FC2ブログ

ギュスターヴ・フローベール 『ブヴァールとペキュシェ』 菅谷憲興 訳

「そもそも、世間など一つの幻想、一つの悪い夢ではなかろうか? なるほど全体として見れば、繁栄と不幸とはつり合いが取れているのかもしれない? だが、人類の幸福は個人の慰めとはならない。「それに他人のことなどどうだっていいじゃないか!」とペキュシェは口にするのであった。」
(ギュスターヴ・フローベール 『ブヴァールとペキュシェ』 より)


ギュスターヴ・フローベール 
『ブヴァールとペキュシェ』 
菅谷憲興 訳



作品社
2019年8月25日 初版第1刷印刷
2019年8月30日 初版第1刷発行
518p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,600円(税別)
装幀: 水戸部功



本書「解説」より:

「最後に強調しておきたいのは、「結末」と題された第Ⅻ章の驚くべき現代性である。医師ヴォコルベイユが県知事に宛てた手紙をたまたま発見した二人の主人公が、そこで語られている自分たちの物語を書き写すというエンディングは、現代の前衛小説によく見られる「自己言及性」の仕掛けを先取りしつつも、はるかに超越しているといえないだろうか。ブヴァールとペキュシェが狂人ではなく、「無害な愚か者」にすぎないことを証明する語りを、思考をいわば停止することで受け入れる二人の姿は、逆説的な聖性をおびているといっても過言ではない。ちなみに、「セナリオ」の最後に記されている「すべてのもの、善と悪、美と醜、無意味なものと特徴的なものは等価である」という言葉は、スピノザの思想を自由にアレンジしたものであり、『聖アントワーヌの誘惑』の悪魔のセリフにも出てくる言葉である。人間が作り出すカテゴリーや分類が意味を失う世界に、アントワーヌ同様、ブヴァールとペキュシェも入りこんだといえようか。」


脚注に参考図版17点。巻末に地図5点。

新訳が出たのであらためてよんでみました。フローベールはたいへん興味深いです。この小説は二人の筆耕が出会って、農業から政治まで、哲学からオカルトまで、恋愛から教育まで、本をよんでいろいろ実践してみるもののどれも挫折して、結局筆耕(=書かれた文字をコピーすること)に戻るという話です。
そこで「筆耕」とは何か、ですが、DNAに書き込まれた情報はそれに基づいてなにかをするためのものではなくて、人間はひたすらDNAそのものをコピーして伝えるためにのみ存在する、そういうことなのかもしれないです。



フローベール ブヴァールとペキュシェ 01



目次:

ブヴァールとペキュシェ
 Ⅰ
 Ⅱ
 Ⅲ
 Ⅳ
 Ⅴ
 Ⅵ
 Ⅶ
 Ⅷ
 Ⅸ
 Ⅹ
 Ⅺ
 Ⅻ

解説
あとがき

関連地図




◆本書より◆


「Ⅰ」より:

「お互いに相手の言うことを聞きながら、忘れていた自分自身の一部を思い出す。そして、(中略)新たな喜び、心が綻びるような感覚、芽生えたばかりの愛情の魅力を感じていた。」
「そして、二人とも筆耕だということが分かると、驚きで両腕を持ち上げ、テーブル越しに抱き合わんばかりであった。」


「Ⅱ」より:

「人付き合いに嫌気がさした彼らは、もうこれからは誰にも会わずに、ひたすら家の中で、自分たちのためだけに生活しようと決意した。」


「Ⅲ」より:

「「科学なんて、空間の片隅から得られるデータに基づいているものなんだな。おそらくそれは、もっと広大な、我々には発見できない未知の領域には当てはまらないのかもしれない」
 二人はこのように、築山の上に立ったまま、星の光を浴びて語り合っていた。時々会話が途切れ、長い沈黙が続く。
 最後に彼らは、星にも人間はいるだろうかと自問した。どうしていないはずがあろうか? 創造物には調和というものがある以上、シリウスの住民はとてつもなく大きく、火星の住民は中くらいで、金星にはとても小さな人間がいるに違いない。もっともそれも、いたるところ同じでなければの話ではあるが? 彼方の世界にも商人や憲兵がいて、密売をしたり、相争ったり、王位を簒奪したりしているのかもしれない!……
 流れ星がいくつか、巨大な火箭のような放物線を描きながら、不意に天空を横切った。
 「おや!」とブヴァールが言う。「こうやって世界が消えてなくなるんだね」
 ペキュシェが答える。
 「もし次は地球がとんぼ返りをしたって、星々の住民たちは、今の我々以上に動揺することもあるまいよ! (中略)」
 「こういったことすべての目的は何だろう?」
 「きっと目的などないんじゃないかい?」
 「しかし!」さらにペキュシェは二、三度「しかし」と繰り返したが、何も言うことが見つからなかった。「構うものか! とにかく、宇宙がどのようにして作られたのかを知りたいものだ!」」

「「いいや! 言わせてください!」すっかり熱くなったブヴァールは、人間は猿の子孫だと言ってのけた!
 教会財産管理委員たちは、誰もがびっくり仰天して、自分たちが猿ではないことを確かめるかのように顔を見合わせた。
 ブヴァールはさらに続けた。「人間の女性の胎児を、牝犬と鳥のそれと比べてみれば……」
 「もうたくさんだ!」
 「私に言わせれば、それどころではありませんな!」とペキュシェが叫んだ。「人間は魚の子孫です!」」



「Ⅳ」より:

「ところで、土墳とは何を意味しているのだろう?
 そのいくつかに納められている骸骨は、母親の胎内における胎児のような姿勢をしている。このことは、墓が死者たちにとって、もう一つの生を準備する第二の懐胎のようなものだったことを示している。それ故、立石が男性器であるのと同様、土墳は女性器を象徴しているのだ。」
「かつては塔も、ピラミッドも、蠟燭も、道路の標石も、樹木さえもが、男根を意味していた。すると、ブヴァールとペキュシェにとっては、すべてが男根になった。」

「読書の間、微風が四阿のブドウの枝をそよがしていた。実った大麦が穂を揺らし、時々ツグミの鳴く声がする。彼らは周囲を見回して、この静寂をしみじみと味わうのであった。」



「Ⅶ」より:

「陰鬱な日々が始まった。
 後でまた失望するのではないかと思うと、もう何も研究する気が起きない。シャヴィニョールの住人たちは彼らに寄りつかなくなった。新聞も、刊行を許されているものは、何一つ情勢を教えてくれない。二人は深い孤独感に苛まれ、完全に暇をもて余していた。」
「こうして、二人は田舎のあの倦怠の中で暮らしていた。真っ白な空がその単調さで、希望をなくした心を押しつぶす時には、この倦怠はとりわけ重苦しく感じられるものだ。誰かが壁に沿って歩く木靴の音や、雨滴が屋根から滴り落ちる音が聞こえてくる。時々、枯葉が窓ガラスをかすめては、くるくる旋回し、またどこかに飛んで行く。弔いの鐘のかすかな音が、風に運ばれてくる。家畜小屋の奥で、牝牛が鳴く声がする。
 お互いに向かい合ったまま、あくびをしたり、暦を調べたり、時計を眺めたりして、食事の時間になるのを待った。それに、地平線の眺めはいつも同じである! 正面には畑、右手には教会、左手にはポプラの並木。その梢は霧の中で、絶えず物悲しげに揺れ動いている!」



「Ⅷ」より:

「とはいえ、我々の中にも、芳香性の管を備えている者が何人かいる。つまり、頭蓋骨の後ろにあり、髪の毛から惑星まで伸びている管のことで、これを通して土星の精霊たちと会話することもできるという。触知できないものが現実でないとは限らない。地球と惑星の間には、往復運動、伝達、絶えざる交流が行われているのである。
 すると、ペキュシェの胸は激しい憧れにふくらんだ。夜になると、ブヴァールは、友が窓辺に立ち、精霊に満ちあふれた光輝く天空を眺めているところを見かけた。」

「どうやったら魔術師になれるのか? この考えは初めは突拍子もないものに思われたが、それでも彼らにつきまとい、悩ませた。そこで冗談にまぎらしながらも、実践してみることにした。」

「彼らの生き方は他の連中とは異なっており、煙たがられていたのである。いかがわしい存在だとされ、漠とした恐怖を吹き込んでさえいた。」

「今度はペキュシェが割って入った。
 「悪徳だって、洪水や嵐と同様に自然の特性ですよ」
 公証人がその言葉を遮った。(中略)
 「あなた方の体系はきわめて不道徳だと思いますね。あらゆる放埓を助長し、犯罪を許し、罪人をかばうものじゃないですか」
 「まさにその通り」とブヴァールが言う。「欲望に従う不幸な人間も、理性に耳を傾ける紳士と同様、自らの権利をまっとうしているのです」
 「怪物を擁護するのはおやめなさい!」
 「なぜ怪物なんです? 盲人や、愚か者や、人殺しが生まれると、我々にはそれが無秩序に思われる。あたかも我々が秩序の何たるかを知っており、自然がある目的のために動いているかのようじゃありませんか!」
 「すると、神の摂理を認めないのですか?」
 「ええ! 認めませんとも!」」

「ブヴァールとペキュシェは他にも機会をつかまえては、唾棄すべき逆説を述べて回った。男の誠実も、女の貞淑も、政府の知性も、民衆の良識も疑ってみせ、一言でいえば社会の基盤を突き崩していたのである。」
「そもそも、世間など一つの幻想、一つの悪い夢ではなかろうか? なるほど全体として見れば、繁栄と不幸とはつり合いが取れているのかもしれない? だが、人類の幸福は個人の慰めとはならない。「それに他人のことなどどうだっていいじゃないか!」とペキュシェは口にするのであった。」

「気分を立て直そうと、彼らは無理やり理性に従って、仕事を自らに課してみたものの、すぐにいっそう強い無気力、深い落胆に陥ってしまった。」
「そして二人は、自分たちが幸福だった頃のことを思い出した。(中略)ある深淵が彼らをそこから隔てていた。何か取り返しのつかないことが起きてしまったのだ。
 かつてのように野原を散歩しようとして、遠くまで行きすぎ、迷ってしまった。空には小さな雲がわいている。燕麦の穂が風に揺れ、牧場に沿って小川がさらさらと流れている。その時、不意に悪臭が鼻をついて、足をとめた。すると茨の間の小石の上に、犬の死骸が転がっているのが目に入った。
 四肢は干からびていた。口元は引きつり、青みがかった唇の下から、象牙のような牙が覗いている。腹のあたりで土色の塊がぴくぴく動いているように見えるのは、蛆虫が蝟集しているのである。」
「これを見ながら、ブヴァールは額に皺をよせ、目に涙を浮かべていた。ペキュシェは毅然として、「我々もいつかはこうなるのさ!」と言った。
 死の観念が彼らの心をとらえた。」
「結局のところ、死など存在しない。霧の中、そよ風の中、星々の中に人は散って行くのである。木の樹液や、宝石の輝きや、鳥の羽毛のようなものになるのかもしれない。自然が貸してくれたものを返すだけのことだし、我々の行く手に広がっている虚無にしても、我々の背後にある虚無より恐ろしいというわけではない。」



「Ⅹ」より:

「こうして、彼らの手掛けたものはことごとく水泡に帰した。
 二人はもはや人生には何の関心も抱いていない。
 各々ひそかに温めてきた良いアイデア。互いに隠してはいるが、時折それが頭に浮かぶと、思わずほくそ笑む。やがて同時にそれを打ち明ける。筆写(コピー)をしよう。」
「書台が二重になった仕事机の製作(中略)。
 帳簿、文房具、艶付け用の樹脂、字消しナイフ等の購入。

 彼らは仕事にかかる。」







こちらもご参照ください:

フローベール 『聖アントワヌの誘惑』 渡辺一夫 訳 (岩波文庫)
フロベール 『サランボオ』 神部孝 訳 (角川文庫) 全二冊











































































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本