塚本邦雄 『芳香領へ ― 香気への扉』

「有り得ない芳香を鮮かに幻覺するのは果して、いかなる幸福な病であらうか。」
(塚本邦雄 『芳香領へ』 より)


塚本邦雄 
『芳香領へ
― 香氣への扉』


ポーラ文化研究所 
1983年11月10日 印刷
1983年11月20日 発行
281p 
A5判 
丸背布装上製本 貼函 
定価3,000円
装幀: 春井裕



植物の芳香から体臭まで、「香気」をめぐる長篇評論。正字・正かな。


塚本邦雄 芳香領へ 01


帯文:

「太初に香りあり、香りは惡魔と倶(とも)にあり、香りは惡魔なりき
四方スクリーンに映る、快樂の園の絢爛たる場面を眺めつつ、うつつに百花の芳香を嗅ぎ、天來の妙音を聽き、百味の飲食(おんじき)をオートマティックに攝りつつ、密室内で過ごす生活、これこそ、個人の、末來社會における理想の形態の一典型であらうが、たとへば、人はこの日のためにも、香氣の本質、その効用と末來について、考へ、語り、夢みたいものだ。 (本書「芳香花列傳」より)
※歌一首を飾る香りの栞付」



塚本邦雄 芳香領へ 02


帯背:

「現代人の
未開發の世界、
新しい魅惑
〈香り〉への首途」



塚本邦雄 芳香領へ 06


「香りの栞」掲載歌:
 
「初夏たとへば壯年の父ゆるやかに歩み柑橘の香のさざなみ  塚本邦雄」


塚本邦雄 芳香領へ 03


目次:

芳香領へ
 
Ⅰ 芳香花列傳
香る百合と香らぬ椿
春は沈丁花秋は木犀
君よ知るや香橙(オレンジ)の花
罌粟の花は死の臭ひ

Ⅱ 香花詞華集
その一*香氣の獵夫(さつを)
その二*薔薇謝後作
その三*不斷の香炉

Ⅲ 味蕾に獻ず
天使(アンゲリカ)屬大天使(アルカンゲリカ)種香菜
肉桂(シナモン)匂ひ月桂樹(ローレル)馨る
日々の食卓の好伴侶
葷酒(くんしゅ)の葷(くん)もスパイス
実芭蕉(バナナ)も初めは珍果

Ⅳ 薰香と體臭
苦參(くらら)の花の暗き夜に
香氣は神と倶に在り
アダム臭イヴ的香氣

芳香の跋
参考文献



塚本邦雄 芳香領へ 04



◆本書より◆


「第Ⅰ章 芳香花列傳」より:

「大盞木(たいさんぼく)、通稱泰山木 Magnolia glandiflora L. はその學名が示す通り、巨花木蓮であり、花の雄大なことと、芳香の烈しさで、あらゆる芳香花木中の王者とも言ふべきだらう。原産は支那泰山などではなくて北米の東南部とされてゐるが、その堂々たる風格は何となく東洋的。萼が三枚、花瓣六片、但し、肉厚の奉書状乳白のそれは、あたかも九瓣花のやうに見える。黄白、簓状の雌蘂の周圍に、つけねに紅を含む純白の雄蘂が鱗をなしてびつしりと貼りつき、ここから芬々たる香氣を發つ。近畿では初花が五月上旬から見られ、下旬に入ると日陰の小木の花も開き始める。六月上・中旬が最盛期、この頃、雨上りの晴天に強風でも吹くと、五十米四方に香氣は漲り、一瞬眩暈を覺える。
 朝々の開花は午前六時、初め合掌した大人の拳大の、乳白の花瓣をきりつと緊めた蕾が、ひそかに、徐々にゆるみ出す。香氣は花瓣の間から洩れ、あたりの空氣が一瞬仄かな光を帶びる。例へば高速度撮影を見るやうに花は一分刻みにほぐれ、ふくらみ、開き、やがて、六分通り開花した状態でぴたりと止る。止つたまま正午は到り、芳香は更に高くなりまさる。そして香り續けて、その日の夕方には、またやはらかに鎖す。もとの固い蕾の状態ではない。七時頃の、やや花瓣のほぐれた形に戻るのである。
 翌朝花は再び開く。午前中は次第に六分、五分と花瓣をゆるめ、やがて晝になると九片の乳白色の花瓣は、ほぼ水平の状態になるまで九方に擴がつてしまひ、あのしたたかな、玩具の簓のやうな雌蘂はそそり立ち、蛾卵状の雄蘂がびつしりとそれを取卷いてゐるのもあからさまに見られる。芳香はややくたびれて、苦みと酸味が加はる。そしてその頃、明日開くべき蕾が、かたはらにきりつと立直り、薄綠の外被が刻々に白くなつてゆく。昨日、小兒の合せた掌くらゐの大きさであつたそれは、その日の夕刻になると少年の合掌大に成長し、夜の間には靑年の合掌に變る。その變化は息を呑むばかりで、花がまさしく生きて、呼吸してゐるのが手にとるやうにわかる。その芳しい息。この世にかほど雄々しく、鋭く、しかも甘美な香氣が存在したことを、今更のやうに氣づく。生ける驗あり、と歎息を久しくする。
 かつてこの花の花精油を抽出しようとして、南佛グラース界隈には、この大盞木が數多植ゑられ、技師は鋭意實驗に沒頭したが、つひに成功しなかつたやうである。否、抽出はできたが、香水原料として採算不可能であつたと言ふべきか。莫大な原價を計上しては、香水製造の企業としては落第である。たとへ、大盞木のあの芳香でも。」



「跋」より:
 
「現代の極限に近いまでに發達を遂げた文明の下、私達が現實に日常攝取・享受する快樂の中、たとへば映畫にしろ、TVにしろ、演劇・演奏會・展覽會等、各ジャンルの藝術・藝能の世界、ほとんどは、色・越えの二つの次元の慾望への奉仕であつて、他の三慾、特に深みと幅に富む嗅覺に関する樂しみが、いつまでも前世紀的な段階で低迷してゐるのを不審に思ふ。僅かに香道に懸ける少數の力強い有志が存在するが、これは例外であり、香氣の世界を拓き、發展させるには、更に果敢な試みが肝要であらう。
 新世界を開く前提として、私はまづ、この世に有り得る香氣の源を總浚へしようと試みた。殊に日常私達の嗅覺に觸れる機會の多い植物を中心に、言葉によつてその素描を書いてみた。惡臭を神から与えられた植物も、同時に知れる限りを列舉した。この部分は、むしろ多分に辭書的であるが、そのやうな事典が、比較的少いことに歎を久しうした私が、自身の備忘のためにもと、殊更に詳細に記した部分である。」



塚本邦雄 芳香領へ 05


口絵写真「蒸留釜の中のローズ・ド・メ」。



◆本書の概要◆

 
第Ⅰ章 大盞木からラフレシアまで。植物の芳香・異臭。
第Ⅱ章 芳香と詩歌 アンソロジー(北原白秋『桐の花』、『思い出』より「わが生ひたち」、『邪宗門』より「室内庭園」「曇日」/周蜜「繍鸞鳳花犯 水仙花」、呉文英「祝英台近 除夜立春」、周邦彦「六醜 薔薇謝後作」/上田敏『海潮音』よりシェイクスピヤ「花くらべ」、ボードレエル「薄暮の曲」、レミ・ドゥ・グルモン「髪」)
第Ⅲ章 香辛料、果実。
第Ⅳ章 香合、体臭。嗅覚と小説(ハンス・ヘニ・ヤーン「家令候補者」(森川俊夫訳)より/ウィリアム・フォークナー「クマツヅラの匂い」(龍口直太郎訳)より)






























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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