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「ユリイカ 1974年8月号 増頁特集: アントナン・アルトー 演劇空間の現在」

「ぼくはなにも話せない、なんにも手を出せない、なんにも関心をもてない、だれにも答えられない、
 反射作用ももはや働かぬだろう。」

(アントナン・アルトー 「思考の収縮」 より)


「ユリイカ 詩と批評 
1974年8月号(第6巻第10号) 
増頁特集: アントナン・アルトー 
演劇空間の現在」



青土社
1974年8月1日 発行
238p(うち別丁図版8p)+巻末広告8p
A5判 並装
増頁特別定価680円
表紙写真撮影: 沢渡朔
扉: 井上敏男
カット: 渡辺藤一/堀正明/鈴木るり子



図版(モノクロ)多数。



ユリイカ アルトー 01



内容:

【増頁特集 アントナン・アルトー 演劇空間の現在】
シナリオ
 アントナン・アルトー/大久保輝臣 訳 十八秒
手紙
 アントナン・アルトー/清水徹 訳 思考の収縮 ジョルジュ・スーリエ・ド・モラン宛書簡
長詩
 アントナン・アルトー/渋沢孝輔 訳 魔術のなかには…
手紙
 アントナン・アルトー/渡辺守章 訳 演劇に関する最後の手紙 ポール・テヴナン宛
インタビュー
 ジャン=ルイ・バロー、ガストン・フェルディエール、ピエール・シャレー/利光哲夫 訳 向う岸へ渡った人――晩年のアルトーを語る
演劇空間の現在
 寺山修司 アルトーの「残酷の演劇」 その解釈と鑑賞
 鈴木忠志 騙りの演技
評論
 渡辺守章 分身、あるいは回帰する力――アルトー覚書
 利光哲夫 アルトーと現代演劇
 高橋康也 アルトーとノンセンス
 岡谷公二 アルトーとメキシコ
 ポール・テヴナン/利光哲夫 訳 生のさなかのアントナン・アルトー
 ポール・グッドマン/中村健二 訳 演劇に憑かれて
 J・M・G・ル・クレジオ/望月芳郎 訳 呪縛された人
 フィリップ・ソレルス/岩崎力 訳 アルトー状態
討論 「アルトー状態」をめぐって
 フィリップ・ソレルス ほか/岩崎力 訳
グラビア
 アントナン・アルトー ある精神の軌跡
資料
 年表 アルトーの世界
 アントナン・アルトー主要参考文献
 

 吉増剛造 奥の細道
 秋山清 地獄変相
 加藤郁乎 詩篇 22
 関根弘 泪橋
 岡田隆彦 生きる喜び――円筒の窓が雨季にぬめる
時評
 鮎川信夫 批評家の憂鬱
連載
 林光 ブロウチェク世界歌劇場――なぐさめの言葉
 萩原朔美 ムーヴィング・アイ――金の鶴と銀の亀
 エドワード・リア/高橋康也 訳 ノンセンスの絵本――瘋癲老人 その大いなる鼻
 池澤夏樹 サーカムナヴィゲイション――太平洋の話
 大岡信 断章 6-Ⅷ
 吉田健一 詩に就いて Ⅰ
 岡田隆彦 ユリイカ詩書批評――『友竹辰…詩集』書評
連載シンポジウム・全体像 十九世紀の文学と芸術・第八回
 菅野昭正、高階秀爾、平島正郎 宗教と反宗教
新資料
 関川左木夫 山村暮鳥とボードレール
解放区 (清水昶 選)
われ発見せり
 阿部良雄 かれ発見せるを、われ発見せり




ユリイカ アルトー 02



◆本書より◆


渡辺守章「分身、あるいは回帰する力」より:

「精神分裂症のあの表面の欠落する肉体では、すべてが肉体となり、肉体を横切って別の物体が、肉体が生えてきたし、それらは肉体の分断された部分と共存するのであった。それは、肉体に突き刺さる音響についても同じであった。アルトーが、バリ島の踊り手の《肉体》について《象形文字》を語ったのは、単にその表面に飾られた記号の組み合わせ(引用者注:「その表面に~」以下傍点)の故ではなかった。そうではなくて、「語(モ)になる以前の言葉(パロール)」と言う表現からも明らかなように、様々な表現様態が、視覚形象のみならず音声的要素までが、その生成状態において肉体のなかを貫き、その一部を成している(引用者注:「様々な~」以下傍点)ということではないのか。だからこそ、ヘリオガバルスの祭儀仮装においても、少くとも、男根は黄金に塗り固められて人間ならざる力の屹立となり、肉は鋼鉄の蜘蛛の爪に引き裂かれていなければならなかった。バリ島の演劇で、「形而上学的葛藤」といい、「宇宙的な力の引き退く勢いに硬直した姿」と書き、「物質の波涛が、すさまじい勢いで次から次へと波頭を立てて、水平線の至るところから押し寄せて来、人間の震動の――憑依(トランス)の極少量のなかにはいりこみ――そして恐怖による空無を埋めようとする」と想像するのも、まさにこの理由による。言いかえれば、「自然の保有する、突如、混沌へと回帰する力」なしには、この「生きた象形文字」は死文にすぎないのである。」


ポール・テヴナン「生のさなかのアントナン・アルトー」より:

「じじつアントナン・アルトーがアイルランドへ着くや否やアラン島へ向かったのです。
 彼はそこへ行って古代のドルイド教の跡を発見しようとしたのです。
 九月五日彼はアンドレ・ブルトンにこう書きます。
 「何故なら単一の神が存在しなくとも、神々は存在するのです。そしてその上に君臨する大自然の無意識で犯罪的な掟があり、神々もわれわれも、つまり《われわれ神々》は連帯関係でその犠牲者になっているのです。
 異教は正しかったのですが、永遠の下司野郎である人間たちは異教の真理を裏切ったのです。それからキリストが異教の真理にも一度光を当てるためによみがえりました。しかし、その後全キリスト教会は破廉恥にもその真理にうんこをかけたのです。キリストは一本の杖を手にして砂漠の中で悪魔どもと戦いを挑んだ魔術師でした。彼が流した血痕がその杖にしみついているのです。水で洗えば血痕は消えますが、やがて又現われます。ある種の人間の中にもよみがえって来る神がいて、人間たちはその神に刀向い闘います。という訳は、その神が物質的に人間たちを疲らせるからです。にもかかわらず神々は相変らず自分を主張するのです。」
 メキシコの美術館の奥に眠っている神々を目覚ませに行ったのと同じように、アントナン・アルトーは昔ながらの土地に堆積した地層の奥深く眠る文化の力を、もう一度陽光の下に露出させたいと思ったのではないでしょうか?
 西欧世界が見失っていたこの《真正の文化》を彼はアイルランドの土地に再発見できると思ったのではないのでしょうか?」



岡谷公二「アルトーとメキシコ」より:

「アルトーの西欧文明批判は、同時代の文学者の誰よりも激烈だ。彼によれば、西欧には物質文明は存在するが、文化はない、という。それでは彼の考える真の文化とは何か? それは「生命の動きと切り離すことのできない」ものであり、「人間の精神的な諸力と宇宙の諸力との共鳴」である。そしてヨーロッパの「迷信的な精神」は、「人間を《宇宙の触媒》にするこれらの深い知識に宗教という形式を与えてきた」。しかし神が死んだ今、西欧はこのような生命のうごきから全く切りはなされてしまった。残されたのは「死んだ理性」「腐敗した理性」だけである。理性は思考を分析し、固定した状態でそれを捉えるゆえ、つねに死んだ思考しか捉えることができない。

  「理性が眺めるもの、それはつねに死に属しているということができます。ヨーロッパの才能であり、ヨーロッパの心性が度を越してほめたたえてきたこの理性は、つねに死の写し絵なのです」(「運命に逆う人間」)

 このような場所へ西欧を追いこんだ元凶はルネッサンスである。

  「ルネッサンスの人間中心主義は、偉大化ではなくて、矮小化だ。何故なら人間は自然にまで己を高めるのをやめ、自然を己の身の丈に合わせようとしたからだ。人間的なものをもっぱら考慮したために、自然的なもの(引用者注:「自然的なもの」に傍点)を失ってしまったのだ」(「東方三博士の国」)

 アルトーの西欧文明否定をもっとも端的に示すのは、一九三五年、ファシズムの脅威を前にし、共産党が中心となって開催したあの有名な「文化擁護のための作家の国際会議」に、はっきりと出席を拒否した事実であろう。

  「文化は擁護すべきだとして、そのような文化が現在存在するとは、私には思われません」

 招請状に対する返事(草稿のまま残されることになったが)の中で、彼はこのように言う。すでにナチスは、ドイツ表現主義の代表的詩人エーリッヒ・ミューザムを虐殺し、ベルリンのオペラ広場で二万冊の本を焚書にし、バウハウスの閉鎖を命じていた。しかしアルトーは、そんなことは歯牙にかけない。

  「真の文化は個人の自由の保証などとかつて関係があったことは決してありません。二、三人の人物が失われ、何冊かの本が焼かれたからといって、文化が被害を受けたとするのは、文化を余りに過小評価するものです」

 アルトーがメキシコで求めたのは、このようなもっともラディカルな意味での文化だったのである。」

「ところでメキシコ旅行のみならず、彼の一生はつねに不可能を求めることに終始したのではなかったか? 彼は失われた生を回復したか? 真の文化をヨーロッパによみがえらえせたか? 呪術と一体化した演劇をつくり出すことができたか? すべて否である。彼はあらゆる場所で挫折した。その挫折は、彼自身ではなく、人間の条件そのものから来ている。それゆえ彼の偉大さはこうした結果の中にはない。彼の偉大さは、そのような生に対する渇きの激しさ、その渇きに対する忠実さ、その渇きを癒やそうとする不屈の意志の中にある。」

「アルトーの狂気は、今日偽りの世界から出る手だてがわれわれには全く残されていないことを、ただ狂気の中にしか残されていないことをもっとも鋭い形で示しているのである。」



J・M・G・ル・クレジオ「呪縛された人」より:

「アルトーには暴力(ヴィオランス)への情熱、ドラマと血の趣味、つまり演劇の原初の力にたいする趣味がある。だがこの演劇は外的なものでなく、何かの表現でも、何かの意味(メッサージュ)でもない。野生人のみのための野生の人生のデッサンである。
 残酷と血の危険で試錬的な魅惑。アルトーの顔を蝕んだのもそれだ。彼はその狂気を知り、極限にまで行かなければならない、たとえそれが不可能で、警察的、偽善的で、しかも甘ったるい西欧社会が彼を受けいれず、あらゆる反則の試みが妄想に変えられてしまうことを知っていても。」




ユリイカ アルトー 03



ユリイカ アルトー 04



ユリイカ アルトー 05






















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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