鍵谷幸信 『詩人 西脇順三郎』

鍵谷幸信 
『詩人 西脇順三郎』


筑摩書房 
1983年7月1日 初版第1刷発行
272p 口絵(モノクロ)2p 
四六判 丸背布装上製本 カバー 
定価1,800円



鍵谷幸信 詩人西脇順三郎


帯文:

「回想の西脇順三郎
その豊饒で巨大な詩的宇宙を、活力ある詩的言語で結晶させた大詩人の精神と人となりを語って詩の世界を逍遥する好エッセイ。」



帯背:

「回想の大詩人」


目次 (初出):
 
I 
西脇順三郎回想 (「海」 昭和38年3月)
詩人追想
 詩人の死 (「音楽現代」 昭和57年8月)
 「詩は簡単なもんじゃないッ」 (「ユリイカ」 昭和57年7月)
 脳の田圃と詩人はいった (「暦象」 昭和57年12月)
 ポポーイの詩人 (「言語文化」 昭和58年2月)
 最終講義 (「無限」 昭和58年7月)
 故郷小千谷 (「新潟日報」 昭和58年6月4日~5日)
   *
 西脇と三好 (「海」 昭和57年8月)
 エリオットと西脇 (新潮社版 『世界詩人全集 エリオット』 月報 昭和43年11月)
 ファンシーとイマジネーション (白凰社版 『大手拓次全集』 第二巻付録 昭和45年12月)
詩人と大和 (「俳句とエッセイ」 昭和55年12月)
高見順と西脇 (現代詩読本 「高見順」 昭和55年2月)
詩人の絵の世界 (「新潟日報」 昭和56年11月8日、57年6月3日)
書評八篇
 『えてるにたす』 (「日本読書新聞」 昭和38年3月18日)
 『禮記』 (「無限」 昭和42年9月)
 『詩学』 (「図書新聞」 昭和43年4月20日)
 『じゅんさいとすずき』 (「図書新聞」 昭和44年1月24日)
 『壤歌』 (「日本読書新聞」 昭和45年2月23日)
 『鹿門』 (「出版ニュース」 昭和45年8月)
 『人類』 (「日本経済新聞」 昭和54年7月31日)
 『定本西脇順三郎全詩集』 (「東京新聞」 昭和56年2月17日)

II
瀧口修造 (「本の手帖」 昭和44年8月)
吉田一穂
 1 白鳥は今日も津軽の海を (「現代詩手帖」 昭和48年4月)
 2 沈黙と饒舌 (仮面社版 『吉田一穂大系』 別冊 昭和45年9月)
北園克衛――マイナー・ポエトの栄光 (「公明新聞」 昭和56年5月11日)
芭蕉と西脇――諧謔の疾走 (「ユリイカ」 昭和55年5月)

III
詩的言語の音楽美――萩原朔太郎、西脇順三郎の場合 (「音楽芸術」 昭和52年12月)
シュルレアリスムと西脇 (「すばる」 昭和57年1月)

あとがき



鍵谷幸信 詩人西脇順三郎 02



◆本書より◆


「西脇順三郎回想」より:

「ところで西脇という人は、人が誰でも知っていることを知らない、逆に人の知らないことを実によく知っている人だった。昭和の初め西脇が麻布十番を歩いていたところ、安来節大会という旗が目に入った。その日西脇は百田宗治を訪ねたのだが、百田に会うなり西脇はいった。
 「百田さん、アンライセツ大会ってなんの宗教儀式かな」。」

「昭和四十二年五月七日、西脇、萩原葉子、那珂太郎、大岡信の諸氏とぼくは前橋へ行ったことがある。西脇は萩原朔太郎研究会の会長であり、その日は朔太郎忌の講演をして伊香保に一泊、翌日、(中略)大手拓次の生地磯部を訪ねた。拓次の甥に当られる方が温泉旅館を経営していた。(中略)甥の方はわれわれを手厚く招じ入れ、拓次の原稿や資料や写真をあれこれと取り出してみせてくれた。一枚の写真をじっと眺めていた西脇はいった。それはあの長髪のベートーヴェンのような拓次の写真であった。
 「うん、これは珍らしい写真ですねえ。大切な資料になるから複写して図書館へ入れておいたらいい。いや実に珍らしい」と西脇は感心していった。
 「ええ、そう致します」と甥の方がいった。そのとき、話は少しの違和感や混乱もなく進み、われわれは辞去し、東京へもどった。少し喉が乾いたということで、新宿のビアホールへ入って坐った途端、驚くべき発現を西脇順三郎はしたのである。
 「いやあ、あの朔太郎の写真は珍らしい。初めて見たよ」
 (中略)つまり西脇は拓次を朔太郎だとばかり思いこんでいたのである。」
「那珂氏がいった。「あれは大手拓次ですよ」
 「オオテ・タクジ。それはどういう人ですか」
 (中略)
 「詩人ですよ」と大岡氏。
 「有名な詩人ですか」と西脇。
 「ええ、有名ですね」とぼく。
 「ああ、そうですかあ」と西脇。」
「後日、西脇は明治学院へ行って女子学生に向って、大手拓次という詩人を知っていますかと訊いたところ、大半の学生は知っていた。西脇は大いに落胆したらしい。「あの大手拓次という人は有名な人なんですねえ」という呟きとも嘆きとも受けとれる言葉を聞いたのは、一週間後のことだった。
 その一週間というものは、西脇は会う人ごとに大手拓次のことを聞いて廻っていたらしい。」

「ある冬の夜、新宿を歩いていて、(中略)飲み屋に入った。みると江戸川乱歩が坐っていた。
 「いやあ、しばらく」と西脇。
 「お元気で」と乱歩。
 以前二人はコリアーのことを話し合ったことがあるらしく、またもコリアーの話になった。
 「コリアーの才はずばぬけている。あの人は残る人です。とにかく鬼才だ」
 「そうね」と乱歩。
 「ところでポーはいかん。あのロマンティシズムの甘さは安っぽい飴玉みたいにちゃちだよ。ハックスレーが、五本の指にリングを全部はめたみたいに俗悪だといっている」と詩人。
 「でもハックスレーだってダメでしょう」と乱歩。
 「エンサイクロペディア・ブリタニカがインディア・ペーパーで出て旅行に行くときに持っていけるからいいなんていっているんだから、作家としてはダメな男なんです」と詩人。
 淀みなく二人は笑いながら飲み、語り、笑って別れた。店を出るや詩人はいった。
 「あれは誰だったかなあ」
 「江戸川さん、江戸川乱歩ですよ」
 「ああ、ランポだ、だからぼくはエドガー・アラン・ポーのことを話したんですね。(中略)」と詩人は嬉しそうに叫んだ。」

「西脇順三郎は門弟という言葉を好まず「詩人はいつも一人ぼっちでいるのがいいのです」と実にまっとうなことをいっていた。まさに正論なのだが、半面彼の怪物性を表す逸話をひとつ披露しておこう。いつだったか若い詩人が西脇家を訪ねて来ていった。
 「北園克衛は先生のお弟子ですね」
 「いや、北園君はぼくの弟子なんかじゃない。詩に師匠とか弟子の関係なんかあるはずがない。北園は北園、ぼくはぼくです。みんな詩人は一人で、詩という野原を淋しく歩いていくのです」
 この言葉にぼくは感動した。
 だがこの感動は、わずか一週間後に転覆されてしまったのである。京橋の南天子画廊へ行って、応接室に坐るなり画廊主の青木治男氏に向って西脇はいきなりいった。なにも問われもしないのに。
  「北園克衛はぼくの弟子なんですね」。この宣言めいた口調にぼくは開いた口がふさがらなかった。青木氏も、なんの脈絡もなしに北園克衛のことをいう西脇の頭の構造が理解できなかったらしい。」

「詩人は『壤歌』で名利栄達を棄てるべきだ、と書いている。筑摩書房の会田綱雄、吉岡実両氏から二千行の書き下し長篇詩を書いて下さい、と頼まれ約束した。約二か月、詩人はこれにかかりっきりであった。
 ある晩、冴子夫人と夕食を食べていたところへ詩人が帰宅した。ぼくの顔をみるなり詩人は大声で「鍵谷、なにか文句があるのか」といった。「なにもありませんよ」「そうか」といって詩人は夕食を一緒にすませた。
 「君は冴子と話していなさい。ぼくは二千行書かなくてはならないからね」といって二階の書斎へと上っていった。(中略)完成して筑摩書房へ行って渡した翌朝電話がかかり、「ぼくは一枚目の原稿の一行を空けて書いたから、あれは千九百九十九行しかない。今日一行書き足すから筑摩へ来て下さい」という。とにかく二千行でなければならない。こうして一行を書き足して『壤歌』は二千行の詩になった。」
「芭蕉に熱中したときなど、いつ会っても芭蕉だった。マラルメを翻訳しているときはマラルメのことしか話題にしなかった。(中略)萩原論を書いているときは萩原のことで頭がいっぱい。ほかのことはなにを話しても上の空だった。芭蕉についてもいつものウィット論、諧謔説で押しきった。談林時代はいざ知らず、人生求道者としての芭蕉は一顧だにしなかった。ウィットの詩人芭蕉という西脇の芭蕉論はきわめて卓説・創見に富んでいて、とうていアカデミックな芭蕉学者の思いもよらない詩の機微を掴みとってくる。ただいくらか脱線して奇説、珍説になっても詩人が頑として自説を曲げなかった。」

「西脇順三郎はいい意味でエゴセントリックだった。問題は他人ではなく、自分自身にあった。自分で自分をどうにも制御できないところもあった。西脇は生前詩人として世俗の栄誉名声に輝いたと思うが、それでも不満はあるらしかった。自分が大学長になれないことを盛んに口にしていた。彼がもし学長になったら、今日の管理体制に縛られた大学はたちどころに潰れてしまうだろう。」

「アンソロジーに対して西脇がひどく敏感だと感じたのは、河出書房新社の文学全集の別巻として『詩歌集』が出たときである。編者は伊藤信吉氏。伊藤氏は現代の詩人として西脇にもっとも多くのページを割き、厚遇していた。箱を手にしていた西脇の顔色が変った。「朔太郎、光太郎、賢治、茂吉、子規ほか」と印刷されているのが気にいらないのであった。どうして自分がその他に入ってしまうのか、と文句をいった。(中略)ことの道理を詩人にわかってもらうのに約三十分間は要した。こういうときのワカラナサの大きさはどうにも手がつけられず、ぼくはそうした説明に何度となく苦労した覚えがある。たとえば新しい詩人全集『日本の詩』が集英社から出たとき、原則として現存詩人は二人集か三人集であった。西脇の場合は吉田一穂と組んだ。中原中也は一人集だった。これが西脇には納得がいかず、集英社へ急行し、編集部に編集方針を質した。困った編集部も「今は二人集ですが、いずれ先生は一人集になられる方です」といったら、しばらく考えこんでいた詩人がいった。「ああ、そうですか、よくわかった。ぼくが死ねばいいということですね」、まさか「そうです」とも編集部もはっきりとはいえずに微苦笑していたら、詩人は満足して帰ったのだそうだ。」

「西脇という人はほかの詩人をあまりほめちぎると、段々不快になるらしいのである。(中略)内外の詩人を問わず西脇以外の詩人がいい、面白いというと猛然と反撃してくるのである。エリオットなどその最たる例で、パウンドもウィリアムズも(中略)この詩人にかかると落第だった。(中略)西脇は誰も自分を喜ばせる詩を書く詩人がいないから、自分で自分を喜ばせようと思って書いているのだ、とよくいっていた。」



鍵谷幸信 詩人西脇順三郎 03































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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