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塚本邦雄 『国語精粋記』 (新装版)

「考へてみれば、詩歌を含めた文藝とは、すべて廣義の、反時代的、反社會的な「室内旅行」のテキストであり「道標(みちしるべ)」ではなかつたらうか。(中略)いかなる權威も、國家的權力も、この内的紀行を禁ずることだけは不可能だつた。」
(塚本邦雄 「ヴィヴァ・反時代的詩歌」 より)


塚本邦雄 
『國語精粹記
― 大和言葉の再發見と
漢語の復權のために』



創拓社 
1990年7月1日 第1刷発行
269p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函 
定価2,700円(本体2,621円)
装幀: 政田岑生



正字・正かな。
初版は1977年10月講談社刊、本書はその新装版ですが、初版の跋「言はでややまむ」は新しい跋文と差し替えられています。「精粋記」は「盛衰記」のしゃれです。
創拓社からは他に『花より本』(1991年7月)が刊行されています。
他に、言葉をテーマとした著作として『ことば遊び閲覧記』(河出書房新社)があります。



塚本邦雄 国語精粋記 01



帯文:

「かつて、かく美しかつた日本語を今一度輝かさう。末來の日本人の爲に、大和言葉の、かくあるべき姿を知らせたい。」



塚本邦雄 国語精粋記 02



帯背:
 
「この美しい日本語」

 
目次:

Ⅰ――固有名詞論
 歌枕考現学
  茜さす天使突抜(てんしつきぬけ)春の曙
  源氏名とわが易姓革名
 異國異名頌
  ボワロー七人王樣(ロワ)四人
  汝ら、野の百合を見よ
 
Ⅱ――詩歌亡びず
 韻文對散文
  『和漢朗詠集』から『靑猫』へ
  邦文邦譯私撰小詞華集
 白紙末來記
  外國語洪水に浮ぶ方舟
  ヴィヴァ・反時代的詩歌
 
跋 末來混沌




塚本邦雄 国語精粋記 03



◆本書より◆


「邦文邦譯私撰小詞華集」より:

「1
Like a faint smile
In the distance
The month of frost
In the heart of fire
A single piano
 
2
Wrestlers-
Bitter-sweet
Greco-Roman counterpoint
The moon
Rich loquat-coloured

3
Our young men
Like fresh shoots
Of the first flames
Of fire at high noon
In our Imperial Land
 
4
In my eyes
Snowblinded, one
Poppy is black
Unknown to us
Our Gestapo
 
5
Wicked tongue
Of summer cool
Like wings
Of the door of iron
Chapel of the Saint

Translated by Geoffrey Bownas

1 ほほゑみに肖(に)てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺
2 レスラーがグレコ・ロマンのほろにがき對位法 月、枇杷色に滿つ
3 さらば若者 わが王國の晝火事のはじめのほのほ新芽のごとし
4 雪盲の眼に一莖の罌粟黑し知らずわれらのうちなるゲシュタポ
5 毒舌のすずしき夏を聖ラザロ寺院の鐵の扉のつばさ
 
 勿論私は、私の、他の日本語にすら絶對翻案不能のこれらの歌に、かくも美しい英譯を與へられたことを感謝してゐる。「聖ラザロ寺院」の「ラザロ」を消されたことに、いささかならぬ疑問を抱く他は、まさに到れり盡せりの配慮を、一語一語の選擇にもまざまざと見る。「霜月(マンス・オヴ・フロスト)のあたり、ほとんど瞼の熱くなる思ひだ。
 しかし、これらすべて、私の歌の本歌取りをした、ジョフリー氏自身の作品である。「毒舌のすずしき夏」と「鐵の扉のつばさ」を〈like〉で繋いだあたりも、「ラザロ」抹殺以上に不審ながら、他人の作品と思へば安らかである。そして、初めに竝べた五つの英詩の中の1は、たとへば、私以外の誰かが作つた、次のやうな別の和歌、和詩、散文詩のいづれの譯でも、いささかも差支へはなかつたのだ。
 
はるかなる微笑のごとし霜月の火事の心(しん)なる孤(ひと)つピアノは
 
     *
 
杳(えう)たる微笑に相似(さうじ)せり
孤(こ)なる洋琴(やうきん)
陰暦十一月
炎上のさ中にありしかな
 
     *
 
遠いほほゑみ
それはあたかも
霜降る月の
火事の最中の
一つのピアノだ」
 
「完成した一篇の詩歌は、決して言ひ換へを許さない。僭上の譏(そし)りを甘受する覺悟で言ふなら、私の「火事の中のピアノ」は、初句から結句まで、一言一句、絶對にパラフレーズも修正も許容しない。表記すら、これ以外は考へられないのだ。」




◆本書収録内容(「 」内は本書からの引用)◆


・「茜さす天使突抜(てんしつきぬけ)春の曙」
「天使突抜」は実在の地名。
「われわれの祖先は地名にこそまづ言靈(ことだま)を視、犯すべからざる神意を感じたことだろう。(中略)萬葉の枕詞、殊に歌枕的地名と交つた時のその音韻と幻像は、天意と人智のいみじき合作といふ他はない美しさであつた。現代人には最早、呪文、呪詞のたぐひに映らう。そして往時も亦、その發生事由、本義を考慮に入れて、なほ聖なる表象、怖るべき豫兆に滿ちてゐた。「物名」然り。まして地、人名は不可觸の光と影を孕んでゐたと考へるべきだ。」
清少納言の地名尽し。
「これらの中で、清少納言が現實に、彼女自身の目で見た地は幾つあつたらう。(中略)現代に生きる私自身、彼女と五十歩百歩、末の松山や宮城野どころか、吉野川さへ見たことがない。ゆゑあつて格別見たいとも思はない。彼女にとつても山川森野の名は、文學的教養として銘記し、かつその誤韻と、そこから生れ、それに誘發される幻像を愉しむべきものであつた。」
「たとへば私自身、既に見たヴェネツィアやアムステルダムやトレドと、未だ見ぬパレルモやアレクサンドリアやバルセロナの、いづれをも「題」として歌ひながら、卻つて後者の方に迫眞的な美の戰慄を宿らせ得る。見てしまつた不幸とは、幻滅の他に「非在」の可能性を喪ふことであつた。「名」の抽象性が、しつかりと支へてくれてゐた、その非在と呼ぶ絢爛たる空間が、なまじ視ることによつて、たちまち霞み薄れるのだ。」


・「源氏名とわが易姓革名」
固有名詞への興味。
「明治初年、農工商に屬する庶民が、急據苗字創作の必要に迫られ、行き當りばつたりに、符牒、心覺えに類する呼稱を捏(でつ)ち上げたことは、滑稽な逸話となつて今日にも傳はつてゐる。(中略)今日見る氏姓の、殆どアナーキーとも思はれる種種雜多な景觀は、見るほどに、聞くほどに唖然とせざるを得ず、地名同樣、「造化の妙」の壘を摩する人智の逞しさにただただ畏入る。珍奇難解を極め、その姓自體が一つの譚や警句、「歳時記」の一行をなしてゐるものも夥しい。」

・「ボワロー七人王樣(ロワ)四人」
外国語のカタカナ表記について。

・「汝ら、野の百合を見よ」
外国地名の表記について。
文語訳聖書について。
「日本語譯聖書、それは勿論韻文譯に限るが、文脈の壯麗、沈鬱、交錯した趣はまさに空前絶後の眺めで、譯者の學識教養はもとより、文學的資質、詩的才能のただならぬことをも證明してゐる。それは舊約の「雅歌」一篇を走り讀みしただけでも納得できよう。更に私の驚くのは、漢字漢語の自在な、かつは贅澤な驅使である。人名、地名は本文中ではほとんど片假名書きで通す代りに、動植物を、考へられる限り漢字表記した。そのため、簡潔極まる聖句、短章の後(うしろ)に、鮮やかにこれら生物の形象は浮び上り、一篇一篇をさながら繪卷物と化する。」
「舊約はヘブライ語やアラム語から、新約はギリシア語から、ラテン語を經て、各國語に翻譯される時、既に幾分かづつ原意、原義からずれて行き、まして「神」の概念のない、風俗習慣の全く違ふ日本の、その國語に移し變へた時、それは『聖書』の、朧な似姿以外のものではなかつたはずだ。『新古今和歌集』をアラビア語に直し、カナカ語で『ハムレット』を讀むにも等しい難事であつたに違ひない。だからこそ、私達が今日享受する邦譯韻文聖書のあの翻譯技術を神技以上の奇蹟と思ふのだ。明治十三年譯、大正六年補正の聖書教會の傑作を、私は今日も感謝に滿ちて誦する。」

 
・「『和漢朗詠集』から『靑猫』へ」
和漢混淆の韻文について。

・「邦文邦譯私撰小詞華集」
王朝和歌を現代詩に翻案する試み。
「作者の心をわづかでも傳へたいなら、原作から數歩離れた地點で冷靜に、しかも熱烈なパロディーを試みる他はない。」

・「外國語洪水に浮ぶ方舟」
戦後のカタカナ語の大洪水。
「本質的には見せかけの平和に過ぎず、人の魂はあの頃より更に墮落してゐると叫ぶ識者はゐる。だが、その危い平和でも、十年續けば「本質」化する。野蠻で無智で狡猾で殘忍で、しかも要領のよいこと抜群の、あの舊陸軍下士官、竝びに下級職業軍人タイプの男がわが世の春を謳歌して巷を闊歩し、倨傲(きよがう)で冷酷で術數にたけた將校と、職業政治家タイプの老人が彼等を操り、かういふ人種とは到底そりの合はぬ大多數の人人が、蟲けら同樣に無視され、抹殺されてゆくあの忌はしい「戰時」に、二度と出會はずに濟むなら、濟むことの證(あかし)がこの片假名洪水なら、少しも氣にならぬ。むしろ祝福し歡迎し、千萬の「頌詞(オマージュ)」を捧げよう。戰時ばかりではない。一人の、特定の指導者に面從腹背せねば生きて行けず、生産と建設に直接參加しない藝術はすべて「ブルジョワ趣味」の一言で切棄てたがる政治體制、私が怖れ、嫌惡するのはむしろ、この方だ。」

・「ヴィヴァ・反時代的詩歌」
漢字制限、現代仮名遣いについて。
「表記にはその作家の生命がかかつてゐる。いかに變則的であらうと難解であらうと、書き換へれば、文體の特徴すら殺されてしまふ。
「藝術は、詩人の魂は、何ものからも自由であり、人間の悲慘と榮光の證人として、殺されても生き續けることを、これらの作者は信じてゐたはずだ。さういふ思想は、いかなる體制の社會からも食(は)み出す。
 指導者は託宣を試みる。今日、現實生活に必要、有效な「藝術」だけを認めようと。そして爲政者、殊に獨裁者の好尚、志向を敏感に察知、先取りした、「健康」で「平易」で「建設的」で「明朗」な、結構づくめの章句で埋められた詩歌、小説が、花束と共に「中央」に屆けられる。これに酷似した風景を、(中略)多數の人人が、(中略)いかに度度見聞して來たことか。」


























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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、デレク・ベイリー、森田童子。


歴史における自閉症の役割。

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