平野敬一 『バラッドの世界』

「バラッドはもともと(中略)社会の被疎外者たちが好むものだった。私は、ここで日本の旅芸人や(小沢昭一のいう)「放浪芸」のことをも連想したりするのだが、民族の文化や伝承の中の、ある貴重なものが社会の疎外者たちによって守られ、伝承されるのは、なにもイギリスだけに限られた現象ではなさそうである。」
(平野敬一 『バラッドの世界』 より)


平野敬一 
『バラッドの世界』


ELEC出版部 
1979年10月1日 初版発行
223p 
四六判 
角背紙装上製本 カバー 
定価1,900円
ジャケットデザイン: 野田儀保



本書「あとがき」より:

「本書は『英語展望』(ELEC Bulletin)誌の第49号(1975年4月)から第65号(1979年4月)にいたるまで、ほぼ4年間、15回に亘って執筆連載した文章をまとめたものである。」


本書より:

「どう厳密に定義しても、なにかがはみ出るに決まっているが、バラッドとは、要するに、ある展開するストーリーがあり(抒情とか詠嘆だけでは不可)、それが韻文で表現され、メロディーがついていて、作者不詳のまま、主として口頭により民間に伝承されてきた唄、というふうに考えれば、ほぼカバーできそうである。日本語訳としては「物語り唄」と訳せないことはないが、たんに「バラッド」、あるいは「文学的バラッド」と区別して「伝承バラッド」とするのが、いちばん無難であるように思われる。」


本文横組。


平野敬一 バラッドの世界 01


カバーそで文:

「英米のフォーク歌手E. マッコール、J. リッチー、J. バエズ等によって歌われ一躍世界的注目を集めるにいたったバラッド。そして、最近日本の若者たちの間でブームになりつつあるバラッド。
一体、バラッドとはなにか? その魅力はどこから来るのか? 
マザー・グース研究の第一人者である平野敬一教授は、豊富な音声資料(レコード)に関連づけながら、バラッドのもつ魅力の秘密を口誦という伝承過程の中でとらえて説明してくれる。」



目次:

1. バラッドの魅力と「酷き母」
 はじめに
 バラッドの定義
 「酷き母」をめぐって
 英文学との関係
 「酷き母」と子供の世界
2. 「ロード・ランダル」
 童謡とバラッドの関係
 “Lord Randal”
 “Lord Randal”の起源
 マッコールの“Lord Randal”
 ヴァージョン間の異同
 “The Croodin Doo”について
3. 「ビリー・ボーイ」
 キャッソンの「ビリー・ボーイ」
 “My Boy Willy”
 “The Comedy of Billy and Betty”
 再びバラッドと童謡について
4. 「アッシャーズ・ウェルのおかみ」(その 1)
5. 「アッシャーズ・ウェルのおかみ」(その 2)
 “The Wife of UW”の朗読
 唄としての“The Wife of UW”
 アメリカにおける“The Wife of UW”
 アメリカ特有のヴァージョン
6. 「アッシャーズ・ウェルのおかみ」(その 3)
 ナイルズの“The Cartin Wife”
 さまざまのアメリカ・ヴァージョン
 グリアの“The Three Babes”など
 アメリカ・ヴァージョンの意味
7. 「ヴァンディー、ヴァンディー」
 承前
 “Vandy, Vandy”について
 ウェルマンのSF短篇
8. コック・ロビンの唄
 “Lamkin” (Child #93) について
 コック・ロビンの唄と「ラムキン」のつながり
 「ラムキン」のアメリカ版
 再び「コック・ロビンの唄」
9. 「エドワード」(その 1)
 岡倉編 Old English Ballads について
 “Edward”というバラッドの特性
 Percy Version の特性
10. 「エドワード」(その 2)
 Motherwell Version について
 Percy Version の問題点
 殺人の動機の問題
 Percy Version の位置
11. 口笛を吹くヨセフ、他
 民衆の代弁者
 伝承の中の「聖家族」
 “The Cherry Tree Carol”をめぐって
 “The Bitter Withy”について
12. 方法についての弁明、他
 A. B. フリードマンの名解説
 音声資料の価値/フリードマンの選集
13. 「タム・リン」(その1)
 チャイルドのフェアリー・バラッド
 “Tam Lin”について
 バラの花を摘むタブー
14. 「タム・リン」(その2)
 タム・リンの身の上話
 悪魔と妖精の関係
 妖精のイメージ
 フェアリーランドからの救出
 キリスト教的なものの忌避
 変身のモチーフ
 水のモチーフ
 救出完了と妖精の女王の怒り
15. 生きているバラッド伝承
 伝承への接近法
 スコットランド研究所の業績
 Betsy Johnston の“Tam Lin”
 採録のいきさつ
 被疎外者の唄

あとがき
索引



平野敬一 バラッドの世界 02



◆本書より◆


「しかしバラッドというあの無限の豊かさをもった大人の世界の作品群が、研究対象としても、講義題目としても、マザー・グースほどではないにしろ、ほとんど問題にされないのは、どういう理由によるのだろうか。
 一つには、バラッドに対して本国のイギリス人がかつて有していた偏見があり、それがいまなお根強く尾を引いている、という事情があるのかもしれない。イギリス人が有していた偏見とはなにか、いちばんその偏見を端的に示しているのは例のブリタニカ百科大辞典の初版(1771)の“ballad”の項の解説かもしれない。それは次のようになっている。
 「下層階級の頭の程度に合わせた一種の唄。下層の連中はバラッドというこの詩の形態にひどく魅せられているものだから、その日常の身の処し方においても、このバラッドの影響を少なからず受けるのである。したがって悪事を企むような輩は、民衆を自分の側に引きつけるため、常にバラッドの流布に意を用いるのである。」
 いまからみると信じられないほどの偏見に満ちた書き方であるが、これを、いちおう18世紀イギリスの有識者(あるいは支配層)の代表的見解とみなしていいかと思う。要するに、バラッドは、程度の低い層の嗜好に合ったもの、という考え方が根本にあるのである。(中略)またバラッドが、その中に反権力的志向をもち、それが支配階級に嫌われる――というより本能的に恐れられる――原因となったことも、上の定義から読みとれる。」

「ほんらい口から口へと伝えられてきたバラッドは、極端にいうと、歌う人ごとに、そして歌うたびごとに、どこか違っているところがあり、固定した「正しい」形というものはそもそも最初から存在しない。おおよその筋さえ知っておれば、あとは成句を適宜組み合わせ、それにリフレインをつけて、いわば興にまかせて歌うということになるので、こういうバラッドを、完成された文学作品の definitive edition を分析鑑賞でもするような気持で、綿密に読んでいったりすると、つじつまの合わないところや説明のつけられないことが続出して、立ち往生をするということになろう。一字一句をそのまま伝えようという気持が、もともと歌う方にそう強くない上に、伝承の過程でとうぜん起こる聞き違いや言い違いも加わるので、細部で筋道が通らないところがある方がむしろ普通なのである。「酷き母」というバラッドも、もちろん例外ではない。話の筋としては、女が堕胎して殺した自分の2人(ときには3人)の子の亡霊にたたられる話しだということは分かるが、こまかく詞句を辿っていくと不分明な点が少なくない。」
「多くの伝承童謡の場合と同じく、このバラッドの起源もはっきりしない。初出文献という活字の証拠は、口承の世界では、あまり意味をなさない。チャイルドが挙げている A version の出典は1776年だから、文献的にこのバラッドがかなり古いものであることは分かるが、その前に口承で伝わっていた時期が何十年、あるいは何世紀あったのか、見当もつかないのである。
 ただ、このバラッドには、原始的なフォークロアのモティーフというべきものがいくつかあり、その出自の古さを暗示している。たとえば第6連に母親がペンナイフの血を拭っても拭っても止めることができない場面が出てくるが、読者はマクベス夫人のあの夢遊病の中の幻覚
  What! will these hands ne'er be clean?
  (おや! この手はどうしてもきれいにならないのだろうか)
を想い起こすであろう。といっても、私は、このバラッドがシェイクスピアの『マクベス』に由来するかもしれない、といおうとしているのではない。シェイクスピアがあれほどみごとにそこから養分を汲み取ったフォークロアの世界(私がかつて「もと唄の世界」と呼んだもの)に、この「酷き母」も、深く根を下ろしているということを指摘したいのである。殺害された者の血は、加害者がそばにいると、あるいは近づくと、とめどなく流れるというのは、古いフォークロアであって、シェイクスピアの創意ではないのである。」

「伝承バラッドは、(中略)イギリスの民衆が、生者死者を問わず、人間をどうみていたか、また神とか動物とか妖精などの「超自然」をどう受けとっていたか、それらに対してどういうイメージをもっていたか、を明らかにしてくれるものである。それも表向きの建てまえとしてでなく、本音としてどう思っていたか、ということを明らかにしてくれるのである。バラッドは本音の世界――裏切りや肉親殺害や近親相姦といった(中略)人間関係が、おおっぴらに歌いあげられる世界なのである。」
 
「イギリスのバラッドや民謡の伝承において(中略)ジプシー系の歌手たちが果たしている役割は、はかり知れぬほど大きい。(中略)イギリスの社会でいまも疎んじられているこの被差別、被疎外者集団が、イギリスの伝承文化の貴重な、かけがえのない担い手となっているふしぎな、皮肉な状況は、いろいろのことを私たちに考えさせる。バラッドはもともと支配階層でなく社会の被疎外者たちが好むものだった。私は、ここで日本の旅芸人や(小沢昭一のいう)「放浪芸」のことをも連想したりするのだが、民族の文化や伝承の中の、ある貴重なものが社会の疎外者たちによって守られ、伝承されるのは、なにもイギリスだけに限られた現象ではなさそうである。」





こちらもご参照下さい:

平野敬一 『マザー・グースの唄』 (中公新書)
R・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 村田靖子 訳
久保寺逸彦 『アイヌの文学』 (岩波新書)













































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