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『建礼門院右京大夫集 付 平家公達草紙』 久松潜一・久保田淳 校注 (岩波文庫)

「我がおもふ心ににたる友(とも)もがな そよやとだにもかたりあはせん」
(「建礼門院右京大夫集」 より)


『建礼門院右京大夫集 
付 平家公達草紙』 
久松潜一・久保田淳 校注
 
岩波文庫 黄/30-025-1 


岩波書店 
1978年3月16日 第1刷発行
1983年5月20日 第6刷発行
224p 
文庫判 並装
定価350円



本書「凡例」より:

「建礼門院右京大夫集は九州大学図書館細川文庫本を底本とし、その欠脱部分を寛永二十一年刊板本によって補い、補った箇所を( )に入れて示した。」
「仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一し、適宜仮名書きに漢字を宛て、漢字に読み仮名を付し、送り仮名を補った。」
「底本の歌順に和歌の通し番号を付した。」
「読みやすさを考慮して、適宜小見出しを付し、〔 〕に入れて示した。」
「脚注は、底本を他本によって改訂した場合、人名・地名など、参考となる和歌や詩文・故事、その他特記すべき事項に限った。」
「参考として、建礼門院右京大夫集に共通する世界や人物を描いた白描絵巻、平家公達草紙の絵詞を翻刻付載した。校注の方針は建礼門院右京大夫集に準ずる。」
「なお、本書を成すに当っては日本古典文学大系『平安鎌倉私家集』に収められた本文を礎稿とした。同書の建礼門院右京大夫集は久松潜一校注で、(中略)久保田は同書所収久松校注の俊成卿女家集の協力者であったが、その後別個に建礼門院右京大夫集の抄注を試みた。それらの関係から今回本書の校注を担当したので、『平安鎌倉私家集』所収本の本文・頭注・補注には必ずしも拘泥しなかったが、これを礎稿とした意味において、久松・久保田の共校の形をとった。」




建礼門院右京大夫集 01



帯文:

「悲劇の中宮建礼門院に仕え、のちに『新勅撰集』などの諸集に名を残した才媛右京大夫の情感あふれる歌集。『平家公達草紙』を併収。」


目次:

凡例

建礼門院右京大夫集
平家公達草紙

補注
解説 (久保田淳)
和歌索引
人名索引




建礼門院右京大夫集 02



◆本書より◆


「建礼門院右京大夫集」より:

    「〔序〕
    家の集などいひて、歌(うた)よむ人こそかきとゞむることなれ、これは、ゆめ/\さにはあらず。たゞ、あはれにも、かなしくも、なにとなく忘(わす)れがたくおぼゆることどもの、あるをり/\、ふと心におぼえしを、思(おも)ひ出(い)でらるゝまゝに、我が目(め)ひとつにみんとてかきおくなり。

1 われならでたれかあはれとみづぐきの あともし末(すゑ)の世につたはらば」

    「〔星月夜〕
    十二月ついたちごろなりしやらん、夜に入りて、雨(あめ)とも雪ともなくうち散りて、むら雲さわがしく、ひとへに曇(くも)りはてぬ物から、むら/\星(ほし)うち消(き)えしたり。ひきかづきふしたる衣(きぬ)を、ふけぬるほど、丑(うし)二(ふたつ)ばかりにやと思(おも)ふほどに、ひきのけて、空(そら)をみあげたれば、ことに晴(は)れて、浅葱(あさぎ)色なるに、ひかりこと/゛\しき星(ほし)のおほきなる、むらなく出(い)でたる、なのめならずおもしろくて、花(はな)の紙(かみ)に、箔(はく)をうち散らしたるによう似(に)たり。こよひはじめてみそめたる心ちす。さき/゛\も星(ほし)月夜みなれたることなれど、これはをりからにや、ことなる心ちするにつけても、たゞ物のみおぼゆ。

251 月をこそながめなれしか星(ほし)の夜の ふかきあはれをこよひしりぬる」

    「〔雪のけしき〕
    よもすがらながむるに、かき曇(くも)り、又晴(は)れのき、ひとかたならぬ雲のけしきにも、

254 大空(おほぞら)ははれもくもりもさだめなきを 身のうきことはいつもかはらじ」

    「〔涅槃会〕
    二月十五日、涅槃会(ねはんゑ)とて人のまゐりしに、さそはれてまゐりぬ。おこなひうちして、思(おも)ひつゞくれば、尺迦仏の入滅せさせ給ひけんをりの事、僧(そう)などの語(かた)るをきくにも、なにもたゞ物のあはれのことにおぼえて、涙とゞめがたくおぼゆるも、さほどの事はいつもきゝしかど、この比(ごろ)きくはいたくしみ/゛\とおぼえてものがなしく、涙(なみだ)のとまらぬも、ながらふまじきわが世の程にやと、それはなげかしからずおぼゆ。

262 世の中のつねなきことのためしとて 空(そら)がくれにし月にぞありける」

    「〔かたらふよしなし〕
    その世の事、みし人、しりたるも、おのづからありもやすらめど、かたらふよしもなし。たゞ心の中(うち)ばかり思(おも)ひつゞけらるゝが、はるゝかたなくかなしくて、

325 我がおもふ心ににたる友(とも)もがな そよやとだにもかたりあはせん」



「平家公達草紙」より:

    「〔花陰の鞠〕

治承二年三月ばかりにや、少将隆房、内よりまかりいでて、夕つけて内大臣の小松殿へまうでたれば、一家の君達、花の陰(かげ)に立(た)ちやすらひて、色/\の直衣姿(なをしすがた)、さま/゛\の衣着(き)こぼしつゝ、鞠(まり)もて遊(あそ)びたまふ程なりけり。大臣(おとゞ)、烏帽子(ゑぼし)直衣(なをし)にて、高欄(かうらん)におしかゝりて、見興(けう)じ給ふ。夕ばえのかたちども、かたほなるもなく、とり/゛\にきよらなり。同(おな)じ陰(かげ)に立(た)ち加(くわ)はれば、大臣(おとゞ)も「をりよし」とおぼしたり。木ずゑも見えず、暮(く)れはつるまでになりぬ。」

    「〔将棋倒し〕

安徳天皇(脚注:「第八十一代の天皇(一一七八―一一八五)。諱は言仁。高倉天皇第一皇子。母は中宮徳子(建礼門院)。元暦二年三月二十四日、壇浦で入水した。八歳。」)の御時、八条二位殿、三后の宣旨(せむじ)ありて、寿永二年(脚注:「西暦一一八三年。」)正月、鷹司殿の御例(脚注:「御堂関白道長の室源倫子の例。」)とて、拝礼行(おこな)はれけり。内大臣(脚注:「平宗盛のこと。」)よりはじめて、平家の一門、公卿殿上人、多(おほ)く並(なら)び立ちてゆゝしく見えけり。物(もの)見る人多(おほ)かりける中に、すでに拝ありけるとき、わらはべ二三人「将棋倒(しやうぎだを)しを見よ」、これを歌(うた)ひ、手を叩(たゝ)きたりける。人(ひと)いかにぞや聞きけるに、まことにその年(とし)の秋、世替(かは)りければ、天狗などのしわざにやと人申しけり。」







こちらもご参照下さい:

『平家物語 (下)』 高橋貞一 校注 (講談社文庫)























































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