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種村季弘 編 『東京百話 人の巻』 (ちくま文庫)

「「物心ついてからこの方、百年間、医者に見てもらったのは去年が始めてじゃ……さよう、あれは三十代のころかな、馬から飛降りる拍子に、左の膝(ひざ)を怪我したのじゃ、その時、抜けた関節を、自分ではめ込んで、歩いて帰った。その痛みが、七十余年後の今日(こんにち)出たので、去年、医者に見てもらったのじゃ。」」
(白石実三 「西ヶ原貝塚」 より)


種村季弘 編 
『東京百話 
人の巻』
 
ちくま文庫 た 1-5


筑摩書房
1987年2月24日 第1刷発行
1987年11月5日 第2刷発行
459p
文庫判 並装 カバー
定価700円(本体680円)
装幀: 安野光雅
カバー装画: 安野光雅「黄金街道」(講談社)より



アンソロジー全三冊。



種村季弘 東京百話 05



カバー裏文:

「昭和の東京について書かれた名エッセイ(短篇小説)を選りすぐり〈天〉〈地〉〈人〉の3冊にまとめるアンソロジー。――芸者、芸人、職人と、東京をいろどる人々。さらに、大都市ならでは存在しえない奇人変人たち――本巻では、〈職人・商人〉〈芸人〉〈遊び人〉〈怪人奇人〉〈文士・学者・画家〉〈女たち〉〈庶民〉などを収録する。」


目次:

1 職人・商人
 竿忠の家 (海老名香葉子)
 松本兼吉のこと (内田栄一)
 豆腐屋のお父さん (庄野潤三)
 斎藤銀造伝 (加太こうじ)
 繊細の妙 (中村雄昂)
 さぶ (山口瞳)
 車中の皆様 (向田邦子)
 消えた来世の古本屋 (結城信一)
 ある古本屋 (山田風太郎)

2 芸人
 百面相貞丈 (金子光晴)
 喜劇役者の頭髪 (吉村昭)
 路地の痴話 (宇野信夫)
 柳一という芸人 (林家彦六)
 旗本くずれの噺家・古今亭 (吉川義雄)
 実在する「つるつる」の旦那 (桂文楽)
 泥棒だってしてらァ! (大西信行)
 零落 (宇野信夫)
 寄席 (結城孫三郎)

3 遊び人
 ある亡友 (野尻抱影)
 浅草なつかしい人・なつかしい店 (益田喜頓)
 不良少年今昔記 (佐藤節)
 僕の浅草 (サトウ・ハチロー)
 トニー谷とお祭りの辰 (野一色幹夫)
 博奕場を見る (宇野信夫)
 奥山の大締め師金井兼信 (坂野比呂志)

4 怪人奇人
 変装狂 (金子光晴)
 浅草の乞食 (岡野イネ子)
 西ヶ原貝塚 (白石実三)
 蘆原将軍・ラッパ節の事 (徳川夢声)
 蘆原将軍考 (種村季弘)
 元横綱の眼 (吉村昭)
 説教強盗の春秋 (小沢信男)
 阿部定事件予審調書 (阿部定)

5 文士・学者・画家
 菊池先生の憶い出 (古川緑波)
 空點房 (内田百閒)
 四霊会 抄 (内田百閒)
 甲斐先生の思い出 (谷川晃一)
 会津八一 (結城信一)
 ゆでたまご (森銑三)
 阿佐ヶ谷案内 (上林暁)
 古き日のこと (伊藤整)
 一平、かの子、太郎 (川口松太郎)
 菊富士時代 (広津和郎)

6 女たち
 枯葉 (山本嘉次郎)
 東京マネキン倶楽部 (丸山三四子)
 宮崎モデル紹介所 (勅使河原純)
 榎稲荷 (獅子文六)
 柳橋のモダン芸者 (榎本よしゑ)

7 庶民
 汁粉の殿様 (野尻抱影)
 クマさんと酎ハイ (田中小実昌)
 おでんや 刺青 家主 (内田栄一)
 夜の占 (三島由紀夫)
 鬼子母神そばの家の人 (中野重治)
 茶番 (池田弥三郎)
 ちちははの記 (小沢信男)
 横丁の粋人 (沢村貞子)
 わがまち・消えた野球場 (片山健)
 善人ハム (色川武大)

編者あとがき
 誰でもない人まで (種村季弘)




◆本書より◆


「編者あとがき」より:

「『東京百話』昭和篇と看板を上げながら、人の巻に限っては時代区分では割り切れない明治大正が混入してくる。個人の寿命はかならずしも歴史的時代区分と一致しないからである。明治人、大正人は、すくなくとも戦前の東京には大震災の区切りをすり抜けて生き永らえていた。(中略)七十年に近い昭和という時代には実にさまざまの世代の人が押しひしめいていたのだった。」
「生き永らえた前代の人びとは、どことなくノアの大洪水以前の生き物を思わせる。どこか珍妙で滑稽ですらあり、それでいて冒すべからざる巨人的な偉大さの風格がある。いずれにせよガラリと一変したご時世に違和感があり、ことごとに新時代とは肌が合わないので、言行がいちいち時代錯誤的にならざるを得ない。ご当人の望むと望まざるとにかかわらず、新世代からは奇人とそしられ変人と嘲笑われる。別段、その人自身が奇を衒(てら)ったのではない。彼は旧い生き方にひたすら忠実だっただけなのに、時代背景の方が動いてしまったので、新世代の方から見ると彼らのまっとうさが奇矯に見えた。」

「そして誰もいなくなった。存在自体が個性的であるような人物はもはやいない。」
「そして誰もいなくなったその後には、誰かである人はいなくても、誰でもない人が登場してくる。けだしそれは、近代の進化論が予想した、人間の死の後にくる超人ではあるまい。誰でもない人(ニーマント)は中世のフォークロアの世界からよみがえって、現代の情報ネットワークにわるさを仕掛ける悪戯(いたずら)者である。」



「浅草なつかしい人・なつかしい店」(益田喜頓)より:

「浅草に出てきた当初、「ハトヤ」という喫茶店でブレックファストをとるのが習慣だったことはもう書いたが、この「ハトヤ」にまつわる話はいくらでもある。」
「この「ハトヤ」に、スリの少年が毎日のように姿を現した。といっても、貧乏な役者や裏方衆のフトコロ狙(ねら)いなどという、不心得が目的ではむろんない。客として、コーヒーを飲みにくるのである。(中略)身なりもきちんとしており、年のころは十三、四歳といったところ。(中略)いかにも利発そうな目鼻立ちからは、六区の劇場を縄張りにする巾着切(きんちゃっき)りにはとうてい見えない。
 この巾着切りの坊やは、たいへん変わっているところがあった。食事といったら豆腐しか食べないというのだ。(中略)この子の場合、豆腐好きというより、豆腐以外の食い物はいっさい嫌いというのだから、驚くというより不思議な子供だ。(中略)豆腐食いの巾着切り坊やは、腕前のほうは大したものらしかった。(中略)戦利品を見せるようなことはなかったが、(中略)「今日はよかった」とか、「まあまあだったよ」と、天気の話でもするような調子で戦果を披瀝していた。
 ある日のこと、
 「まいっちゃったよ、こんなものをやっちゃったんだ」
 片方の手で頭をかきかき群れいる客の前に披露したのは、なんと警察手帳ではないか。スリの現行犯を挙げようと、劇場内に張り込んでいた刑事からスリ取ったというわけだ。」
「居合わせた裏方のひとりが、「ばかやろう、そんな金にもならないもの、スッてくるやつがあるかよ」と言った。「わかったよ、じゃ、戻してくる」こう言うなり店を飛び出していったのには、皆あっけにとられるばかりだった。」



「変装狂」(金子光晴)より:

「世にはへんてこりんな癖のある人物がある。癖のこうじたものを狂という。その人は、永尾某という、僕よりは二十四五歳も年上の人で、その人が死んでから三十年になる。職業もよくわからない。どういう素性の人なのかもききそこねた。どうして知りあいになったかというと、その人とは、牛込肴町のトモさんの家で知りあった。このトモさんも、大弓場をあるいて、いろいろ手つだいをしているというだけで、なにを、どういろいろなのか、よくわからない。」
「彼の癖は、風体を変えることだった。どこからその衣裳を手に入れるのかしらないが、支那服を着ていたかとおもうと、ハッピ、もも引姿で、吉原でドブさらいをしている。なんとかいう吉原の幇間(ほうかん)に、先生は「奴(やっこ)、奴、あげ板の下の泥(どろ)をかいときな」などと言われて、「へい、へい」とつかい廻されながら、内心は騙(だま)しおおせた変相の効果に、ほくほくとしているといったお人だった。」
「永尾先生は、いまでいうちんどんやのような仕事にやとわれてもいた。横浜の開港記念の仮装行列には、鉛筆の広告で、一ダース十二人が、鉛筆の中に入ってあるく一人にやとわれたし、向島の花見には、乞食の痴漢に扮装して、娘っ子たちをいやがらせて、遂に、拘引されてしまった。最後にみかけたのは、飯田ばしのそばの江戸川の下流で、泥水のなかに腰までつかって、なにかさがしていた。声をかけたが、きこえたか、きこえなかったのか返事もしなかった。」
「どういう人だか、さっぱりいまだにつかめないが、とにかく奇人ではあった。トモさんの話によると、大へん学問のあるえらい人で、大学で英語を教えていたこともあるが、あたまがすこしへんになってつかいものにならなくなったのだというのだが、明治に、よくあった、ちょっとした不平から世のなかをすねたというような人のようでもある。そういう人間はたくさんいたが、だいたい、いまから考えるとぜいたくな人たちだ。先生はずいぶん、言うことすることはヒワイだが、女の問題なんかはなかったようだし、一面、へんに清潔な感じのする人だった。もっとも、あれでは女の方から閉口して、よりつかなかったのかもしれない。」



「浅草の乞食」(岡野イネ子)より:

「私の知っている浅草の乞食は、今から五十年近くも前の、私の子供の頃の乞食である。」
「台所に廻り、毎日女中さんから食物の残りを貰(もら)ってゆくのだから、文字どおりの乞食さんだ。」
「イーさんという乞食さんが毎日きていた。
 外で会うと「イー」といって笑うので「イーさん」といっていた。
 雲の上を歩くように、フワフワととび上がって歩くので、おしゃまだった私は、
 「イーさん、どうしてそうやって歩くの?」
 ときいてみた。その返事がたまらなくよい。
 「おなかがすいて、足が地へつかないとこなんです」」



「西ヶ原貝塚」(白石実三)より:

「「西ヶ原の貝塚といっても、ごらんのとおり住宅地になりましてねえ、でも雨降りの日は、今でも貝や、鹿、猪(いのしし)の骨で、界隈(かいわい)が真白になりますよ。学者連が、車に三台も積んでさらって行ったあとがまだこうですからね、おまけに、その貝の層が、実に深井。貝塚として完全に保存されているのは、この寺の境内だけですが、発掘したら、貝の層は何十尺の厚みでしょう。その証拠には、ごらんなさい、この庭の地盤は、樹の根を受けつけないで、皆な撥(は)ね返してしまうので、樹がこんなに痩(や)せています。」
 「つまり、それだけ長く、アイヌがここに住んで、貝を喰べたわけですね。ところで、この近所から亜炭の出るところは、ありませんか。」
 「よくご存じだ! 掘ってはみませんが、この辺から王子へかけて、地下に埋れ木があるという言伝えがあります。」
 それは、古代の大森林が埋もれていたんだ。その森に棲んだ鹿や熊や猪をとって、多数のアイヌは、この辺に何千年となく生活していたのだ。」



「夜の占」(三島由紀夫)より:

「中に何一つ当てず、何一つまとまったことを言わずに、百円をふんだくった占師がいる。五十恰好の婆(ばば)あである。目つきが大そうジプシイじみている。」
「「お前さんは利巧そうにみえて、実は利巧ではない。他人もお前さんを頭がよいと思っているが、頭がよさそうにみえて、実はそうじゃない」
 「つまり頭が悪いんだね」
 婆あは、イヒヒヒという笑い方をして、上目づかいに私を見つめてうなずいた。」



「ちちははの記」(小沢信男)より:

「先日、老父から電話が掛かった。巣鴨の寺に墓参にゆくから、その帰りにおまえの家に寄るという。(中略)父には私にたいする固定観念があって、墓参などにさそっても、つきあうはずがないと思っており、じっさい私は、歩いてもいけるその寺へ、行ったこともなかったのだ。だが、寄る年波の老父の足許が気がかりだから、このときは私から同道を申し出た。そうして一緒に寺にゆき、何度きても迷うものらしい墓地のなかのその墓を、やっと探しあてた。すると父は、やにわに「山田さん、ごぶさたしました。小沢が参りました」大きな声で挨拶して、まめまめしく墓の掃除などをはじめたのだった。
 そういえば亡母の墓の前でも、なにか呟(つぶや)く癖があったようだが。どうしてそんな大声だすのかと私が訊(たず)ねると、父はてれくさそうに答えた。「山田さんは耳が遠いからな」」








こちらもご参照ください:

種村季弘 編 『東京百話 天の巻』 (ちくま文庫)
イーディス・シットウェル 『英国畸人伝』 松島正一・橋本槇矩 訳 (新装版)
馬場あき子 『世捨て奇譚 ― 発心往生論』 (角川選書)
伴蒿蹊 『近世畸人伝』 森銑三 校註 (岩波文庫)
料治熊太 『谷中安規 版画天国』 (双書 美術の泉)






























































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うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

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