萩原朔太郎 『猫町 他十七篇』 (岩波文庫)

「ひとが猫のやうに見える。」
(萩原朔太郎 「Omega の瞳」 より)


萩原朔太郎 
『猫町 他十七篇』 
清岡卓行 編

岩波文庫 緑 31-062-3 

岩波書店 
1995年5月16日 第1刷発行
163p 
文庫判 並装 カバー 
定価410円
カバーカット: 『猫町』初版表紙
挿絵: 川上澄生



本書は小説(第Ⅰ部)、エッセイ(第Ⅲ部)に関しては新字・新かな、散文詩(第Ⅱ部)に関しては新字・旧かなで表記されています。
岩波文庫は、旧かなで書かれた作品は、原則的に現代仮名づかいに改められていますが、「原文が文語文であるときは旧仮名づかいのままとする」というただし書きがあります。しかしながら「文語文」とはなんなのか、いわゆる〈口語体〉に対する〈文語体〉というのであれば、本書に収録されている「散文詩」は、ほかの小説やエッセイと同じ文体(口語体)で書かれています。「詩」はすべて「文語文」とみなすということなのでしょうか。謎です。

「猫町」もよいですが、「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」がたいへんすばらしいです。
川上澄生による挿絵1点収録です。


萩原朔太郎 猫町 01


カバー文:

「東京から北越の温泉に出かけた「私」は、ふとしたことから「繁華な美しい町」に足を踏みいれる。すると、そこに突如人間の姿をした猫の大集団が……。詩集『青猫』の感覚と詩情をもって書かれたこの「猫町」(1935)をはじめ、幻想風の短篇、散文詩、随筆18篇を収録。前衛詩人としての朔太郎(1886―1942)の面目が遺憾なく発揮された小品集。」


目次:


猫町
ウォーソン夫人の黒猫
日清戦争異聞(原田重吉の夢)


田舎の時計

郵便局

自殺の恐ろしさ
群衆の中に居て
詩人の死ぬや悲し

虚無の歌
貸家札
この手に限るよ

大井町


秋と漫歩
老年と人生

解説 (清岡卓行)



萩原朔太郎 猫町 02



◆本書より◆


「猫町」より:

「或る日私は、軽便鉄道を途中で下車し、徒歩でU町の方へ歩いて行った。それは見晴しの好(よ)い峠の山道を、ひとりでゆっくり歩きたかったからであった。道は軌道(レール)に沿いながら、林の中の不規則な小径を通った。所々に秋草の花が咲き、赫土(あかつち)の肌(はだ)が光り、伐(き)られた樹木が横たわっていた。私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山中に伝説している、古い口碑(こうひ)のことを考えていた。(中略)彼らの語るところによれば、或る部落の住民は犬神に憑(つ)かれており、或る部落の住民は猫神に憑かれている。犬神に憑かれたものは肉ばかりを食い、猫神に憑かれたものは魚ばかり食って生活している。
 そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避けて忌(い)み嫌(きら)った。「憑き村」の人々は、年に一度、月のない闇夜(やみよ)を選んで祭礼をする。その祭の様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えない。稀(ま)れに見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話をしない。彼らは特殊の魔力を有し、所因の解らぬ莫大(ばくだい)の財産を隠している。等々。」
「日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、おそらく風俗習慣を異にした外国の移住民や帰化人やを、先祖の氏神にもつ者の子孫であろう。あるいは多分、もっと確実な推測として、切支丹(キリシタン)宗徒の隠れた集合的部落であったのだろう。しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。(中略)理智は何事をも知りはしない。理智はすべてを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜(かぶと)を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。
 こうした思惟(しい)に耽(ふけ)りながら、私はひとり秋の山道を歩いていた。その細い山道は、径路に沿うて林の奥へ消えて行った。目的地への道標として、私が唯一のたよりにしていた汽車の軌道(レール)は、もはや何所にも見えなくなった。私は道をなくしたのだ。
 「迷い子!」
 瞑想から醒めた時に、私の心に浮んだのは、この心細い言葉であった。」

「私が始めて気付いたことは、こうした町全体のアトモスフィアが、非常に繊細な注意によって、人為的に構成されていることだった。単に建物ばかりでなく、町の気分を構成するところの全神経が、或る重要な美学的意匠にのみ集中されていた。空気のいささかな動揺にも、対比、均斉(きんせい)、調和、平衡等の美的方則を破らないよう、注意が隅々(すみずみ)まで行き渡っていた。しかもその美的方則の構成には、非常に複雑な微分数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、異常に緊張して戦(おのの)いていた。例(たと)えばちょっとした調子はずれの高い言葉も、調和を破るために禁じられる。道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも、着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、デリケートな注意をせねばならない。町全体が一つの薄い玻璃(はり)で構成されてる、危険な毀(こわ)れやすい建物みたいであった、ちょっとしたバランスを失っても、家全体が崩壊して、硝子が粉々に砕けてしまう。それの安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、それの対比と均斉とで、辛(かろ)うじて支(ささ)えているのであった。しかも恐ろしいことには、それがこの町の構造されてる、真の現実的な事実であった。一つの不注意な失策も、彼らの崩壊と死滅を意味する。町全体の神経は、そのことの危懼(きく)と恐怖で張りきっていた。美学的に見えた町の意匠は、単なる趣味のための意匠でなく、もっと恐ろしい切実の問題を隠していたのだ。
 始めてこのことに気が付いてから、私は急に不安になり、周囲の充電した空気の中で、神経の張りきってる苦痛を感じた。町の特殊な美しさも、静かな夢のような閑寂さも、かえってひっそりと気味が悪く、何かの恐ろしい秘密の中で、暗号を交(かわ)しているように感じられた。何事かわからない、或る漠然(ばくぜん)とした一つの予感が、青ざめた恐怖の色で、忙がしく私の心の中を馳(か)け廻った。すべての感覚が解放され、物の微細な色、匂(にお)い、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気には、死屍(しし)のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩(たか)まって行った。此所(ここ)に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る! 起るにちがいない! 
 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑閙して、静かに音もなく、典雅な人々が歩いていた。どこかで遠く、胡弓(こきゅう)をこするような低い音が、悲しく連続して聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこかで一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であった。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体が混乱の中に陥入(おちい)ってしまう。
 私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死に踠(もが)いている人のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪(ゆが)んで、病気のように瘠(や)せ細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏の脚(あし)みたいに、へんに骨ばって畸形(きけい)に見えた。
 「今だ!」」



「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」より:

「或る麗(うら)らかな天気の日に、秋の高い青空を眺めながら、遠い昔の夢を思い出した。その夢の記憶の中で、彼は支那人と賭博(ばくち)をしていた。支那人はみんな兵隊だった。どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管(キセル)を口にくわえて、悲しそうな顔をしながら、地上に円(まる)くうずくまっていた。戦争の気配もないのに、大砲の音が遠くで聴(きこ)え、城壁の周囲(まわり)に立てた支那の旗が、青や赤の総(ふさ)をびらびらさせて、青竜刀の列と一所に、無限に沢山連なっていた。どこからともなく、空の日影がさして来て、宇宙が恐ろしくひっそりしていた。
 長い、長い時間の間、重吉は支那兵と賭博をしていた。黙って、何も言わず、無言に地べたに坐りこんで……。それからまた、ずっと長い時間がたった……。目が醒(さ)めた時、重吉はまだベンチにいた。そして朦朧(もうろう)とした頭脳(あたま)の中で、過去の記憶を探そうとし、一生懸命に努めて見た。だが老いて既に耄碌(もうろく)し、その上酒精(アルコール)中毒にかかった頭脳は、もはや記憶への把持(はじ)を失い、やつれたルンペンの肩の上で、空(むな)しく漂泊(さまよ)うばかりであった。遠い昔に、自分は日清戦争に行き、何かのちょっとした、ほんの詰らない手柄をした――と彼は思った。だがその手柄が何であったか、戦場がどこであったか、いくら考えても思い出せず、記憶がついそこまで来ながら、朦朧として消えてしまう。
 「あア!」
 と彼は力なく欠伸(あくび)をした。そして悲しく、投げ出すように呟(つぶや)いた。
 「そんな昔のことなんか、どうだって好(い)いや!」
 それからまた眠りに落ち、公園のベンチの上でそのまま永久に死んでしまった。」



「秋と漫歩」より:

「私の故郷の町にいた竹という乞食(こじき)は、実家が相当な暮しをしている農家の一人息子(ひとりむすこ)でありながら、家を飛び出して乞食をしている。巡査が捕えて田舎(いなか)の家に送り帰すと、すぐまた逃げて町へ帰り、終日賑やかな往来を歩いているのである。」




こちらもご参照下さい:

清岡卓行 『萩原朔太郎『猫町』私論』
『定本 柳田國男集 第二十二卷 野草雜記 野鳥雜記 他』 (新裝版)


柳田國男「猫の島」より:

「多くの家畜の中では猫ばかり、毎々主人に背いて自分等の社會を作つて住むといふことが、第一には昔話の昔からの話題であつた。九州では阿蘇郡の猫嶽を始とし、東北は南部鹿角郡の猫山の話まで、いゝぐあひに散布して全國に行はれて居るのは、旅人が道に迷うて猫の國に入り込み、怖ろしい目に遭うて還つて來たといふ奇譚であつた。猫嶽では猫が人間の女のやうな姿をして、大勢聚つて大きな屋敷に住み、あべこべに人を風呂の中に入れて猫にする。」
「中國方面で折々採集せられる例では、この猫の國の澤山の女たちの中に、一人だけ片眼の潰れた女が居た。それが夜中にそつと入つて來て、私は以前御宅に居たトラといふ猫です。爰に居ると命があぶないから、早くお遁げなさいと教へてくれる。(中略)つまりは猫が必ずしも人類の節度に服せず、ともすれば逸脱して獨自の社會を作らうとするものだといふことを、稍〃アニミスチックに解釋して居た名殘とも認められるのである。」























































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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