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野尻抱影 『続 星と伝説』 (中公文庫 BIBLIO)

「生き霊が取りつくてえと、肩と背中のまん中へんがムズムズして、虫かなンかがはってるような気がします。だが、死霊のほうは足がムズムズして、けったるくなるから、ちゃんとわかりますのさ。
 わしら、こうして生きてたって、タマセエというものは、いつも出たり入ったりしてるンですね。」

(野尻抱影 「悪星退散」 より)


野尻抱影 
『続 星と伝説』
 
中公文庫 BIBLIO B-12-8 


中央公論新社 
2004年2月25日 初版発行
207p 「編集付記」1p 
文庫判 並装 カバー
定価895円+税
カバーデザイン: EOS Co., Ltd.



本書「編集付記」より:

「本書の底本には角川文庫版『星と伝説』(一九七一年刊)を用いた。」
「本書の底本となった一九七一年版『星と伝説』は、一九五五年に角川文庫として出版された『星と伝説』を大幅に増補して刊行された。今回、一九五五年版収録分を『星と伝説』、一九七一年版の増補分を『続 星と伝説』として中公文庫BIBLIOに収録した。」



本文中図版(モノクロ)12点。



野尻抱影 続星と伝説



カバーそで文:

「「キリストのもとに東方三博士を導いた『ベツレヘムの星』とはどの星か」「『西郷星』とは何ぞや」洋の東西を問わず、星や星座はさまざまな伝承の中で語り継がれてきた。そこにこめられた人々の想いとは――「星の抱影」と呼ばれる著者が、夜空にかける飽くなき探求心と、天文に関する広汎な知識、民俗学的手法で、伝承の謎を解き明かす。『星と伝説』に続く珠玉の天文随筆集。」


目次:

北辰尊星王
沙漠の北極星
エジプト天図の謎
卍と北斗七星
大犬・小犬の星
春の白羊宮
暮春の海蛇座
お伽草子の星
王女の冠星
星の巨人像
むじなと星
悪星退散
浜芝居
夏日星
「客星帝座を犯す」
西郷星
朝鮮の星
秋の水瓶座
三日月物語
望遠鏡以前の二大星雲
古代マヤ族と星
南十字星を思う
信西入道と星
南洋の星
ベツレヘムの星
バビロン新年の星

解説 (林完次)




◆本書より◆


「卍と北斗七星」より:

「卍(まんじ)というものを私が初めて見たのは、横浜で小学生のころ、よく独楽(こま)を回しに行った赤門寺のピラミッド形の茅葺(かやぶき)屋根の頂上に、金色に光っていたこの謎(なぞ)の大字だった。それを「マンジ」と読むことを知ったころ、アメリカみやげにもらった絵はがきの袋に、インデアンの革(かわ)の天幕に、動物の絵にまざって卍の描いてあるのを見た。中学生になって、ウェブスターの辞書を開いてみたら、図のアポロ神の胸に、この卍を見いだして、しだいに不審がきざし始めた。後に美術史を学んで、法隆寺の勾欄(こうらん)に卍つなぎのギリシア文様(もんよう)のある理由を知ったが、一方に仏教渡来前の日本の土棺に角丸の卍の彫刻があったことを読んで、何が何やらわからなくなった。
 ナチスのハーケン・クロイツ――赤地の白丸の中に斜めに傾いた卍を、東京でもちらちら見かけた時代には、日本労働同盟の黒地に赤丸、中に白の卍の旗が、建国祭なる日に行列していた。と思うと、中国には紅卍字会というのがあり、印半纏(しるしばんてん)のような制服の背に、白丸に赤い卍を染め出して担架を運んで行く写真を見た。当時は、世界をあげて卍だらけのような気がした。」

「卍が何を意味していたかについては、十字と同じ生殖象徴説から、ウーセイの章魚(たこ)の足の図案化説に至るまで異論百出である。一般には、これを太陽、電光、電火、火、水などの天然物の形と運動を表現したとする説、したがって日神、水神、雨神、火神などの象徴とするものが最も行なわれている。そして、この一つに北斗七星の形と回転を卍の起源とする説がある。」



「むじなと星」より:

「ずっと前に愛読した小池直太郎氏の『小谷(おたり)口碑集』に、つぎのような話が載っていた。
 小谷というのは、信越国境の糸魚川(いといがわ)街道の貫いている地方で、その本の「貉(むじな)の怪異」という章に、小谷の字雨中(うちゅう)――私もかつて白馬へ登って帰りにここに泊まったことがある――で、聞いた話とあって、

  貉の中には星見といって、よく死んでいあるのがある。貉はかがんで歩くものであるが、晴れた夜空の星を仰いで死んでしまうのだという。

とある。さらに氏の郷里、川中島地方の話として、

  秋のころ犀川(さいがわ)に張る鮭(さけ)川(産卵のために上って来る鮭を漁獲するためにこしらえる迷路)の竹簀(たけす)に貉の死体が漂着することがある。これは上流の山谷で巌頭に立ち空を仰いでいる貉が、感興の増すとともに、いよいよ仰ぎ、さてはまっさかさまに墜落し岩角に頭を打っつけて惨死し、山沢へ流れ込んだのが、大水の時などに平地に流出して来るのだと説明されている云々(うんぬん)。

とあって、ただし、「その肉は泥臭く、ただ脂(あぶら)っこくばかりあってまずい」と付け加えてあった。
 だいぶなまなましい話になったが、むじなの星見とはさても殊勝である。」

「戦争の初期だったある年の正月、磯貝勇君が、奥多摩の秋川谷へ民具の採集に行った帰りに、土産(みやげ)があると電話をかけてきた。
 雪もよいの七草の午後で、渋谷のカフェーで落ち合ったのだが、(中略)磯貝君が鬼の首でも取ったように話したのは、カワハリ(皮張り)という星だった。これは冬の夜明け前、三、四時ごろ南に、むじなの皮を張った形に出て、炭焼きや馬方が、「カワハリが出たで、起きるだんべし」と、時刻を知る星だと聞いたという。
 これは紛れもなく、春の宵には南の中空に見える烏(からす)座で、四つの星がやや縦長の梯形(ていけい)を描いているものに違いない。ずっと後に能登(のと)の漁夫からホカケボシという美しい名を知らせてもらったが、むじなの皮の四すみに釘(くぎ)を打ち、壁に張りつけた形とは、なんという荒削りの野趣横溢(おういつ)した見方だろう。下の方でひろがっているのも、後足の感じによく通じている。」
「私はこの話を、後に茶飲み話に来る八王子生まれの老棟梁(とうりょう)(今年は八十四歳)に聞かせたところ、幾度か感心してから、「そうやって乾(かわ)かしたむじなの皮は、鍛冶(かじ)屋のフイゴになくてならねえものでした。ゴワゴワしてるんで、持ちがいいし、それに足が短(みじけ)えので、板の四すみに折り返すのにつごうがいいでしてね」と教えてくれた。ピストンの板に張るのだが、「足が短いので」が、カワハリの形を眼前に見せて、これにも哀れを感じた。」



「悪星退散」より:

「棟梁が永年師事している「お山の先生」は、川向こうの真言宗の寺の住職で、そこは星祭りで聞こえているので、「星の寺」と通称している。」
「年末の夜の星祭りにも、以前はよくお山から招いてくれたが、いつも行きそびれてしまった。その時に、斎戒沐浴(もくよく)して護摩木を焚くのは棟梁の役だった。」
「ところで棟梁は、星祭りから生き霊と死霊の存在を断然信じている。その説明に曰(いわ)く、「生き霊が取りつくてえと、肩と背中のまん中へんがムズムズして、虫かなンかがはってるような気がします。だが、死霊のほうは足がムズムズして、けったるくなるから、ちゃんとわかりますのさ。
 わしら、こうして生きてたって、タマセエというものは、いつも出たり入ったりしてるンですね。せんだって、お山のご新造がわざわざ電車に乗ってコワメシを持って来てくだすったンで、なぜですかと聞いたら、中座(なかざ)(霊媒)をやんなさる娘さんに、わしが取っついて、ひどく腹をへらしてることがわかったもンで、こせえて届けに来たと言ってました。ところが、そのあとで、死んだ女房のやつがわしの真似(まね)をして出たもンで、亭主にばかり食べさせたのを恨んでるとわかって、スシをこせえて供養してくだすったって話でしたよ。あらたかなもンでござんすね」」
「それから数年たったころ、棟梁は久しい間腰痛に悩んで、私の縁先へ来るにも竹の長い杖をついて、フラフラ歩いて来た。それがある日、杖もつかずに、シャンとした腰つきでやって来て、こんな話をした。
 あんまり切ないので、お山の娘さんを中座に頼んだところが、吉兵衛とか吉右衛門とかいうのが現われて、それが棟梁の腰にぶら下がっていることが判明した。
 「腰だから死霊ですね。そんな名のやつに知り合いはねえんですが、でも、ようく考えてみたら、ずっと昔、吉なンとかいうやっこが、しばらくわしンとこでムダ飯を食ってたことがありましたっけ。ハハア、あいつめ、どこかで亡くなって、餓鬼になってこの腰にぶら下がって、一年足らずもわしを悩ましてるンだな。ふていやっこだと思いましたが、ホトケにゃかないませんでね。
 そこで、お山の先生に伺うと、おまえの家の辰巳(たつみ)に門か木戸があるだろう。吉兵衛はそこから出入りしては、おまえにぶら下がって、何か食わせてくれと、ねだってるのだとおっしゃる。木戸なンかござんせん。もっとも垣根が一(ひと)とここわれていて、野良犬が出入りしてるとこはありますが。そこだ、そこに違いない。そこで施餓鬼(せがき)をしてやんなさい」
 こういうわけで、棟梁はさっそく、その垣根の穴の手前に握り飯を供え、線香をたき、いとねんごろに供養をし、目には見えねど吉兵衛に説法して、むろん九字を切り、エイオッをやった。それでたちまち死霊退散、「もう杖なしで、お茶をよばれにめえられるようになりました。あらたかなもンでござんす」
 こういう話で、私もまったく、あらたかなものだと感心した。」



「浜芝居」より:

「相馬君(引用者注:相馬御風)も私も早稲田を卒業した夏のことで、まだ直江津から西へは汽車がなかった。相馬君は高田まで迎えに出て来てくれて、旧盆のおけさ踊りを夜更(よふ)けまで見てから、翌日、あの海沿いの街道を、幾里か糸魚川まで歩いた。」
「糸魚川では、少し前から来ていた太田三郎画伯と一週間ほど泊まった。」
「その間の一日、触れ太鼓が人力で回って、大阪下りの名題俳優の一座が町にかかったことを知らせて来た。前の年の冬に大火があって、劇場のあった目ぬきの通りも焼き払われたとかで、その芝居は浜べの野天小屋で打つという話だった。」
「蒸し暑い晩だった。雪よけの石を積んだ低い屋根つづきの海岸町を、浴衣の男女や、大漁(まいわい)着を引っかけた大兵の漁夫たちが、ぞろぞろと歩いていた。
 小屋は、暗い横町を海辺へ出はずれたところに、葭簀(よしず)囲いで立っていた。もう内部から三味線の音にもつれて、せりふ(引用者注:「せりふ」に傍点)の声が聞こえたり、時々見物のどよめく声が聞こえたりしていた。
 外の砂地には、西瓜(すいか)屋、氷屋、その他いろいろの露店が並んでいて、カンテラの油煙が海から来る風に臭(にお)っていた。人ごみの間を抜けると、木戸口で、人家の潜(くぐ)り門を丸太の柱に縛りつけてあるのが、鼠木戸(ねずみきど)というものを思わせた。その手前には、もう一つ小さい門を立てて、ほおずき提灯(ちょうちん)の揺れる下に細い庵看板(いおりかんばん)が並んでおり、紺や紅の紋とともに勘亭流の文字で名優たちの擬似芸名がれいれいと列(つら)ねてあった。」
「木戸をくぐると、むっと鼻をついたのは、人いきれと、煙草(たばこ)の臭いと、日なたくさい海の香いだった。低い葭簀天井のところどころにつるしたランプの薄暗い光で、砂地や丸太組みの桟敷(さじき)から、明るい舞台を熱心にながめている見物の白い浴衣や、赤光りのする裸体が浮き上がっていた。」
「下駄をぶらさげ、見物の間の砂地を拾って行って丸太の梯子(はしご)を上ると、すぐ天井に頭がつかえた。すわった蓆(むしろ)がじとじとしているのは、昼の夕立のためらしかった。後ろの葭簀の外では浪の音が時々聞こえていた。
 むしむしと濁った空気のかなたに、神楽(かぐら)堂ほどの狭い舞台が、ランプを幾つかつるした下に開いていた。形ばかりの花道が、向こう側の桟敷の下に通っていて、それが揚げ幕で終わるところにも、赤裸の連中が五、六人、腰を据えていた。」

「それから光秀は三宝に片足を踏んがけて、刀をかつぎ、天下を取った豪傑笑いをやろうとすると、三宝がなかった。いつの間にか黒衣が片づけてしまったものらしい。けれど、光秀はいっこうに狼狽(ろうばい)しなかった。刀をかついだまま金襖の方を振り向いて、桟敷のはしの私たちにも聞こえるような声で、「三宝だよ、三宝をどうした」と叫んだ。
 「おお」と応ずる声が聞こえて、のそのそと三宝をぶらさげて出て来たのは、これも鉢巻きに赤褌で、舞台の照明に、きわだっててらてら光る裸ん坊だった。「ここらでいいかね」と、光秀の指図を聞いてから、三宝をばか丁寧に正面に据えて、また、のそのそと引込んで行った。
 緊張している見物は、その間もおとなしく鎮(しず)まり返っていた。光秀も落ちついたもので、ゆっくりと片足を三宝に載せてから、目玉をほとんど白眼ばかりにして、「ムムハハ、ムムハハハハハ」と笑った。
 幕になると、見物は一時にざわめきだした。団扇(うちわ)が目まぐるしく動き、海の男らしいだみ声が八方へ飛び、そういう団扇や頭の上をまたいで、果物売りや菓子売りの裸男がうろつき歩いた。
 ひとりの梨売りが桟敷の下から、何か愛想を言った。「暑くてたまらんの」と相馬君が土地言葉で答えると、その男はわざわざ桟敷へ上がって来て、「こうすればええに」言いながら、梨をむく薄刃で、私たちの後ろの葭簀の合わせ目をブツリ、ブツリと切りはじめた。すると、そこがばらりと半間余りも開いて、潮風がぱっと顔を打った。
 私は思わず息を呑(の)んだ。外は眼のとどくかぎり、蒼(あお)黒い夜の海と、星月夜の空だった。漁火(いさりび)の明滅している方角が佐渡だろうか。見なれている星もちょっと見当がつかないほど無数に出ている中を、天の川が驚くばかりあざやかに、はば広く流れて、末は潮曇りにぼやけていた。小屋の下はすぐ磯ぎわで、波がここの海に多い夜光虫で燐光(りんこう)に輝きながら、ザアザアと崩れていた。」
「中幕が開いて、私たちはなお浪の音を近く聞き、潮の香を強く嗅(か)ぎながら、「だんまり」を見た。」
「幕外六法で、白旗をくわえた山賊の張本が、花道をきしませながら跳んでいくと、揚げ幕の手前には相変わらず裸の漁夫たちが大あぐらをかいていた。
 天明太郎はそこで六法(ろっぽう)を止めて「親方、ちょいと退いてやってください、乗り込めませんから」と言って、腰をかがめて手首を上へしゃくった。すると、侠気の強いのは磯のならいという顔で「おい、来た」と腰をそろえて、花道から砂地へずり落ちた。
 天明太郎は、そこで再び頭をぐいと反らせ、腕を大きく回転させてから、勇しく揚げ幕へ暴れこんだ。」
「十二時も過ぎてから、芝居はドロドロと打ち出しになった。」



「夏日星」より:

「夏日星(なつひぼし)は、日本における火星の名として最も古いもので、聖徳太子に関する珍しい説話を伴っている。文献としては『扶桑(ふそう)略記』『聖徳太子伝暦』がある。つぎに前書き(原漢文)から引いてみる。

  敏達(びだつ)天皇の九年庚子夏六月、人あり奏して曰く、土師連八島(はじのむらじやしま)ありて唱歌絶世なり、夜人ありて来たり相和し、歌を争う音声常にあらず。八島これを異(あやし)み、追い尋ねて住吉の浜に至る。天暁海に入れり。耳聡(みみさと)王子奏して曰く、これ熒惑星(けいこくせい)なり。この星降り化して人となり、童子の間に遊ぶ。好んで謡歌を作り、未然の事を歌う。けだしこの星なるか。天皇ただ喜ぶ。

 耳聡王子は聖徳太子で、熒惑星は火星の異名である。また、江戸の寺島良安の『和漢三才図絵』に、河内(かわち)志賀郡土師里(はじのさと)道明寺の縁起に次の文(原漢文)がある。

  河内の国志賀郡道明寺は、推古天皇の御願、聖徳太子の開基なり。土師連八島勅を奉じて寺を造り、土師の里に五部の大乗経を埋む。地上にて木槵(むくろ)樹を生ず、人しばしばその子(み)を取りて念珠(ねんず)となすなり。八島は声大にして、よく時世粧(いまよう)を謡う。熒惑星(けいこくせい)彼の歌に感じて相共に唱う。

  (八島)我宿のいらかにかたる声はたそ、たしかになのれよもの草とも
  (星返歌)あまの原南にすめる夏火星、豊聡(とよさと)にとへよものくさとも

  所謂夏火星者熒惑也、豊聰者聖徳太子別号。

 夏日星、時に日夏星の名は、この説話以外にはあまり見いだされないが、火星の和名としては誠にすぐれている。そして新村博士が『史記』や『漢書』に、「熒惑南方火、主夏」とあるのを直訳したものに違いないと書かれたのは図星である。
 鎌倉時代の『梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)』巻一、断簡には、土師連のことを「用明天皇の御時」のことと記して、「これは熒惑星の此哥をめでて化しておはしけるとなん。聖徳太子の転(伝)に見えたり。今様と申事のおこり」で断たれているが、歌謡道には神聖な事件として伝えられていたことがわかる。」
「さて新村博士も、かつてこれを聖徳太子伝中の説話として紹介されてから、熒惑が地に下って童子になることの出所について、『晋書』「天文志」を引いておられた。ここには、それと大同小異の「暦林問答」(原漢文)を引いてみる。

  天文抄に曰く、五星盈縮(えいしゅく)度を失えば、すなわちその星地に降る。歳星降りて貴臣となる。熒惑降りて童児となり、歌謡嬉戯(きぎ)す。塡星(てんせい)降りて老人婦女となる。太白降りて壮夫となり、林麓(りんろく)に処(お)る。辰星降りて婦人となる。およそ諸星皆かくのごとし。云々。」



「西郷星」より:

「明治十年西南戦争の当時、八月上旬のころ、毎夜大きな星が現われ、晃々(こうこう)たる光を放った。それを西郷隆盛の乱に結びつけ、西郷星と呼んだもので、当時の錦絵(にしきえ)はしばしばこの怪星を描いたものがあった。」
「大森貝塚発見で有名なモースの『日本その日その日』には、一八七七年〔明治十年〕九月八日の項にこう記してある。

  往来を通行していると、戦争画で色とりどりな絵画店の前に人がたかっているのに気づく。薩摩の反逆が画家に画題を与えている。絵は赤と黒とで色もあざやかに、士官は最も芝居がかった態度をしており、血なまぐさい戦争が、我々の目からは怪奇だが事実描写されている。一枚の絵は気にかかる星(火星)を示し、その中心に西郷将軍がいる。将軍は叛徒(はんと)の大将であるが、日本人は皆彼を敬愛している。鹿児島が占領された後、彼ならびに他の士官たちはハラキリをした。昨今、一方ならず光り輝く火星の中に、彼がいると信ずる者が多い。(石川欣一氏訳)」

「火星の大接近は平均十五年ごとに起こる現象だが、特にこの年の火星には、イタリアのスキアパレリが、望遠鏡で異様な線条を発見して canalli (水路)と名づけ、それが canals (運河)と英訳されて、火星人実在説にまで進展する緒(いとぐち)となった。さらにワシントン海軍天文台のホールは八月十一日と十六日とに、初めて火星の二個の衛星を発見して学界を驚かせた。英詩人テニスンが、『芸術の宮』の最初の作(一八三一)に、「月なき火星の、雪に閉ざされし両極」と歌ったのを、「火星の、雪に閉ざされし両極と月ら」と訂正したのもこの時だった。」







こちらもご参照ください:

野尻抱影 『星と伝説』 (中公文庫 BIBLIO)
郡司正勝 『地芝居と民俗』 (民俗民芸双書)
村山修一 『日本陰陽道史話』 (朝日カルチャーブックス)
J・バルトルシャイティス 『幻想の中世 Ⅰ』 西野嘉章訳 (平凡社ライブラリー)




















































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分野: パタフィジック。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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