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ステファヌ・マラルメ 『イジチュールまたはエルベノンの狂気』 秋山澄夫 訳

「――そこで彼は、どうやら、絶対に彼を入れることを許す狂気があるという考えをいだく。が同時に、こうした狂気の事実によって、偶然は否定され、狂気が必然であったと彼は言うことが出来る。何に? (誰もそれをしらない、彼は人類から隔絶している。)」
(ステファヌ・マラルメ 『イジチュールまたはエルベノンの狂気』 より)


ステファヌ・マラルメ 
『イジチュールまたは
エルベノンの狂気』 
秋山澄夫 訳


思潮社 
1984年8月1日 新装第1刷
1985年6月1日 第2刷
86p 
22×14cm 並装 カバー 
定価1,000円



本書「訳者あとがき」より:

「この作品は、今から百年前、マラルメが二十六、七才の頃、没頭し、完成できないで、草稿のまま筐底にしまいこんでいたものを、作者の死後二十七年もたって、女婿ボニオさんがやっと判読し、なんとか筋道を立てて、出版したものである。」


Stéphane Mallarmé: Igitur ou la folie d'Elbehnon
本文中図版2点。


マラルメ イジチュール 01


帯文:

「ここには精神の音楽と、顕在的潜在的な響きが織りなす音楽、用語の喚起と反復の探索の果てに到達した思想がある。本を閉じ、蝋燭を消し、孤立した峻厳な姿勢でイジチュールは生涯を終える。無も去り、純潔の〈城〉が残る。」


帯背:

「厳密すぎる散文で書か
れた未完の狂気の物語」



カバーそで文:

「この遺稿は、マラルメがそれを実際に実現しようとまじめに考えていたことを、はっきりと示している。マラルメの理論的な著作は、このような作品の計画を示唆しており、つねにこの作品について考えている。そしてこの作品に対して、つねによりいっそう深められた観点、実現されざる作品がわれわれに対して本質的なかたちで確立されるような観点を投げかけている。この種の保証に対して無関心な人々、相も変らずマラルメのなかに、愚にもつかぬ作品についてのもったいぶったお喋りをし、無意味な紙きれを神秘めかした様子でふりまわして、30年のあいだ世間をだましてきた人物をみてとっている人々は、このような新しい証拠によっても、説得されることはないであろう。
モーリス・ブランショ」



内容:

序 (エドモン・ボニオ)
 
イジチュールまたはエルベノンの狂気
 [緒言]
 [要旨]
 Ⅰ 真夜
 Ⅱ 部屋から出る
 Ⅲ イジチュールの生涯
 Ⅳ さいころ投げ
 Ⅴ 遺骸の上の睡眠
 
註解
 タッチ
 Ⅱ 部屋から出ることの若干の草案
 Γ
 Δ
 Ε
 Ⅵ 母の禁止にもかかわらず墓にあそびに行く

原註
訳註

訳者あとがき



マラルメ イジチュール 02




こちらもご参照ください:

ステファヌ・マラルメ 『骰子一擲』 秋山澄夫 訳



































































































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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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