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北道邦彦 編・訳 『知里幸惠の神謡「ケソラプの神」「丹頂鶴の神」 三つの「この砂赤い赤い」』

「或日に/流れをさかのぼって/遊びに/出かけたら、/悪魔の子に/出会った。/何時でも/悪魔の子は/様子が美しい/顔が美しい。」
(知里幸恵 『アイヌ神謡集』 「この砂赤い赤い」 より)


北道邦彦 編・訳 
『知里幸惠の神謡
「ケソラプの神」
「丹頂鶴の神」 
三つの「この砂赤い赤い」』



発行者: 北道邦彦
2001年6月30日 第1刷
1p+149p 
A5判 並装
表紙絵: 田中幸子


「本書は、財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構から、平成13年度の出版助成を受けて発行されたものである。」



本書は2001年に「正誤表」付の第2刷が、2005年には北海道出版企画センターから関連資料を増補した新版が刊行されています。



知里幸恵の神謡



目次:

第Ⅰ部 神謡「ケソラプの神」「丹頂鶴の神」
 解題
 知里幸惠略年譜
 凡例
 本文・注釈
 補注

第Ⅱ部 三つの神謡「この砂赤い赤い」
 解題
 凡例
 本文

三つの神謡「この砂赤い赤い」単語一覧
神謡「ケソラプの神」「丹頂鶴の神」句索引

『女学世界』に載った幸惠の紹介記事
『女学世界』掲載記事・解説と幸惠日記

あとがき




◆本書について◆


本書第Ⅰ部は知里幸恵のノートに残された二篇の神謡(アイヌ語をローマ字表記したもの)に編著者が日本語訳・原文のカタカナ表記・注釈を施したものです。
「ケソラプの神」は、「孔雀などをイメージしたアイヌの空想上の霊鳥」(本書「注釈」より)「ケソラプ(Kesorap)」の子が人間の「オキクルムイ(Okikurmuy)」の養子になって、オキクルムイはケソラプの子の「立派な羽(kanirapu)」で交易し、「送り月(iyomante cup)」になるとケソラプの子は弓で射られて「神の国(kamuy-mosir)」に送り返される、という内容(「Okikurmuy」補注より:「知里幸惠ノート第一の自注に、「御存じで御座いましょうがこの kamuy yukar カムイユカラというものは大概オキキリムイの事を物語ったもので御座いまして、(中略)地方によっては(大抵の地方)オキキリムイでなくサマヱンクルとかサマユンクルとかを尊んでいるところもあります。そして、オキキリムイを知恵の浅いあわて者のように言いますが私の方では反対にサマユンクルを馬鹿者として居ります。私の地方のが間違っているという人もありますが何うかわかりません。」とある。」/「iyomante cup」注釈より:「普通は熊祭りのことをさすが、熊だけに限らない。人間に食べ物を与えるためにやってきた動物を、イナウ(木幣)や団子などのみやげものをたくさん持たせて、本来の国へ返してやるというのがアイヌの伝統的な神聖な儀式。cup チュプは「月」の意で、「送り月」の語は注目される。小川正人氏の「文献に見る近代イオマンテ史年表」(『アイヌ文化の現在』)の1869年から1994年までの100例を見ても、イヨマンテが行われた月はほぼ12月から3月までの冬期間が多い。しかし「送り月」が特定されていたとは限らない。」/「kamuy-mosir」注釈より:「カムイモシリ 神の国。aynu-mosir アイヌモシリ(人間の国)に対することばだが、神の国でも神たちが人間と同じように生活していると考える。」)です。
「丹頂鶴の神」は、人間の世界の山の上で刀のさやの彫刻に没頭していた「丹頂鶴の神(Saroruy tono)」が、退屈して外へ出て国見をして思わず「大きな鳴き声(tan ruy wose 「ウオーと吠えるような声をあげる」)」を出したので、びっくりして怒った人間の「トヤラサルシ(toyarasarus)」と「ウェナラサルシ(wenarasarus)」に胴体をばらばらにされてしまう。ここまでが前半で、後半はその話を聞いた丹頂鶴の神の兄(天国の山の上で刀のさやの彫刻に没頭していた)が人間の世界へ降りていって仇をうち、弟を救う話です。
「解題」では知里幸惠が残したノートの概要を、幸惠の両親への手紙を引用しつつ解説しています。
「幸惠が歌った最後の神謡2編が、クジャクになぞらえられるケソラプの神と丹頂鶴の神であったことは興味深い。どちらも美しい大型の鳥である。ロマンチックな鳥である。幸惠の書いた神謡は、どれもが選び抜かれた題材であり、それらはアイヌ民族にとって重要な意義をもつものである。そしてまた、若い娘のもつ美的感覚のフィルターを通して厳選されたものであったように思われる。」

第Ⅱ部は神謡「この砂赤い赤い」の三つのヴァージョンを比較対象しています(アイヌ語原文のローマ字表記・日本語訳・原文のカタカナ表記)。
「第1(A)は、1920(大正9)年から翌年にかけての冬季間に、幸惠の母校、旭川区立豊栄尋常小学校長だった佐々木長左衛門の依頼を受け、神謡1編と遊びうた2編を書いたもののうちの作品である。習い覚えたばかりのローマ字によってアイヌ語を書き、それに日本語訳をつけたもの(中略)。」
「第2(B)は、1921(大正10)年4月に、本書第1部解題で説明したように、金田一へ最初に送られた「ノート第一」のなかに書きつけられた作品である。」
「第3(C)は、1921(大正10)年秋以後、翌1922(大正11)年3月までに、出版のために改めて執筆されたもので、『アイヌ神謡集』の第11話として発表された。」

「解題」では「ユーゴスラヴィアの叙事詩の研究を通して、古代ギリシャの英雄叙事詩がどんな形態の文芸であったかを明らかに」した Albert B. Lord の『The Singer of Tales』の序文を引用しつつ(原文と編著者による日本語訳。この部分は誤記が目立ちます)、アイヌの歌い手たちもまた「伝統の上に立った創造的芸術家」であり、「かれらは常套句や常套的表現の上に立っているとはいっても、それを固定的に使っているのでもなく、他人のものをそのまま使用するのでもなく、常に自由な形で自在な改変をくりかえしながら使っていく創造活動に携わっているということ」を主張しています。

巻末には単語一覧と句索引、「女学世界」1922(大正11)年9月号掲載の知里幸惠紹介ページの影印と、それに関する幸惠の日記の引用、「あとがき」、さらに「飾り」として「この砂赤い赤い」を読み聞かせた小学生が描いた絵(カラー図版)3点が掲載されています(扉ページにもカラー図版1点)。






こちらもご参照ください:

知里幸恵 編訳 『アイヌ神謡集』 (岩波文庫)
久保寺逸彦 『アイヌの文学』 (岩波新書)
高津春繁 『ホメーロスの英雄叙事詩』 (岩波新書)
平野敬一 『バラッドの世界』
















































































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