塚本邦雄 『新古今新考 ― 断崖の美学』

塚本邦雄 
『新古今新考
― 斷崖の美學』


花曜社
1981年10月30日 初版第1刷発行
198p 
四六判 丸背紙装幀上製本
カバー ビニールカバー 
定価2,300円
装幀: 政田岑生



本書「跋」より:

「この著は、新古今集のテキストを、一通り読了し、この詞華集の特徴を掴み得た人人を対象に、特に歌合、六百番・千五百番をクローズ・アップして、この時代の天才達の活躍とその成果、影響力等を論じたものである。殊に、六百番における俊成判詞の複雑にして的確な批評眼に言及するところが多かった。朝日カルチャーセンターにおける講義、一九七九年七月から九月までの六回分を纏めたものである。」


本文は新字・新かな。「跋」は正かな。

講演の記録を元にした著作としては、他に、
『詩歌星霜』(花曜社、1982年8月)
『新古今集新論』(岩波書店、1995年11月)
があります。


塚本邦雄 新古今新考 01


帯文:

「『新古今集』を繙くことは、かつて私個人のひそかな愉しみになっていました。「絶海の孤島に携行する一冊の本」を、私は一時期これに決めて、書斎と呼ぶ孤島の中で、耽読していたことがあります。愉しみ方は種種に変り、様様に揺れ動きました。初めは、例によって、新古今時代代表歌人の作品を気侭勝手に、私一人の好みで抄出し、浄書諳誦することで自足していました。詞華集中の詞華に酔うことは、百花園で花を摘む以上の快楽だったと思います。(本文より)」


本文にはこの後に、

「当代歌人秀歌抜粋が、新古今鑑賞の、ほんの一部であることは論を待ちません。巻首、立春、摂政太政大臣の一首から読み始めて、微妙で豪奢を極めたこの詞の絵巻物の、季節の移ろいを逐い、恋の経緯(たてぬき)、心理の彩をたどり、やがて釈教歌に、救われがたい人間のついの拠(よりどころ)を悟る。萬葉集歌から、新古今集成立時十代の、宮内卿や通光(みちてる)の新作に近い歌まで、ほとんど、一つの題毎に約五世紀の時間の流れを一望する戦慄、これこそ、正統派鑑賞方法の随一であると信じます。」

とあります。


目次:


なぜ『新古今』か=序にかえて
 ヨーロッパで読む『新古今』・疎句表現
 ルーボーの『新古今』鑑賞・「雪の下折れ」
 韻文の翻訳
 ヨーロッパの夏の花
 心と言葉のリズム
 今日なぜ『新古今』を読むか
自負と謙遜=撰者後鳥羽院
 仮名序・「道にふける思ひ深くして」
 最勝四天王院障子歌
 武者歌人秀能・「鳴海のかた思ひ」
 定家と後鳥羽院・「生田の杜」
巻頭歌の重要性
 良経の春の歌・「志賀の花園」
 悲運の家系・悲劇の勅撰集
 白の秀作・「白妙の袖」
 下燃えの煙
 帝王の歌
 悲調の『後鳥羽院御集』
 霜もおきあへず
 たくらみの巻頭歌
造詣と恩寵の秀作
 袖に玉散る
 よその夕暮
 当代歌人作の意義
 否定の花・「花も紅葉もなかりけり」
 爛爛たる負の才能
『隠岐本』の不思議
 不思議な撰び直し
 両刃の剣の栄光と悲惨
 秀句表現
 

六条家と御子左家=『六百番歌合』の作者と判者
 虚実の歌題
 六条家と御子左家・作者について
 判者俊成
 老獪な俊成と顕昭
 左一番が持)
源氏見ざる歌詠みは=俊成の判詞
 「枯野」の判詞 
 草の原聞きつかず
 本歌取り・ロマネスクな歌
 見し秋を
 秋風の栖なりけり
 水晶の匂い
 人は還らず
 薄墨の文体
 

『六百番歌合』より『新古今』への撰入歌
 作者の年齢
 『六百番』よりの撰入歌数と『新古今』への総撰入歌数とは比例する
今様的文体
 吉本隆明氏の『新古今』論
 艶なる調べ・「忘れずよ」
 歌謡の響き・「月やそれ」
良き持に侍るべし
 いろいろな持がある
 「春曙」・不可視の世界
 「秋夕」・名刀の切れ味
 杉の梢・恋歌を超えて
 望郷の歌・連歌調
 旅恋の題の宜しく侍るにや
持などにて侍るべし
 かばい過ぎの判
 薄雪凍る寂しさの果て
 凝縮の美学
 梢の冬に残さむ
 

『千五百番歌合』の作者と判者
 出席者の年齢・没年
 バランスのとれた人選・雅称
 若草の宮内卿
 青年歌人秀能
 判者
『千五百番歌合』より『新古今』への撰入歌
 力量の傍証
 撰入歌中の名歌
 異浦に澄む
 下燃えに
 待つ宵に
『千五百番歌合』の判詞
 後鳥羽院・歌による判詞
 才能のデモンストレーション
 判者顕昭
 つらき心奥の海よ
 蘭の夢
 良経・漢文の判詞
『小倉百人一首』
 秀作無視の撰
 好みの変化
 

式子内親王と当代歌人
 『萱斎院御集』の秀歌
 超絶技巧の詩人
 賀茂の斎院
 ほの語らひし空ぞ忘れぬ
 立原道造の詩
式子内親王の恋歌・叙景歌
 慄然たる恋歌
 葉隠れの花
 誇張表現の叙景歌
 地歌の役割
 春の涙をそそぎける
 秀句表現・燻し銀の美しさ
 倒置法・用言重視による切迫感
 ひぐらしの声 
『新古今』の釈教歌
 花のとぼその
 無明長夜
式子内親王と今様風
 さても世に経る
 後白河院崩御と内親王
 以仁王と内親王
謡曲『定家』
 『明月記』の記事
 日記の信憑性
『新古今』にもれた『千五百番歌合』の秀作
 良経・家隆・定家の秀作
 氷ぞ結ぶ
 おきまよふ霜
 今様調・「時も時」
 定家の技巧・「千々にくだけて」
俊成卿女
 大胆な調べ
 命さふらひて
 

『金槐和歌集』=実朝と『新古今』
 人生の秋
 虚無の萩
 鎌倉ぶり
 ニヒリズムの光
『新古今』の秀歌
 梅のにほひ(春)
 高嶺の桜(春)
 あやめぞかをる(夏)
 露の夕暮(秋)
 桐の葉も(秋)
 凍りて出づる(冬)
 玉ゆらの露(哀傷)
 命なりけり(旅)
 など夕暮に(恋)
 昨日の雲(恋)
 庭の跡(雑)
 冴え残る(雑)
 山藍の袖(神祇)
 暁の声(釈教)
終りに=戦慄の詞華
 詩歌の絶顛に立って
 孤島の一冊
 『新古今』の背後の世界
 




◆本書より◆


「巻頭歌の重要性」より:

「『新古今和歌集』の第一巻の最初の歌は、「仮名序」を書いた摂政太政大臣藤原良経の歌。しかも上下に分れている「春歌」の最後の歌も良経。(中略)『新古今』の巻頭歌、良経の「み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり」も、立春にまだ雪のある歌で、ここから春が始まります。そして同じ良経の「明日よりは志賀の花園まれにだにたれかは訪はむ春の故郷」をもって春を閉じる。」
「短歌には一般に三句切れが多いのですが、二句と四句で切れているという特徴から、今度は藤原良経という人の生涯に思いを及ぼすとますます面白くなる。余談ながら、歌の鑑賞とはそういうものではないでしょうか。良経の歌であるから立派であるというのではなく、たとえばこの一首を読んだ場合に、何か特別のものを感じる、それで良経という作者の略歴に目を通してみる。歌人の出自、どういう人の子供として生まれ、どういう先祖があるか、そういうのを知るのに便利な『尊卑分脈」という本がありまして、(中略)この本の藤原良経の項には、彼が天井から矛で刺しぬかれて死んだという記述があります。(中略)良経の兄さんも、二十二歳で、ある朝突然原因不明の死を遂げています。
 この兄弟の父親が有名な藤原兼実です。(中略)『玉葉』という日記が残っていて、(中略)漢詩文や有職故実に関しては第一級の学者であり、政治家でした。その彼に三人の子供がいて、次男が良経です。長男も漢詩文の名人です。(中略)この兄がある朝突然はかなく死にます。
 『玉葉』にも、火葬にした遺骨が不思議な香気を放ったなどと奇怪なことが書かれています。良経とは二つ違いですから、兄さんが死んだ時、彼は二十歳。その後、二回にわたって夢の中に兄がでてきて、漢詩を作ってお互いに交換する、その漢詩の文句までもはっきり覚えているということが、父の日記『玉葉』に書かれています。一種のテレパシーをもった一族と考えられますkれども、良経は『新古今和歌集』成立の翌年、三十八歳で死んでいます。鎌倉と親しいのを憎んで後鳥羽院が暗殺したとか、藤原定家が才能を妬んで狙ったとか、五種類ほどの説がありますが、いずれも信ずるに足りません。むしろこの一家には一種の癲癇性の痼疾の遺伝があって、そのために若死したのではないかという見解もあります。」
「そういう悲劇的な、不思議な運命と因縁をもった歌人の歌が最初に来て、しかも「春歌」の最後にも来ている。『新古今』を編纂した際には、そこまで勘定に入れていないでしょうが、『新古今』という勅撰和歌集が豪華絢爛としていながら、一種悲劇的な陰影を帯びているのも偶然ではない感があります。しかも『新古今」には、後鳥羽院が一世一代の誇りと、和歌文学に対する情熱のすべてをかけ、それも明らかに鎌倉幕府を意識し、幕府が武力や政治力でいかに力を振るおうとも、言語芸術では京都の貴族、あるいは帝王としての自分に歯向うことはできないんだぞというデモンストレーションの意味のあったことを考えておかなければなりません。でもその賭けのために、後鳥羽院は隠岐の島で六十一歳の(中略)最期を遂げなければならなかった。この悲劇は正に対する負の重みとして釣り合っている。『新古今和歌集』は日本の歴史の中でもまことに運命的な意味をもったアンソロジーと言えます。」

「第一巻の「春歌」から第二十巻の「釈教歌」までの巻頭の歌を調べてみると、成程と思うような人の歌が巻頭には置かれています。特に有名なのは、「雑歌下」の菅原道真です。巻頭から十二首にわたって道真の、しかも大宰府に流されてからの恨みをこめた歌がとられています。遠島になった罪人の歌を、いくら後に太政大臣の位を得たからとは言いながら、巻頭にもってくるのは異常なことと思われます。これも『新古今和歌集』が何か悲劇的な、輝きながら暗い宿命をもった歌集であるという例証になります。」

「後鳥羽院の若書きの歌に関しては、ほとんどの人が筆を費していません。見るべき後鳥羽院研究は少なくありませんが、残念ながら殊に、若書きの傑作に関してはあまり言及されていません。たとえば、「白菊に人の心ぞ知られける移ろひにけり霜もおきあへず」、これが二十歳の時の歌です。(中略)承久の乱は、彼が厄年の四十二歳の時の筈ですけれども、その年に詠んだ歌としてみても、おかしくない。読者の胸を刺し貫くような憎しみと、悲痛な調べに満ちています。」
「先年『菊帝悲歌』という小説を書いた時も、まずこの歌を題材に使いましたが、この一首が後鳥羽院の一生を暗示していると見てとれます。人の心は決して当てにならないという、人間不信を当然として受けとめ、決然と眥(まなじり)を決して立ち上った感があります。」








































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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