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『宇治拾遺物語』 中島悦次 校註 (角川文庫)

「塚をほりくづすに、中に石の唐樻(からびつ)あり。あけてみれば、尼の年廿五六ばかりなる、色うつくしくて、口びるの色など露(つゆ)かはらで、えもいはずうつくしげなる、ね入(いり)たるやうにて臥(ふし)たり。」
(『宇治拾遺物語』 「世尊時ニ死人ヲ掘出事」 より)


『宇治拾遺物語』 
中島悦次 校註
 
角川文庫 1896/黄 十七 1


角川書店 
昭和35年4月30日 初版発行
昭和59年6月30日 24版発行
416p 
文庫判 並装 カバー
定価620円
カバー: 栃折久美子



例言および本文は旧字、註と解説は新字。



宇治拾遺物語



カバーそで文:

「建保年間に成立した鎌倉時代の代表的説話集。類纂的で整然たる今昔物語と対照的に自由な連想のまま雑纂されている点、徒然草に近い。所収説話196話、うち今昔物語と共通説話も多いが、霊験譚・法力譚など仏教説話のほか、雀亀報恩譚や人間滑稽譚など民話風な説話も多い。宮内庁書陵部蔵写本を底本とする。重要語句索引付。」


内容:

例言


卷第一
卷第二
卷第三
卷第四
卷第五
卷第六
卷第七
卷第八
卷第九
卷第一〇
卷第一一
卷第一二
卷第一三
卷第一四
卷第一五

解説
索引




◆本書より◆


「卷第二 一 淸德聖奇特ノ事」:

「今は昔、せいとくひじりといふ聖(脚注:「高徳の僧の意から単に僧の意。」)のありけるが、母の死(しに)たりければ、ひつぎにうち入(いれ)て、たゞひとりあたごの山(脚注:「愛宕山。山城国葛野郡。京都の西北にある山。」)に持(もち)て行(いき)て、大(おほき)なる石を四(よつ)の隅(すみ)におきて、その上にこのひつぎをうちおきて、千手(せんじゆ)ダラ尼(に)(脚注:「千手陀羅尼。千手陀羅尼経にある千手観音の咒文。」)を、片時(かたとき)やすむ時もなく打(うち)ぬる(脚注:「寝る。「打」は接頭語。」)事もせず、物もくはず湯水ものまで、こわだえ(脚注:「声絶え。」)もせず誦(ず)したてまつりて、此ひつぎをめぐる事三年に成(なり)ぬ。その年の春(脚注:「某年の春。」)、夢ともなくうつゝともなく、ほのかに母の聲にて、「此ダラ尼(に)をかくよるひる誦(ずし)給へば、我ははやく男子(なんし)となりて天にむまれにしかども、おなじくは佛になりて告申さんとて、今までは、つげ申さざりつるぞ。今は佛になりて告申也。」といふときこゆるとき、『さ思(おもひ)つる事なり。今ははやう成給ぬらん』とて、とりいでて、そこにてやきて、骨とりあつめてうづみて、上に石のそとば(脚注:「率都婆(塔婆)は梵語。方墳などと漢訳される。墓標。」)などたてて、例(れい)の樣(やう)にして、京へいづる道に、西京(にしのきやう)(脚注:「平安京は朱雀大路によって東の京(左京)と西の京(右京)とに分けられ、東の京(今の京都の地)が隆えて西の京は寂れていたので、特に京とは別に西の京といった。」)になぎ(脚注より:「水草の一首で水葵に似たものという。」)いとおほくおひたる所あり。此聖こうじて(脚注:「(困じて)つかれて。」)、物いとほしかりければ、道すがら折(をり)て食(くふ)ほどに、主(ぬし)の男出(いで)きて見れば、いとたふとげなる聖の、かくすゞろに(脚注:「むやみに。」)折(をり)くへばあさましと思て、「いかにかくはめすぞ。」と云(いふ)。聖「こうじてくるしきまゝにくふなり。」と云(いふ)時に、「さらばまゐりぬべくは、今すこしもめさまほしからんほどめせ。」といへば、三十筋ばかりむず/\と折くふ。此なぎは三町計(ばかり)ぞうゑたりけるに、かくくへば、いとあさましく、くはんやうも、みまほしくて、「めしつべくば、いくらもめせ。」といへば、「あな、たふと。」とて、うちゐざり/\をりつゝ、三町をさながら(脚注:「そのまま、そっくり。」)くひつ。ぬしの男、『あさましう物くひつべき聖かな』と思(おもひ)て、「しばしゐさせ給へ。物してめさせん。」とて、白米一石とりいでて、飯(いひ)にしてくはせたれば、「年比(としごろ)物もくはでこうじたるに。」とて、みな食ていでていぬ。此男『いと淺(あさ)まし』と思て、これを人にかたりけるをききつゝ、坊城の右のおほ殿(との)(脚注:「藤原師輔。摂政左大臣忠平の第二子。正二位・右大臣。天徳四年逝。年五三。九条右相府・坊城大臣と号された。」)に、人のかたりまゐらせければ、『いかでか、さはあらん。心えぬ事かな。よびて物くはせてみん』とおぼして、「結縁(けちえん)(脚注:「仏法に縁を結ぶこと。」)のために物まゐらせてみん。」とて、よばせ給(たまひ)ければ、いみじげなる聖あゆみまゐる。そのしりに、餓鬼(脚注:「三悪道の一で、ここに堕ちた者は飢渇に苦しめられ、食べようとするものは皆炎となり、口は針の穴のようで芥子も入らないで苦しむという。」)・畜生・とら・おほかみ・犬・からす、よろづの鳥獣ども、千萬とあゆみつゞきてきけるを、こと人(びと)の目に大かたえみず(脚注:「他の人の目に少しも見えない。」)、たゞ聖ひとりとのみ見けるに、このおとゞ(脚注:「大殿。大臣。」)、みつけ給て、『さればこそいみじき聖にこそありけれ。めでたし』とおぼえて、白米十石をおものにして(脚注:「飯に炊いて。」)、あたらしき莚(むしろ)・薦(こも)に、をしき・をけ・ひつなどに入(いれ)て、いく/\とおきて(脚注:「たっぷりと置いて。」)、くはせさせ給(たまひ)ければ、しりにたちたる物どもにくはすれば、あつまりて手をさゝげてみなくひつ。聖はつゆくはで(脚注:「露ほども(少しも)食べないで。」)悦(よろこび)ていでぬ。『さればこそたゞ人(びと)にはあらざりけり。佛などの變じてありき給(たまふ)にや』とおぼしけり。こと人(びと)の目にはたゞ聖ひとりして食(くふ)とのみみえければ、いと/\あさましき事に思けり。さて出(いで)て行(いく)程(ほど)に、四條の北なる小路(脚注:「四条大路の北にある小路。錦小路。もと具足(糞の)小路か。」)にゑどをまる(脚注:「糞をする。「穢土」は、大便のこと。「まる」は、四段活で「ひる」意味。」)。此しりにぐしたるもの、しちらしたれば、たゞ墨のやうにくろきゑどを、ひまもなくはる/゛\としちらしたれば、げすなどもきたながりて、その小路を「糞(くそ)の小路。」とつけたりけるを、御門(みかど)(脚注:「(帝)後冷泉天皇か。」)きかせ給て、「その四條の南(脚注より:「四条大路の南、綾小路。」)をばなにといふ。」と問(とは)せ給ければ、「綾(あや)の小路(こうぢ)となんと申。」と申ければ、「これをば綾小路といへかし。あまり穢き名哉(かな)。」と仰せられけるよりしてぞ、錦小路といひける。」


「卷第三 七 虎ノ鰐取タル事(脚注:「今昔物語巻二九第三一話と同話。」)」:

「是も今は昔、筑紫(つくし)(脚注:「筑前・筑後(北九州)地方の称から九州全島のこと。」)の人あきなひしに新羅(しらぎ)(脚注:「朝鮮半島にあった王国。もと辰韓の地。」)にわたりけるが、あきなひはてて歸(かへる)みちに、山の根にそひて舟に水くみいれんとて、水の流出(ながれいで)たる所に舟をとどめて水をくむ。其程舟に乘(のり)たる物、舟(ふな)ばたにゐて、うつぶして海をみれば、山の影うつりたり。高き岸の三四十丈ばかりあまりたる上に(脚注:「今昔物語には「三四丈上りたる上に」)、虎つくまりゐて(脚注:「板本「つゞまりゐて」今昔物語「縮リ居テ」とある。」)物をうかゞふ、その影水にうつりたり。その時に人々につげて、水くむ物をいそぎよびのせて、手毎に櫓(ろ)をおして急(いそぎ)て舟をいだす。其時に虎をどりおりて船にのるに、舟はとくいづ。とらはおちくる程(ほど)(脚注:「道程。」)のありければ、いま一丈ばかりを、えをどりつかで、海に落入(おちいり)ぬ。舟をこぎて急(いそぎ)て行(ゆく)まゝに、此虎に目をかけてみる。しばし計(ばかり)ありて、虎海よりいできぬ。およぎて、くがざまに(脚注:「陸地の方に。」)のぼりて、汀(みぎは)にひらなる石の上にのぼるをみれば、左のまへあしを、ひざよりかみ食(くひ)きられて血あゆ(脚注:「血が出る。」)。『鰐(わに)(脚注:「「鰐鮫」のことか。」)にくひきられたる也(なり)けり』とみる程に、そのきれたる所を、水にひたして、ひらがりをるを(脚注より:「平たくなっているのを。」)、『いかにするか』とみる程(ほど)に、沖(おき)の方より、鰐、虎のかたをさしてくるとみる程に、虎右のまへ足をもて、鰐の頭に爪を打立(うちたて)て、陸(くが)ざまになげあぐれば、一丈ばかり濱になげあげられぬ。のけざまになりてふためく(脚注:「ぱたぱたする。今昔物語「のためく」」)おとがひ(脚注:「頤(あご)。」)のしたを、をどりかゝりて食(くひ)て、二(ふた)たび三(み)たびばかり打(うち)ふりて、なえ/\となして、かたに打かけて(脚注:「肩にかついで。」)、手をたてたるやうなる岩の五六丈有(ある)を、三(みつ)の足を持(もち)て、くだり坂を走(はしる)がごとくのぼりてゆけば、舟の中(うち)なる物共、是がしわざをみるに、なからは死入(しにいり)ぬ(脚注:「半分は。今昔物語「半ハ皆死スル心地ス」」)。『舟に飛(とび)かゝりたらましかば、いみじき劔刀(つるぎかたな)をぬきてあふとも(脚注:「わたり合っても。今昔物語「向会フトモ」」)、かばかり力つよく、はやからんには(脚注:「今昔物語には「力ノ強ク足ノ早カラムニハ」」)、何(なに)わざをすべきぞ』と思ふに、肝心(きもこころ)うせて、舟こぐ空(そら)もなくて(脚注:「舟漕ぐ心地もなくて。」)なむ、筑紫(つくし)には歸りけるとかや。」


「卷第三 一五 長門前司女葬送ノ時歸本處事」:

「今は昔、長門前司(脚注:「前任の長門国の国司。誰とも分らない。」)といひける人の女(むすめ)二人ありけるが、姉は人の妻(め)にてありけり。妹は、いとわかくて宮仕(みやづかひ)ぞしけるが、後には家に居たりけり。わざとありつきたる男もなくて(脚注より:「特にきまった夫もなくて。」)、たゞ時々かよふ人なぞありける。高辻室町(たかつじむろまち)わたり(脚注:「高辻小路と室町小路との交叉する辺。」)にぞ家はありける。父母(ちゝはゝ)もなく成(なり)て、おくのかたには姉ぞゐたりける。南のおもての西のかたなる妻戸口(つまどぐち)(脚注:「寝殿の南面の西にあたる妻戸の口。「妻戸」は両方に開く舞戸。」)にぞ、常に人にあひ、物などいふ所なりける。廿七八ばかりなりける年、いみじうわづらひてうせにけり。おくはところせし(脚注:「奥は所狭い。」)とて、その妻戸口にぞやがてふしたりける。さてあるべき事ならねば、姉などしたてて、鳥部野(とりべの)(脚注:「鳥辺野は山城国愛宕郡(京都市)の火葬場地。」)へゐていぬ。さて例の作法(さはふ)(脚注:「野べの送り。葬送。」)に、とかくせんとて、車よりとりおろすに、ひつ(脚注:「櫃。「ひつぎ」(柩)の誤かともいう。」)かろ/゛\として、ふたいさゝかあきたり。あやしくてあけてみるに、いかにも/\露(つゆ)(脚注:「露ほども。少しも。」)物なかりけり。「道などにて落(おち)などすべき事にもあらぬに、いかなる事にか。」と心えずあさまし。すべきかたもなくて、「さりとてあらんやは。」とて、人びと走歸(かへり)て、「道におのづからや(脚注:「道にひょっとして(落ちはしないか)」。」とみれども、あるべきならねば、家へ歸(かへり)ぬ。「もしや。」と見れば、此妻戸口に、もとのやうにてうちふしたり。いとあさましくもおそろしくて、したしき人々あつまりて、「いかがすべき。」といひあはせさわぐ程に、「夜もいたくふけぬれば、いかがせん。」とて、夜明(あけ)て又ひつに入(いれ)て、このたびはよく實(まこと)にしたゝめて(脚注:「処理して。」)、「よさり(脚注:「「夜さり」は夜になること。夜さ。夜。」)いかにも。」など思てある程に、夕(ゆふ)つかた、みる程に、此樻(ひつ)のふた、ほそめにあきたりけり。いみじくおそろしく、ずちなけれど(脚注より:「術ないが。仕方ないけれど。」)、したしき人々、「ちかくてよく見ん。」とてよりてみれば、ひつぎよりいでて又妻戸口に臥(ふし)たり。「いとゞあさましきわざかな。」とて、又かき入(いれ)んとて、よろづにすれど、さら/\ゆるがず。つちよりおひたる大木などを、ひきゆるがさんやうなれば、すべき方(かた)もなくて、『たゞこゝにあらんとてか(脚注:「死人はたゞここにいたいとしてであろうか。」)』とおもひて、おとなしき人(脚注:「年長者。」)よりていふ、「たゞこゝにあらんとおぼすか。さらば、やがてここにもおきたてまつらん。かくては、いとみぐるしかりなん。」とて、妻戸口の板敷(いたじき)をこぼちて(脚注:「板の間をこわして。」)、そこにおろさんとしければ、いとかろらかにおろされたれば、すべなくて、その妻戸口一間をいたじきなど、とりのけこぼちて、そこにうづみて、たか/゛\と塚にてあり。家の人々も、さてあひゐてあらん、物むつかしくおぼえて(脚注:「そうして向いあっているのは気味わるく思われて。」)、みなほかへわたりにけり。さて年月へにければ、しんでん(脚注:「(寝殿)当時の貴人の邸造りで中央の主殿をいう。」)もみなこぼれうせにけり。いかなる事にか、此塚のかたはらちかくは、げすなども、えゐつかず、「むつかしき事(脚注:「気味わるい事。」)あり。」と云(いひ)つたへて、大(おほ)かた人も、高辻おもてに六七間計(ばかり)が程は小家もなくて、その塚一(ひとつ)ぞ高々としてありける。いかにしたる事にか、つかの上に神のやしろをぞ、一(ひとつ)いはひすゑてあなる(脚注:「祭祀してあるそうだ。」)。此比(このごろ)も今にありとなん。」


「卷第三 一七 小野篁廣才ノ事」:

「今は昔、小野篁(をののたかむら)(脚注:「小野岑守の長男。参議・左大弁・東宮学士、従三位。仁寿二年逝。年五一.」)といふ人おはしけり。嵯峨(さが)の御門(みかど)(脚注:「桓武帝第二子。平城帝の同母弟。在位一四年。承和九年逝。年五七.」)の御ときに、内裏(だいり)に札(ふだ)をたてたりけるに、無惡善とかきたりけり。御門、篁に「よめ。」とおほせられたりければ、「よみはよみさぶらひなむ。されど、恐(おそれ)にて候へば、え申(まうし)さぶらはじ。」と奏しければ、「たゞ申せ。」とたび/\仰(おほせ)られければ、「さがなくてよからん(脚注:「悪性(さが)無くて善からむ。さがに嵯峨が通じるというのである。運歩色葉集「無悪善(サガナキハヨシ)、嵯峨帝王之時落書也」)と申て候ぞ。されば君をのろひまゐらせて候なり。」と申ければ、「是はおのれはなちては、たれか書(かゝ)ん(脚注:「己れ(汝)を除いては誰れが書こう。」)。」とおほせられければ、「さればこそ、申(まうし)さぶらはじとは、申(まうし)て候(さぶらひ)つれ。」と申(まうす)に、御門「さて、なにもかきたらん物は、よみてんや(脚注:「何でも書いた物は読めるか。」)。」と仰られければ、「なににてもよみさぶらひなん。」と申(まうし)ければ、片假名(かたかな)のねもじ(脚注:「「子」文字。音がシで、訓はコまたはネ(十二支の子)である。」)を十二かかせ給て、「よめ。」と仰られければ、「ねこの子(こ)の、子(こ)ねこ、ししの子(こ)の、こじし。」とよみたりければ、御門ほゝゑませ給(たまひ)て、事なくて(脚注:「無事で。咎めもなくて。」)やみにけり。」


「卷第四 五 石橋ノ下ノ虵ノ事」より:

「此ちかくの事(こと)なるべし。女ありけり。雲林院(うりんゐん)(脚注:「山城国愛宕郡紫野(京都市)にあった天台宗の寺。」)の菩提講(ぼだいかう)(脚注より:「菩提のために法華経を講説する法会。」)に、大宮をのぼりに(脚注:「大宮大路を上りに。ここは西大宮大路のことか。」)まゐりける程に、西院(脚注:「淳和院址。」)のへんちかく成(なり)て、石橋ありける水のほとりを、廿(はたち)あまり卅(みそぢ)ばかりの女房、中(なか)ゆひて(脚注より:「衣をあげて腰帯する外出姿。」)あゆみゆくが、石橋をふみ返(かへ)して過(すぎ)ぬるあとに、ふみかへされたる橋のしたに、まだらなるこくちなは(脚注:「小蛇。」)のきり/\としてゐたれば、「石のしたに、くちなはのありける。」とみるほどに、此ふみ返したる女のしりに立(たち)て、ゆら/\と、このくちなはのゆけば、しりなる女の(脚注:「後にある女が。」)みるにあやしくて、「いかに思(おもひ)て行(ゆく)にかあらん。ふみいだされたるをあしと思(おもひ)て、それが報答(はうたふ)せんと思ふにや。これ(脚注:「くちなわ(蛇)を指す。」)がせんやうみむ。」とて、しりにたちて行(ゆく)に、此女時々は見返りなどすれども、我(わが)ともにくちなはのあるとも知らぬげなり。又おなじやうに行(ゆく)人あれども、くちなはの女にぐして行(ゆく)をみつけいふ人もなし。たゞ最初(さいしよ)みつけつる女の目にのみみえければ、『これがしなさんやうみん』と思(おもひ)て、この女の尻(しり)をはなれずあゆみ行(ゆく)ほどに、うりん院にまゐりつきぬ。寺のいた敷(じき)にのぼりて此女居(ゐ)ぬれば(脚注:「坐ると。」)、此虵(くちなは)ものぼりて、かたはらにわだかまりふしたれど、これを見つけてさわぐ人なし。『希有(けう)のわざかな』と、目をはなたずみるほどに、かうはてぬれば(脚注:「講が終ってしまうと。」)、女たちいづるにしたがひて、くちなはも、つきていでぬ。此女、『これがしなさんやうみん』とて、尻にたちて京ざまに(脚注:「京方面に。」)いでぬ。下(しも)ざまに(脚注:「下京方面に。」)行(ゆき)とまりて家あり。その家にいれば、くちなはも、ぐして入(いり)ぬ。これぞ、これが家なりけると思ふに、『ひるはすがた(脚注:「姿。または「すかた」で、「するかた」の誤か。」)もなきなめり。よるこそ、とかくする事もあらんずらめ。これがよるのありさまを見ばや』と思ふに、みるべきやうもなければ、その家にあゆみよりて、「ゐ中(なか)よりのぼる人の、ゆきとまるべき所も候はぬを、こよひ計(ばかり)やどさせ給(たまひ)なんや。」といへば、このくちなはのつきたる女(脚注:「蛇のついている女。」)を家あるじとおもふに、「こゝにやどり給(たまふ)人(ひと)あり。」(脚注:「「こゝに……」は蛇のついた女の言葉。」)といへば、老(おい)たる女いできて、「たれか、の給ぞ。」といへば、これぞ家あるじなりけると思て、「こよひ計(ばかり)やどかり申(まうす)なり。」といふ。「よく侍(はべり)なん。入(いり)ておはせ。」といふ。うれしと思て入(いり)てみれば、板敷のあるにのぼりて此女ゐたり。くちなはは板敷のしもに柱のもとにわだかまりてあり。めをつけてみれば、此女をまもりあげて(脚注:「見つめ仰いで。」)此くちなははゐたり。虵つきたる女「殿にあるやうは(脚注:「殿中の有様は。「殿」は勤務先の館。」)。」など物がたりしゐたり。宮仕(みやづかへ)する物也とみる。かかるほどに日たゞくれに暮(くれ)て、くらく成(なり)ぬれば、くちなはのありさまをみるべきやうもなくて、此家主とおぼゆる女にいふやう、「かくやどさせ給へるかはりに、緒(を)(脚注:「苧。紐にするための麻。」)やある。うみてたてまつらん(脚注:「績(う)んで差上げましょう。」)。火ともし給へ。」といへば、「うれしくの給(たまひ)たり。」とて、火ともしつ。を取出(とりいだ)して(脚注:「苧を取り出して。」)あづけたれば、それをうみつゝみれば、この女ふしぬめり。いまや、よらんずらんとみれども、ちかくはよらず。『この事やがてもつげばや』と思へども、『つげたらば、我(わが)ためもあしくやあらん』と思(おもひ)て、物もいはで『しなさんやうみん』とて、夜中のすぐるまで、まもりゐたれども、つひにみゆるかたもなき程に、火消(きえ)ぬれば、此女もねぬ。」


「卷第六 二 世尊時ニ死人ヲ掘出事」:

「今はむかし、世尊時(脚注:「もと清和帝の皇子桃園親王(貞純)の邸で、保光中納言の家、太政大臣伊尹の家となった。」)といふ所は、桃園大納言(脚注:「藤原忠平の四男師氏。権大納言。天禄元年逝。年五八。枇杷大納言。」)住給けるが、大將になる宣旨(せんじ)かうぶり給にければ、大饗(だいきやうの)(脚注:「任官祝賀の宴会。」)のあるじのれうに(脚注:「饗応のために。」)修理し、まづは祝し給(たまひ)し程に、あさてとて、にはかにうせ給(たまひ)ぬ。つかはれ人(びと)みな出で散りて、北方(きたのかた)・若公(わかぎみ)ばかりなん、すごくて住(すみ)給ける。そのわかぎみは、とのもりのかみ(脚注:「主殿寮の長官。」)ちかみつ(脚注:「「ちかのぶ」(近信。師氏の二男)の誤か。」)といひしなり。此家を一條攝政殿(脚注:「藤原師輔の長男伊尹。正二位太政大臣になったのは師氏の歿年の翌天禄二年。そして翌三年に四九で逝去。」)とり給て、太政大臣に成て、大饗行なはれける。坤(ひつじさる)の角(すみ)(脚注:「西南方の隅。」)に塚(つか)のありける。築地(ついぢ)をつきいだして、そのすみは、したうづがた(脚注:「襪形。「したうづ」は「したぐつ」の音便。靴の下に履く足袋。今の靴下。「かた」は八冊本「だか」(高?)」)にぞありける。殿「そこに堂を建てん。この塚をとりすてて、そのうへに堂をたてん。」と、さだめられぬれば、人々も「つかのために、いみじう功德(くどく)になりぬべき事也(なり)。」と申ければ、塚をほりくづすに、中に石の唐樻(からびつ)あり。あけてみれば、尼の年廿五六ばかりなる、色うつくしくて、口びるの色など露(つゆ)かはらで、えもいはずうつくしげなる、ね入(いり)たるやうにて臥(ふし)たり。いみじううつくしき衣の、色々なるをなん、きたりける。若かりける物のにはかに死(しに)たるにや。金(かね)のつき(脚注:「金の杯。物を盛る金製の器。」)、うるはしくてすゑたりけり。入(いり)たる物、なにもかうばしき事たぐひなし。あさましがりて、人々立(たち)こみてみるほどに、乾(いぬゐ)の方より風吹(ふき)ければ、色々なる塵(ちり)になん成(なり)て失(うせ)にけり。かねのつきよりほかの物、つゆとまらず。「いみじきむかしの人なりとも、骨髪(ほねかみ)のちるべきにあらず。かく風の吹(ふく)に、ちりになりて吹(ふき)ちらされぬるは希有(けう)の物なり。」といひて、その比(ころ)、人あさましがりける。攝政殿いくばくもなくて失給(うせたまひ)にければ(脚注:「伊尹の歿したのは天禄三年一一月一日(四九歳)。(公卿補任・尊卑分脈)」)、「このたたりにや。」と人うたがひけり。」


「卷第一一 二 保輔盗人タル事」:

「今は昔、攝津守(脚注:「原本の傍註や板本は「丹後守」」)保昌(脚注:「大納言藤原元方の孫、右京大夫致忠の子。摂津守・丹後守。長元元年歿。年七九。」)が弟に、兵衞尉(ひやうゑのじよう)にて冠(かうぶり)たまはりて(脚注:「左右兵衛尉は従六位下が相当なのを特に五位に叙せられたこと。「冠」は、位階。」)、保輔といふものありける、盗人の長にてぞありける。家は姉小路の南、高倉の東にゐたりけり。家の奧に藏をつくりて、したをふかう井のやうに掘(ほり)て、太刀・鞍(くら)・鎧・かぶと・絹・布など、よろづのうる物をよび入(いれ)て、いふまゝに買(か)ひ、「あたひをとらせよ。」といひて、「おくの藏のかたへ、ぐしゆけ。」といひければ、「あたひ給(たま)はらん。」とて行(ゆき)たるを、藏の内へよび入(いれ)つゝ、掘(ほり)たる穴へつきいれつきいれして、もてきたる物をばとりけり。この保輔がり(脚注:「「の許に」の意。板本には「に」とある。」)物もて入(いり)たるものの歸(かへり)ゆくなし。この事を物うりあやしうおもへども、うづみころしぬれば、此事をいふものなかりけり。これならず京中をしありきて、ぬすみをしてすぎけり。この事おろ/\きこえたりけれども、いかなりけるにか、とらへからめらるる事なくてぞ過(すぎ)にける。」


「卷第一二 二四 一條棧敷屋鬼ノ事」:

「今はむかし、一條棧敷(さじき)屋(脚注より:「一条大路にあったという。」)に或男とまりて、傾城(けいせい)(脚注より:「美女の意から、遊女のこと。」)とふしたりけるに、夜中計(ばかり)に風吹雨降てすさまじかりけるに、大路(脚注:「一条大路。」)に「諸行無常(しよぎやうむじやう)(脚注:「涅槃経に出た四句の偈文に「諸行無常、是生滅法、生滅々已、寂滅為楽」」)」と詠じて過る物あり。なに物ならんとおもひて、蔀(しとみ)をすこしおしあけてみければ、長(たけ)は軒(のき)とひとしくて馬の頭なる鬼なりけり。おそろしさに、しとみをかけて、おくのかたへいりたれば、此鬼格子(かうし)おしあけて、顏をさし入(いれ)て、「よく御覽じつるな/\。」と申しければ、太刀を抜て、いらば切らんとかまへて、女をばそばにおきて待(まち)けるに、「よく/\御覽ぜよ。」といひていにけり。「百鬼夜行(脚注:「夜、いろいろの鬼が出歩くこと。」)にてあるやらん。」と、おそろしかりけり。それより一條のさじき屋には、又も、とまらざりけるとなん。」






こちらもご参照ください:

ブルクハルト 『イタリア・ルネサンスの文化』 柴田治三郎 訳 (世界の名著 45)
















































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うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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