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『新古今和歌集 下』 久保田淳 校注 (新潮日本古典集成)

「夜もすがら 浦こぐ船は あともなし 月ぞ残れる 志賀の唐崎(からさき)」
(『新古今和歌集』 より)


『新古今和歌集 下』 
久保田淳 校注
 
新潮日本古典集成


新潮社 
昭和54年9月5日 印刷
昭和54年9月10日 発行
423p 
四六判 丸背クロス装上製本 貼函
定価1,800円
装画: 佐多芳郎



本書「凡例」より:

「本書は、『万葉集』『古今和歌集』とともに、古典和歌の一つの典型である『新古今和歌集』を読み味わうことを意図したもので、上下二冊から成る。下巻には巻第十一恋歌一から巻第二十釈教歌までの本文を収め、注解を加えた。」


第30回配本。



新潮日本古典集成 新古今和歌集 下



帯文:

「かたく誓った愛もいつしか色あせて、今はただ涙だけが過ぎ去った日々の形見……人間のいとなみの哀しさを無常の調べにのせて歌う抒情豊かな詞華集。」


帯裏:

「たとえつかのまの夢であろうとも、恋の歓びに身をまかせたい――情熱の歌人和泉式部のあでやかな一首。
 枕だに知らねば言はじ見しままに
 君かたるなよ春の夜の夢

九十一歳で天寿を全うするまでただひたすら歌い続けた藤原俊成。そのつややかな調べは日本的抒情の原質。
 思ひきや別れし秋にめぐり逢ひて
 またもこの世の月を見むとは

二児の母でありながら夫と離別した俊成卿女。物語的な世界へ誘うその歌には棄てられた女の哀しみが……
 通ひ来しやどの道芝かれがれに
 あとなき霜の結ぼほれつつ」



目次:

凡例

巻第十一 恋歌一
巻第十二 恋歌二
巻第十三 恋歌三
巻第十四 恋歌四
巻第十五 恋歌五
巻第十六 雑歌上
巻第十七 雑歌中
巻第十八 雑歌下
巻第十九 神祇歌
巻第二十 釈教歌

付録
 校訂補記
 出典、隠岐本合点・撰者名注記一覧
 作者略伝
 初句索引




◆本書より◆


「巻第十一 恋歌一」より:

   「曾禰好忠
1071 由良(ゆら)の門(と)を 渡る舟人(ふなびと) 梶(かぢ)を絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かも」


頭注:

由良の門を渡る舟長(ふなおさ)が梶を失ってどこへ舟をやっていいかわからないように、これからどうしていいかわからない恋の道だなあ。
大海に漂う小舟のイメージで恋心を表す。
◇由良の門 丹後(たんごの)国の歌枕。「門」は海峡。◇梶を絶え 梶を失って。ここまでは下句を起す有意の序。」



「巻第十三 恋歌三」より:

   「西行法師人々に百首歌(ひやくしゆのうた)よませ侍りける  藤原定家朝臣(ふぢはらのさだいへのあそん)
1196 あぢきなく つらきあらしの 声もうし など夕暮に 待ちならひけむ」


頭注:

心楽しまず、まるでつれないあの人のような烈しい風の音もつらく、うとましく感じられます。どうしてわたしは夕暮ともなれば人を待つのが心の習いとなってしまったのでしょうか。
訪れてこないと知りながらも冷淡になった恋人を待たずにはいられない女の心。」



「巻第十五 恋歌五」より:

   「題しらず  藤原定家朝臣
1389 かきやりし その黒髪の すぢごとに うちふすほどは 面影ぞ立つ」


頭注:

わたしがかきやったあの人の黒髪、その一筋一筋までもがくっきりと見えるほど、ひとり臥(ふ)す枕辺にあの人の面影がさだかに立ちあらわれるよ。
かつて二人で過した時の恋人を思い描きつつ独り寝をかこつ男の心を「黒髪の乱れもしらずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき」(『後拾遺集』恋三、和泉式部(いずみしきぶ))に応和したような形で歌う。男が女の髪をかきやる場面は『源氏物語』螢(ほたる)の巻や夕霧の巻に、また男が遠く離れている女の面影をまざまざと思い浮べる場面は、同じく真木柱(まきばしら)の巻に見え、それらを意識している。」



「巻第十六 雑歌上」より:

   「いつきの昔(頭注:「斎院であった昔。」)を思ひ出でて  式子内親王(しよくしないしんわう)
1484 ほととぎす そのかみ山の 旅枕(たびまくら) ほのかたらひし 空ぞ忘れぬ」


頭注:

斎院だったその昔、神山に旅寝してほととぎすとほのかに語らったあの暁の空が忘れられません。
「をち返りえぞ忍ばれぬほととぎすほの語らひし宿の垣根に」(『源氏物語』花散里(はなちるさと)、光源氏)を念頭に置く。
◇そのかみ山 「そのかみ」から「神山」へと続けた。神山は上賀茂神社の奥にあり、神のます山とされる。」

   「和歌所歌合に、湖上月明シといふことを  宜秋門院丹後(ぎしうもんゐんのたんご)
1505 夜もすがら 浦こぐ船は あともなし 月ぞ残れる 志賀の唐崎(からさき)」


頭注:

夜通し浦を漕(こ)いでいた船はどこへ行ってしまったのか、跡もありません。ただ、志賀の唐崎には、月の光だけが残っています。湖の面と、そして有明の空に。
第二・三句は、「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡の白波」(『拾遺集』哀傷、満誓(まんせい))を念頭に置く。「須磨の海人(あま)の浦漕ぐ舟の跡もなく見ぬ人恋ふるわれやなになり」(『後拾遺集』恋一、源高明(たかあきら))にも通うものがある。」

   「遍照寺(へんぜうじ)(頭注:「京都の西、広沢池のほとりにある真言宗の古寺。」)の月を見て  平忠盛朝臣(たひらのただもりのあそん)
1550 すだきけむ 昔の人は 影絶えて 宿もるものは 有明(ありあけ)の月」


頭注:

昔は人々が大勢集まっていただろうに、今は人影も絶えて、この家に洩れ入るものは有明の月の光だけだなあ。
古くから歌人が観月を楽しんだことで知られる古寺での詠。この寺が衰微してしまったことを嘆く心が籠(こ)められている。恵慶(えぎょう)が河原院で詠んだ、「すだきけむ昔の人もなき宿にただ影するは秋の夜の月」(『後拾遺集』秋上)の作を念頭に置く。
◇すだきけむ 「すだく」は大勢集まる意。◇影 人影。「月」の縁語。◇宿 ここでは僧坊をいう。◇もる 「洩る」に「守る」を掛ける。」

   「あひ知りて侍りける人(頭注:「知っていた人。」)のもとにまかりたりけるに、その人はほかに住みて、いたう荒れたる宿に月のさし入りて侍りければ  前中納言匡房(さきのちゆうなごんまさふさ)
1551 やへむぐら 茂れる宿は 人もなし まばらに月の 影ぞすみける」


頭注:

八重むぐらが生い茂っているこの荒れはてた家には人影もない。ただ、澄んだ月の光だけがあたかも住む人のように、まばらに射しているよ。
廃園の荒屋を照らす月に感慨を催して詠んだ。この歌も、河原院で恵慶が詠んだ、「八重むぐら茂れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり」(『拾遺集』秋)を念頭に置く。一五五〇、一五五一の配列は意識的か。
◇やへむぐら いろいろな雑草。◇まばらに 「やへむぐら茂れる」という状態と対になり、荒廃感を強めている。◇すみける 「澄み」に「宿」「人」の縁語「住み」を響かせる。」

   「題しらず  神祇伯顕仲(じんぎはくあきなか)
1552 かもめゐる 藤江(ふぢえ)の浦の 沖(おき)つ洲(す)に 夜舟いさよふ 月のさやけさ」


頭注:

かもめが羽を休めている藤江の浦の沖の洲に、夜漕(こ)ぐ舟がたゆたっている。月がさやかに照らして。
「鷗(かもめ)ゐる白良(しらら)の浜の水底にその玉見ゆる秋の夜の月」(『四条宮扇合』備中(びっちゅう))、「白たへの藤江の浦にいざりする海人(あま)とや見らむ旅行くわれを」(『万葉集』三六〇七、当所誦詠古歌)などの影響が認められる。
◇藤江の浦 播磨(はりまの)国の歌枕。◇いさよふ 漕いでいってしまわないで、ためらっている。」







こちらもご参照ください:

『新古今和歌集 上』 久保田淳 校注 (新潮日本古典集成)
久保田淳 『藤原定家 ― 乱世に華あり』 (王朝の歌人 9)
風巻景次郎 『中世の文学伝統』 (岩波文庫)
塚本邦雄 『新古今新考 ― 断崖の美学』












































































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