『澁澤龍彦コレクション 1 夢のかたち』

「なかには、いかにも嘘っぽい夢というのもある。しかし肩肘張らずに、嘘っぽい夢をも嘘っぽい夢として楽しもうというのが私の編集方針である。リアリズムなんか犬にでも食われるがいい。」
(澁澤龍彦 「編者による序」 より)


『澁澤龍彦コレクション 
1 夢のかたち』


河出書房新社 
1984年11月10日 初版印刷 
1984年11月20日 初版発行
295p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,300円
装本: 菊地信義

月報 1 (8p):
夢への敬意(多田智満子)/華やぐ夢見(中沢新一)/この巻にあらわれる[原著者・原著作]一覧



本書「編者による序」より:

「本書の翻訳について簡単に記しておく。原文にあたれるものはできるだけ原文にあたって、私自身の手になる訳文にするように努めたが、なかには諸家の既訳をそのまま流用させてもらった部分もある。」


全三巻。


澁澤龍彦コレクション 夢のかたち


帯文:

「語りえぬ不思議を
語ろうとする 古代からの
多彩多様な夢の記述の
一大絵巻
ホメーロスから
マンディアルグまで
126の断章を収録」



帯背:

「胸躍る
言葉の
博物館」



帯裏:

「驚異博物館 種村季弘
三つの標本箱がある。名づけて「澁澤龍彦コレクション」。ここには無定形なものは何一つない。夢ならあくまでも夢のかたちであり、エロチシズムは畸形学や天使学を通じて整然たる博物誌的構図に配置され、冷たく明るい古典主義的感性のセレクターを通して選びぬかれた、さまざまの情念の結晶体が硬質の輝きにきらめく、これは稀代の目利きが創出した、夢、物体、エロチシズムの三位一体からなる驚異博物館である。」



目次:
 
編者による序

世界の終り マリ・パシュキルツェフ
夢の季節 プリニウス
眠る女のアリバイ コクトー
ゴッフレードの夢 タッソー
夢にあらわれたラウラ サド
見るならば面白い夢 ニーチェ
大孔雀王の夢 明恵
キャルパーニアの夢 シェイクスピア
ペネロペイアの夢 ホメーロス
デ・ゼッサントの夢 ユイスマンス
死んだ母の夢 リヒテンベルク
母と同衾した夢 ヘロドトス
イオカステの意見 コクトー
眠りは劇場支配人 ゴンゴラ
メルモスの夢 マチューリン
刺激が物語をつくる エルヴェ・ド・サン=ドニ
殺してしまった夢 アミエル
夢の中の夢 ノヴァーリス
眠ってばかりいる人間の国 列子
人語をあやつる雄鶏 カルダーノ
ころがり落ちた瓶 メーテルランク
近づいてくる葬列 メリメ
忘れたアドレス カフカ
断頭台の夢 アルフレッド・モーリ
眠りよ コルビエール
白昼夢 ビアズレー
夢を記憶する法 南方熊楠
ポンペイの廃墟で イエンゼン
娼婦の家 ボードレール
ばらばらに読んだページ ショーペンハウアー
ディアナ女神の胸のような マンディアルグ
仮面の女たち ジャン・ロラン
ままならぬ夢 柳沢淇園
夢で長老に出会う アッタール
飛行の夢 ブリヤ=サヴァラン
意識的にみる夢 ジャン・パウル
艶夢を生み出す機械 アポリネール
夢の夢 ポー
阿片の夢 ド・クインシー
音楽による夢の実験 エルヴェ・ド・サン=ドニ
秤を手にして ニーチェ
スワンの夢 プルースト
眠りは理性を解放する トマス・ブラウン
或る終末風景 ファルグ
空中楼閣 コールリッジ
魚とともにあそぶ 上田秋成
帝王シャルルの夢 ローランの歌
夢には何の意味もない エピクロス
美しい鳥 ゲーテ
足下に地球を見る マリ・パシュキルツェフ
墜落した天使の夢 ネルヴァル
天使のまぼろし チェッリーニ
天体から発する力 アグリッパ
箱の中の夢 笠女郎
夢の虎 ボルヘス
夢の延長 フローベール
新しい地球 ラルボー
王さまの夢 キャロル
悪魔を見た中世の修道士 グラベール
デカルトの三つの夢 バイエ
焼き殺される夢 リヒテンベルク
自分が死んだ夢 ゴーティエ
妻が強姦される夢 ジュアンドー
淫夢女精 ユイスマンス
夢を信じる男と信じない男 千夜一夜物語
天上のひと ネルヴァル
夢の中の人間 パピーニ
夢中に得た石 木内石亭
理想的な夢の交接 ゴンクール
夢と責任 ニーチェ
エオリアン・ハープの音 バトラー
音楽の夢 シェイクスピア
法に背く行為 アルテミドロス
夢の中の女の幻影 ルクレティウス
キュンティアの亡霊 プロペルティウス
夢の以心伝心 メーテルランク
象形文字的な夢 ボードレール
前世の思い出 ノヴァーリス
陰陽の気 列子
海辺にて ブルトン
なつかしさと悲しみと海と ヴァレリー
幻の猫 イェイツ
女神の顕現 アプレイウス
クリュタイメストラの夢 アイスキュロス
モンゴグルの夢 ディドロ
二人同夢 今昔物語集
夢の世 カルデロン
二つに分れた人格 ゴーティエ
一つの夢から別の夢へ ホーフマンスタール
健康と不健康 ヒポクラテス
安楽死への期待 ブリヤ=サヴァラン
近づいてくる死 ヘミングウェイ
肉欲の感覚 ゴンクール
不幸な残骸 フランス
夢を食う 貝原好古
新しいメルジーネ ゲーテ
エディットの夢 バタイユ
空虚な夢 ワイルド
夢を借用する詩人 ノディエ
夢の王冠 マラルメ
無痛の夢 ディドロ
人形変じて女人となる 明恵
見たままを語るとすれば ベルトラン
幻の舟 ポー
ポリフィルの夢 コロンナ
悪魔のかけた罠 デカルト
スナークの夢 キャロル
夢解きへの疑問 ボルヘス
悪魔が送ってくる夢 テルトゥリアヌス
夢中遊魂 松浦靜山
イヴの夢 ミルトン
いつになったら ブルトン
夢のアリバイ ヴァレリー
ただよう寓話、短い夢 クラショー
卵の夢 マンディアルグ
虎に噛まれた夢 捜神記
国王と職人 パスカル
幽霊と寝た夢 テオフィル・ド・ヴィヨー
黄色い水の流れる河 ロティ
嫉妬の夢 サド
夢の門 ウェルギリウス
地下に降りる夢 ホフマン
もののけの出現 源氏物語
窓から子どもがのぞく エミリ・ブロンテ
剣闘士の夢 ジャリ
神の夢 エリファス・レヴィ

 


◆本書より◆


「編者による序」より:

「いかにも本当らしい夢というのは、いかにも本当らしく語られた夢ということでしかない。夢のリアリティーは、語りのリアリティーによって保証されるよりはかはないらしいのだ。」
「いずれにせよ、私がここで確認しておきたいのは、語られた夢は夢そのものとは別物だということである。
 といっても、夢そのものをコレクションするわけにはいかない。コレクションの対象になるのは、いつでも語られた夢にほかならない。あるいは記述された夢といってもよい。それはあたかも、生きた昆虫が標本にはならないようなものであろう。」
「はるかな過去から飽くことなく人類のこころみてきた、夢を語るという一つの文学ジャンルにも、独自のおもしろさがあることを私はここで強調しておきたい。」
「なかには、いかにも嘘っぽい夢というのもある。しかし肩肘張らずに、嘘っぽい夢をも嘘っぽい夢として楽しもうというのが私の編集方針である。リアリズムなんか犬にでも食われるがいい。」
「「もうまともに青い花が夢みられることはない。今日、ハインリヒ・フォン・オフターディンゲンとして目をさます者は、寝すごしたのにちがいない」とヴァルター・ベンヤミンが書いている。その通りだろう。寝すごすほどの覚悟がなければ、私たちはおちおち夢もみていられない時代に生きているのである。」



「眠ってばかりいる人間の国  
『列子』周穆王第三」:

「世界の西のはずれ、南のすみに一つの国がある。この国は、隣りの国がどうなっているのか一向に分らず、古莽(こもう)の国と呼ばれている。陰陽の気さえも作用しないところである。したがって暑さ寒さの区別もない。また、月や太陽の光も射してこないところである。したがって夜と昼の区別もない。その国の住民は、飯も食わなければ衣服も着ず、眠ってばかりいて、五十日に一度だけ目をさます。そして、夢の中でやったことが現実のことであって、目のさめているときの出来事は虚妄のことだと思いこんでいる。」


「眠りは理性を解放する
トマス・ブラウン『医師の宗教』第二部」より:

「考えようによっては、私たちすべてがこの世で眠っているのだと想像したとしても、そしてこの人生で私たちの考えることは単なる夢のごときものだと想像したとしても、べつだん悲しむべきことはないであろう。夜の幻覚があるように、昼間の思想もあるにすぎない。前者も後者もいわば同じような錯覚で、後者は前者の表象あるいは似姿でしかないように思われる。私たちは、眠っているときの私たち自身とはいくらか違った存在にすぎなくて、私たちの肉体のまどろみは魂の目ざめにほかならないように思われる。眠りは感覚を金縛りにするが、かえって理性を解放する。覚醒時の私たちの思考は、睡眠時の気まぐれな想像力に敵すべくもないのである。」


「音楽の夢
シェイクスピア『テンペスト』」:

「キャリバン  こわがることはないよ。この島はいつも音でいっぱいだ。音楽や気持のよい歌声が聞えてくるが、楽しいだけで何ともありはしない。ときには数えきれないほどの楽器が耳もとでびんびん響くこともある。かと思うと、歌声がただよってきて、ぐっすり眠ったあとなのに、また眠くなってしまうこともある。そして夢をみると、雲が二つに割れて、そこから宝物がどっさり落ちてきそうな気がする。だから、そこで目がさめたときなんか、もう一度夢のつづきが見たくて泣いたものさ。」


「夢を食う
貝原好古『日本歳時記』」:

「十二月二十八日、この夜、獏(ばく)の形を図して枕に加え侍れば悪夢を避くるとて、今の世俗にすることなり。俗説に、獏は夢を食う獣なるゆえこれを用うるといえり。按ずるに、獏は『爾雅』に出でたり。鉄銅および竹を食らう。唐の白居易が「獏屏の賛の序」にいわく、象鼻犀目、牛尾虎足、その皮に寝(い)ねて湿を避け、その形を図して邪を避く、今俗これを白沢と謂う、と。また陸佃がいわく、皮を坐毯臥褥となせば、すなわち膜外の気を消す、と。これらの説をもって見侍れば、邪気を避くるものなるゆえ、今宵このことをするなるべし。夢を食うということはいまだその説を見侍らず。ただし『続漢書』に、大儺(たいな)のとき、伯奇という神、夢を食うということ侍り。『山海経』にも記せり。されども獏のことなし。ことに夢は睡中の思想にして、形ある物にしあらねば、これを食うといえるも理(ことわり)なきことにぞ侍る。」




こちらもご参照ください:

『澁澤龍彦コレクション 2 オブジェを求めて』















































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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