塚本邦雄 『眩暈祈祷書』

「一穂の黒穂となつて一群の青麦を亡ぼすため、一粒の種の中の麦芽は、やうやくその昏睡から覚めようとしてゐた。」
(塚本邦雄 「麦芽昏睡」 より)


塚本邦雄 
『眩暈祈禱書』


審美社 
昭和48年7月5日 印刷 
昭和48年7月11日 発行
293p 
四六判 
丸背布装上製本(背・角バクラム) 
貼函 本体ビニールカバー 
定価1,200円
編纂装釘: 政田岑生



本書「跋」より:

「「水葬物語」より「星餐圖」までの七歌集から、イエスもしくはキリスト、さらにはキリスト教的世界を主題とした作品二百五十首を年順に選出綜合して、ここに「眩暈祈禱書(げんうんきたうしよ)」と題する選集を編んだ。」


天使像が薄く印刷された用紙に一頁一首組。正字・正かな。


塚本邦雄 眩暈祈祷書 01


帯文:

「現代の定家と呼ばれる塚本邦雄にとって、唯一つの〈弱点〉は何か。戦後短歌の巨星が、己れの弱点としてのイエスに、半生の想いをこめて切々たる思慕を明かす二十世紀末における逆説的〈キリスト讃歌〉の美的結晶。」


塚本邦雄 眩暈祈祷書 02


帯背:

「塚本邦雄――
反雅歌の献祷」



目次:

作品
麥芽昏睡

塚本邦雄著作目録



塚本邦雄 眩暈祈祷書 03



◆本書より◆


かの國に雨けむる朝、わが胸のふかき死海に浮くあかき百合

しかもなほ雨、ひとらみな十字架をうつしづかなる釘音きけり

湖の夜明け、ピアノに水死者のゆびほぐれおちならすレクィエム

アルカリの湖底に生(あ)れて貝類はきりきりと死の螺旋に卷かれ

遠い鹹湖の水のにほひを吸ひよせて裏側のしめりゐる銅版畫

森かげにただよふ破船、そのくらき内部にひくく祈禱ひびけり

殺戮の果てし野にとり遺されしオルガンがひとり奏でる雅歌を

ここを過ぎれば人間の街、野あざみのうるはしき棘ひとみにしるす

錘(おも)りつけしごとき睡りの中に戀ひ妬む水の上歩みしイエス

賣るべきイエスわれにあらねば狐色の毛布にふかく沒して眠る

六日のあやまちのため一日安息日あり なまぐさき純白の獨活(うど)

われら遲遲と神より離(さか)る七月のある日馬陸(やすで)の足かがやくも

鶉の卵もちて春夜の地下鐵に搖られをり 墳孔(はかあな)のうちなるめざめ

復活祭(イースター)まづ男の死より始まるといもうとが完膚なきまで粧(けは)ふ

毒舌のすずしき夏を聖ラザロ寺院の鐵の扉のつばさ



「麥芽昏睡」より:

「キリストにかつても今も關りはない。もとより神、唯一超越神を信じたこともない。私が會つたのはナザレ生れの靑年イエスであつた。」

「ほとんど完璧とも思はれる邦譯韻文體のバイブルは、私にとってこの上なくうつくしい詭辯をちりばめた悲劇の書であり、おくれて出會つた舊約は絢爛たる惡意に彩られた異國の繪卷物であつた。心傲りつつかつ魂まづしい私は聖書を通じてつひに信仰を得ることなく、他のいかなる古典にもたぐへやうのない詩歌の至美を感受してしまつた。はなはだしい錯覺であり本末顚倒の限りと責められようと、私には返す言葉もなくまたその必要も認めない。」
「エデンの園に始まりゴルゴダの丘に到り、世界の終りの豫言を以て閉ぢられる舊、新約聖書の、どの頁にもどの行にも、はたと息を呑むやうな不條理と矛盾が充ちてゐる。」

「イエスの言動には一つ一つ激しい毒と非合理が含まれてゐることを、すべての信者も知悉すべきである。結構づくめの優良模範修身教典的な要素など四福音書のいづこにもない。そしてそれゆゑに聖書は現代に生きる。」
「政治力の欠如、行動力の不徹底、(中略)しかし私がイエスを愛するのは、そのパセティックな表情のうつくしさに因する。」
「ルカ傳に入ればこの靑年の叡智と狂氣、感傷性と自負心は錯綜交響してさらに異樣である。たとへば癩者を治した後、その評判がむやみに人人の閒に喧傳された結果を第五章には「大いなる群衆、あるひは教を聽かんとし、或は病を醫されんとして集り來しが、イエス寂しき處に退きて祈り給ふ」と傳へてゐる。いかなる卓抜の聖句も及びがたい悲しみの表現であり、私はさしぐむ思ひで愛誦するのだ。「イエス寂しき處に退きて祈り給ふ」これこそ彼の、赤裸な魂のすがたであつたらう。もしいつの日か囘心して私がキリスト教徒になるとしたら、それは閒違ひなくこの一行のゆゑであらう。」

「覺めてゐたのはユダ一人であつた。(中略)ユダは目を反らさない。イエスのかねて望んでゐたやうに、十分に悲創かつ華麗を極めた大團圓の舞臺裝置を進めねばならぬ。自分一人が邪惡の假面をかぶつて奔走しなければ他の弟子の誰に期待できよう。逃亡して出エルサレム記に名を細々と遺したとて、それはこの壯年の神の子の汚名に過ぎぬ。血塗れの身體を衆目に曝した時始めて成就する信仰の秘密を、イエスはその肉の中に胎してゐた。肉破れ血が噴く時、まことの受肉は行はれよう。ユダの謀叛はあへてする自己犠牲であつた。」



「跋」より:

「宗教によつて魂の苦患を癒された經驗を、私は今日までつひにもたなかつた。」
「しかしながら廣義の信仰は、私自身の意識、無意識を問はず、みづからの精神の欠落を充たしめ、あるひは欠落による虚無を透視するためには、關りを拒み得ぬ一つの必然ではあつた。人は究極、信仰から正負いづれかの面において全く自由であることは許されない。」
「その負の面に傾かうとする私の心誌を、イエスによせる愛惜と共感に支へられて綴つたのが、この集の核をなす短歌である。眩暈とは神から目を逸らさうとすることへの辯明であり、含羞のまたの名であつた。祈禱は時として黑彌撒の呪詛に紛ふこともことさらにためらはなかつた。」


 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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