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ミルチャ・エリアーデ+クロード=アンリ・ロケ 『エリアーデ 自身を語る 迷宮の試煉』 住谷春也 訳

「時間から出る、空間から出る経験の現実性を私は信じています。」
「夏至の夜には天が開き、他界を見ることができ、消えることすらできる……。もしこの奇跡のヴィジョンを見るならば、その人は時間から出る、空間から出るのです。永遠に持続する一瞬を生きるのです……。」

(ミルチャ・エリアーデ 『迷宮の試煉』 より)


ミルチャ・エリアーデ 
『エリアーデ 自身を語る 
迷宮の試煉』  
聞き手:クロー=アンリ・ロケ 
住谷春也 訳



作品社 
2009年1月10日 第1刷印刷
2009年1月15日 第1刷発行
293p+1p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価:本体2,800円(税別) 
装幀:ミルキィ・イソベ+明光院花音(ステュディオ・パラボリカ)



本書「訳者あとがき」より:

「『迷宮の試煉』 L'épreuve du labyrinthe の初版は一九七八年、パリのベルフォン社から刊行されました。ここに邦訳したテキストは二〇〇六年にロシェ出版から出た再版で、巻末にはいくつか資料が追加されています。エリアーデのブランクーシ論もロケの「あとがき」も再版で挿入されたものです。」



エリアーデ 迷宮の試煉



帯文:

「20世紀の宗教学と文学において偉大な足跡を残した
稀代の碩学ミルチャ・エリアーデ。

みずからの
精神的遍歴を
赤裸々に語った
名著
待望の翻訳なる!」



帯裏文:

「本書『迷宮の試煉』は、エリアーデが著した日記や自叙伝とともに、この多作な創作者の多面的な実像に光を当てる対談として重要であり、私たち読者も大いに興味を惹かれるはずである。
――本書収録◆奥山倫明
「エリアーデを再読するために」より」



目次:

はしがき (クロード=アンリ・ロケ)

第1章 起源の意味
 名前と家柄
 ドラゴンとパラダイス
 「私はいかにして賢者の石を発見したか」
 屋根裏部屋
 ルネサンスとインド

 中休み

第2章 肝心なインド
 サンスクリットの書生
 ヒマラヤのヨーガ行者
 インドのある詩的真実
 インドの三つの教訓
 永続するインド

 中休み

第3章 ヨーロッパ
 ブカレストに帰る
 栄光を通過して
 大学、〈クリテリオン〉、「ザルモクシス」
 ロンドン、リスボン
 精神の力
 出会い

第4章 パリ、一九四五年
 パリ
 ルーマニア人であること
 祖国、世界

 中休み

第5章 シカゴ
 シカゴの生活
 教授ですか導師ですか?
 アメリカの青年
 神々の未来

第6章 歴史と解釈学
 眩暈と知識
 「歴史のテロル」
 解釈学
 脱神秘の脱神秘化

第7章 歴史家の仕事
 方法:起源から始める
 説明されぬもの
 ノアの方舟

第8章 想像世界の諸相
 宗教、聖
 神話、儀礼、イニシエーション
 聖なる人々
 夢と宗教

第9章 神話とエクリチュール
 神話、文学、叡知
 アニムスとアニマ
 自分の生を書く
 『ムントゥリャサ通りで』

第10章 迷宮の意味

付録と資料
 ブランクーシと神話 (奥山倫明 訳/「訳は『象徴と芸術の宗教学』(ミルチャ・エリアーデ著、ダイアン・アポストロス=カッパドナ編、奥山倫明訳、作品社、2005)より。」)
 年譜

あとがき――ミルチャ・エリアーデの作品のうちに顕れたものと隠れたもの (クロード=アンリ・ロケ)

解説――エリアーデを再読するために (奥山倫明) 
訳者あとがき




◆本書より◆


「起源の意味」より:

「クロード=アンリ・ロケ(以下R◇)幼児期のことではどんなイメージが頭にありますか?
ミルチャ・エリアーデ(以下E◆)最初のイメージは……。私は二歳か二歳半でした。森の中です。私はそこで、眺めていました。(中略)すると突然、目の前に大きな、すばらしい緑色をしたトカゲが現れました。目が眩むようでした。怖くはありませんでしたが、その美しさに、巨大な緑色の生き物に心を奪われて……私は熱狂と怖れで胸がどきどきするのを感じていましたが、しかしそれと一緒に、トカゲの目の中に恐怖の色があるのも見ていました。」
「これは自宅でした。サロンが一つあり、私はそこに入ってはならないことになっていました。(中略)ある日、夏の午後のことで、四時ごろ、家族はおらず(中略)……。私は近寄り、ドアを押してみました、すると開きました。私は敷居を越え、入って行きました……。さて、それは私にとって異常な経験でした。窓のカーテンは緑色で、そうして、夏でしたから、部屋じゅうが不思議な緑色になって、私は葡萄の粒の中にいるような感じがしていました。緑の、金色がかった緑の光線に私はうっとりして、あたりを見回していました。それは本当に一つの未知の空間、あるまったくの別世界でした。これは一回だけでした。次の日にドアを開けようとすると、もう鍵がかかっていました。」

「R◇あなたにとって両性具有(引用者注:「両性具有」に傍点)とは軽い言葉ではありませんね。両性具有のテーマ、それについてあなたはたくさん語りました……。
E◆しかしいつも両性具有(引用者注:「両性具有」に傍点)と半陰陽(引用者注:「半陰陽」に傍点)とは違うという点を強調してきました。半陰陽の場合は二つの性が共存しています。(中略)ところが両性具有が表すのは完全性の理想であって、二つの性は融合しています。それは別種の人間です、別の種類……。そうして、私が重要なことと考えるのはその点です。(中略)私としては、別々な二つの性の中では実現が難しい、もしくはほとんど実現不可能な、完全性をそこに見る両性具有のタイプに心を惹かれるのです。」

「E◆精神の昼のシステムと、精神の夜のシステム。
R◇昼の側に学問、夜の側に詩。
E◆そう。文学的想像力は神話的想像力であり、それは形而上学のもろもろの偉大な構造を見出します。夜と昼、この二者は……。反対の一致(コインキデンティア・オポシトルム)です。大きな全体(アンサンブル)。陰と陽(引用者注:「陰」「陽」に傍点)……。
R◇あなたの場合、一方は学者、他方は作家です。だがその両者は神話の地平で出会う……。
E◆そのとおりです。神話学および諸神話の構造への関心、それはまたこの夜の生命のメッセージを、この夜の創造力のメッセージを解読する欲求でもあります。」

「E◆私は今まで無視されてきたある種の源泉の必要性を感じていました。それはそこに、図書館の中にあり、そこに見出すことができたのですが、精神的にも、文化的にも、当時まったく問題にされていないものでした。人間は、ヨーロッパ人でさえも、カントとヘーゲルとニーチェの人間だけではないのだと私は自分に言って聞かせました。ヨーロッパの伝統の中には、そうしてルーマニアの伝統の中には、ほかにもっと古い源泉があると。ギリシャとは、すぐれた詩人たち哲学者たちのギリシャだけではなく、エレウシスとオルフェウス教のギリシャもある、そうしてそのギリシャのルーツは地中海と古代近東にあると。ところで、同様に古く、先史時代に遡るそうしたルーツのいくつかを、私はルーマニアの民間伝統の内に見出していました。それは忘れられたダキア人の遺産であり、そうして、ダキア人より以前にわれわれの現在の領土に住んでいた新石器時代人の遺産です。」



「肝心なインド」より:

「R◇(中略)この長いインドについての対話の始めに私が取り上げた引用をもう一度取り上げます。《……何が起ころうとも、いつでもヒマラヤの洞窟が私を待っているという確信……。》この洞窟ですが、あなたはそれのことをいつも考えるのですか?
E◆おお、そうです、いつも! それは大きな希望です。
R◇そこで何をするのでしょう? 夢想、読書、執筆、あるいはほかに何か?
E◆もし洞窟がいまも存在するなら、そうしてそれは存在します、(中略)私はいつでも見つけることができます……、ヒマラヤの洞窟、それは自由と孤独です。私はそれで事足りると思います。自由であって絶縁ではない。絶縁したのはいま捨てた世界だけです、捨てたとすればですが……。私のもったのは、とりわけ自由の感覚です。そうしてそれをまたもてるだろうと思います。」



「パリ、一九四五年」より:

「E◆オデュッセウスは私にとって人間の、近代人だけでなく未来人までの人間の原型です。なぜならば、それは駆り立てられた旅人の典型ですから。彼の旅は中心への、イタケへの、すなわち彼自身への旅でした。彼はすぐれた航海者でしたが、しかし運命――言い換えれば彼の克服すべき諸々のイニシエーション的試煉――が家郷復帰をいつまでも遅らせます。オデュッセウス神話は我々にとって非常に重要だと私は思います。われわれはみんな多少はオデュッセウスのように、自分を探し、到達を望み、それから疑いなく祖国を、家郷を再発見することで、われわれ自身を再発見するのです。しかし、迷宮の中のように、巡礼を重ねるうちに自分を失う危険があります。もし迷宮を出て家郷を再発見することに成功すれば、そのとき、人は別の存在になるのです。」

「R◇あなたはブランクーシに、典型的な〈ルーマニア的人間〉を見るのでしょうか?
E◆ええ、ブランクーシがパリでアヴァンギャルド芸術の雰囲気の中で生きていて、それにもかかわらずカルパチア地方の農民の存在様式を捨てなかった、という意味で。彼はカルパチアで見出したモデルに従って自分の芸術的思想を表現しましたが、しかしそのモデルを決して安手のフォークロア調で反復しはしませんでした。彼は再創造し、それらの始源型的なフォルムの発明に成功しました。それが世界を驚倒させたのは、新石器時代伝統の奥深くまで達し、そこに根を、源泉を見出したからなのです……。いま見られるルーマニア民衆芸術からヒントを得るのではなく、その民衆芸術の源泉へ赴いたのです。」

「E◆(中略)どこにも、世界の中心(引用者注:「世界の中心」に傍点)が存在します。いったんこの中心に立つとき、あなたはあなたの自宅(シェ・ヴー)にいるのです、本当に自身の中に、そうしてコスモスの中心にいるのです。世界はあなたがそこに中心をもったらもう決して異境ではなくなる、ということを理解するために、亡命は役立ちます。この〈中心のシンボリズム〉、私はそれを理解しただけでなく、それを生きました。」

「R◇あなたはノスタルジーの人だ、だが幸せなノスタルジーの人だと言っていいでしょうか?
E◆ああ、ええ、それはたいそういい表現です、そのとおりです。ノスタルジーを通じて私は貴重な事物を再発見します。だから私は何も失わない、失われたものはないと感じます。」



ミルチャ・エリアーデ「ブランクーシと神話」より:

「重要なのは、ブランクーシが終生、いわゆる彼が言うところの「飛翔の本質」に取り憑かれていたことである。しかし、彼がこの飛翔する上方への衝動を、まさに重さ(引用者注:「重さ」に傍点)の始源型、あの「物質」の究極形態――すなわち石――を用いて表現することに成功したのは驚くべきことである。ブランクーシが実現したのは、「物質」の変質、あるいはより正確に言えば、対立物の一致(コインキデンティア・オポジトールム)だったと言えよう。」









































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、デレク・ベイリー、森田童子。

好きな芸能人:太田光、鳥居みゆき、栗原類(以上敬称略)、あのちゃん。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。
歴史における自閉症の役割。

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