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岡本綺堂 『三浦老人昔話 ― 岡本綺堂読物集 一』 (中公文庫)

「その時代の人には道理(もっとも)らしく聞えたやうな理屈責(りくつぜめ)にして、お久は頻(しきり)にお菊の決心を促(うなが)した。それでも彼女(かれ)は素直に其道理(どうり)の前に屈伏することを躊躇(ちゅうちょ)した。」
「『どうしたら可(よ)いだらう』
 彼女はだん/\に暗くなつてゆく水の色を眺めながら、夢見る人のやうに考へつめてゐた。」

(岡本綺堂 「黄八丈の小袖」 より)


岡本綺堂 
『三浦老人昔話
― 岡本綺堂
読物集 一』
 
中公文庫 お-78-1


中央公論新社
2012年6月25日 初版発行
249p 著者・編者略歴1p 付記1p
口絵(カラー)1葉
文庫判 並装 カバー
定価667円+税
カバー画: 山本タカト
カバーデザイン: ミルキィ・イソベ


「本書は、一九三二年(昭和七)五月に春陽堂から刊行された日本小説文庫『綺堂讀物集一 三浦老人昔話』を底本とし、一九二五年(大正十四)五月に春陽堂から刊行された『綺堂讀物集乃一 三浦老人昔話』を適宜参照しました。「黄八丈の小袖」と「赤膏薬」は、初出誌を底本としました。」
「正字を新字にあらためた(一部固有名詞や異体字をのぞく)ほかは、(中略)歴史的かなづかいをいかし、踊り字などもそのままとしました。ただし、ふりがなは(中略)新かなづかいとし、明らかな誤植は修正しました。」



口絵は山本タカト「矢がすり」。
『三浦老人昔話』12篇は光文社文庫版『鎧櫃の血』にも収録されていますが、本書はカバー絵がよいので出たときに買おうとおもってうっかりして忘れていたのをおもいだしたのでアマゾンマケプレで492円(送料込)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。旧かなづかいなので趣がかわってよいです。



岡本綺堂 三浦老人昔話



カバー裏文:

「死んでもかまわないから背中に刺青を入れてくれと懇願する若者、下屋敷に招じられたまま姿を消した女形、美しい顔に傷をもつ矢場の美女の因縁話など、しみじみとした哀話からぞくりとする怪談まで、岡っ引き半七の友人、三浦老人が語る奇譚十二篇に、附録として短篇二篇を添える。」


目次 (初出):

三浦老人昔話
 桐畑の太夫 (「苦楽」 大正13年1月号)
 鎧櫃の血 (「苦楽」 大正13年2月号)
 人参 (「苦楽」 大正13年3月号)
 置いてけ堀 (「苦楽」 大正13年4月号)
 落城の譜 (「苦楽」 大正13年5月号)
 権十郎の芝居 (「苦楽」 大正13年7月号)
 春色梅ごよみ (「苦楽」 大正13年9月号)
 旗本の師匠 (「苦楽」 大正13年8月号/原題「市川さんの話」)
 刺青の話 (「やまと新聞」 大正2年5月24日~6月27日/原題「五人の話」のうちの第五話「刺青師の話」)
 雷見舞 (「苦楽」 大正13年6月号) 
 下屋敷 (「講談倶楽部」 大正7年10月号/原題「下屋敷の秘密」)
 矢がすり (「苦楽」 大正13年10月号)

附録
 黄八丈の小袖 (「婦人公論」 大正6年6月号)
 赤膏薬 (「オール讀物」 昭和6年10月号)

解題 (千葉俊二)




◆本書より◆


「桐畑の太夫」より:

「これはわたくしが子供の時に聞いた話ですから、天保初年(てんぽうしょねん)のことゝ思つてください。赤坂(あかさか)の桐畑(きりばたけ)のそばに小坂丹下(こさかたんげ)といふ旗本がありました。」
「当主の丹下という人は今年三十七の御奉公盛(ごほうこうざか)りですが、病気の届(とど)け出(い)でをして五六年まへから無役(むやく)の小普請入(こぶしんい)りをしてしまひました。学問もある人で、若い時には聖堂の吟味(ぎんみ)に甲科(こうか)で白銀(はくぎん)三枚の御褒美(ごほうび)を貰(もら)ひ、家督(かとく)を相続してからも勤め向きも首尾もよく、おひ/\出世の噂もきこえてゐたのですが、二十五六のときから此人(このひと)にふと魔がさした。といふのは、この人が藝事(げいごと)に凝(こ)り始めたのです。藝事も色々ありますが、清元(きよもと)の浄瑠璃(じょうるり)に凝り固まつてしまつたのですから些(ちっ)と困ります。」
「これが謡(うたい)の稽古でもして、熊坂(くまさか)や船弁慶(ふなべんけい)を唸(うな)るのならば格別の不思議もないのですが、清元の稽古本(けいこぼん)にむかつておかる勘平(かんぺい)や権八(ごんぱち)小紫(こむらさき)を歌ふことになると、どうもそこが妙(みょう)なことになります。」
「むかしから素人(しろうと)の藝事はあまり上達しないにきまつたもので、俗に素人藝、旦那藝、殿様藝、大名(だいみょう)藝などと云つて、先づ上手(じょうず)でないのが当(あた)りまへのやうになつてゐるのですが、この小坂といふ人ばかりは例外で、好きこそ物の上手なりけりと云ふのか、それとも一種の天才と云ふのか、素人藝や殿様藝を通り越して、三年五年のうちに、めきめきと上達する。第一に喉(のど)が好(い)い、三味線(しゃみせん)も達者にひく、ふだんは苦々しく思つてゐる奥様や用人も、春雨(はるさめ)のしんみりと降(ふ)る日に、非番の殿様が爪(つめ)びきで明鴉(あけがらす)か何かを語つてゐると、思はずうつとりと聴き惚れてしまふと云ふやうなわけですから、師匠もお世辞を抜きにしてほんたうに褒(ほ)める。当人は一心不乱(いっしんふらん)に稽古する。師匠も身を入れて教へる。それが自然と同役のあひだにも伝はつて、下屋敷などで何かの酒宴でも催(もよお)すといふやうな場合には、小坂をよんで一段(いちだん)語らせようではないかと云ふことになる。当人もよろこんで出かけてゆく、それが続いてゐるうちに、世間の評判がだん/\に悪くなりました。」

「なまじひ千五百石の殿様に生(うま)れなかつたら、小坂さんも天晴(あっぱ)れの名人になりすましたのかも知れません。さう思ふと、たゞ一口(ひとくち)にだらしのない困り者だと云つてもゐられません、なんだか惜(おし)いやうな気もします。」



「人参」より:

「おふくろは死ぬ、それから半年ばかりのうちに姉もつゞいて死んだので、久松は一人法師(ひとりぼっち)になつてしまひました。おふくろのない後(のち)は、たゞ一本の杖柱(つえはしら)とたのんでゐた姉にも死別(しにわか)れて、久松はいよ/\力がぬけ果てゝ、自分ひとり、助かつたのを却(かえ)つて悔(くや)むやうになりました。おまけに姉のおつねが以前奉公してゐた芝口の酒屋は、土台がしつかりしてゐたと見えて、今度の地震にも屋根瓦(やねがわら)をすこし震(ふる)ひ落(おと)されたゞけでびくともせず、運よく火事にも焼け残つたので、久松はいよ/\あきらめ兼(か)ねました。姉も今までの主人に奉公してゐれば無事であつたものを、吉原へ行つたればこそ非業(ひごう)の死を遂(と)げたのである。姉はなんのために吉原へ売られて行つたのか。高価の人参は母の病(やまい)を救(すく)ひ得ないばかりか、却(かえ)つて姉の命をも奪う毒薬になつたのかと思ふと、久松は日本朝鮮(にっぽんちょうせん)にあらんかぎりの人参を残らず焼いてゞもしまひたい程(ほど)に腹が立ちました。その人参を売りつけた医者坊主がます/\憎い奴のやうに思はれて来ました。」

「久松はそれから人形町通りの店へ帰つて、平気でいつもの通りに働いてゐたのですが、間もなく吉五郎といふ人の手で召捕られました。町奉行所の吟味に対して、あの桂齋といふ藪医者はおふくろと姉の仇だから殺しましたと、久松は悪びれずに申立てたさうです。なにぶんにもまだ十六にも足らない者ではあり、係(かか)りの役人達も大いにその情状を酌量してくれたのですが、理窟の上から云へば筋違ひで、そんなことで一々かたき討(うち)をされた日には、医者の人種(ひとだね)が尽きてしまふわけですから、どうしても正当のかたき討と認めることは出来ないのでした。」



「落城の譜」より:

「森垣さんは師匠から三つの秘曲をつたへられましたが、そのなかで最も大切に心得ろと云はれた例の落城の譜――それはどうしても吹くことが出来ない。泰平無事のときに落城の譜をふくと云ふことは、城の滅亡を歌ふやうなもので、武家に取つては此上(このうえ)もない不吉です。ある意味に於(おい)ては主人のお家(いえ)を呪ふものとも見られます。師匠が固く戒(いまし)めたのもそこの理窟で、それは森垣さんも万々(ばんばん)心得てゐるのですが、そこが人情、吹くなと云はれると何(ど)うも吹いてみたくて堪(たま)らない。それでも三年ほどは辛抱(しんぼう)してゐたのですが、もう我慢が仕切れなくなつて来ました。うつかり吹いたらばどんなお咎(とが)めをうけるかも知れない、まかり間違へば死罪になるかも知れない。それを承知してゐながら、何分(なにぶん)にも我慢が出来ない、どうも困つたことになつたものです。
 それでも初めのうちは一生懸命に我慢して、巻物の譜を眺めるだけで堪(こら)へてゐたのですが、仕舞(しまい)にはどうしても堪へ切れなくなつて来ました。なんでも八月十四日の晩ださうです。あしたが十五夜で、今夜も宵(よい)から月のひかりが皎々(こうこう)と冴えてゐる。森垣さんは縁側に出てその月を仰いでゐると、空は見果てもなしに高く晴れてゐる。露のふかい庭では虫の声がきこえる。森垣さんはしばらくそこに突つ立つてゐるうちに、例の落城の譜のことを思ひ出すと、もう矢(や)も楯(たて)も堪らなくなりました。今夜こそはどうしても我慢が出来なくなりました。
 『その時は我ながら夢のやうでござつた。』と、森垣さんはわたくしに話しました。」



「権十郎の芝居」より:

「いつの代(よ)の見物人にも俳優(やくしゃ)の好き嫌ひはありますが、とりわけて昔はこの好き嫌ひが烈(はげ)しかつたやうで、自分の贔屓俳優(ひいきやくしゃ)は親子兄弟のやうに可愛(かわい)がる。自分の嫌ひな俳優は仇(かたき)のやうに憎(にく)がるといふわけで、俳優の贔屓争ひから飛んでもない喧嘩(けんか)や仲違(なかたが)ひを生じることも屢々(しばしば)ありました。」


「春色梅ごよみ」より:

「どこでも下屋敷は地所を沢山取つてゐますから庭も広い、空地も多い。庭には桜や山吹(やまぶき)が咲きみだれてゐる。天気のいゝ日にはお嬢さまも庭に出て、木の蔭(かげ)や池のまはりなどをそゞろ歩きして、すこしは気分も晴れやかになるだらうと思ひの外(ほか)、うらゝかな日に庭へ出て、あたゝかい春風に吹かれてゐると、却(かえ)って頭が重くなると云つて、お嬢様はめつたに外へも出ない。たゞ垂(た)れ籠(こ)めて鬱陶(うつとう)しさうに春の日永(ひなが)を暮してゐる。殊(こと)に花時(はなどき)の癖(くせ)で、今年の春も雨が多い。そばに附いてゐる者までが自然に気が滅入(めい)つて、これもお嬢さま同様にぶら/\病(やまい)になりさうになつて来ました。医者は三日目に一度づつ見まはりに来てくれるが、お嬢さまは何(ど)うもはつきりとしない。するとある日のことでした。けふも朝から絹糸のやうな春雨(はるさめ)が音も無しにしと(引用者注:「しと」に傍点)/\と降つてゐる。お嬢さまは相変らず鬱陶しさうに黙つてゐる。お近さんをはじめ、そばに控へてゐる二三人の腰元もたゞぼんやりと黙つてゐました。
 こんなときには琴を弾(ひ)くとか、歌でも作るとか、なにか相当の日ぐらしもある筈(はず)ですが、屋敷の家風が例の通りですから、そんな方のことは誰もみな不得手(ふえて)です。屋敷奉公のものは世間を知らないから世間話の種(たね)もすくない。勿論(もちろん)、こゝでは芝居の噂などが出さうもない。たゞ詰(つま)らなさうに睨(にら)み合(あ)つてゐるところへお仙(せん)といふ女中がお茶を運んで来ました。お仙は始終この下屋敷の方に詰めてゐるのでした。
 『どうも毎日降りまして、さぞ御退屈でゐらせられませう。』
 みんなも退屈し切つてゐるところなので、このお仙を相手にして色々の話をしてゐるうちに、なにかの切(き)つかけからお仙はそのころ流行(りゅうこう)の草双紙(くさぞうし)の話をはじめました。それは例の種員(たねかず)の「しらぬひ譚(ものがたり)」で、どの人も生(うま)れてから殆(ほとん)ど一度も草双紙などを手に取つたこともない人達なので、その面白さに我を忘れて、皆うつとりと聴き惚れてゐました。
 お嬢様もその草双紙の話がひどく御意(ぎょい)に入(い)つたとみえて、日が暮れてからも又その噂が出ました。
 『仙(せん)をよんで、さつきの話のつゞきを聴いてはどうであらう。』」

「『どうも困(こま)つたものだ。』と、下屋敷の侍達はいよ/\眉をひそめました。」



「黄八丈の小袖」より:

「お菊は一生懸命になつて断つたが、お常は何(ど)うしても許さなかつた。お久も肯(き)かなかつた。(中略)その時代の人には道理(もっとも)らしく聞えたやうな理屈責(りくつぜめ)にして、お久は頻(しきり)にお菊の決心を促(うなが)した。それでも彼女(かれ)は素直に其道理(どうり)の前に屈伏することを躊躇(ちゅうちょ)した。」
「『どうしたら可(よ)いだらう』
 彼女はだん/\に暗くなつてゆく水の色を眺めながら、夢見る人のやうに考へつめてゐた。退引(のっぴき)ならない難儀を逃れるのには、寧(いつ)そこゝを逃げて帰るに限るとも思つた。」
「『この川で死ねるか知ら。』
 お菊は川岸(かし)へ出て怖さうに水の面(おもて)を覗いて見た。空はまだ暮れ切らなかつたが、水の光は漸次(しだい)に褪(さ)めて、薄(うす)ら寒い夕靄(ゆうもや)の色が川下の方から遡(さかのぼ)るやうに拡がつて来た。水は音も無く静かに流れてゐた。」



「解説」より:

「千五百石の旗本でありながら、清元の浄瑠璃に凝り、家元から清元喜路太夫という名前までもらったという「桐畑の太夫」、大坂への御用道中に鎧櫃のなかへ醬油をしのばせて行こうとした食道楽の旗本を描いた「鎧櫃の血」、芝居道楽の侍が、権十郎の芸をめぐって町人と口論して、その果てに斬り殺してしまったという「権十郎の芝居」。不思議なことに『三浦老人昔話』には、武士でありながら道楽や趣味に身をやつして破滅してゆくような、どこかタガがゆるんだその時代の制度としっくりゆかないままに、人間味溢れる悲喜劇を演ずる人物が多く描きだされている。
 また(中略)、この作品に登場する人物は、本来、おるべきでない場におり、生きるべきでない時代に生きてしまったというような人物ばかりである。それは御家人の子として生まれて、明治の藩閥(はんばつ)政治全盛の時代に成人した綺堂が、生まれながらにしてその時代の出世コースから外され、当代の権威を無視して自己の好む芝居の世界へと亡命せざるを得なかったことと無縁でないことはいうまでもない。」








こちらもご参照ください:

岡本綺堂 『青蛙堂鬼談 ― 岡本綺堂読物集 二』 (中公文庫)













































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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