ひとでなし図書館選定図書

「この門をくぐる者はいっさいの人間中心主義を捨ててよ」

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◆ひとでなし図書館選定図書◆


・植物になる

「赤煉瓦(あかれんが)の建物のバルコニーで
夕暮の空をながめて
アイルランドの百姓の幽霊
ばかり思いつづけた」


(西脇順三郎 「自伝」より)


「「肉体も草花もあたしには同じだわ」」

(西脇順三郎 「アン・ヴァロニカ」より)


「梨色になるイバラの実も
山樝(さんざし)の実もあれ程 Romantique なものはない
これほど夢のような現実はない
これほど人間から遠いものはない
人間でないものを愛する人間の
秋の髪をかすかに吹きあげる風は
音もなく流れて去ってしまう」


(西脇順三郎 「山樝の実」より)


内田善美 『空の色ににている』
 
「「ひとりしずか
うまごやし
あざみ
山吹
夾竹桃
さんざし
さぎそう
瑠璃柳
 
これ……
お呪(まじな)いかな
 
ほら
羊を
数えるでしょ?
あれに
似ている
 
こんなふうに
おもいつくまま
花や木を呼ぶと
 
ぽっ
…ってね
 
なんだか
だんだん
だんだんね
 
ぽっ
ぽって
気分に
なってくるのね」


・月世界植物図鑑

Michel Butor - Herbier lunaire


・妖怪になる

泉名月 『鬼ゆり』

「「お話しをお作りになるお姫様が、白い大蛇(おろち)のとぐろの上にお坐りあそばして、鷲と鮫に守られながら、お美しい物語を、鬼百合の赤い花弁の上に書きこんでいらっしゃるのだ」といいます。「けれどもそのお話はあまりにも美しくて、世間の人は正気を失うような、気の狂うような、また、お姫様も仙女のような方なので、俗人に見られないよう、鷲や鮫や大蛇がお守りしているのだ」というのです。」


・化けものになる

永田耕衣 『山林的人間』

「私はこの化物(ばけもの)という言い方がたまらなく好きだ。それでつい、俳句も化物になっていなければダメだ、本然でない、と思いこむことが好きだ。」


・迷子になる

エドワード・ゴーリー 『蒼い時』 (柴田元幸 訳)

堀切直人 『迷子論』


・愚者になる

ルドルフ・ベルヌーリ/種村季弘 訳論 『錬金術とタロット』

「愚者は参加しない。おのれの周りをめぐるきらめく回転木馬を無関心にながめやる。彼は中心に、車輪の轂(こしき)に、回転のさなかにも静止していることができる地点に微動だにせずとどまるのである。彼は世俗の栄誉をことごとく放棄している。」


・自閉症児になる

オリバー・サックス 『妻を帽子とまちがえた男』  (高見幸郎・金沢泰子 訳)

「ウィリアムをふたたびつなぎ合わせようとしたわれわれの努力は、すべて失敗した。ますます作話へ駆り立てるだけの結果となった。しかし、われわれがあきらめて彼のそばからはなれると、ときおり彼は、病院の静かでおだやかな庭へとはいってゆく。そして静寂のなかで、自分自身の平静をとりもどすのである。他人がいると、彼は興奮してしゃべることになる。アイデンティティを見つけようとして際限なくしゃべり、陽気な非現実の混迷状態にみずからを追いこんでしまう。植物、静かな庭、人間のいない世界では、対人関係に気をつかう必要はない。だから彼は、アイデンティティの混迷状態から脱し、興奮状態から解放され、くつろいで平静になれるのだ。静寂と、十全にして満ち足りた雰囲気、しかもまわりはすべて人間以外のものばかりとあって、はじめて彼は静穏と充足感を味わうのである。人間のアイデンティティだの人間関係だのはもはや問題ではなくなり、あるものはただ、自然との、ことばによらない深い一体感である。そしてこの一体感を通じて彼は、この世に生きていること、偽りのない真正な存在であることを感じとるのだ。」


・ロシア的人間になる

井筒俊彦 『ロシア的人間』

「疑いもなく、レールモントフは一個の憑かれた人だった。悪霊に憑かれた人というよりも、むしろ自分が一個の魔性のもの。意地悪い運命の悪戯か、それとも何かの間違いで、この世に迷い込んできた異国人。地上のどこにも故郷をもたぬ漂泊の旅人。だから彼は広い世界のどこにも住むべき場所をもたず、どこにも身寄りというものをもたない本当に孤独の人なのだ。レールモントフのデモンは宇宙的孤独(cosmic isolation)の象徴だ、と評論家ヤンコ・ラヴリンが書いている。そう言えばボードレールも「散文詩」の冒頭に置かれた不思議に淋しく、また美しい「異国人(エトランジェ)」の中で、これと同じ魂の孤独を歌っていた。父もなければ母もなく、兄弟も姉妹も友達もなく、生れた国の名すら知らぬ、このボードレールの「奇妙な異国人」は何かに魅入られたように「私は雲を愛する……逝く雲を……彼方に、遥か彼方に逝くあの素晴らしい雲を!」と叫ぶ。それと同じくレールモントフも空逝く雲を愛し、自分をそれに譬えた。彼にもまた確かに「奇妙な異国人」の意識があった。地上に生きている全ての人の中で、自分だけが完全に異質的であり、したがってこの世にある限り、永遠の漂泊と孤独とだけが自分の運命であることを、彼は痛々しくも感じていた。この底知れぬ深淵のうちに、彼の特徴ある抒情性の根源の一つがある。ただ一抹の温かみも残さぬ、凍りきった、冷たい非人間的なあの抒情性だ。」

「およそ真にエレメンタールなものは暗く、陰惨で、怖ろしいものだ。星影もない夜の底知れぬ暗黒は妖(あや)しい恐怖と戦慄に充ちている。(中略)『地下室の住人』こそドストイェフスキー的文学の出発点をなすものなのだが、こういう意味では、ロシア的人間自体がすでにその本質上、地下室の住人であり、ロシア文学全体が――したがってまたロシアそのものが――一つの巨大な「地下室」と考えられないだろうか。しかしもちろん、この地下室はただ暗くて憂鬱なだけではない。実はこの暗闇の中には、昼の世界が夢にも知らない猛烈な歓喜が、メレシュコフスキーのいわゆる「夜の子供達」だけにわかる暗黒の情熱がどよめき渦巻いているのだ。」

「オブローモフ精神もこのロシア的無限性の一つのネガティヴな現れにすぎない。オブローモフが寝台に朝から晩まで臥(ね)たままで何一つしなくとも、実にロシア的で、偉大ですらあるのはここから来る。両腕を大きく広げて、兄弟をも他人をも、敵をも味方をも、いや全世界をも抱きしめようという大きな人間性の、それは消極面なのだ。」

 
・病人になる

種村季弘 『土方巽の方へ―肉体の六〇年代』
 
「土方さんは、(中略)脚の長さが左右で五センチ違っていたそうです。(中略)五体満足な人は、踊る必要はないわけですね。まっすぐに歩いていればいいんですから。踊るということは、「歩く以外の何か」なんですね。」
「それを繰り返し言っていますね。びっこの犬とか、一本足の人が羨ましい、あれに嫉妬すると。つまり、自分は(中略)二本足で歩いていかなきゃいけないんだれども、びっこの犬はそのままで生きていられる。奇形のものでも、ちゃんと日常があって、そこでおおらかに生きているじゃないか、と。それが根拠なんだね。だから、彼を非日常な人だと思っている人がいるけれども、非常に日常というものを大切にした人だと思うんです。誰もが日常を持っているので、いまの世の中に合致するような人だけが日常じゃないんだ、と。」
「舞姫の動きは、病気があるから出てくるんだよね。いまのヒーリングなんていうのは嫌な思想だと思うんだ。
病気が好きだ、というやつがいるんです。ぼくなんかもそうなんだ。病気であることが好きなんです。その中でしか自由が獲得できないという認識みたいなものがあるんだね。(中略)それは肉体の認識ですよ。」
(「土方巽と美術」)


・「フリークス」になる

レスリー・フィードラー 『フリークス ― 秘められた自己の神話とイメージ』 (伊藤俊治・旦敬介・大場正明 訳)
 
 
・動物になる

ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ 『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』 (市倉宏祐 訳)

『澁澤龍彦コレクション』 全三巻
 
「私はたまたまホモ・サピエンスとしてこの世に生まれたが、しかし人間性とは、どう考えても空虚な概念だとしか思えないような気持が私には根強くある。」
「カフカではないが、私はいつでも動物に変身することによって、忘れ去られた誕生以前の記憶を掘りおこしたいと望んでいる。ドゥルーズ=ガタリがうまいことをいっているが、「動物への変身は動かないまま、その場で実現される旅」なのである。単に動物への変身のみと限らず、かつてピコ・デッラ・ミランドラがいったように、人間はあらゆるものに変身しうるカメレオンだと考えたほうが、はるかに私などには好ましいような気がする。」
「ヒエラルキアの頂点にいるつもりの天使でさえ、つい隣りを見れば、そこには見るも恐ろしい怪物がいるという、この切れ目のない円環は完全に無差別平等である。人間概念を逸脱しなければ、ついに人間というものを知ることはできないという、一つの形而上学的なパラドックスを具現しているのが、人間の頭の中から生み出された怪物だといってもよいであろう。」


・鬼になる

馬場あき子 『鬼の研究』

「それにしても、鬼とは群聚するものであろうか。どうもそうではなさそうな気がする。(中略)その心は「鬼哭」の語の存するのをみてもわかるとおり、孤独な切迫感がみちている。その祀られず慰められなかった死者の心は飢えており、飢えが或る時、怨みや憤りに転化しないものではない。その飢えはさまざまで、けっして他と同じくしうるものではないゆえに、鬼はつねに孤独であり、時には孤高でさえあるのだ。」


・天狗になる

黒田硫黄 『大日本天狗党絵詞』 全四巻

「おまえの家はおまえの家でなく
この都市も我々の都市ではない
だがこの空は我々のものだ」


・乞食になる

アントナン・アルトオ 『タラユマラ』 (伊東守男 訳)

「タラユマラス族は町にやって来ると、乞食をする。それもまことに注目すべきやり方で行なう。家々の戸口の前で足を止め、尊大な侮蔑を浮かべながら、家に対して横に構える。彼らはこう言いたげだ。「お前は金持ちの犬だ。俺はお前より上等な人間だ。俺はお前に唾を吐く。」
彼らに施しをしても、またしなくても彼らはいつでも同じだけ時間が経つと引き退る。なんとなれば、何も持たぬ者に恵みを与えるというのは彼らにとっては別に義務でさえない。それは白人世界が裏切ってしまった物理的な相互扶助性の法則である。彼らの態度はこういっているようだ。「法則に従うことによって、お前はお前のためになっているのだ。従って私はお前に礼をいう必要はない。」」
「我々が慈善と呼んでいる物理的な相互扶助性の法則をインディアンたちはごく自然に、なんの憐憫もなく実行しているのである。何も持たぬ人々、そうなった原因には数々あろう。収穫を失ってしまったから、とうもろこしを燃してしまったから、父親が何も残さなかったから、あるいは別に正当化する必要もない理由からか何も持たぬ人々は朝日が昇るとき、何かを持っている人々の家にたどり着く。直ちに、家の女主人は彼女が持っているすべてを彼らに施す。誰も何も見ないのだ。与えるものも、施しに授かる者も。食った後に、乞食は感謝することもなしに、誰も見ずに去ってしまう。」


・仙人になる

多田智満子 『犬隠しの庭』

「仙人たちもけっこう賭博が好きで、いろいろなものを賭けたようだ。いくつもの話が伝わっているが、中でも私がいちばん好きなのは、或る人の庭の橘(みかんの類)の木が巨大な実をつけた。割ってみると中に小さな仙人が二人、相対座して碁を打っていたというとぼけた物語である。仙人たちは浮世の外で、自分たちだけの遊戯空間をしつらえていたのであろう。」


・独学者になる

谷川健一 『独学のすすめ』

「正統的な学問をやれば大学の先生になり、社会的には認められ、自分でも安定感をもつかもしれない。しかし独学者にはそれがない。(中略)社会的評価というのは、独学者にとってはある意味で邪魔でもあるわけです。本当の独学者というのは、それを無視できるわけです。(中略)疑わないかぎりは、学問の進歩はない。信仰になってしまいますから。学問は信仰になってはいけない。」


・自分自身になる

間章 『非時と廃墟そして鏡―間章ライナーノーツ』

「デレク・ベイリーが我々に教えていった最も大切な事は、「誰でもがその人間の固有性と自在性の中に立ってその人間そのものであれば、それは最大の可能性と自由を手に出来る。その人間がそのものであれば」。」

間章 『僕はランチにでかける』

「ルー・リードは誰よりも遠いところへいった。誰よりもアナーキー、それが生きることの本質であり、愛することの本質であるということを知る深いところまでいった。孤独な魂は救いうるか? という人間の永遠の問いにルーは身をもってひとつの可能性を開いたのだ。たとえば〈自分自身を見つめ、自分自身と出会うことによってあらゆる地獄を誠実に生きそして超えることによって、自己は非人称の愛によって救われる〉、そしてそれは〈自分をあるがままに自らの固有性において高めることによってのみ可能である〉という方位において。(中略)やさしさはすべてではない。自我によって守られている限りは。人は一生を通した自分の経験をけんめいに生きることによってしか何ものにも達しえない。一生が修行なのだ。そして愛すること以外に何があろうか。」



その他の本:

R・A・ラファティ 『昔には帰れない』 (伊藤典夫・浅倉久志 訳/ハヤカワ文庫)

Jason Weiss (ed.) "Steve Lacy: Conversations"

『西脇順三郎対談集 詩・言葉・人間』













































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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