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ジョン・ケージ 『音楽の零度 ― ジョン・ケージの世界』 近藤譲 編訳 (エピステーメー叢書)

「私達が必要としているのは、闇の周りを手探りすることなのです。」
(ジョン・ケージ)


ジョン・ケージ
『音楽の零度
― ジョン・ケージの世界』 
近藤譲 編訳

エピステーメー叢書

朝日出版社 
昭和55年12月25日 第1刷発行
157p 
19×11.5cm 
並装(フランス表紙) カバー 
定価880円



著書『沈黙(Silence)』から二篇、ロジャー・レイノルズ(Roger Reymolds)との対談二篇、そして『M』の序文抜粋からなるジョン・ケージ読本。


ケージ 音楽の零度 01


目次:
 
音楽愛好家の野外採集の友
合衆国に於ける実験音楽の歴史
『沈黙』の思想――レイノルズによるインタヴュー
『沈黙』の思想、その後――レイノルズとの対話
変革について――『M』への前書き(抄)

訳者あとがき



ケージ 音楽の零度 02



◆本書より◆


「『沈黙』の思想――レイノルズによるインタヴュー」より:
 
「ひとつの継続した[出来事]の状態を管理することから、言わば、それを管理しないことへと向かって移行し始めたばかりの頃の私は、[次に起こる出来事の]見込みを立てる或る種の経験的な知識というものから未だ解き放たれてはいませんでした。そして、初めの頃の私は、そうしたことから、或る[出来事]が来れば心地好いだろうということを見込み、何か他の心地好いかどうか判断できないことが起こるより、心地好いと判かっているそのことが起こるように望んだわけです。しかし実際には、そうした見込みから外れたことが起こったとき、その出来事が、何が心地好いかということについての私の意識を変えたことに気付きました。つまり、心地好いだろうとは思わなかったことも、事実心地好かったのです。そして、私の見方は徐々に、何が心地好いだろうかといったような定着した考えから、何が心地好いだろうかといったような考えを懐かないということへ変わってゆきました。(中略)今の私は、(中略)見込みを立てるための定着した考えをもとうとはしません。
 言い換えれば、私はむしろ、起こるだろうことについての好奇心と意識とを開いた状態に保ち、そして、次に起こるだろうことを経験的な知識から予測することができないような形に私の作曲の手段を整えるよう努めています。」

「象徴性については、私は特にそれが好ましいと思ったことはありません。
 私はそれについてひとつの異なった見方をもちつつあります。それが一対一の関係にあるとき、つまり、或る特定のものが他の特定のものの象徴である場合は、それが好ましいとは思えません。しかし、もし、世界の内に在るひとつひとつのものが、世界の内に在るほかのすべてのものの象徴として見られるのだとすれば、それは好ましいことだと思うのです。」

「私は『沈黙』で、中国の書『易経』の中の、人の生の奥義を示す六爻のことを話しました。その六爻は、通例、《芸術》[作品が人の心に働き掛ける様子]をも示すとされているわけです。そこでの《芸術》は、或る山の頂きで輝く光に譬えられます。その光は、周囲の闇を或る程度明るく照らします。こうした見方によって、《芸術》は、或る程度まで、生を貫く場に位置付けられるでしょう。さて、もし芸術と生とを分離したとすれば、或るいはこう言ってしまいましょうか、つまり、もしその光に着目し――光は闇よりも善く、闇よりも明るい――、それを《芸術》と呼ぶとすれば、……人はその明るさだけを手にすることになります。ところが、私達が必要としているのは、闇の周りを手探りすることなのです。なぜかといえば、(いつもではないにせよ、少くとも或るとき、殊に、私達にとって生が不確かになったとき)そこが私達の生きる場となるからです: 闇の中、或るいはキリスト教で言われるように「魂の暗い夜」。《芸術》が働くのは、こうした状況の中でなのです。そしてそのとき、それは只《芸術》であるのではなく、私達の生にとって有用なものとなるでしょう。」

「もし私がヴィヴラフォンを好きになれば、私にとって、世界はより開かれたものになるでしょう。それは私にはまったくよく判かっているのです。私はミューザックが嫌いですが、それについても同じことであって、もしそれが好きになれば、私にとって、世界はより開かれたものとなるでしょう。私はそうなるように努めるつもりです。ヴィヴラフォンやミューザックと折り合ってゆけるようになるために私が最も簡単に行なえることといえば、そうしたものを私の仕事に使うことでしょう。そしてこのような方法は、いわゆる未開の人々が彼等を脅かす野獣達と付き合うために行なったことと同じであると思うのです。」

「そう、社会状況の中で人が自分の行動方針をもち、その舵をどう取ってゆけばよいのかを知るのは、多くの場合難しいことだ、と私は思います。そこで私は、次のことを一種の羅針盤として使うことを決めたのです: 肯定的な行動を執ること、そして否定的な行動を採らないこと。否定的な行動とは、批判的な又は反論的な行動と言ってもよいでしょうが、たとえその批判の対象、戦いの相手が明らかに悪であるときでさえ、そうした行動を採らないこと。言い換えれば、私は悪を攻撃するよりも、私が肯定的だと考えることを促進したいのです。」








































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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