小海永二 『アンリ・ミショー評伝』

「ミショーは、アルトーが《世界の終末の疲労》と呼んでいたものに到達しているように思われた。彼の存在にわたしが感じたのは、彼もまた氷の時代からやって来た人間なのだと思われたほどの、熱の欠如だった。」
(アナイス・ニン 『日記』 第六巻)


小海永二 
『アンリ・ミショー評伝』


国文社 
1998年7月30日 初版発行
409p 索引12p 口絵(モノクロ)16p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価4,500円+税



本書「後書き」より:

「ミショーの評伝を書くことは、わたしが自分自身に与えた宿題だった。彼の日本語訳の全集を出し(それはまだ完璧な全集とは言えないが、とにかく全集と銘打ってもおかしくないだけの内容と分量ではあった)、彼の作品について文章を書き継いでくれば、残る主要な仕事は、評伝であろう。自分のミショーに関する仕事に区切りをつけるために、この評伝を書くことが不可欠だった。」


口絵図版35点。


小海永二 アンリミショー評伝 01


本書より:

「澁澤龍彦は、お互いに若かった頃、彼がサドを手がけ始めた当時の翻訳集、河出書房版『マルキ・ド・サド選集』全三巻(一九五六~五七年)をわたしの『アンリ・ミショオ詩集』と交換しないかと、書肆ユリイカの伊達得夫を通して、わたしに申し出た。その交換はすぐに実現された。」


小海訳『アンリ・ミショオ詩集』は1955年、書肆ユリイカ刊です。


目次:
 
第一章 家系と幼少年期
第二章 水夫体験と「ディスク・ヴェール」誌
第三章 ミショー、シュペルヴィエル、ポーラン
第四章 『かつての私』から『アジアにおける一野蛮人』
第五章 外部と内部への旅――一九三二年~一九三六年
第六章 戦争まで――一九三六年~一九三九年
第七章 第二次世界大戦下のミショー
第八章 結婚と定住、妻の死
第九章 探求への道程
第十章 メスカリンの実験
第十一章 画家ミショー
第十二章 晩年と死
終章 日本におけるアンリ・ミショーの発見
 
アンリ・ミショー年譜
参考書目一覧
後書き
人名索引




◆本書より◆


「第一章 家系と幼少年期」より:

「ミショーは写真嫌いで有名だった。(中略)ブルターニュのグエン=アエル・ボローレの家で一九五〇年に撮影されたミショーの写真が一枚残っているが、ボローレによれば、写真を撮られた時、ミショーは怒って《おれの魂を盗みやがった!》と言ったという。ある時期からは、ミショーは外出時には黒眼鏡をかけマスクをして、自分を見分けられないように顔をかくしていた。
 それでもジゼル・フルンドやブラッサイのような写真家たちには自分の写真を撮らせており、今日では、数は必ずしも多くはないが、ミショーの容貌を知る手がかりとなる彼の顔写真も残されている。」
「ミショーは大勢の人々に顔や名前を知られて有名になることを、少なくとも自分からは望んでおらず、おのれの未知性を守りたいと願っていた。彼の写真嫌いには、しかし、その他に、彼が自分の両親や縁者にそっくりの自分の顔を嫌っていたという理由があったことも、多分間違いはないだろう。」

「ミショーは、ルネ・ベルトレに対してこう語っている。
 〈一度だって望みのかなったことのない幼少年期でした。〉
 〈わたしは、幼少年期に戻れば戻るほど、自分が両親のもとで一人の異邦人だったという印象を、強く思い出すのです……わたしはすぐに口をききましたが、それは、自分が棄子だと言うためでした……六か月目からは、わたしは何もかも拒否していました。何も食べたいとは思わず、後には、話をしたいとも思いませんでした……わたしは一切のものの要求をはねつけました。わたしは人生を前にして歯を喰いしばっていたのです。〉」

「一九〇一年八月、彼の両親は、子供たちを連れてブリュッセル市郊外のドゥファックス通り六十九番地 69, rue Defacqz の家に引っ越す。」
「この家には庭がついていて、子供のミショーはそこで植物や昆虫を観察して長い時間を過ごした。人間を拒否し、動物や植物と化すことをこの子供は望んでいた。後年彼は〈彼は蟻の中に自分を置き忘れた。木の葉の中に自分を置き忘れた〉(「タアヴィ」)と書き、〈八歳の時、わたしはまだ植物として認められることを夢見ていた〉(「知識の薄片」)と書く。動植物へのミショーの熱烈な関心はこの幼少年期に始まり、死ぬまで続いた。」



「第二章 水夫体験と「ディスク・ヴェール」誌」より:

「ミショーはロートレアモンの『マルドロールの歌』を読んだ。彼は〈驚愕に飛び上が〉(「自筆年譜」)り、〈それはやがて彼の中で、長い間忘れられていた、物を書きたいという欲求を始動させる〉(同上)。」
「〈わたしが物を書いたのは彼のおかげです。その時までわたしはあまり書きたいとは思わず、あえて書こうとはしませんでした。わたしが『マルドロールの歌』を読み、自分の中にある真に異常なものを人は書き発表することができるのだと知った時、わたしは自分のための場所があると考えたのです。
 それは二十三歳の時でした。〉(ブレション「ミショーとの対話」)」



「第六章 戦争まで」より:

「ミショーは、ジャン・ポーランと「ムジュール」誌とが必ずしも評価しないジャック・プレヴェールの作品を支持して、彼を擁護する。詩風の対極に位置するかに見えるプレヴェールへのミショーの支持は、一見、奇異に思われるかもしれないが、ミショーはプレヴェールの作品に、文学の画一主義(コンフォルミスム)に反対する〈書くことの自由〉と独自性(オリジナリテ)とを見出して、それらを評価したのだった。」


「第十二章 晩年と死」より:

「ミショーは若い頃から神秘思想に惹かれ、多くの聖人伝を読みふけった。そして一九三一―三二年のアジア旅行でインドの神秘思想に直接ふれ、東洋の霊力に目を開かれた時から、ずっとそれへの関心を抱き続けてきた。晩年に至って(中略)、この傾向が顕著に強まっていることが、その詩や散文の中でのマンダラやタントラへの言及によって知れる。」

「デュビュッフェはミショーの肖像画(ポルトレ)を描いた。デュビュッフェの他にも、ルネ・マグリット、ハンス・ベルメールが、それぞれの流儀でミショーの肖像画を描いている。(中略)外国人の画家では特にイギリス人のフランシス・ベーコンがミショーを高く評価して、ミショーの絵を購入したり、ミショーの個展に一文を書いたりしている。」





























































































































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難破した人々の為に。

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趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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