種村季弘 『壺中天奇聞 』

「彼は生れながらにして天涯寄辺ない私生児である。(中略)生れ落ちた瞬間から、彼は自分を人生の過客と意識している。(中略)存在の根拠とすべき足掛りが何ひとつない。彼は無根拠を根拠として存在しなくてはならないだろう。」
(種村季弘 「孤独のロゴス」 より)


種村季弘 
『壺中天奇聞
― 種村季弘作家論』


青土社 
昭和51年5月20日印刷
昭和51年6月5日発行
259p 初出一覧1p 
A5判 丸背クロス装上製本 函 
定価1,800円



日本文学論集。


種村季弘 壺中天奇聞 01


帯文:

「種村季弘作家論集
マクロの世界がミクロの世界に収斂する壺中の天地を文学にたずね、怪奇・幻想・耽美・綺想の系譜をたどる「もう一つ」の日本文学史」
 

 
目次 (初出):

I
上田秋成
 孤児のロゴス――雨月物語をめぐって (「別冊現代詩手帖」 昭和47年10月)
四世鶴屋南北
 南北対極考 (「国文学」 昭和46年9月号)
月岡芳年
 デカダンスの論理 (芳年画集 「血の晩餐」 解説 番町書房 昭和46年2月)
斎藤緑雨
 逃げる男――戯作と悪漢小説の方法 (「国文学」 昭和48年12月号)
泉鏡花
 水中花変幻 (「別冊現代詩手帖」 昭和47年1月)

II
ボードレール
 覗く人――都会詩人の宿命 (「ユリイカ臨時増刊 ボードレール」 昭和46年4月)
北原白秋
 水源の涸れるとき (「ユリイカ」 昭和48年12月号)
志賀直哉
 時任謙作の去勢願望 (「太陽」 昭和49年8月号)
牧野信一
 母からの逃走 (「国文学」 昭和49年6月号)
萩原朔太郎
 歪んだ足つきの詩人 (「ユリイカ」 昭和50年7月号)
矢野目源一
 黄金仮面の王 (シュオブ著 「黄金仮面の王」 解説 コーベブックス 昭和50年9月)

III
坂口安吾
 ピュグマリオンの走法 (「国文学」 昭和50年6月号)
稲垣足穂
 壺中天奇聞 (稲垣足穂著 「びっくりしたお父さん」 解説 潮出版 昭和50年4月)
吉行淳之介
 南瓜の馬車が迎えに来るまで (吉行淳之介著 「子供の領分」 解説 番町書房 昭和50年12月)
吉岡実
 吉岡実のための覚え書 (「ユリイカ」 昭和48年9月号)
澁澤龍彦
 メートル原器のある庭園 (「ユリイカ」 昭和50年9月号)

あとがき



種村季弘 壺中天奇聞 02



◆本書より◆


「孤独のロゴス」より:

「父はなく、母はほとんど面影を記憶にとどめるまもなく他界している。戸籍の出生欄はほとんど空白にひとしい。彼は生れながらにして天涯寄辺ない私生児である。(中略)生れ落ちた瞬間から、彼は自分を人生の過客と意識している。(中略)存在の根拠とすべき足掛りが何ひとつない。彼は無根拠を根拠として存在しなくてはならないだろう。」


「南北対極考」より:

「いずれにせよ最初のささやかな外傷とともにはじまる悪と攻撃は、傷口をしだいに押しひろげながらたえず外傷の記憶を新たにするであろう。精神分析学者によれば、悪の発生は母-子の水も洩らさぬ一体性が第三者の介入によって中断されたときに現われるという。問題の第三者が父であれ、あるいは母との事実上の合体からの別離を意味する誕生行為そのものであれ、母-子関係から離脱した子はこの瞬間からエディプス葛藤の舞台に登場する。しかしこの最初の外傷が最初の悪の発生を促したのだとすれば、それゆえに外傷以前が、悪のまだ発生しない前エディプス的母親像の君臨する楽園が存在するはずである。そこではそもそも悪と善とはいまだに二元的に分離されておらず、唯一つの混沌が悪をも善をもひとしく無定形なるものとして潜在的に包摂し、はじまり以前の純粋な虚無がおのれ自身のうちに戯れているのみである。
 さて、もはやこの根源的な一致が喪われたとき、楽園をとり戻すべき方途はさし当り二つある。一つは喪われた一致の遠い記憶を辿りながらこの地上において原一致をくり返し模倣すること。すなわち原外傷をたえず縫合し直し、悪を悔悟することによって原状態還元を期待することである。第二にしかし、正反対の道を辿り、原外傷をたえず押しひろげて苦痛を新たにしながら、外傷の現存を通じて、その裂け目の彼方に外傷以前を指呼しようとする不一致の方法がある。すでに述べたように南北が選んだのは「地獄を通って天国に達する」道にも似た後者であった。一致よりは不一致を、かりそめの縫合よりは傷口のたえざる現存を、大義の表通りよりは不義の裏側を通ってふたたび帰りこぬ楽園、死せる前エディプス的母親像との合体を期待する。」
「永遠に女性的なるものの国にあっては、俗界のアウト・オブ・ローといえども、女性的なるものの冥府的破壊性と楽園的宥和性をともに備えながらいまだ二元の分裂を知らないあの大母神(マグナ・マーテル)の加護の下に、そのやりたい放題の悪の衝動をつねに全開せしめながらニルヴァーナに遊ぶ不一致の一致の幸福に浴するのである。」



「水中花変幻」より:

「水中生活への破局的な退行は古来妣たちの国へ下降していく逆行の旅の不可欠の前提であった。水にへだてられて陸上から孤絶した島ユートピアに水中生物への変身を通じて魔術的に往還したおびただしい伝説の主人公たちにとってそうであったように。」

「鏡花において特徴的なのは、くり返し述べたように、存在からの離別が例外なく水死として、水生者への逆変身として起ることである。かくて死は、たとえていえば鏡や水面に近づいて行くと鏡や水面の底から此方に向って進んでくるもう一人の自分とついに合体し、さらに此方が鏡や水のなかへ入って行くと、もう一人の自分が水の外、この世界に入ってくる、交替劇の一つの局面を意味する現象にすぎず、水底から仰ぎ見るもうひとつの視点からするならば、それはまぎれもない誕生なのである。」

「こうして水中生物が山にのぼり、高山の風景が水底に沈む驚異が一場の曲芸のように軽やかに現出したのであった。」



「覗く人」より:

「そもそも遊民にとって、彼が住みなれた都会は、(中略)生産手段としての実体をいささかも持たず、スクリーンに映った幻燈の映像、針穴を通して暗箱に封じ込められた多彩な外界、書割だらけのパノラマ、人工照明のなかに浮き上る蝋人形館のような「幻像」となる。言い換えれば、彼のガラスの眼は、都会全体をすっかり、夥しいオブジェの犇めくコレクションに変えてしまうのだ。群衆に主体があるとするならば彼の方が疎外された不毛な自動人形であるが、彼の側に欲望の主導権(フェティシズム)が移れば、都会風俗は玩具屋の飾窓のなかのミニアチュールのように、冷い硬質な輝きを放つオブジェとなって呪縛されてしまう。」

「ホフマンからポオを経てボードレールにいたる文学的遊民は、覗く人、生産社会から遊離して労働のために肉体を提供しない無職業人によって体現された。(中略)覗く人の発生が探偵小説または探偵の発生と同時であったことも注目に価いする。(中略)ホフマンの人形愛好、ポオの少女崇拝、ボードレールの娼婦礼讃、ホームズまたはコナン・ドイルのおそらく男色家であったかもしれない女嫌いは、いずれも彼らの、覗く人特有の現実との接触不能を物語る。(中略)覗く人は都会文学者固有のタイプなのだ。」



「時任謙作の去勢願望」より:

「自然を制御する父権社会を脅かすまでイノセントに自然が自己を主張するとき、それは、社会の眼からは悪と見做される。そのことは前にも言ったが、父権敵対者たる謙作が蝮のお政や栄花や箱屋殺しの花井お梅のような悪女に奇妙な共感を寄せるのもそのためである。謙作は、芸者仲間にさえ評判の悪いかつての女義太夫師栄花を「悪いのは栄花ではない」と弁護し、自分の犯した悪事を芝居に組んで見世物にしている蝮のお政を見ては、「悪事を働きつつあつた頃の生々とした張りのある心の上の一種の幸福」がいまは消えてしまったことを嘆き、花井お梅についても「寧ろ、罪を罪のままに押し通してゐる女の心の張り、その方に彼は遙かに同感が起るのであつた。」」
「謙作の悪女礼讃、残酷な美女たちへのロマン派的憧憬は、父権の制圧下に失われた自然と同一視された亡母への思慕と表裏をなしている。」

「だが、謙作自身のコキュ体験を通じて父権の仮面が落ちてみれば、父もまた一介の悲しい自然人にすぎなかったのだ。これが「和解」の真の意味である。すなわち謙作は社会を受け入れ、父権に追従することによってではなく、父のうちに父権の仮面を殺(そ)いだ愚かな自然人を再発見することによって和解に到達する。これを性的表象に翻訳するならば、去勢恐怖によって逆説的に促進されたファリック(男根)・ナルシシズムが放棄されつつ、冒頭に述べた去勢願望が育まれる。かくて父も子も、権力的な性器愛衝動を捨て、(中略)無垢な幼児たちのように永遠の遊戯の環を結ぶだろう。この瞬間に純粋な母の国が生成し、幼児のような性的不能状態に陥った重病人謙作の周囲には、直子をはじめとして新生児を看取る母にひとしい不滅の女たちが刻々にその数を殖しはじめるのである。」



「黄金仮面の王」より:

「ピエール・シャンピオンの『マルセル・シュオッブ』は世にも奇妙な伝記で、そこには生活における詩人の姿は何一つ記されておらず、アルチンボルドの「司書」のように書物に埋れ、(中略)尨大な書誌目録そのものと化した蒼白な顔の青年の肖像が描かれている。この男には読むことが一切であり、書物があたかも性愛の対象だった。
 「私はかつてこれほどの読書欲を見たことがない。そして死の近づく頃、マルセル・シュオッブには、もはや読むこと以外のどんな快楽もなかった。晩年の彼はベッドで読んだ。まるで色事をするためのように。ベッドがあらゆるものの代りをつとめていたのではなかろうか? 彼自身は想像力が涸渇したふりをしたがったけれども、その頃、彼は、その珍奇な果実のお土産つきの、何という空想旅行をしていたことだろう。」
 ピエール・シャンピオンがそう書いている早い晩年の後、シュオッブは三十八歳であわただしく世を去った。後続の世代のジイドのようにアフリカにも、マルローのようにアジアにも、ロレンスのようにアラビアにも行かなかったが、このベッドのなかの大考古学者、大旅行家は、いながらにしていたるところにいたし、歴史のどの時期にも、どこにもない都市の雑踏や宇宙炎上の後の最初の男女の交媾の現場にさえも立ち会うことができたのである。」



「壺中天奇聞」より:

「他者の体験と自己体験、壺の外と壺の中は普遍性において通底し、同一の空間曲率にしたがっているのでなければならない。壺中の空間は任意の一点からどの方角に進んでも元の地点に戻ってくるように郷愁の曲率に支配され、壺が飛ぶ外部の宇宙も、同じく直進すればかならずはじめの場所が現われてくるという曲率に干渉される。すなわち郷愁が内部でも、外部でも、直進するあらゆる方向に遍在しているすみれ色の世界である。そしていうまでもなく、この内部と外部とを相互貫入的に連結する装置が壺である。」

























































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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