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北原白秋 訳 『まざあ・ぐうす』 (角川文庫)

「掛け算はしちめんどう、
割り算は因業(いんごう)、
比例は人なかせ、
応用問題気がちがう。」

(北原白秋 訳 『まざあ・ぐうす』 より 「数学」)


北原白秋 訳 
『まざあ・ぐうす』

角川文庫 3665/緑 一二〇 4

角川書店
昭和51年5月30日 初版発行
昭和59年8月30日 14版発行
243p 『まざあ・ぐうす』原詩54p 
文庫判 並装 カバー 
定価340円
装幀: 杉浦康平
カバー/さし絵: 鈴木康司



本書「解説」より:

「初版単行本の『まざあ・ぐうす』(大正十年刊)とその後に出たアルス版全集本(昭和五年刊)や春陽堂少年文庫版(昭和八年刊)の『まざあ・ぐうす』との間には若干の字句の異同や改訂がある。」
「この角川文庫版は、アルス版全集本を底本とし、その中の明らかに誤植と思われるものを初版単行本によって訂正して、さらにかなづかいや漢字等を現代表記に改めたものである。」



本文庫版の特色は、原詩(英語)が巻末に収録されていること、本邦におけるマザーグース研究の泰斗・平野敬一による簡にして要を得た解説、そしてスズキコージ画伯によるたいへんすばらしい挿絵&カット81点が掲載されていることであります。


北原白秋 まざあぐうす 01


カバーそで文:

「ナンセンス、なぞなぞ、レジスタンス、諷刺などさまざまな要素を軽やかなリズムのうちに包み、英語圏で大切にはぐくまれてきた伝承童謡、まざあ・ぐうす。
 残忍で陽気で、奔放でとりとめがなく、そのおもしろさは不思議な魅力を秘め、暮らしの中に、文学の世界に深く息づいている。
 言葉の魔術師白秋が、愛をこめて子供たちのために訳出した幻の名著に、斬新なさし絵を多数挿入して復刊。」



北原白秋 まざあぐうす 02


目次:

日本の子供たちに はしがき

序詩 マザア・グウスの歌
まざあ・ぐうす
 こまどりのお葬式
 お月夜
 天竺ねずみのちびすけ
 木のぼりのおさる
 くるみ
 ボンベイのふとっちょ
 六ペンスの歌
 一時
 卵
 朝焼け夕焼け
 風がふきゃ
 文なし
 ファウスト国手
 とことこ床屋さん
 おくつの中に
 一つの石に
 コオル老王
 雨、雨、いっちまえ
 花壇にぶた
 日の照り雨
 いばらのかげに
 セント・クレメンツの鐘
 おうまのり
 小径にむすめ
 月の中の人
 十人のくろんぼの子供
 お月さまの中のおひとが
 クリスマスがきますわい
 べああ、べああ、ブラック・シイプ
 ろうそく
 ちっちゃなテイ・ウイ
 三月、風よ
 お面もち
 ししと一角獣
 くつやさん
 きれいなくびまき
 何人何びき何ぶくろ
 のむもの
 ちびねこ さんねこ
 雨もよう
 ポウリイ、やかんを
 南瓜ずき
 ぼう、うぉう、うぉう
 三百屋
 お釘がへれば
 二十四人の仕立屋
 ででむし角だせ
 お針みつけたら
 風よ、ふけ、ふけ
 気軽な粉屋
 いなかっぺえ
 おかごのばあさん
 すっとんきょうな南京さん
 鼻まがり
 あの丘のふもとに
 あたいのめうし
 ゆりかごうた
 こびっちょの子供は
 ねんねこうた
 はしっこいジャック
 ででむし、でむし
 一列こぞって
 ででむし
 おりこうさん
 おしゃべり
 ハアトのクイン
 コケコッコおどり
 でんでんむしむし
 おばあさんとむすこ
 てんとうむし
 あったかいパン
 ゴットハムの三りこう
 気ちがい家族
 ちっちゃなだんなさま
 一つのたるに
 ジャックとジル
 トムトムぼうず
 いぬはぼうおう
 ちいさなおじょっちゃん
 やぶ医者
 きれいずきのおかみさん
 御婚礼
 タッフィ
 ばばァ牛
 とっぴょくりん
 卵うりましょうと
 かささぎが一羽よ
 これ、これ、こいきな
 市場へ、市場へ
 数学
 眼
 五月のみつばち
 朝のかすみ
 かっこ鳥
 豆こぞう
 ソロモン・グランディ
 かえるの殿御
 一切空
 ロンドン橋
 世界じゅうの海が
 空はじめじめ
 アアサア王
 がぶがぶ、むしゃむしゃ
 天竺ねずみは
 ジャック・スプラットと
 背骨まがり
 おらがお父は
 ねこと王さま
 がァがァ、がちょう
 火の中に
 火ばしの一対
 お月さま光る
 おもちゃのうま
 なけなけ
 北風ふけば
 めくら鬼
 お山の大将
 上へいった
 みんなして森へ
 このぶた、ちびすけ
 おくつをはかしょ
 ながい尾のぶたに
 あァがった、あがった
 ワン、ツウ、スリイ、フォア、ファイブ
 顔あそび
 このベル
 足
 一番目のお床
 おしまい

巻末に 

解説 (平野敬一)
 一 成立
 二 「はしがき」と「巻末に」について
 三 翻訳としての『まざあ・ぐうす』
 四 『まざあ・ぐうす』のテキスト
 五 参考文献

『まざあ・ぐうす』原詩



北原白秋 まざあぐうす 03



◆本書より◆


「雨もよう」:
 
「いぬとねことがお友達にあいに、
ちょいと、街(まち)からつれだってまいる。
ねこがもうします。
「お天気はどうでしょね」
いぬがもうします。
「さようさ、おくさんえ、雨がふりそでござんすが、
御心配はいりません、てまえがこうもり傘(がさ)もってますでな。
そのときゃごいっしょに、相合傘(あいあいがさ)とはいかがでしょ」



「A DOG AND A CAT.」:

「A dog and a cat went out together,
To see some friends just out of the town;
Said the cat to the dog,
"What d'ye think of the weather ?"
"I think, m'am, the rain will come down -
But don't be alarmed, for I've an umbrella
That will shelter us both," said this amiable fellow.」



「気ちがい家族」:

「気ちがいの御亭主に、
気ちがいのおかみさん、
気ちがい小路(こうじ)に住んで、
三つ児をうんで、
どの児もどの児も気がちごた。
 お父さんが気ちがい、
 お母さんが気ちがい、
 みんな子供が気ちがい。
気ちがいうまにのって
いっしょくたに、みんなのって、
まっくら三宝(さんぽう)に、かけてった。」



「THERE WAS A MAD MAN.」:

「There was a mad man,
And he had a mad wife,
And they lived all in a mad lane!
They had three children all at a birth,
And they too were mad every one.
 The father was mad,
 The mother was mad,
The children all mad beside;
And upon a mad horse they all of them got,
And madly away did ride.」



北原白秋 まざあぐうす 04


「文なし」:

「一文なしの文三郎(もんさぶろう)、文三郎をさらおうと
どろぼうどもがやってきた。
にげた、にげた、烟突(えんとつ)の素頂辺(すてっぺん)へ攀(よ)じてった。
しめた、しめたとどろぼうどもがおっかけた。
それをみて文三郎、そろっとむこうへにげおりた。
こうなりゃみつかるまい。
かけた、かけた、十五日(じゅうごんち)に十四(じゅうし)マイル、
それで、ふりむいたが、もうだァれもみえなんだ。」



北原白秋 まざあぐうす 05


「セント・クレメンツの鐘」:

「のぼれいそいそ、またおりなされ、
鐘はロンドン、つけば数ござる。

「オレンジにレモン」
セント・クレメンツの鐘がなる。

「標的(まと)と、標的(まと)の星」
セント・マアガレッツの鐘がなる。

「煉瓦(れんが)に瓦(かわら)」
セント・ギルスの鐘がなる。

「半(ハアフ)ペンスにファシング *」
セント・マアルチンスの鐘がなる。

「パン菓子におせんべい」
セント・ピイタアスの鐘がなる。

「二本の枝、一つのりんご」
ホワイト・チャペルの鐘がなる。

「灰かき、火ばし」
セント・ジョンスの鐘がなる。

「湯わかし、おなべ」
セント・アンヌスの鐘がなる。

「バルドペエトじいさんよう」
オルトゲエドののろい鐘。

「おまえに十シルリング貸しがある」
セント・ヘレンズの鐘がなる。

「いィつはろうてくれるんじゃ」
ふるいベエレエの鐘がなる。

「おいらが金持ちになったらな」
ショルジッチの鐘がなる。

「そしたらたのむよ、そのときは」
ステプニイの鐘がなる。

「おれんしったこっかい」と
ボウの大きな鐘の声。

さあきた、手燭(てしょく)がお床(とこ)へおまえをてらしにきた。
さあきた、首切り役人がおまえのそっ首ちょんぎりに。

  * ファシングは一ペンニイの四分の一。」



北原白秋 まざあぐうす 06


「解説」(平野敬一)より:

「翻訳として白秋の『まざあ・ぐうす』は、どのように評価できるのだろうか。(中略)白秋の訳業は、語学力のいささかの心もとなさをその天才的な詩人の直観で補っている、というふうに評価して差し支えないかと思われるが、「補って余りある」とまで言いきれるかどうか。」
「また白秋が『まざあ・ぐうす』の訳に用いた語彙(ごい)の特性も、読者や研究者にとって、気になる興味深い問題の一つであろう。ほぼ同時代の松原至大(みちとも)訳や竹友藻風(そうふう)訳(いずれも大正十四年)と比べてみると、白秋訳は、なにか異質的というか、はるかに個性が強いことに気がつく。アクが強い、あるいは凝りすぎている、というふうに受けとる人もいよう。当時の広告文には白秋訳の「純然たる民謡調」とか「原作をしのぐ民謡調」という表現がみられるし、白秋自身「わが日本の民謡語であたう限り生かしきろうとつとめた」といっている。つまり、白秋訳は、厳密にいうと、必ずしも当時の現代語訳ではなかったのである。大正期の日本語訳というより、白秋あるいはその同時代人がとらえていた日本の「民謡調」訳だったのである。もっとサラッとした至大や藻風の訳しかたに比べると、そういうところに白秋訳のきわだった特色があったといえる。しかし、「民謡調」というだけで、たとえば「ソロモン・グランディ」の訳に出てくる「おっ死(ち)ぬ」とか「ずんと重(おも)って」といった表現の説明がつくのだろうか。私はなんとなく江戸期の洒落本や滑稽本の語彙を連想したりするのだが、こういう特異な語彙は、白秋の詩業総体の中で考察して位置づけてみる必要があるように思われる。」





こちらもご参照ください:

平野敬一 『マザー・グースの唄』 (中公新書)






















































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