富士川英郎 『黒い風琴』

富士川英郎 
『黑い風琴』


小澤書店 
昭和59年4月20日 発行
226p 19.5×15.5cm 
角背バクラム装上製本 貼函 
定価2,800円



本書「あとがき」より:

「森鴎外らの『於母影』をはじめとして、明治・大正から昭和の初期へかけて現われた、卓れた譯詩集が、その當時や、それ以後の、わが國の詩壇に強い影響を及ぼしたことは、いまさらここで事新しく述べるまでもないだろう。少し大まかな見方をすれば、島崎藤村以後、昭和の初期に至る日本の新しい詩の變遷は、「『於母影』とそれ以後」、「『海潮音』とそれ以後」、「『月下の一群』とそれ以後」というふうに、大きく三つの時期に分って、これを考えることができるのではなかろうか。
 いずれにしても、翻譯文學がそこで重大な位置を占めていることは、他の國の文學史にその比を見ない、わが國の文學史、殊に詩の歴史の特徴であるということができるだろう。
 先年亡くなった福永武彦氏の最後の著書『異邦の薫り』は、明治以後に現われた十三冊の重大な、卓れた譯詩集について語った好著である。そこには『於母影』をはじめとして、『海潮音』『珊瑚集』『月下の一群』等々、のちの詩人たちに大きな影響を及ぼしたばかりでなく、それ自體としても、卓れた、言わば譯詩の古典というべきものが採りあげられているが、これらの譯詩集は、わが國の譯詩について語るとき、誰しもがその名を擧げなければならないものなのである。
 だが、これらの譯詩集のほかにも、なお多くの卓れた譯詩、好ましい譯詩、面白い譯詩があることは言うまでもない。福永氏がその『異邦の薫り』で採りあげた譯詩集は、いずれも言わばわが國の翻譯文學の銀座通りに、その軒をつらねている大厦高屋の群であるが、そのほかに裏通りのささやかで、瀟洒な店舗のような譯詩や譯詩集が、たくさんにとまでは言えないまでも、あちこちにかなり見出されることは否定できないところである。
 本書は筆者が年來愛讀しつづけ、嬉し、好ましと思ってきた、そのような譯詩、裏通りのささやかで、特色のある店舗のような譯詩について語ったものである。従って福永氏の『異邦の薫り』のなかに採りあげられている譯詩集 ――このほとんどすべては筆者もかねてから愛讀しているものである―― には觸れず、専らそれ以外の比較的に目立たない譯詩や譯詩集のことが、ここでは述べられている。」



正字・新かな。本文中モノクロ図版(書影)19点。


富士川英郎 黒い風琴 01


帯文:
 
「「於母影」「海潮音」「月下の一群」など、近代詩の変遷に大きな役割をはたした名譯詩集のかげで、忘れられた、しかし愛すべき懷しい瀟洒な譯詩集への思い出をつづる。
生田春月「ハイネ詩集」、大山定一「ドイツ詩集」、平田禿木「近代英詩選」、堀辰雄「晩夏」、竹友藻風「希臘詞花抄」、西條八十「白孔雀」、矢野峰人「しるえっと」など……」



富士川英郎 黒い風琴 02


帯背:
 
「忘れられた譯詩集
なつかしい思い出
譯詩ものがたり」



目次 (初出は特記以外は昭和57年1月―12月、雑誌「海」に連載):

生田春月編『泰西名詩名訳集』 (「學鐙」 昭和53年4月号)
生田春月の訳詩
生田長江の訳詩
茅野蕭々の訳詩
石川道雄の訳詩 (「同時代」 昭和56年9月号)
小松太郎訳『人生処方詩集』
大山定一訳『ドイツ詩抄』
堀辰雄の訳詩
平田禿木『近代英詩選』
竹友藻風『希臘詞花抄』
西條八十『白孔雀』
矢野峰人『しるえっと』
日夏耿之介『唐山感情集』
忘れ難い訳詩

あとがき



富士川英郎 黒い風琴 03



◆本書より◆


「生田春月編『泰西名詩名訳集』」より:

「生田春月編『泰西名詩名訳集』は大正八年四月に越山堂という書店から出版された詞華集である。いつぞや河盛好蔵さんがこの詞華集をそのむかし愛読したと書いておられたが、河盛さんあたりから、下っては私などにいたる世代の多くの者にとって、この詞華集はいろいろななつかしい思い出のある詩集なのだと言えよう。
 こんにちならばこの種の詞華集はたくさんあって、むしろその選択に迷うほどであるが、私が旧制中学の上級生になって、いろいろな詩集を読み漁っていた頃には、さまざまな訳者によって翻訳された西洋のさまざまな詩人の詩を一冊のうちに収めている詞華集は、この『泰西名詩名訳集』のほかにはなかったのである。」



「生田長江の譯詩」より:

「だが、朔太郎が長江譯のニーチェの詩のうちで、右の「仇敵の間にありて」以上に深い感銘を以て讀み、愛誦して措かなかったのは、おそらく「寂寥」という次のような一篇の詩であったろう。

  鴉等は鳴き叫び、
  風を切りて町へ飛び行く。
  間もなく雪も降り來らむ――
  今尚ほ、家郷ある者は幸なるかな!

  今汝は凝然として立ち、
  嗚呼、背後を眺めてあり! 如何に久しきかな!
  如何なる愚者なれば、なんぢ、
  冬にさきだちて世界に逃げ込まむとはするぞ!

  世界は、無言にして冷かなる
  幾千の沙漠への門戸!
  汝の失ひし物を失ひし者は、
  何處にも停留することなし。

  今汝は冬の旅路へと宿命づけられて、
  色蒼ざめて立てるかな、
  つねにより冷き天(そら)を求むる
  かの煙の如くにも。

  飛べ、鳥よ、汝の歌を
  沙漠の鳥のきいきい聲に歌へかし!
  汝愚者、汝の血の出づる心臟を
  氷と侮蔑との中にかくせよかし!

  鴉等は鳴き叫び、
  風を切りて町へ飛び行く。
  間もなく雪も降り來らむ――
  家郷なき者は禍なるかな!

 朔太郎はその「ニイチェに就いての雜感」というエッセイのなかで、右の「寂寥」という詩の初聯の四行を引用しながら、この詩を「その情感の深く悲痛なることに於て、他に全く類を見ないニイチェ獨特の名篇である」と言い、また、「ニイチェの抒情詩」のなかでは、「ああ家郷あるものは幸なるかな。僕の如く久しく迷ひ、懷疑につかれ、人生の歸すべき宿を持たないものは、秋風の中に氣死して、愴浪たる路を行く外はないであらう。季節は冬に向ひ、まもなく雪も降り來らむ。いかにしてこの寂寥と寒氣の中に、人は耐へることができるか」という感慨を述べている。そして

  何に此師走の市(まち)へ行(ゆく)烏

 という芭蕉の句をこの詩と結びつけて、「東西古今、詩人の惱むところは符節してゐる」と言っているが、詩集『氷島』の卷頭に收められた「漂泊者の歌」の

  ああ汝 寂寥の人
  悲しき落日の坂を登りて
  意志なき斷崖を漂泊ひ行けど
  いづこに家郷はあらざるべし。
  汝の家郷は有らざるべし!

 という最後の一節の詩句などには確かに右の「寂寥」の影響が見い出されると言ってよいだろう。いずれにしても『氷島』一卷の詩のうちには、その漢文口調の語法やスタイルばかりでなく、その内容のうえにも、長江譯のニーチェ詩を讀んだ感動の餘韻のようなものが到るところに鳴りひびいているのであって、長江譯のニーチェ詩と朔太郎の間には、卓れた譯詩がのちの詩人に創造的な影響を及ぼした一つの顯著な例證が認められるのである。」







































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