きのお国と共に近所の湯屋へ行った留守をうかがって、お此は夫にささやいた。
 「おまえさんはお元について、なにか気が付いたことはありませんかえ。」
 「気が付いたこと……。どんなことだ。」と、七兵衛は少しく眉をよせた。女房の口ぶりが何やら子細ありげにも聞えたからである。
 「実はお国が妙なことを言い出したのですが……。」と、お此はまたささやいた。「お元には鼠が付いていると言うのです。」
 「なんでそんなことを言うのだ。」
 「お国の言うには、お元さんのそばには小さい鼠がいる。始終は見えないが、時々にその姿を見ることがある。お元さんが縁側なぞを歩いていると、そのうしろからちょろちょろと付いて行く……。」」

「その日も降り通して薄暗い日であった。午(ひる)過ぎにお元は茶の間へしょんぼりとはいって来て、両親の前に両手をついた。
 「まことに申訳がございません。どうぞ御勘弁をねがいます。」
 だしぬけに謝られて、夫婦も煙(けむ)にまかれた。それでも七兵衛はしずかに訊いた。
 「申訳がない……。お前は何か悪いことでもしたのか。」
 「恐れ入りました。」
 「恐れ入ったとは、どういうわけだ。」
 「わたくしは……。お家(うち)の娘ではございません。」と、お元は声を沈ませて言った。
 夫婦は顔を見あわせた。取分けて七兵衛は自分の耳を疑うほどに驚かされた。
 「家の娘ではない……。どうしてそんなことを言うのだ。」
 「わたくしは江戸の本所で生れまして、小さい時から両親と一緒に近在の祭や縁日をまわっておりました。お糸というのがやはり私の本名でございます。わたくし共の一座には蛇つかいもおりました。鶏娘という因果物もおりました。わたくしは鼠を使うのでございました。芝居でする金閣寺の雪姫、あの芝居の真似事をいたしまして、わたくしがお姫様の姿で桜の木にくくり付けられて、足の爪先(つまさき)で鼠をかきますと、たくさんの鼠がぞろぞろと出て来て、わたくしの縄を食い切るのでございます。芝居ならばそれだけですが、鼠を使うのが見世物の山ですから、その鼠がわたくしの頭へのぼったり、襟首へはいったり、ふところへ飛び込んだりして、見物にはらはらさせるのを芸当としていたのでございます。」」



「魚妖」より:

「馬琴は元来無口という人ではない。自分の嫌いな人物に対して頗る無愛想であるが、こころを許した友に対しては話はなかなか跳(はず)む方であるから、三人は火鉢を前にして、冬の夜の寒さを忘れるまでに語りつづけた。そのうちに何かの話から主人の潢南はこんなことを言い出した。
 「御承知か知らぬが、先頃ある人からこんなことを聴きました。日本橋の茅場町に錦とかいう鰻屋があるそうで、そこの家では鰻や泥鰌(どじょう)のほかに泥鼈(すっぽん)の料理も食わせるので、なかなか繁昌するということです。その店は入口が帳場になっていて、そこを通りぬけると中庭がある。その中庭を廊下づたいに奥座敷へ通ることになっているのですが、ここに不思議な話というのは、その中庭には大きい池があって、そこにたくさんのすっぽんが放してある。天気のいい日には、そのすっぽんが岸へあがったり、池のなかの石に登ったりして遊んでいる。ところで、客がその奥座敷へ通って、うなぎの蒲焼や泥鰌鍋をあつらえた時には、かのすっぽん共は平気で遊んでいるが、もし泥鼈をあつらえると、かれらは忽ちに水のなかへ飛び込んでしまう。それはまったく不思議で、すっぽんという声がきこえると、たくさんのすっぽんがあわてて一度に姿をかくしてしまうそうです。かれらに耳があるのか、すっぽんと聞けばわが身の大事と覚(さと)るのか、なにしろ不思議なことで、それをかんがえると、泥鼈を食うのも何だか忌(いや)になりますね。」
 有年はだまって聴いていた。馬琴はしずかに答えた。
 「それは初耳ですが、そんなことが無いとも言えません。これはわたしの友達の小沢蘆庵(おざわろあん)から聴いた話ですが、蘆庵の友達に伴蒿蹊(ばんこうけい)というのがあります。(中略)その蒿蹊がこういう話をしたそうです。家の名は忘れましたが、京に名高いすっぽん屋があって、そこへ或る人が三人づれで料理を食いに行くと、その門口(かどぐち)にはいったかと思うと、ひとりの男が急に立ちどまって、おれは食うのを止そうという。ほかの二人もたちまち同意して引っ返してしまった。見ると、おたがいに顔の色が変っている。まず一、二町のあいだは黙って歩いていたが、やがてそのひとりが最初帰ろうと言い出した男にむかって、折角ここまで足を運びながらなぜ俄に止めると言い出したのかと訊くと、その男は身をふるわせて、いや、実に怖ろしいことであった。あの家の店へはいると、帳場のわきに大きなすっぽんが炬燵(こたつ)に倚(よ)りかかっていたので、これは不思議だと思ってよく見ると、すっぽんではなくて亭主であった。おれは俄にぞっとして、もうすっぽんを食う気にはなれないので、早々に引っ返して来たのだという。それを聞くと、ほかの二人は溜息をついて、実はおれ達もおなじものを見たので、お前が止そうと言ったのを幸いに、すぐに一緒に出て来たのだという。その以来、この三人は決してすっぽんを食わなかったということです。それは作り話でなく、蒿蹊がまさしくその中のひとりの男から聴いたのだと言います。」」



「夢のお七」より:

「大田蜀山人の「一話一言」を読んだ人は、そのうちにこういう話のあることを記憶しているであろう。
 八百屋お七の墓は小石川の円乗寺にある。妙栄禅定尼と彫られた石碑は古いものであるが、火災のときに中程から折られたので、そのまま上に乗せてある。然るに近頃それと同様の銘を切って、立像の阿弥陀を彫刻した新しい石碑が、その傍(かたわら)に建てられた。ある人がその子細をたずねると、円乗寺の住職はこう語った。
 駒込の天沢山龍光寺は京極佐渡守高矩の菩提寺で、屋敷の足軽がたびたび墓掃除にかよっていた。その足軽がある夜の夢に、いつもの如く墓掃除にかようこころで小石川の馬場のあたりを夜ふけに通りかかると、暗い中から鶏が一羽出て来た。見ると、その首は少女で、形は鶏であった。鶏は足軽の裾をくわえて引くので、なんの用かと尋ねると、少女は答えて、恥かしながら自分は先年火あぶりのお仕置をうけた八百屋の娘お七である。今もなおこのありさまで浮ぶことが出来ないから、どうぞ亡きあとを弔ってくれと言った。頼まれて、足軽も承知したかと思うと、夢はさめた。」







こちらもご参照ください:

岡本綺堂 『三浦老人昔話 ― 岡本綺堂読物集一』 (中公文庫)

























































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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