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『太平記 (二)』 兵藤裕己 校注 (岩波文庫)

「血はその身を浸して、黄河(こうが)の流れの如くなり。死骸は庭に充(み)ち満(み)ちて、屠所(としょ)の肉に異ならず。」
(『太平記』第九巻「番馬自害の事」 より)


『太平記 (二)』 
兵藤裕己 校注
 
岩波文庫 黄/30-143-2 


岩波書店 
2014年10月16日 第1刷発行
566p 
文庫判 並装 カバー
定価1,320円+税
カバー: 中野達彦
カバー図版: 足利尊氏、大江山を越え、丹波国篠村へ向かう(第九巻)/『太平記絵巻』第三巻より



本書「凡例」より:

「本書の底本には、京都の龍安寺所蔵(京都国立博物館寄託)の西源院本『太平記』を使用した。」


本文中地図5点、図2点、脚注に参考図版12点。



太平記 二



カバーそで文:

「元弘三年(一三三三)、後醍醐帝の綸旨を得て、足利尊氏は北条氏追討の兵を挙げる。新田義貞・赤松円心らが加わった倒幕軍は、北条高時以下を自害に追い込み、鎌倉幕府は滅亡した。だが、建武新政権内部の矛盾と軋轢から、尊氏は叛旗を翻す。(第九―十五巻)(全六冊)」


目次:

凡例
全巻目次

第九巻
 足利殿上洛の事 1
 久我縄手合戦の事 2
 名越殿討死の事 3
 足利殿大江山を打ち越ゆる事 4
 五月七日合戦の事 5
 六波羅落つる事 6
 番馬自害の事 7
 千剣破城寄手南都に引く事 8

第十巻
 長崎次郎禅師御房を殺す事 1
 義貞叛逆の事 2
 天狗越後勢を催す事 3
 小手指原軍の事 4
 久米川合戦の事 5
 分陪軍の事 6
 大田和源氏に属する事 7
 鎌倉中合戦の事 8
 相模入道自害の事 9

第十一巻
 五大院右衛門并びに相模太郎の事 1
 千種頭中将殿早馬を船上に進せらるる事 2
 書写山行幸の事 3
 新田殿の注進到来の事 4
 正成兵庫に参る事 5
 還幸の御事 6
 筑紫合戦九州探題の事 7
 長門探題の事 8
 越前牛原地頭自害の事 9
 越中守護自害の事 10
 金剛山の寄手ども誅せらるる事 11

第十二巻
 公家一統政道の事 1
 菅丞相の事 2
 安鎮法の事 3
 千種頭中将の事 4
 文観僧正の事 5
 解脱上人の事 6
 広有怪鳥を射る事 7
 神泉苑の事 8
 兵部卿親王流刑の事 読物あり 9
 驪姫の事 10

第十三巻
 天馬の事 1
 藤房卿遁世の事 2
 北山殿御隠謀の事 3
 中先代の事 4
 兵部卿親王を害し奉る事 5
 干将鏌鎁の事 6
 足利殿東国下向の事 7
 相模次郎時行滅亡の事、付 道誉抜懸け敵陣を破る 并 相模川を渡る事 8

第十四巻
 足利殿と新田殿と確執の事 1
 両家奏状の事 2
 節刀使下向の事 3
 旗文の月日地に堕つる事 4
 矢矧合戦の事 5
 鷺坂軍の事 6
 手越軍の事 7
 箱根軍の事 8
 竹下軍の事 9
 官軍箱根を引き退く事 10
 諸国朝敵蜂起の事 11
 将軍御進発の事 12
 大渡軍の事 13
 山崎破るる事 14
 大渡破るる事 15
 都落ちの事 16
 勅使河原自害の事 17
 長年京に帰る事、并 内裏炎上の事 18
 将軍入洛の事 19
 親光討死の事 20

第十五巻
 三井寺戒壇の事 1
 奥州勢坂本に着く事 2
 三井寺合戦の事 3
 弥勒御歌の事 4
 龍宮城の鐘の事 5
 正月十六日京合戦の事 6
 同じき二十七日京合戦の事 7
 同じき三十日合戦の事 8
 薬師丸の事 9
 大樹摂津国に打ち越ゆる事 10
 手島軍の事 11
 湊川合戦の事 12
 将軍筑紫落ちの事 13
 主上山門より還幸の事 14
 賀茂神主改補の事 15
 宗堅大宮司将軍を入れ奉る事 16
 少弐と菊池と合戦の事 17
 多々良浜合戦の事 18
 高駿河守例を引く事 19

付録
 系図(足利氏系図/新田氏系図)
 『太平記』記事年表1

[解説2] 『太平記』の言葉




◆本書より◆


「相模入道(さがみのにゅうどう)自害(じがい)の事」より:

「基資、鎧に立つ処(ところ)の矢二十三筋(すじ)、蓑毛の如くに(脚注:「蓑に編んだ菅(すげ)や茅(かや)のように。」)折り懸けて、相模入道殿(さがみのにゅうどうどの)の前へ参りたりければ、祖父(おおじ)の入道(脚注:「基資の祖父、長崎円喜。」)、待ちうけて、「いかに今まで遅かりつるぞ」と問ひければ、「もし新田義貞(にったよしさだ)に寄せ合はせ候はば、引つ組んで、直(じき)に勝負を決し候はんために、二十余ヶ度まで敵の中へ懸け入り、伺(うかが)ひ候ひつれども、つひにそれと覚しき敵に見逢ひ候はで、そぞろなる(脚注:「とるにたらない。」)党(とう)の奴原(やつばら)、武蔵(むさし)、相模(さがみ)の葉武者(はむしゃ)(脚注:「雑兵。」)ども、四、五百人切つて捨てて候ふ。なほも奴原を浜面(はまおもて)(脚注:「由比ヶ浜。」)へ追ひ出だし、車切(くるまぎり)、胴切(どうぎり)、立破(たてわり)に(脚注:「車切は、輪切り。胴切は、胴を二つに切ること。立破は、縦に真っ二つに切ること。」)破(わ)り付(つ)けたく候ひつれども、上(うえ)(脚注:「北条高時。」)の御事(おんこと)いかが御座(ござ)候ふらんと存じ候ひて、帰り参つて候ふ。早や早や皆御物具(おんもののぐ)脱(ぬ)がせ給ひて、思(おぼ)し召(め)し切(き)らせ給ひ候へ(脚注:「鎧・兜をお脱ぎになって、御自害なさいませ。」)。基資(もとすけ)、先(ま)づ自害仕(つかまつ)り候ひて、手本に見せまゐらせ候はん」と云ふままに、鎧脱いで投(な)げ捨(す)て、御前(おんまえ)にありつる盃(さかずき)を以て、舎弟新左衛門(しんざえもん)(脚注:「高重か。」)に酌(しゃく)取らせ、三度傾(かたぶ)けて、摂津刑部大輔入道道準(つのぎょうぶのたいふにゅうどうどうじゅん)(脚注:「俗名は親鑑(ちかのり)。中原氏。」)の前に差し置いて、「思ひ差し(脚注:「席次の順にとらわれず、特定の者を差して盃をまわすこと。」)申し候ふ。これを肴(さかな)に御覧ぜよ」とて、左の小脇(こわき)(脚注:「脇の下。「小」は接頭語。」)に刀突き立て、右の傍腹(そばはら)(脚注:「脇腹。」)まで切目長(きりめなが)に(脚注:「切れ目長く。」)(掻(か)き破(わ)つて)(脚注:「他本により補う。」)、中なる腸(はらわた)を縿(く)り出だし、道準が前にぞ伏したりける。
 道準、盃を取つて、「あはれ、肴や。いかなる下戸(げこ)(脚注:「酒の呑めない者。」)なりとも、これを飲まぬ者はあらじ」と戯(たわぶ)れて、その盃半分ばかり飲み残し、諏訪左衛門入道(すわさえもんにゅうどう)(脚注:「本巻・8で、北条泰家が亀寿を託した盛高の父。」)の前に閣(さしお)いて、同じく腹をぞ切りにける。諏訪入道直性(じきしょう)、その盃を持つて、心閑(しず)かに三度傾けて、相模入道殿(さがみのにゅうどうどの)の前に閣いて、「若き者ども、随分芸を尽(つ)くして振(ふ)る舞(ま)ひて候ふに、年老(よしより)なればとて、ただはいかでか候ふべき(脚注:「ただ何も芸をしないではすまされません。」)」とて、「今より後(のち)は、これを送(おく)り肴(さかな)(脚注:「酒宴で順に行う座興。」)に仕り候ふべし」とて、腹十文字に掻(か)き切(き)つて、その刀を入道殿(脚注:「北条高時。」)の前に閣く。
 長崎入道円喜(ながさきにゅうどうえんき)は、これまでも、入道殿の御事いかがと思ひたる気色(けしき)にて見えけるが、長崎左衛門次郎(ながさきさえもんのじろう)(脚注:「基資の舎弟新左衛門。」)、祖父(おおじ)円喜の前に畏(かしこ)まつて、「父祖の名誉を以て、子孫の孝行とする事にて候ふなれば、仏神三宝(ぶつじんさんぽう)(脚注:「仏と神。三宝は、仏・法・僧で、仏の教えをさす。」)も定めて御免(ごめん)こそ候はんずらめ(脚注:「きっとお許しくださるだろう。」)」とて、円喜の肱(ひじ)のかかり(脚注:「肘の関節あたりの脇腹。」)を二刀(ふたかたな)差して、返す刀に、己(おの)れが腹七寸ばかり掻(か)き破(わ)つて、同じ枕に臥したりけり。この小冠者(こかんじゃ)(脚注:「元服したての若者。」)に義を勧められて、相模入道(さがみのにゅうどう)切り給へば、城入道(じょうのにゅうどう)(脚注:「秋田城介(じょうのすけ)、安達時顕。前出、第五巻・4。」)連(つづ)いて切る。
 これを見て、堂上堂下(とうしょうとうか)におはしける一門他家の人々(脚注:「本堂の内や外におられた北条一門と他家の人々。」)、皆押膚脱(おしはだぬ)ぎ押膚脱ぎ(脚注:「つぎつぎに上半身はだかになり。」)、腹を切り、自ら頸(くび)を掻(か)き落(お)とす人々は、誰々(たれたれ)ぞ。金沢大夫入道崇顕(かなざわたいふにゅうどうそうけん)(脚注:「俗名貞顕。第十五代執権。貞将の父。」)、佐介近江前司宗直(さすけおうみのぜんじむねなお)、甘名駿河守(あまなするがのかみ)(脚注:「佐介・甘名(甘縄)は北条一門。該当者は不詳。以下の人名は、諸本により出入りがあり、混乱もある。」)、子息左近将監(さこんのしょうげん)、名越土佐前司時元(なごやとさのぜんじときもと)、印具越前前司宗末(いぐえちぜんのぜんじむねすえ)、塩田陸奥守入道(しおだむつのかみにゅうどう)(脚注:「北条(塩田)国時。すでに自邸での自害が語られた人物。本巻・8。」)、摂津刑部大輔入道(つのぎょうぶのたいふにゅうどう)、小町中務権大輔朝実(こまちなかつかさのごんのたいふともざね)、常盤駿河守範貞(ときわするがのかみのりさだ)(脚注:「六波羅北探題であった。第二巻・2、第三巻・3。」)、長崎左衛門入道円喜(ながさきさえもんにゅうどうえんき)、城加賀前司師顕(じょうのかがのぜんじもろあき)、秋田城介時顕(あきたじょうのすけときあき)、越前守有時(えちぜんのかみありとき)、南左馬頭義時(みなみさまのかみよしとき)、摂津左近大夫(つのさこんのたいふ)、長崎三郎左衛門入道思元(ながさきさぶろうざえもんにゅうどうしげん)、明石長門介入道忍阿(あかしながとのすけにゅうどうにんあ)、名越(なごや)の一族三十四人、赤橋(あかはし)、常盤(ときわ)、佐介(さすけ)の人々四十六人(脚注:「名越・赤橋・常盤・佐助は、北条一門。」)、その門葉(もんよう)(脚注:「血筋のつながる一族。」)たる人々二百八十三人、われ前(さき)にとぞ切つたりける。その後(のち)、屋形に火を懸けたりければ、猛火(みょうか)盛んに燃え上がり、黒煙(くろけぶり)天に充ち満ちたるに、庭上(ていしょう)門前の兵、或いは炎の中へ走り入つて腹を切り、或いは不死兄弟、差し違へ差し違へ重なり伏す。
 血は流れて、湣々(こんこん)たる洪河(こうが)(脚注:「暗く濁った大河。」)の如し。尸(かばね)は満ちて、塁々(るいるい)たる郊原(こうげん)(脚注:「死骸が折り重なった町はずれの野原。」)の如し。死骸は焼けて見えねども、後(のち)に名字(みょうじ)を尋ぬれば、ここ一所(いっしょ)にて自害したる者、すべて八百七十三人なり。この外(ほか)、平家の門葉(脚注:「北条氏の一族。」)たる人々、そのその恩顧を蒙(こうぶ)る族(やから)、僧俗男女(そうぞくなんにょ)を云はず、聞き伝へ聞き伝へ、泉下(せんか)に恩を報ずる人々(脚注:「命を絶ってあの世(泉下)で恩義に報いようとする人々。」)、その数を知らず。鎌倉中(かまくらじゅう)を数ふるに、すべて六千余人とぞ聞こえし。」



「広有(ひろあり)怪鳥(けちょう)を射(い)る事」より:

「この年、天下に疫病あつて、病死する者甚(はなは)だ多し。その秋の末に、紫宸殿(ししんでん)(脚注:「内裏の正殿。」)の上に怪鳥夜な夜な飛び来たつて、「いつまでいつまで」と鳴きける。その声、雲に響(ひび)き、睡(ねぶ)りを驚かして、聞く人皆忌(い)み恐(おそ)れずと云ふ事なし。」

「この鳥の有様を窺(うかが)ひ見(み)ければ、八月十七日の月殊(こと)に澄み渡り、虚空清明(せいめい)たるに、この鳥、鳴く事頻(しき)りなり。鳴く時口より炎(ほのお)を吐くかと覚えて、声の中より電(いなびかり)してぞありける。その光御簾(ぎょれん)の中へ散激(さんげき)す(脚注:「光が簾の中へ飛び散る。」)。」

「広有、(中略)二人張(ににんば)りに十二束(そく)二伏(ふたつぶせ)(脚注:「二人がかりで張る弓と、十二束二伏(束は一握りで、親指を除く指四本、伏は、指一本の幅)の長さの矢。」)、きりきりと引きしぼりて、左右(そう)なく(脚注:「すぐには。」)これを放たず、鳥の鳴く声を待ちたりける。この鳥、例よりも飛び下がりて、紫宸殿(ししんでん)の上二十丈(脚注:「一丈は、十尺(約三メートル)。」)ばかりが程に鳴きける処(ところ)を、聞きすまして、弦音(つるおと)高くちやうど放つ。鏑(かぶら)紫宸殿の上を鳴(な)り響(ひび)かし、雲の間(あいだ)に手答(てごた)へして、何とは知らず、大盤石(だいばんじゃく)の落ちかかる如くに聞こえて(脚注:「大きな岩が落ちてくるような音が聞こえて。」)、仁寿殿(じじゅうでん)(脚注:「紫宸殿の北側の建物。」)の軒(のき)の上より、二重(ふたえ)に竹(たけ)の台(うてな)の前へぞ落ちたりける(脚注:「二つ折になって、竹の台(仁寿殿の西、清涼殿との間にある竹の植込み)の前に落ちた。」)。堂上堂下(とうしょうとうか)の一同に、「あ射たり、あ射たり」と感ずる声、半時ばかりののめいて、暫(しばら)くは云ふも止(や)まざりけり(脚注:「一時間ほど騒ぎ立てて、しばらくは賞賛の声がやまなかった。」)。
 衛士(えじ)(脚注:「宮廷を警備する役人。」)の司(つかさ)に松明(たいまつ)を高く持たせて、これを御覧ずるに、頭(かしら)は人の如くにして、身は蛇の形なり。觜(くちばし)の先曲(まが)り、歯は鋸(のこぎり)の如く生(お)ひ違(ちが)ひて、両の足に長き距(けづめ)(脚注:「鶏などの足の後ろ向きに突き出た鋭い突起。」)あつて、利(と)きこと(脚注:「鋭いこと。」)剣(つるぎ)の如し。羽先(はさき)を延べてこれを見るに、長き事一丈六尺なり。」



「弥勒(みろく)御歌(おんうた)の事」:

「或る衆徒(しゅと)(脚注:「三井寺の僧徒。」)、金堂(こんどう)の本尊(脚注:「弥勒菩薩。」)の御首(みぐし)ばかりを取つて、藪(やぶ)の中に隠し置きたりけるが、多く討たれたる兵の首の中に交(まじ)りて、切り目に血の付いたりけるを見て、山法師(脚注:「比叡山の僧。」)やしたりけん、大札(おおふだ)を立てて、歌に事書(ことがき)(脚注:「詞書(ことばがき)。」)をぞ書き添へたりける。
  建武二年(脚注:「建武三年が正しい。」)の春の比(ころ)、何とやらん、事の騒がしきやうに聞こえしかば、早や三会(さんえ)の暁(あかつき)(脚注:「釈迦の入滅から五十六億七千万年後に弥勒菩薩がこの世に出現し、衆生済度のために龍華樹の下で三度の法会を行うときを、龍華三会の暁という。」)になりぬるやらん、いでさらば、八相成道(はっそうじょうどう)して(脚注:「この世に下生して、悟りを得て仏となり(成道)。八相は、釈迦がこの世に下生して経験した八つの姿。」)、説法利生(りしょう)(脚注:「衆生を救うこと。」)せんと思ひて、金堂の方(かた)へ立ち出でたれば、業火(ごうか)(脚注:「地獄の罪人を焼く火。」)盛(さか)んに燃えて、修羅(しゅら)の闘諍(とうじょう)(脚注:「帝釈天と抗争する悪神の阿修羅の闘争のごとき騒ぎ。」)四方に聞こえ、こは何事(なにごと)と、思(おも)ひ分(わ)く方なくて居たる処(ところ)に、仏地坊(ぶっちぼう)(脚注:「三井寺の坊の名。」)の何がしとやらん、内へ走り這入つて、故(ゆえ)もなく、鋸(のこぎり)にてわが首を引き切りし間、「阿逸多(あいった)(脚注:「弥勒菩薩の異称。「あ痛」を掛けた。」)」と、云ひしかども叶(かな)はず、堪(た)へかねたりし悲しみの中(うち)に、思(おも)ひ継(つづ)け侍りし、
               三会教主(さんえのきょうしゅ)源弥勒菩薩(みなもとのみろくぼさつ)
  山をわが敵(かたき)といかで思ひけん寺法師(てらほうし)にぞ首を取らるる(脚注:「どうして今まで比叡山を自分の敵と思っていたのだろう。三井寺の法師に首を取られたことよ。」)」



「同(おな)じき三十日合戦(かっせん)の事」より:

「楠(くすのき)、山門(脚注:「比叡山延暦寺。」)へ帰つて、翌朝(つぎのあさ)に、律僧(りっそう)(脚注:「律宗の僧。時宗の僧とともに、葬礼に従事した。」)を二、三人作り立てて京へ下(くだ)し、ここかしこの戦場にして、尸骸(しがい)をぞ求めさせける。京勢(きょうぜい)(脚注:「足利勢。」)、怪しんで事(こと)の由(よし)を問ひければ、この僧、悲歎の涙を押さへて、「昨日の合戦に、新田左兵衛督殿(にったさひょうえのかみどの)、北畠源中納言殿(きたばたけげんちゅうなごんどの)、楠判官殿(くすのきほうがんどの)(脚注:「新田義貞、北畠顕家、楠正成。」)以下(いげ)、宗徒(むねと)の(脚注:「主だった。」)人七人まで討たれて候ふ程に、孝養(きょうよう)(脚注:「供養。」)のために、その尸骸を求め候ふなり」とぞ答へける。将軍(脚注:「足利尊氏。」)を始め奉つて、高(こう)、上杉(うえすぎ)(脚注:「高は、足利家の執事(家老)。上杉は、外戚。」)の人々、これを聞き、「あな不思議や。宗徒(むねと)の敵どもの皆一度に討たれたりける。さればとよ(脚注:「それだからだ。」)、勝(か)ち軍(いくさ)をばしながら、官軍京をば引いたりける。いづくにかその頸(くび)どものあるらん。尋ねて獄門(ごくもん)に懸け、大路(おおじ)を渡せ」とて、敵御方(みかた)の死骸(しがい)どもの中を求めさせけれども、これこそと思(おぼ)しき頸(くび)もなかりけり。余りにあらまほしさに(脚注:「首の欲しさに。」)、ちと面影(おもかげ)の似たりける頸を二つ、獄門の木に懸けて、新田左兵衛督義貞(にったさひょうえのかみよしさだ)、楠判官正成(くすのきほうがんまさしげ)と、書付けをせられたりけるを、悪想(にくそう)の者(脚注:「にくらしい皮肉屋。」)かしたりけん、その札の傍(そば)に、「これはにた頸なり。正成にも書きたる虚事(そらごと)かな(脚注:「似たと新田、正しげ(本当らしく)と正成を掛ける。」)」と、秀句(しゅうく)(脚注:「たくみな洒落の句。」)をしてぞ書いたりける。」


「賀茂神主(かものかんぬし)改補(かいふ)の事」より:

「夢幻(ゆめまぼろし)の世の習ひ(脚注:「夢幻のようにはかないこの世の習い。」)、今に始めぬ事とは云ひながら、殊更(ことさら)身の上に知られたるあはれに、よしや、今はとてもかくても(脚注:「ままよ、今はもうどうなってもかまわない。」)と思ひければ、
  うたたねの夢よりもなほあだなるはこの比(ごろ)見つるうつつなりけり(脚注:「仮寝の夢よりもなおはかないものは、近頃見た現実であることよ。」)
と、基久一首の歌を書(か)き止(とど)めて、つひに出家遁世(しゅっけとんせい)の身となりにけり。」






こちらもご参照ください:

『太平記 (三)』 兵藤裕己 校注 (岩波文庫)















































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うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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