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塚本邦雄 『詩趣酣酣』

「うつつの旅にせよ室内旅行にせよ、旅とは私にとつて遁走であつた。(中略)逐はれる前に遁げる心の弾みは、振り向かぬものを追ふよりはるかに冴えてゐる。詩歌に執する人人とは、おほむね「旅に死ぬ」ことを覚悟してゐる有志であらう。」
(塚本邦雄 「薊牀茨枕〈中〉」 より)


塚本邦雄 
『詩趣酣酣』



北澤図書出版 
1993年9月1日 発行
181p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価2,060円(本体2,000円)
装訂: 政田岑生



本書「跋」より:

「この一卷、初出は俳誌「鷹」、一九七九年新年號から十二月號までの連載である。兄弟版の兄に相當する類似の書に『詞華美術館』あり、これは前年七八年五月、全篇ほぼ書きおろしの形で文藝春秋刊。『詩趣酣酣』はその著には筆の屆かなかつた分野領域に、心ゆくばかり遊んでみたいと、樂しみつつ稿を繼いだ。一つの熟語、一句、一首、散文詩の一聯を核として、自在に想像力を驅使する試みは私の好む處である。」
「またこの書、永らくの精興社活版印刷による私の著書の最後の一冊となる。(中略)この後は一切寫植印刷となるはずである。」



しいしゅかんかん。正字・正かな。



塚本邦雄 詩趣酣酣



帯文:

「定型詩の一首、一句、散文詩の一行を核として塚本邦雄獨自の美意識と選択眼を貫き自在に幻想の翼をひろげ[一大言語美の極致]を創出した 
美術展風刺化衆」



帯背:

「詞華の饗宴たけなわ」


装幀に使用されているのは、フィレンツェはサンタ・クローチェ聖堂付属パッツィ家礼拝堂のルカ・デッラ・ロッビアによる四福音史家よりルカ(カバー)とヨハネ(扉)です。


目次:

一琴一鶴
琴線寸斷
魔女窈窕
味蕾恍惚 上
味蕾恍惚 下
薊牀茨枕 上
薊牀茨枕 中
薊牀茨枕 下
水上奏楽 上
水上奏楽 下
南絢北爛蜻蛉翻弄
 
跋=酣樂幻想




◆本書より◆


「薊牀茨枕〈中〉」より:

「うつつの旅にせよ室内旅行にせよ、旅とは私にとつて遁走であつた。生の空間を變へる懼れとは、それが心の中の位相轉換にしても、何と新鮮なことか。逐はれる前に遁げる心の彈みは、振り向かぬものを追ふよりはるかに冴えてゐる。詩歌に執する人人とは、おほむね「旅に死ぬ」ことを覺悟してゐる有志であらう。」


「蜻蛉翻弄」より:

「萬が一、あるいは億に一つのかねあひにしても、來世といふ「次元」があるとしたら、私はふたたび日本に生れて來ることを望むだらうか。ふたたびみたび男に、韻文定型詩人に轉生したいと思ふさらうか。その可能性は多分にある。
 そこが理想の地だつたわけでも、より善き性と信じこむよすがも、最も好ましい職能と考へる根據も、さらさらない。むしろ逆と言つてよからう。この呪ふべき國家、腹立たしい性、映えにも晴にもほど遠い文藝に、一すぢの、目もくらむやうな憎惡を持ち續けてゐるからこそ、かく冀ふのだ。意趣遺恨を來世で晴らさうとは、思へば苦笑失笑の種以外のものではない。」
「私達にはもう、夢にも「ああわが日本」などと詠歎的に、この國を語る勇氣も興味も衒氣もない。もしゐたら、逆説か、逆説と背中合せの、狂信的な國粹主義文人の囈語(うはごと)であらう。そして、あながちに、それを笑殺する權利は、誰にもない。まして同調する義務も、日本離れを恥ぢねばならぬ義理もない。
 屈折し轉轉を重ねつつも、私達はかつても今日も、日本語に執するといふ行爲によつてこの國を愛し續けて來た。この後も變るまい。それも、韻文詩、定型詩の使徒として、この調べに殉ずるとは、何と「狂信的」であることか。」

「につぽんの處女(をとめはいかにおろかにて美(うるは)しきかなマノン・レスコオ)  坪野哲久」
「貧しきはおのづから國のみちにそひおし默りつつ生きてゐるものを  筏井嘉一」
「父祖哀し氷菓に染みし舌出せば  永田耕衣」
「亂れに亂れた日本語は、既に韻文定型詩人をさへその膿み爛れた觸手で汚し始めたらしい。私は、とある若い歌人が「日本の娘をおろかだなどと言つて、當時の哲久は勇敢だね」と洩らすのを、小耳に挾んだことがある。「につぽんの處女はいかに? おろかにて美しきかなマノン・レスコオ」さらに釋(と)けば「マノン・レスコオ(は)おろかにて美し/日本の處女はいかに」となることに全く氣づいてゐない。(中略)マノン・レスコーに心寄せ、あくがれることが、いかに危い時代であつたか。もしこの歌を憲兵が見つけたら、たちまち「赤」(!)ときめつけたことだらう。」
「「おし默りつつ」とは何事、歡びに溢れ、つつましく「欲しがりません」と誓へと、私達は強制されて來た。」
「詞書か注に制作年代を添へ、その「時代」を計算に入れないと感動を呼ばぬ作品は、結果的に、いかに感動的であらうとも私は二級品と見做す。(中略)だが、「日本」をテーマにした、あらゆる詩歌、この言葉が入つた途端、見るも無殘な「機會詩」と化し、さむざむとした「社會性」を纏ふのは何故であらう。この國は、まこと「父祖」の、その昔から、無條件に、「哀し」く、かつみじめな存在、詩歌三界の首つ枷(かせ)であつた。」




◆本書各章冒頭引用作品◆


1 一琴一鶴
薄氷の流れはじめに鶴の声  藤田湘子
丸山薫「鶴の葬式」
久生十蘭「西林図」より
落語「たらちね」より
夢の沖に鶴立ちまよふ ことばとはいのちを思ひ出づるよすが  塚本邦雄
 
2 琴線寸断
男らや真冬の琴をかき鳴らし  飯島晴子
天徳四年三月三十日内裏歌合 仮名日記
撒母耳(サムエル)前書第十九章第九節
ポオル・ヴェルレエヌ「月の光」第一節(斎藤磯雄訳)
六百番歌合恋九 寄琴恋 十二番
王維「竹里館」

3 魔女窈窕
処女はげにきよらなるものまだ售(う)れぬ荒物店の箒(ははき)のごとく  森林太郎
アンドレ・ブルトン『ナジャ』より 稲田三吉訳
李商隠「無題」
軒に彳ち野火のにほひの箒売  酒井鱒吉
『源氏物語』「帚木」より
『神曲』「地獄篇第三十三歌」より 生田長江訳
母死しすべて喪失せしにあらざれどゆかし箒にのりたる妖婆  塚本邦雄
 
4 味蕾恍惚 上
寂しさに堪へてあらめと水かけて紅葉生薑(しゃうが)の根をそろへけり  北原白秋
フレイザー『金枝篇』より 永橋卓介訳
春はあけぼのの酢屋町味噌屋町  神尾季羊
マルグリット・ユルスナル『ハドリアヌス帝の回想』より 多田智満子訳
うなぎ黒兵衛板前の夕涼み  御旅屋長一
上田秋成『雨月物語』「夢応の鯉魚」より
サキ「家庭」より 中村能三訳
室生犀星「小景異情 その一」
夏目漱石『草枕』より
晩餐に紅き蓼そへわれおもふゆゑにわれあるはかなさのほか  塚本邦雄
 
5 味蕾恍惚 下
橙子(だいだい)と赤き醋甕(すがめ)と干鱈(ほしだら)に蝋の火てるを嗅ぎて夜寝る  与謝野寛
レイモンド・チャンドラー「金魚」より 稲葉明雄訳
催馬楽 呂の歌 「我家」
飽食のあと月光の曼珠沙華  座光寺亭人
ロレンス・ダレル「マウントオリーヴ」より 高松雄一訳
村井弦斎『食道楽』より
紫陽花のかなたなる血の調理台 こよひ食人のたのしみあらむ  塚本邦雄
姫小松「井筒屋」
柿食ふやかかるかなしき横顔と  加藤楸邨
 
6 薊牀茨枕 上
金ペンのさきのとがりの鈍りゆくころともなりて旅のわびしき  若山牧水
E・M・フォースター『インドへの道』より 瀬尾裕訳
草原の薊もちこむ旅寝かな  永島靖子
周邦彦「少年遊」
『海道記』より
西脇順三郎「眼」
聴かねどもバッハ「旅行く最愛の兄に寄す」てふ 雨の草市  塚本邦雄
 
7 薊牀茨枕 中

基督(きりすと)のよみがへりし日旅を来てみづうみの中(なか)に衣さむけく  斉藤茂吉
シャルル・ボオドレエル「髪」より 鈴木信太郎訳
『御伽草子』「小町草紙」より
野葡萄の干からぶ旅や奇応丸  細谷ふみを
ソポクレス『オイディプス王』より 藤沢令夫訳
丸谷才一「初旅」より
玻璃戸二枚かなたに沖のうるむ宿友と来て新婚(にひめとり)のごとし  塚本邦雄
 
8 薊牀茨枕 下
琵琶行の夜や三味線の音霰  芭蕉
ジョフレイ・チョーサー『カンタベリ物語』 西脇順三郎訳
十返舎一九『東海道中膝栗毛』より
エドガー・アラン・ポオ「黄金郷(くがねのさと)」より 日夏耿之介訳
白地図へ睫毛の影やなほ流竄  星野石雀
珠衣乃(たまぎぬの) 狭藍左謂沈(さゐさゐしづみ) 家妹尓(いへのいもに) 物不語来而(ものいはずきて) 思金津裳(おもひかねつも)  柿本人麻呂
アルベルト・モラヴィア『苦い蜜月旅行』より 河島英昭訳
岡本かの子『東海道五十三次』より
雨、霰、霙、風花、わが未生以前にたれか琵琶弾きやみし  塚本邦雄

9 水上奏楽 上
採蒪を諷ふ彦根の傖夫哉  蕪村
テオドール・シュトルム『みずうみ』より 高橋義孝訳
古泉千樫「さす潮の」「ねむの花」
井原西鶴『西鶴諸国ばなし』「水筋の抜道」より
夏潮やわしづかむもの何かある  大庭紫逢
レオナルド・ダ・ヴィンチ手記「大洪水と戦争」より 杉浦明平訳
温庭筠「河伝」より
水の上に橙黄(たうくわう)の月のぼらむとあやふし わがおとうとなる耶蘇(イエス)  塚本邦雄
 
10 水上奏楽 下
紀の国の橋本の端のゆきかへりうつゝごころににぶき夏河  保田与重郎
コナン・ドイル『バスカーヴィル家の犬』より 鈴木幸夫訳
『吾妻鏡』第三十九より
宮沢賢治『春と修羅』「真空溶媒」欠題詩
流れての底さへ匂ふ年の夜ぞ  上島鬼貫
飛鮎の底に雲ゆく流かな  上島鬼貫
ダフネ・デュ・モーリア『美少年』より 吉田精一訳
源信『往生要集』巻上より
さみしさを知り寒の鰭水の上に  鳥海むねき
寒独活や川の音いま掌を開き  同
冬の川手に乾葡萄昏るるかな  同
水くぐりゆく肉体にともなへる温曲は止(や)み水しぶきのみ  岡井隆
なぜかかる暗き境に逐はれては笑(ゑま)ふ 沖辺は寒(かん)の漁火(いさりび)  同
おもむろに沒せむとする石階(きざはし)に泥ふふむ潮騒(しほさや)げ 騒がむ  同
 
11 南絢北爛
南方を恋ひておもへばイタリアの Campagna(カムパニヤ)の野に罌粟の花ちる  斎藤茂吉
この壁をトレドの緋色で塗りつぶす考へだけは昨日に変らぬ  前川佐美雄
定住の家をもたねば朝に夜にシシリイの薔薇やマジョルカの花  斎藤史
ローラン・トポール「スイスにて」より 榊原晃三訳
安西冬衛「堕ちた蝶」より
春寒きギリシヤの海の銅版画  田原紀幸
箱の中を飛び散る青葉バルセロナ  四ツ谷龍
ナザレには杳く薊をだきかへる  仁藤さくら
イタリアは晴蛇衣を脱ぎていし  穴澤篤子
プロスペル・メリメ『カルメン』より 堀口大学訳
はるかなるもろこしまでもゆくものは秋のねざめのこころなりけり  大弐三位
もろこしも近く見し夜の夢絶えてむなしき牀におきつしらなみ  藤原家隆
五木寛之「ソフィアの秋」より
動脈のすゑ罌粟いろにせせらぐとおもへ深夜のアムステルダム  塚本邦雄
ただよふはクレタの海の莫告藻(なのりそ)か男を知らぬ少年の髪  塚本邦雄
 
12 蜻蛉翻弄
春かすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ  前川佐美雄
大和は国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく青垣 山籠(やまごも)れる大和しうるはし 『古事記』
保田与重郎「明治の精神」より
与謝野鉄幹『紫』「日本を去る歌」より
しばたたく蘆刈の眼を遠江(とほたふみ)  藤田湘子
憶良らの近江は山かせりなずな  しょうり大
アンリ・ミショオ「日本旅行記」より 小海永二訳
一生の幾箸づかひ秋津洲  三橋敏雄
弱国に耕牛の尿溜り沁む  永田耕衣
木下杢太郎「夢幻山水」より
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも  塚本邦雄
世界地図の上に置きたる静脈の手われわれはみな黄色人種  斎藤史

















































































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