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『撰集抄』 西尾光一 校注 (岩波文庫)

「廣野に出て、人も見ぬ所にて、死人の骨をとり集めて、頭より足手の骨をたがへでつゞけ置きて、砒霜と云藥を骨に塗り、いちごとはこべとの葉を揉みあはせて後、藤もしは絲なんどにて骨をかゝげて、水にてたび/\洗ひ侍りて、頭とて髪の生ゆべき所にはさいかいの葉とむくげの葉を灰に燒きてつけ侍り。土のうへに疊をしきて、かの骨を伏せて、おもく風もすかぬやうにしたゝめて、二七日置いて後、その所に行きて、沈(ぢん)と香(かう)とを焚きて、反魂(はんごん)の秘術を行ひ侍りき」
(『撰集抄』 「西行 高野ノ奧ニ於テ人ヲ造ル事」 より)


『撰集抄』 
西尾光一 校注
 
岩波文庫 黄/30-024-1 


岩波書店 
1970年1月16日 第1刷発行
1978年9月10日 第6刷発行
378p 
文庫判 並装 
定価400円(☆☆☆☆)



本書「凡例」より:

「本書は、『撰集抄』近衛本を底本として飜刻するとともに、同じ広本系統である松平文庫本・橋本進吉旧蔵本・宮内庁書陵部本・慶安三年刊本・慶安四年刊本、および略本系の元和寛永頃刊の古活字本をもって校訂し、その主要な校異を脚注として示したものである。」



撰集抄 01



帯文:

「漂泊の歌人西行の自著とされ、芭蕉等の文人や、謡曲の西行もの、江戸時代の読本など多くの文芸に影響を与えた鎌倉期の仏教説話集。」


目次:

はじめに
凡例
撰集抄総目録

〔撰集抄序〕
巻一
巻二
巻三
巻四
巻五
巻六
巻七
巻八
巻九
〔撰集抄跋〕

索引
解説




撰集抄 02



◆本書より◆


「はじめに」より:

「『撰集抄』は、古来西行自著と信じられて広く愛読され、漂泊の歌僧西行の文学像形成に大きく寄与してきている。しかし、現存本の『撰集抄』が西行の自著ではなく、西行自記の体裁に仮托してつくられた書物であることは、明治以降今日までの研究で、ほぼ明らかにされてきた。」
「このような内容は、今日の常識をもってすれば、偽作もしくは擬作というべきであり、論証が進むにつれ、『撰集抄』の評価は低落してしまいそうなものだが、鎌倉期の主要な仏教説話集の一つとして、古典作品の座を占め続けている。」



巻二第六「奧州平泉ノ郡ノ女人法花經ヲ授カル事」より:

「里をはなれ十餘町もや侍りけん。あちこち徘徊し侍るに、川ばたに高さ一丈あまりなる石塔をたてたり。くぎぬきしまはし、草はらひなどして、めでたく見え侍りしかば、是はいかなる事にかと尋ね侍りしに、ある人の申ししは、「中比、この里に猛將(まうしやう)侍り。其むすめにありける物、法花經をよみたがり侍りけるが、教ゆべき物なしとて、朝夕なき歎きてすぎ侍りけるに、あるとき、天井のうへに聲ありて云やう、『なんぢ經を求めて前に置け。我こゝにて教へむ』と聞ゆ。あやしく思ひながら、經をえて前に置き侍るに、天井のうへにて、床しき聲にて教へ侍り。八日といふに皆ならひ果てぬ。そのとき此むすめ『いかなるわざならん』と言へども、あやしくおぼえて、天井を見侍るに、しろくされ、苔おひたるかうべに、舌のいきたる人のごとくなるあり。此白骨の教へ侍るにこそとおもひ驚きて、『こは誰にてかましますらん』と、あながちに尋ねきこゆるとき、『我は是、昔延暦寺の住僧、慈恵大師のかうべなり。なんぢが心ざしを感じて、きたりて教へ侍る。又、いそぎ我をさか柴山におくれ』と侍ければ、あはれにかたじけなき事、たとふべき物なんなくおぼえて、なく/\此山に納めて、かくのごとく塔婆なんどし侍り。此比(ごろ)迄も山中に、貴き御經の聲する事侍りき。」


巻二第七「播州ノ或山中ニテ辭世ノ頌ヲ書キテ死セル僧ノ事」より:

「播磨の國と聞えしなむめり。おぼろけならでは人も通はぬ山の中に、そまする人のみだりつれて入侍けるが、山中を見めぐりけるに、山の谷合に、木暗き事もいたくなかりける所に、木の枝、木の葉なんどにて、とかく構へたる形ばかりなる庵に、木の葉をしきつゝ、黑き衣ばかり着たる僧の死して侍りけるを、鳥の來りてありけると覺えて、目なんどもつゝき損じて侍り。傍にけしかる硯筆ばかり侍り。大きなる木にかく書つけたり。
  死生共に死生に非ず。無來無去にして本來寂靜也
と書きたりと語り侍りけれど、その里の人尋ねいたりて、見侍る事もなくてやみ侍しと傳へきゝし。
 いかなる人にていまそかりけん。かへす/゛\床(ゆか)しく侍り。」



巻五第一三「津州小屋ノ道路ノ遁世者ノ事」より:

「かくて歸りざまに、津の國昆陽野と云所を過ぎ侍しに、齡六十にたけたる僧の、髪は首のほどまで生ひさがり、着たる物は形の如くも肩には懸けず、莚きれを着、やせ衰へて、顔よりはじめて足手まで泥かたちなるが、さゝらをすりて心を澄まし、うそうちぶいて、人に目もかけぬ僧一人侍り。ことざまありがたく覺えて、近くよりゐて、「何わざをし給ふにか」と尋ね侍りしかば、「さゝらする也」とのたまはするを、「それは知るなり。法文いかに。我も佛道に志ふかく侍り。心のはるけぬべからむ事ひとことばのたまはせよ」とせめしかば、「覺知一心生死永棄」として、其後は又のたまはする事もなくて逃げさり給ふを、猶床しく侍りと、涙をこぼしてもだえしかば、「義想既滅除審觀唯自心」とてはるかに逃げさり給ぬ。(中略)その里人に、此聖の有さまをくはしく尋ね侍りしかば、ある人の語りしは、(中略)「いと着物もほしがらず、たま/\得たるをも、なにとかし給ふらん、程なくうしなひ給ふ。あけくれさゝらをすりて、ひとり歌うち歌うてなん、あちこち廻りありき侍り」と答え侍り。
 げに道心ふかき人なめり。(中略)げに一心と知りなん後は、なにとてか生死には輪廻し侍るべきと、かへす/゛\ゆかしく覺えて侍り。世の末にもかゝる道心者もいまそかりける。」



巻五第一五「西行高野ノ奧ニ於テ人ヲ造ル事」より:

「おなじき比(ころ)、高野の奧に住みて、月の夜ごろには、ある友だちの聖ともろともに、橋の上にゆきあひ侍りてながめ/\し侍りしに、此聖、「京になすべきわざの侍る」とて、情なくふり捨ててのぼりしかば、何となう、おなじ憂き世を厭ひし花月の情をもわきまへらん友こひしく侍りしかば、おもはざるほかに、鬼の、人の骨をとり集めて人につくりなす例、信ずべき人のおろ/\語り侍りしかば、そのまゝにして、ひろき野に出(いで)て、骨をあみ連ねてつくりて侍りしは、人の姿には似侍れども、色も惡く、すべて心も侍らざりき。聲はあれども、絃管(げんくわん)の聲のごとし。げにも、人は心がありてこそは、聲はとにもかくにも使はるれ。たゞ聲の出(いづ)べきはかり事ばかりをしたれば、吹き損じたる笛のごとくに侍り。
 おほかたは、是程に侍るも不思議也。さて、是をばいかゞせん、破らんとすれ〔ば〕、殺業にや侍らん。心のなければ、ただ草木と同じかるべしと思へば、人の姿也。しかじ破らざらんにはと思ひて、高野の奧に人もかよはぬ所に置きぬ。もし、おのづからも人の見るよし侍らば、化物なりとやおぢ恐れん。
 さても、此事不審に覺えて花洛に出侍りし時、教へさせおはしし德大寺へ參り侍りしかば、御參内の折節にて侍りしかば、空しくかへりて、伏見の前の中納言師仲の卿のみもとに參りて、此事を問ひ奉り侍しかば、「なにとしけるぞ」と仰せられし時に、「その事に侍り。廣野に出て、人も見ぬ所にて、死人の骨をとり集めて、頭より足手の骨をたがへでつゞけ置きて、砒霜と云藥を骨に塗り、いちごとはこべとの葉を揉みあはせて後、藤もしは絲なんどにて骨をかゝげて、水にてたび/\洗ひ侍りて、頭とて髪の生ゆべき所にはさいかいの葉とむくげの葉を灰に燒きてつけ侍り。土のうへに疊をしきて、かの骨を伏せて、おもく風もすかぬやうにしたゝめて、二七日置いて後、その所に行きて、沈(ぢん)と香(かう)とを焚きて、反魂(はんごん)の秘術を行ひ侍りき」と申侍りしかば、「おほかたはしかなん。反魂の術猶日あさく侍るにこそ。我は、思はざるに四條の大納言の流をうけて、人をつくり侍りき。いま卿相にて侍れど、それとあかしぬれば、つくりたる人もつくられたる物もとけ失せぬれば、口より外には出ださぬ也。それ程まで知られたらんには教へ申さむ。香をばたかぬなり。その故は、香は魔縁をさけて聖衆をあつむる德侍り。しかるに、聖衆生死を深くいみ給ふほどに、心の出(いで)くる事難き也。沈(ぢん)と乳(ち)とを焚くべきにや侍らん。又、反魂の秘術をおこなふ人も、七日物をば食ふまじき也。しかうしてつくり給へ。すこしもあひたがはじ」とぞ仰せられ侍り。しかれども、よしなしと思ひかへして、其後はつくらずなりぬ。
 中にも土御門の右大臣のつくり給へるに、夢に翁のきたりて、「我身は一切の死人を領せる物に侍り。主にものたまひあはせで、なんぞ此骨をばとり給ふにや」とて、恨むるけしき見え給へりければ、もし日記を置く物にしあらば、我子孫つくりて靈にとらはれなん、いとゞ由なしとて、燒かせ給ひにけりと聞くにも、無益のわざと覺え侍り。より/\心得べき事にや侍らん。たゞし、呉竹の二子は、天老と云(いふ)鬼の、潁川(えいせん)のほとりにてつくりいだせる賢者とこそ申傳へたるなれ。」



巻六第四「〔西山上人之事〕」より:

「過ぬる八月のはじめつ方、西山の西住上人とともなひて、難波のわたりを過侍りしに、折節日ことにうらゝかにて、風もたち侍らねば釣舟の波にうかびて、木の葉のごとくに見ゆ。「いかに多くの魚を釣るらん。あら無慙や。いざや、此舟にのりて、かの魚のために念佛して、後世とはむ」といへば、「げに/\、しかるべし」とて、遠淺はるかに歩みよりて、「船にのせ給へ」と云に、「これは釣舟にて外へ行べきにあらず。のりたまひて何の用か侍らん」といふ。あながちに云ひてのり侍りぬ。さて、魚のためにひそかに念佛して、後世をとぶらひ侍りき。」


巻六第五「西住上人發心之事」より:

「もとより、世になければ望みなし。望みなければ恨みもなし。恐ろしき主君も侍らねば、御勘氣をも蒙むらず。いとほしき妻子も持たざれば、貪着も侍らず。財寶を身にそへねば、野山に臥すも、盗人の恐れ侍らず。又、かゝる世捨て人には、なにの恨みか侍らん。後生の昇沈は、又申に及ばず。」


巻八第一九「成通鞠ノ精ノ事」より:

「さいつ比(ころ)、侍從大納言成通と云(いふ)人おはしけり。壮年より鞠をこのみて、あるひはひとりも、あるひは友にまじはりても、これを興じて、日に絶ゆること侍らざりけり。ある時、最勝光院にて、ことに心をとめて蹴たまふに、いづくの物いづかたより來たりたりとも知れぬ小男のみめことがらあてやかなる、うづくまりして侍り。大納言あやしみをなして、「たれにか」と尋ね給ふに、「我はこれ鞠の精也。きみのめでたく蹴給ふによりて、鞠のまことのすがたをあらはすになん」とて、かき消ちうせにけり。其後もたび/\以前のごとくなる男いで、目をもたゝかず鞠をみて侍りけり。いと不思議にぞ侍る。そりたる沓をはきて、淸水の舞臺の勾欄にて鞠を蹴給ふを、父の宗通の大納言、あさましくうつゝ心なく覺えたまひて、この事いさめんとて、よびよせたまひけるに、たゝみのうへ五寸ばかり上りておはしければ、化人(けにん)にこそと思ひたまひければ、手をあはせ拜みて、のきたまひけるを、成通も、おほきにおそれたまひけりとぞ。
 かの大納言のたまひしは、鞠は、用明天皇の御時、太子の御つれ/゛\をなぐさめたてまつらんとて、月卿雲客のつくり出し給へり。太子の御鞠めでたくおはしけり。あしたのほどひとゝき、人も召されで、いづくの所をもさしまはされて、ひとりあそばしけるに、聲は數十人が音のし侍りけり。これは三世の賢聖たちのあそばすとも申す。又、鞠の精ども也と申。なにとも知れがたく侍り。」



巻九第七「宰相成賴入道ノ事」より:

「此比(ごろ)、高野の空觀房と申すは、いまだかざり下し給はざりしさきは、坊城の宰相成賴とぞ申侍りける。去ぬる永暦の末の比より、心をおこしてこのみ山にこもり給へりけり。いみじき道心者ときこえ給ふめれば、なにとなくゆかしく覺え侍りしまゝに、尋ねまかりて侍しに、方丈の庵、阿彌陀の三尊うつくしくたてならべ、花香あざやかにそなへて、かの御前にしづかに念佛し給ひき。(中略)「さても、後世のつとにはいかなる御つとめか侍る」とたづね申侍しに、「我に佛性あり。かれとこしなへに明靜なり。此故に、わが所作みなかの佛界より等流せり。しかあれば、四方のふるまひ、ねておもひ起きて思うふこと、みな佛法なりと、此思ひをなして、觀念し侍る事、日々さらに怠る時なし。又、『心佛及衆生、是三無差別』とて、心佛衆生不離に侍れば、人をにくみあざむく心侍らず、おのづから善を修しても、ことごとく自他の法界に囘向するに侍り」とのたまはせしに、聞つたへ侍しよりも、貴くおぼえ侍りて、隨喜の涙たもとをうるほし侍りき。
 さて、かへるみちすがら、此事を思ふに、上人のたまはせし事げにと覺えて侍り。章安大師かとよ、「夜(よ)な/\佛とともに臥し、朝な/\佛にしたがつて起く」とのたまひけるを、惠心僧都、これを釋しのべらるるに、「是(これ)は三十七尊住心城(ぢゆうしんじやう)の心地なり。我本佛也。我起き臥しは、すなはち佛の起き臥し也。章安大師いまだ此心をのべ給はず」とかき置給へるに、ふつとかなうて侍り。又、是三無差別の心になりゐて、所作の功德をあまねく自他のために囘向し侍らん、ことにいみじく侍り。よきも惡きも、みな我にはなれず。されば、用捨まさにたえず、一切の衆生、我外にあらざれば、平等の慈悲堅固也。されば、佛たちは、此心をさとり給ひていまそかりければこそ、そゞろに無縁の大悲をばおこし給へる。」
「そも/\しづかに我身を思ふに、駒となりて森のしたの草をすさめ、牛と生れてしづがあら田をかへし、峯におきふし、さを鹿としては妻を戀ひ、野原にあさる雉子となりては卵子のために身を滅ぼす時も侍りけん。」
「又、くさむらの中にまじはりて、人に怖ぢられし蛇にもや侍るらん。(中略)しかあれば、佛は生きとし生ける類ひをひとしくあはれみたまふ。(中略)思ひかけぬに、草むらより蛇の出侍れば、心さわぎて逃げまどふ事のかなしさよ。いまより後は、たとひ頭にかけて侍るとも、さわぐ心は侍らじと思ひさだめて侍り。」






こちらもご参照ください:

『梅沢本 古本説話集』 川口久雄 校訂 (岩波文庫)
アッタール 『イスラーム神秘主義聖者列伝』 藤井守男 訳
五来重 『増補 高野聖』 (角川選書)
『澁澤龍彦コレクション 3 天使から怪物まで』
















































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うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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将来の夢: 石ころ。

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