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『太平記 (一)』 兵藤裕己 校注 (岩波文庫)

「況(いわ)んや、矢に当たり、石に打たれて死生の堺(さかい)を知らざる者は、幾千万と云ふ数を知らず。血流れて草芥(そうかい)を染め、尸(かばね)横たはつて路径(ろけい)を塞(ふさ)ぐ。」
(『太平記』第七巻「出羽入道吉野を攻むる事」 より)


『太平記 (一)』 
兵藤裕己 校注
 
岩波文庫 黄/30-143-1 


岩波書店 
2014年4月16日 第1刷発行
2016年2月5日 第3刷発行
488p 
文庫判 並装 カバー
定価1,140円+税
カバー: 中野達彦
カバー図版: 隠岐へ流罪となる後醍醐天皇の行幸(第四巻)/『太平記絵巻』第二巻より



本書「凡例」より:

「本書の底本には、京都の龍安寺所蔵(京都国立博物館寄託)の西源院本『太平記』を使用した。」


本文中地図3点、脚注に参考図版12点。



太平記 一



カバーそで文:

「鎌倉幕府の滅亡に始まる南北朝の動乱。北条一族の終焉、楠正成らの知勇が支える後醍醐政権、足利尊氏の離反、室町幕府の成立……。数十年にわたって列島を揺るがした巨大な戦乱を記す『太平記』。その古態を伝える「西源院本」に、初めて校注を加える。(全六冊)」


目次:

凡例
全巻目次

第一巻
 序
 後醍醐天皇武臣を亡ぼすべき御企ての事 1
 中宮御入内の事 2
 皇子達の御事 3
 関東調伏の法行はるる事 4
 俊基資朝朝臣の事 5
 土岐十郎と多治見四郎と謀叛の事、付 無礼講の事 6
 昌黎文集談義の事 7
 謀叛露顕の事 8
 土岐多治見討たるる事 9
 俊基資朝召し取られ関東下向の事 10
 主上御告文関東に下さるる事 11

第二巻
 南都北嶺行幸の事 1
 為明卿歌の事 2
 両三の上人関東下向の事 3
 俊基朝臣重ねて関東下向の事 4
 長崎新左衛門尉異見の事 5
 阿新殿の事 6
 俊基朝臣を斬り奉る事 7
 東使上洛の事 8
 主上南都潜幸の事 9
 尹大納言師賢卿主上に替はり山門登山の事 10
 坂本合戦の事 11

第三巻
 笠置臨幸の事 1
 笠置合戦の事 2
 楠謀叛の事、并 桜山謀叛の事 3
 東国勢上洛の事 4
 陶山小見山夜討の事 5
 笠置没落の事 6
 先皇六波羅還幸の事 7
 赤坂軍の事、同 城落つる事 8
 桜山討死の事 9

第四巻
 万里小路大納言宣房卿の歌の事 1
 宮々流し奉る事 2
 先帝還幸の事、并 俊明極参内の事 3
 和田備後三郎落書の事 4
 呉越闘ひの事 5

第五巻
 持明院殿御即位の事 1
 宣房卿二君に仕ふる事 2
 中堂常燈消ゆる事 3
 相模入道田楽を好む事 4
 犬の事 5
 弁才天影向の事 6
 大塔宮大般若の櫃に入り替はる事 7
 大塔宮十津川御入りの事 8
 玉木庄司宮を討ち奉らんと欲する事 9
 野長瀬六郎宮御迎への事、并 北野天神霊験の事 10

第六巻
 民部卿三位殿御夢の事 1
 楠天王寺に出づる事 2
 六波羅勢討たるる事 3
 宇都宮天王寺に寄する事 4
 太子未来記の事 5
 大塔宮吉野御出の事、并 赤松禅門令旨を賜る事 6
 東国勢上洛の事 7
 金剛山攻めの事 8
 赤坂合戦の事、并 人見本間討死の事 9

第七巻
 出羽入道吉野を攻むる事 1
 村上義光大塔宮に代はり自害の事 2
 千剣破城軍の事 3
 義貞綸旨を賜る事 4
 赤松義兵を挙ぐる事 5
 土居得能旗を掲ぐる事 6
 船上臨幸の事 7
 長年御方に参る事 8
 船上合戦の事 9

第八巻
 摩耶軍の事 1
 酒部瀬川合戦の事 2
 三月十二日赤松京都に寄する事 3
 主上両上皇六波羅臨幸の事 4
 同じき十二日合戦の事 5
 禁裏仙洞御修法の事 6
 西岡合戦の事 7
 山門京都に寄する事 8
 四月三日京軍の事 9
 田中兄弟軍の事 10
 有元一族討死の事 11
 妻鹿孫三郎人飛礫の事 12
 千種殿軍の事 13
 谷堂炎上の事 14

付録
 系図(皇室系図/藤原氏系図/北条氏系図)
 旧国名図
 洛中図
 『太平記』記事年表1

[解説1] 『太平記』の成立




◆本書より◆


「昌黎文集談義(しょうれいぶんじゅうだんぎ)の事」より:

「かの韓昌黎(かんしょうれい)と申すは、晩唐(ばんとう)の末に出でて、文才優長(ぶんさいゆうちょう)の人なりけり。(中略)かれが猶子(ゆうし)(脚注:「兄弟の子。韓湘は、韓愈の兄の孫。」)に、韓湘(かんしょう)と云ふ者あり。これは文学をも嗜(たしな)まず、詩篇(しへん)にも携はらず、ただ道士(どうし)の術(脚注:「道教に説く神仙の術。」)を学んで、無為(ぶい)(脚注:「人為でない自然のまま。「聖人は無為の事に処(お)り、不言の教へを行ふ」(老子・二章)。」)を業とし、無事(脚注:「人為を加えないこと。」)を事とす。
 或る時、昌黎、韓湘に向かつて申しけるは、「汝(なんじ)、天地の中(うち)に化生(かせい)して(脚注:「この世に生まれて。」)、仁義(じんぎ)の外(ほか)に(脚注:「人たるべき道を外れて。」)逍遥(しょうよう)す。これ君子の恥づる処(ところ)、小人(しょうじん)のする処なり。われ常に、汝がためにこれを悲しむこと切なり」と教訓(きょうくん)しければ、韓湘、大きにあざ笑つて申しけるは、「仁義は大道(たいどう)の廃(すた)るる処に出でて、学教(がっきょう)は大偽(たいぎ)の起こる時に盛(さか)んなり(脚注:「「大道廃れて仁義あり。智恵出でて大偽あり」(老子・十八章)。」)。われ無為の境(さかい)に優游(ゆうゆう)して、是非の外(ほか)に自得す(脚注:「善悪の人為的価値を離れた境地に入る。」)。されば、真宰(しんさい)の臂(ひじ)を掣(さ)いて、壺中(こちゅう)に天地を蔵(おさ)め(脚注:「天(真宰)のなす所に干渉して、壺中に別天地を造り。費長房(ひちょうぼう)が壺中に入り、別天地を見た故事(後漢書・方術列伝)。」)、造化(ぞうか)の工(たくみ)を奪つて、橘裏(きつり)に山川(さんせん)を峙(そばだ)つ(脚注:「造化の神の業をわが物とし、橘の実の中に山川を造る。橘の実を割ると、中で二人の老人が談笑していたという故事(幽怪録)。」)。却(かえ)つて悲しむらくは、公のただ古人(こじん)の糟粕(そうはく)(脚注:「古人の言い古した説(荘子・天道)。」)を甘んじて、空しく一生を区々(くく)(脚注:「細々したこと。」)の中(うち)に誤(あやま)る事を」と答へければ、昌黎、重ねて曰(い)はく、「汝が云ふ処、われ未だ信ぜず。今則(すなわ)ち(脚注:「すぐさま。」)造化の工を奪うことを得んや」と問ふに、韓湘答ふる事なくして、前に置ける瑠璃(るり)の盃(さかずき)(脚注:「青い宝玉の盃。」)を打ち伏せて、やがてまた引きあふのけたるを見れば、忽然(こつぜん)として、碧玉(へきぎょく)の花の嬋娟(せんけん)たる(脚注:「あでやかなさま。」)一枝(いっし)あり。昌黎、驚いてこれを見るに、花の中に金字に書きたる一聯(れん)の句あり。
  雲 秦嶺(しんれい)(脚注:「長安の南にある嶺。」)に横たはつて家何(いずく)にか在る
  雪 藍関(らんかん)(脚注:「長安の東南にある関。」)を擁(よう)して馬前(すす)まず
 昌黎(しょうれい)、不思議(ふしぎ)の思ひをなし、これを読むに、再三詠吟(えいぎん)するに句の優美遠長(ゆうびえんちょう)なる体製(ていせい)のみあつて、その趣向(しゅこう)落着(らくちゃく)の処を知(し)り難(がた)し(脚注:「詩句は情趣の尽きない風体のみあり、意味の落ち着き先がわからない。」)。手に取つてこれを見んとすれば、忽然(こつぜん)として消え失せぬ。これよりしてこそ、韓湘(かんしょう)仙術(せんじゅつ)(脚注:「神仙の術。」)の道を得たりとは、天下の人に知られたり。
 その後(のち)、昌黎、仏法(ぶっぽう)を破りて儒教(じゅきょう)を貴(たっと)ばるべき由(よし)、奏状(脚注:「唐の元和十四年(八一九)、憲宗に上奏した「仏骨を論ずる表」。」)を奉りける咎(とが)によつて、潮州(ちょうじゅう)へ流さる。日暮(く)れ、馬泥(なず)んで(脚注:「行きなやんで。」)、前途(ぜんと)程(ほど)遠し。遥(はる)かに故郷(こきょう)の方(かた)を顧(かえり)みれば、秦嶺に雲横たはつて、来たりし方も覚えず。悼(いたん)んで万仞(ばんじん)の坂に上(のぼ)れば(脚注:「悲しんで非常に高い山に登ると。一仞は七尺。」)、藍関に雪満ちて、行くべき末(すえ)の道もなし。進退(しんたい)歩(ほ)を失つて、頭(こうべ)を廻(めぐ)らす処に、いづくより来たれるとも思はず、韓湘、悖然(ぼつぜん)として(脚注:「突然。」)傍(かたわ)らにあり。昌黎、悦(よろこ)びて馬より下(お)り、韓湘が袖をひかへて、涙の中に申しけるは、「前年(せんねん)、碧玉(へきぎょく)の花の中に見えたりし一聯(れん)の句は、汝(なんじ)、われに予(あらかじ)め左遷(させん)の愁(うれ)へを告げ知らしめけるなり。今また汝ここに来たれり。料(はか)り知(し)んぬ、われつひに謫居(たっきょ)に愁(うれ)へ死(し)して、帰る事を得じと(脚注:「私にもわかる、私は流罪の身のまま憂え死んで、帰ることはできぬと。」)。再会(さいかい)期(ご)なくして、遠別(えんべつ)に遇(あ)ふ(脚注:「再会はできず、遠く離れて別れる。」)。豈(あ)に悲しむに堪(た)へんや」とて、前の一聯に六句を続(つ)いで、韓湘に与ふ。
  一封(いっぷう)朝(あした)に奏す九重(きゅうちょう)の天
  夕(ゆうべ)に潮陽(ちょうよう)に貶(へん)せらる路(みち)八千
  本(もと)より聖明(せいめい)の為(ため)に弊事(へいじ)を除かんとす
  豈(あ)に衰朽(すいきゅう)を将(も)つて残年(ざんねん)を惜(お)しまんや
  雲秦嶺に横たはつて家何(いずく)にか在る
  雪藍関を擁して馬前(すす)まず
  知りぬ汝が遠く来たること須(すべから)く意有るべし
  好(よ)し吾(わ)が骨(こつ)を瘴江(しょうこう)の辺(ほと)りに収めよ(脚注:「一つの封事(天子への意見書)を朝に奏上し、夕べには潮陽(潮州県)に左遷され、八千里の道をたどる。天子のため弊害を除こうとしたのだから、どうして老年の身で余命を惜しもうか。雲は秦嶺にたなびき、来し方のわが家は見えない。行く手の藍関は雪に閉ざされて馬も進まない。お前がやって来たのは、私を思うからだろう。この上はお前の手で私の骨を瘴江(毒気のある入江)の傍らに埋めてほしい。」)
 韓湘、この詩を袖に入れて、泣く泣く東西へ別れにけり。」



「為明卿(ためあきらきょう)歌(うた)の事」より:

「また、二条三位為明(にじょうさんみためあきら)(脚注:「為藤の子。「新拾遺和歌集」撰者。」)は、歌道(かどう)の達(者)にて、月の夜、雪の朝(あした)、褒貶(ほうへん)の歌合(うたあわせ)(脚注:「左右相互に批評しあう衆議判の歌合。」)の御会(ごかい)に召されて、宴(えん)に侍る事隙(ひま)なかりしかば(脚注:「うつも宴席に伺候していたので。」)、「叡慮(えいりょ)の趣(おもむき)、知らぬ事あらじ。尋(たず)ね聞(き)くべし」とて、先づ召し取つて、斎藤(さいとう)(脚注:「正中の変で土岐謀叛をあばいた斎藤利行の同族。」)に仰せ付け、「嗷問(ごうもん)(脚注:「拷問。」)して白状(はくじょう)あらば、関東へ注進(ちゅうしん)すべし。自余(じよ)の僧達は、関東にて尋ねらるべければ、ここにては差し置くべし」と、六波羅(ろくはら)の北の坪(つぼ)(脚注:「中庭。」)に、炭を起こし、鑊湯炉壇(かくとうろだん)(脚注:「鍋に煮えたぎる熱湯と、炉に真赤に燃える炭火。炉壇は炉炭が正しい。」)の如くにて、その上に青竹(あおたけ)を破(わ)つて並べ敷き、隙(ひま)あきたるより、猛火(みょうか)炎を吐いて烈々(れつれつ)たり。朝夕(じょうじゃく)雑色(ぞうしき)(脚注:「雑役を務める下役人。昼夜雑色ともいう。」)、左右に立ち並んで、為明(ためあきら)の手を引つ張り、猛火の上を歩かせ奉らんと支度(したく)したる有様、ただ四重五逆(しじゅうごぎゃく)(脚注:「仏教でいう四重禁(殺生・偸盗・邪淫・妄語)と、五逆罪(父・母・阿羅漢を殺す、僧団の和合を乱す、仏身の血を流す)。」)の罪人の、焦熱(しょうねつ)大焦熱(だいしょうねつ)(脚注:「八大地獄の第六と第七。」)の炎に身を焦がし、牛頭馬頭(ごずめず)(脚注:「地獄の獄卒で、頭が牛・馬の形の鬼。」)の呵責(かしゃく)に逢ふらんも、かくこそと覚えて、見るに肝(きも)は消えぬべし。
 為明卿、これを見給ひて、一念を動かさず、時の天災(てんさい)力なし(脚注:「やむなし。」)とて、少しも色を損ぜず、その気色(けしき)冷(すず)しくぞ見え給ひける。「さて硯(すずり)や候ふ」と尋ねられければ、白状(はくじょう)のためかと心得て、硯を出だす。白状にてはあらで、一首の歌を書かれけり。
  思ひきやわが敷島(しきしま)の道ならで浮世(うきよ)の事を問はるべしとは(脚注:「思ってもみなかった、私の従う和歌の道のことではなく、俗世のことで詰問されようとは。」)
 常盤駿河守(ときわするがのかみ)(脚注:「北条(常盤)範貞。時範の子。勅撰集入集歌人。元亨元年から元徳二年(一三二一―三〇)まで六波羅北探題。元徳三年当時の北探題は、北条仲時。」)、この歌を見て、感歎(かんたん)肝(きも)に銘じければ、涙を流して理(り)に服(ふく)す。東使(とうし)両人も、これを読んで、もろともに袖を濡(ぬ)らしければ、為明、水火(すいか)の責め(脚注:「水責めと火責め。」)を遁(のが)れて、咎(とが)なき人になりにけり。」



「宮々(みやみや)流(なが)し奉(たてまつ)る事」より:

「尹大納言師賢(いんのだいなごんもろかた)をば、下総国(しもうさのくに)千葉介(ちばのすけ)(脚注:「千葉貞胤。下総の豪族。」)に預けらる。この卿、志学(しがく)(脚注:「十五歳(論語・為政)。」)の昔より和漢の才を事として、栄辱(えいじょく)(脚注:「世間的な栄達と恥辱。」)の中(うち)に心を留(とど)め給はざりしかば、今遠流(おんる)の刑に逢ひぬる事、露ばかりとも意(こころ)に懸けて思はれず。唐朝(とうちょう)の詩人、杜少陵(としょうりょう)(脚注:「杜甫。少陵は号。」)は、天宝(てんぽう)の末(すえ)の乱(脚注:「天宝十四年(七五五)に起こった安禄山の乱。」)に逢うて、「三年笛裏(てきり)の関山月(かんざんげつ)、万国(ばんこく)兵前(へいぜん)草木(そうもく)の風」(脚注:「杜甫「洗兵の行」の句。安禄山の乱から三年、関山月(離別を傷む笛の曲名)を聞く。万国は草木が風に靡くように官軍に従う。他本はここに、杜甫「将(まさ)に荊南に赴かんとして李剣州に別れを寄す」の句を引くが、安禄山の乱とは無関係。」)と、天涯(てんがい)のあはれ(脚注:「最果ての地の憂愁。」)を吟(ぎん)じ尽(つ)くし、わが朝(ちょう)の小野篁(おののたかむら)(脚注:「平安初期の貴族・文人。遣唐副使に任じられたが、命に従わず隠岐に流された。」)は、隠岐国(おきのくに)へ流されて、「わたの原八十島(やそしま)かけて漕(こ)ぎ出(い)でぬ」(脚注:「大海原を多くの島を漕ぎ過ぎて。下の句は「人には告げよあまの釣舟」(古今和歌集)。」)と、釣りする海士(あま)に言伝(ことづ)てて、旅泊(りょはく)の思ひを詠ぜらる。皆時の難易(なんい)を知つて(脚注:「時には、いい時と悪い時があると知って。」)、歎(なげ)くべきを歎かず、運の窮達(きゅうたつ)を見て(脚注:「運には好運不運があると知って。」)、悲しみあれども悲しまず。況(いわ)んや、「主(しゅ)憂(うれ)ふれば則ち臣辱(はずかし)められ、主辱めらるれば則ち臣死す」(脚注:「主憂ふれば臣は労し、主辱めらるれば臣は死す」(国語、史記・越王勾践世家)。」)と云ひて、たとひ骨(ほね)を醢(ししびしお)(脚注:「塩漬け。」)にせられ、身を車裂(くるまざ)きにせらるるとも、傷(いた)むべき処(ところ)にあらずとて、この人少しも悲しみ給はず。ただ、時により興(きょう)に触れたる諷詠(ふうえい)、等閑(なおざり)に日を渡る(脚注:「心静かに暮らす。」)。今は、浮世(うきよ)の望み絶(た)えぬる上は、出家の志(こころざし)ありと頻(しき)りに申されけるを、相模入道(さがみのにゅうどう)(脚注:「北条高時。」)、子細(しさい)候はじとて許してければ、年三十二と申すに、緑の髪を剃(そ)り下(お)ろし、散聖(さんせい)の道人(どうじん)(脚注:「世捨て人。散人。」)となり給へり。幾程もなくして病(やまい)に犯されて、円寂(えんじゃく)(脚注:「出家者の死去をいう。」)し給ひけるとかや。」


「相模入道(さがみのにゅうどう)田楽(でんがく)を好(この)む事」より:

「また、その比(ころ)、洛中に田楽(脚注:「平安末期から盛行した、曲芸的な要素をともなう歌舞。」)を弄(もてあそ)ぶ事昌(さか)んにして、貴賤(きせん)皆これに婬(いん)せり(脚注:「夢中になった。」)。相模入道(脚注:「北条高時。」)、この事を聞いて、新座(しんざ)、本座(ほんざ)(脚注:「京白河の田楽を本座、南都の田楽を新座という。」)の田楽どもを喚(よ)び下(くだ)し、日夜朝暮(にちやちょうぼ)にこれを弄ぶ事他事(たじ)なし(脚注:「余念がない。」)。入興(じゅきょう)の余りに(脚注:「興に入るあまり。」)、宗徒(むねと)の(脚注:「主だった。」)大名どもに、田楽一人(いちにん)づつを預(あず)けて、装束(しょうぞく)を飾らせける間、これは誰(たれ)がし殿の田楽、かれは何がし殿の田楽なんど云ひて、金銀珠玉(きんぎんしゅぎょく)を逞(たくま)しうし(脚注:「思う存分つけて。」)、綾羅錦繡(りょうらきんしゅう)(脚注:「豪華な衣裳。綾・薄絹・錦・刺繡のある織物。」)を飾れり。宴(えん)に臨(のぞ)んで一曲を歌へば、相模入道を始めとして、見物の一族大名、われ劣らじと、直垂(ひたたれ)、大口(おおぐち)を脱(ぬ)いで抛(な)げ出(い)だす(脚注:「直垂は、武家の礼服。大口は、裾の開いた大口袴。それらを褒美として投げ与えた。」)。集めてこれを積むに、山の如し。その弊(つい)え(脚注:「浪費された額。」)、幾千万と云ふ数を知らず。
 或る夜、一献(いっこん)(脚注:「小宴。」)のありけるに、相模入道、数盃(すはい)を傾(かたぶ)け尽(つ)くして、酔(え)ひに和(か)して、立つて舞ふ事やや久し。若輩(じゃくはい)の興(きょう)を勧むる舞(まい)(脚注:「おもしろみを増すような若者の舞。」)にもあらず、また狂骨(きょうこつ)の言(ことば)(脚注:「ばかばかしい冗談。狂骨は、軽骨(軽忽)に同じ。」)を巧みにする戯(たわぶ)れにもあらず、四十余りの古入道(ふるにゅうどう)(脚注:「北条高時は当時三十歳。」)、酔狂(すいきょう)の余りに(脚注:「酒に酔って正体を失ったあまりに。」)舞ふ舞なれば、風情(ふぜい)あるべしとも覚えざりける処(ところ)に、いづくより来たるとも知らぬ新座、本座の田楽十余人、忽然(こつぜん)として座席に連(つら)なつてぞ舞ひ歌ひける。その興甚(はなは)だ尋常(よのつね)に勝(すぐ)れたり。暫(しばら)くあつて、拍子を替へて囃(はや)す声を聞けば、「天王寺(てんのうじ)(脚注:「大阪市天王寺区にある、聖徳太子創建の四天王寺。」)の妖霊星(ようれいぼし)を見ばや」などぞ囃しける。或る官女(かんじょ)、この声を聞いて、余りの面白さに、障子の破れよりこれを見たりければ、新座、本座の田楽と見えつる者、一人も人にてはなかりけり。或いは觜(くちばし)勾(まが)りて鳶(とび)の如くなるもあり、(或いは身に翅(つばさ)あつて頭(かしら)は山伏(やまぶし)の如くなるもあり。)(脚注:「玄玖本により補う。」)ただ異類異形(いるいいぎょう)(脚注:「人ではない異様な姿。」)の怪物(ばけもの)どもが、姿を人に変じたるにてぞありける。」






こちらもご参照ください:

『太平記 (二)』 兵藤裕己 校注 (岩波文庫)










































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