元藤燁子 『土方巽とともに』

「「俺は不死身だ」と言い続け、医者に行くこともなかった。「自分のからだは自分が一番良く知っている」が口癖で、二度ほど歯医者に連れていったが、順番を待つことも知らないので、大変困ったことがあった。区役所と税務署と銀行も大嫌いで、一度も行くことはなかったし、私も行かせはしなかった。電話に出るのは好きで、受話器を取るといきなり別人の名前を言う。「諸井です」とか「宗方です」とか、よくそんなにすぐに名前が出てくるものだと私はおかしがった。鍵とか財布は必ずどこかに忘れてきた。」
(元藤燁子 『土方巽とともに』 より)


元藤燁子 
『土方巽とともに』


筑摩書房 
1990年8月30日 第1刷発行
222p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,650円
装幀: 北川健次
表紙写真: 吉田ルイ子(「静かな家」1973年)



本書より:

「元藤燁子(もとふじ・あきこ) 1928年東京に生まれる。(中略)土方巽と出会い、その死に到るまで舞台活動をともに行なう。現在、アスベスト館館長、土方巽記念資料館館長。」


初出: 「アスベスト館通信」 第1号―第10号 (1986. 10―1989. 7)


土方巽とともに 01


帯文:

「私が透明な「無」に近づいたとき、土方とともに生きたかけがえのない彼と私の「人生」が初めて言葉となって浮かび上がってきました。
…何もしないことの豊かさを欲しながら、闘争的な生を送らなければならなかったわれわれ――。はるかかなたの人に、また逢う日まで。(本文より)
60年代舞踏神へのレクイエム」



帯背:

「舞踏神へのオマージュ」


帯裏:

「とびきりの情熱。とびきりの貧乏。全身でぶつかって、この手でつかんだ芸術。よろこびも極上なら、悲しみも極上だ。思いっきり生きた。思いっきり愛した。天才土方巽が蒼空に立ち上がるまでの、愛の胎内世界の饗宴。
種村季弘」



カバーそで文:

「わたしの身体のなかで死んだ身振り、それをもう一回死なせてみたい。一度死んだ人が、わたしの身体のなかで何度死んでもいい。」
「わたしが死を知らなくたって、あっちがわたしを知ってるからね。――土方巽」



土方巽とともに 02


目次:
 
1 目をそむけないで 別れの時を
2 昭和の子供
3 アスベスト館の誕生
4 水たまりの水鏡
5 ふるさと――秋田
6 小町への道行
7 白塗りはこうして始まった
8 食べられるオブジェ
9 ズボーノ氏たちのダンス
10 肉体の叛乱
11 挫折を越えて
12 「燔犠大踏鑑」
13 「東北歌舞伎」まで
また逢う日まで

あとがき



土方巽とともに 03



◆本書より◆

 
「この公演の楽屋に三島由紀夫に連れられてやってきたのが澁澤龍彦で、(中略)かねてより彼の著書に惹かれていた私たちは、当時鎌倉の小町にあった住居まで、ある日二人で出かけた。鎌倉駅に着き、商店街で道を聞き、やっと夕方、川のほとりの家を尋ねあてた。昭和の初めに建てられた家なのだろう、格子戸を開けると土間があった。懐かしい優しい臭いがした。土方は恥かしがり屋で案内を乞うこともできず、私を突ついた。私は「ごめんください」と叫んだ。澁澤龍彦はにこにこと玄関に通じる二階から降りてきた。「いらっしゃい。どうぞ」。私たちは、ずかずかと二階に上がっていった。」
「この小町への道行はその後もしばしば繰り返された。だんだん遠慮もなくなって、千葉の千倉まで、避暑中の澁澤龍彦夫妻を訪ねて遊びにいったこともあった。泳げない澁澤龍彦を浮き輪に乗せて遠くまでこいでいったり、ずいぶんいたずらをしたものだった。また小町の家では下にお母様が住んでおられるのに、夜中に裸で踊ったりしたから、ずいぶんと迷惑をかけたことだろうと思っている。」
「澁澤が「サド裁判」の渦中にあった時にも、毎回公判が終わると、法廷から出てくる澁澤を待って、うなぎ屋や浅草のお好み焼き屋に行き、夜中まで話し合う――それがまたとても楽しみだった。また、澁澤は公演のたびに稽古の時から立ち会ってくれたうえ、「広報部」などといって電柱にポスターを貼ったり、手書きで切符を作るのを面白そうに手伝ってくれ、すっかり私たちのスタッフのようになってしまった。
 土方は初めての人にはなかなか打ちとけないが、馴れるとメチャクチャとでも形容するしかないほどに親しくなり、渾名で呼びあったり、小犬のようにじゃれたりした。そんな時はいくら私が止めてももう狂気のようになって、時間も、他の約束も、仕事も放りだしてしまうのだった。」
「ときどき、こうしてあまりに飲みすぎたあとに、マラリヤのような症状を起こすことがあった(土方のお気に入りの病気は肺病、淋病、マラリヤだった)。足がほてって悪寒がし、四十度もの熱を出す。足は氷を入れた洗面器で冷やし、身体は寒いので五、六枚ふとんをかけて、上からおさえる。ところが、汗をびっしょりかいて二、三回下着を替え、五、六時間もするとすっきりして治ってしまう。(中略)土方はマラリヤだよとすまして、たちまち外へ飛び出していってしまう。」

「第一生命ホールは、何度かの私たちの公演のたびに、楽屋が黒塗りに汚れるので、いい顔はしなくなってきていた。そのため、第二回「650 EXPERIENCE の会」の時には、会場費は前金でなくてはと言われてしまった。困ったけれどなんとか第一幕の分は払えた。(中略)「二幕目をあけるお金がないの」と叫びながら走っている私に、細江は「手伝う」と一言言った。私たちは帽子を持って走った。幼い時、教会で献金に回ったことが頭をかすめた。「あと五分しかない」、まず私は寺山修司のところに行った。彼はクシャクシャの千円札や五百円札などをポンと帽子の中へ入れてくれた。あり金全部をはたいてくれたように思う。」



土方巽とともに 04















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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