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塚本邦雄 『藤原俊成・藤原良経』 (日本詩人選)

「「姿すなほに心うるはしく」とは重宝な詞である。芸術は致死量すれすれの毒によってその完全な美を支えていることを、あえて見ようとせぬ凡愚菲才の徒の金科玉条、愚民政策綱領の最たるものだ。」
(塚本邦雄 『藤原俊成・藤原良経』 より)


塚本邦雄 
『藤原俊成・
藤原良経』

日本詩人選 23

筑摩書房 
昭和50年6月20日 第1刷発行
242p 和歌索引16p 
口絵(モノクロ)4p
B6判 丸背布装上製本 機械函 
定価1,400円



新字・新かな。


塚本邦雄 藤原俊成・藤原良経 01


目次:
 
口絵
 藤原俊成書状
 藤原俊成広田社歌合
 藤原良経消息
 寂蓮熊野懐紙

Ⅰ 藤原俊成
 1 幽玄考現学・あはれ幽玄
 2 深草の鶉
 3 架空九番歌合
 4 面影の花
 5 乱番恋歌合
 6 花の狩詞の狩
 7 幽玄有限
 8 夜の鶴笹の露
 
Ⅱ 藤原良経
 1 心底の秋
 2 秋風逐電
 3 夢は結ばず
 
Ⅲ 新古今時代の惑星
 1 藤原家隆
 2 俊成卿女・宮内卿
  いのち候ひて・俊成卿女
  こころにぞとふ・宮内卿
 3 寂蓮・慈円
  あとのゆふぐれ・寂蓮
  未来記なれば・慈円

俊成・良経他和歌索引



塚本邦雄 藤原俊成・藤原良経 02



◆本書より◆


「花の狩詞の狩」より:

「世には通例良経を定家の対照もしくは対極におき、一方を清麗閑雅、一方を妖艶晦渋と見なし、甚しきにいたっては良経然らずんば定家の二者択一を試みるような説が行れるやに見うける。式子内親王対俊成卿女にもこの傾向は多分にあるようだ。だが良経はたとえばこの六百番作品を一覧しただけでも大胆な詞句の斡旋、人の意表を衝く奇想に関して定家の弟たりがたい凄じさである。決して単に定家に煽られかつは心酔しての冒険などではない。特に建久二年(一一九一年)以後数度の伊呂波歌や古歌一首頭韻の鎖歌などではむしろ定家を煽り唆すかの趣が著しい。
 俊成の苦慮もこの辺に兆していたものと思われる。千載集約千三百首から引用の定家、良経約六十首に目を転ずる時、俊成ならずとも危惧、幻惑こもごもに感じよう。もはや和歌は止めるすべもない変貌を示しているのだ。発想も美学も過去七代集からははみ出し清輔、顕昭ラインは勿論、そもそもは新風の生みの親であった俊成すら眩惑と反撥をこもごも覚えるまでの異風の文体を示しつつあった。
 定家、良経の作中に見える、たとえば「闇を光のかがり火」「上おく袖のしたのさざなみ」「嵐のまくら」「わが涙のみ袖に待てども」「手枕うとき」「移ろふ人のあらし」「袖ぞ今は」「露より上を風かよふ」「秋風のすみか」「露にぞうつる花の夕顔」「暮す涙をまづおさふ」「むかしに霞む」「時雨をいそぐ人のそで」「払わぬ塵をはらふ秋風」「扇に秋のさそはれて」「鶉の床をはらふ秋風」「袖より鴫のたつ心地」「薄雪凍る寂しさのはて」「答えぬ風の松に吹くこゑ」「つらさとぢむる」「胸と袖とにさわぐ風」「稲妻通ふ手枕」「氷を敲く」「山越す波を袖にまかせて」等等一首毎にショッキングな修辞の示威が立ち現れるのだ。しかも虚心に見れば決して単なる示威や装飾ではない。在来の規範的作品及び作家が見ようとしなかったものを見、時代の底、魂の淵に臨もうとする時かく歌わねば他に道のない必然性に支えられていたのだ。俊成の直言回避とこれに伴う自己嫌悪はそれゆえに彼の内部でくすぶりつづける。単なる奇矯と頽廃ならばたとえ相手が九条家であろうと最愛の息子であろうと彼ならば直諌をためらわなかったはずである。(中略)俊成を口籠らせたのは下剋上的なしかも痛切に今日を追求する彼等の詩精神であった。(中略)王朝和歌起死回生の劇毒をいかに評価しいかに遇するかが焦眉の問題となりつつあったのだ。」



「心底の秋」より:

「心が身にも添わずなるような遊行離魂のわざほど彼にそぐわぬものはない。遁世とならば歌の中、夢の通い路の彼方を選んだことだろう。

  うたたねのはかなき夢の中にだに千千の思ひはありけるものを
       夢中述懐

 このつきつめた悲しみは西行の在俗出家めいた遁世にはつゆ感じられない。世にありながら良経はなまじいの出家以上に世を捨てていたのだ。」
「春のいそぎ、死へのいそぎ、亡き人の面影に誘われ、かつは誘う離魂の妖艶鬼拉を彼はわき目もふらず示現しようとする。傍若無人ことわりも過ぎたのは良経の歌であった。この冷やかさ、このきわだつ調べの底に漂う鬼気を、しかし何人も指摘し得なかった。」

「われかくて寝ぬ夜の果をながむとも誰かは知らぬ有明のころ」
「「われかくて寝ぬ夜の果を」、その果を彼は視つめていた。誰一人知る者のないのは有明ではなく、世の果ではなかったか。この恋の歌には恋人はもとより生者ことごとくを拒む暗い世界が匿されている。他界から撰ばれた見者のさびしい矜持に良経は立ちすくむ。」

「空前絶後の盛儀大詞華集新古今和歌集勅撰は建久元年十一月三日の院宣に始まる。波瀾を含み風雲を孕むこの集の竟宴、元久二年(一二〇五年)三月二十六日を過ぎて三日目に、良経畢生の名文仮名序は成った。」
「院自身になり代って縷述する庶幾念願の条条はまさに男巫の寿詞の観あり、委曲を尽しにつくし間然するところがない。」
「院御製を三十四首撰入することについても良経はこう言う。
 「みづからの歌を載せたること古きたぐひはあれど十首には過ぎざるべし。しかるをかれこれえらべるところ三十首にあまれり。これみな人の目立つべき色もなく心とどむるふしもありがたきゆゑに、かへりていづれとわきがたければ、森の朽葉かずつもりみぎはの藻屑かき捨てずなりぬることは、道にふけるおもひ深くして後のあざけりをかへりみざるなるべし。」
 道にふけるおもひ、けだし至言である。道にふけり言葉に溺れ、後どころか今の嘲りをも弾き返す、虚妄を覚悟の上の一大示威運動ではなかったか。」
















































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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