パトリック・ワルドベルグ 『シュルレアリスム』 巖谷國士 訳

「シュルレアリスム芸術というものはないと言われてきたが、それは本当である。元来が詩人たちの手で生み出されたシュルレアリスムは、美学上の一問題としてではなく、認識の一方法、また一種の倫理として定義されうるものなのだ。ランボーによれば、「生を変える」ことこそ、最大の関心事であった。」
(パトリック・ワルドベルグ 「シュルレアリスムの道」 より)


パトリック・ワルドベルグ 
『シュルレアリスム』 
巖谷國士 訳


美術出版社
1969年3月31日 初版
1971年2月25日 三版
258p 別丁図版72p(うちカラー8p)
A5判 角背布装上製本 
本体プラカバー 機械函
定価1,800円



本書「凡例」より:

「この本は Patrick Waldberg : Chemins du surrealisme (Ed. de la Connaissance, Bruxelles, 1965)の全訳である。訳出にあたっては、英語版(中略)および独語版(中略)を適宜参照した。題名は英、独語版にしたがい、単に『シュルレアリスム』とした。」
「冒頭の序文は英語版のみに付されたものである。」
「後半の資料集は、各国語版によって内容、配列にかなりの異同がある。内容についてはすべて原著仏語版にしたがい、配列は訳者の判断で適当と思われる形に直した。」
「巻末の「名鑑」「年表」「書誌」は訳者の手で若干増補した。」



本書「訳者後記」より:

「この本の原著は、すでに邦訳の出たハンス・リヒターの『ダダ』と同じ叢書に入っているものであるが、構成や内容はかなり趣きを異にしている。すなわち、前の三分の一ほどに序論として書きおろしの『シュルレアリスムの道』を掲げ、その後に多彩なシュルレアリストの文章をおさめて、名鑑や年表などでしめくくり、全体を要領のよい入門書に仕上げたものである。図版もきわめて豊富であり、ことに他の本では見られない写真が多く挿入されているので、資料として利用価値の高い本といえよう。
 著者、というよりも編者であるパトリック・ワルドベルグ氏は、現在パリのジャーナリズムで活躍している美術評論家。一九一三年カリフォルニアの生まれだが、少年の頃フランスに移り、以来多くの詩人、画家との交流を経て、戦後になってから批評家としての地歩を固めた。」



それにしても「要領のよい入門書」だとか「資料として利用価値が高い本」だとか、シュルレアリスム本としてはさんざんな言われようであります。「お前は要領のよい奴じゃ」とか「お前はなかなか利用価値が高いのう」などと言われたら、ジャーナリストは喜ぶかもしれないですが、シュルレアリストは怒るでありましょう。

本書は1998年に河出文庫版が刊行されています。
本文中図版多数。


ワルドベルグ シュルレアリスム 01


ワルドベルグ シュルレアリスム 02


帯文:

「シュルレアリスム
 認識の訴訟はもはや行なわれず、知性はもう計算に入らないとあっては、ただ夢のみが自由へのあらゆる権利を人間に委ねる。夢あればこそ、死はもはや曖昧な意味をもたず、生の意味は重要でなくなる。
 朝ごとに、すべての家庭の間で、男たち、女たち、子供たちは、他にこれといってすることのない場合、今みた夢について語り合う。われわれはみな夢の望むがままであり、目醒めていても夢の力を受け容れぬわけには行かない。それは鏡と閃光を身にまとうた怖るべき暴君である。己れの筋肉の裡に雲の筋肉を抱くこの巨人を前にして、紙とは、筆とは何か、書くとは何か、詩とは何であるのか? 君らは夢の中で眼前の蛇に吃語し、枯葉もガラスの罠も知らぬままに、君らの幸運を、君らの心情を、君らの快楽を気づかい、夢の暗がりの中に、もっと自然な死をもたらすであろう数学的なあらゆる符号を求めている。
だが他の者、すなわち予言者たる者は、盲目的に夜の諸力を未来へと導く。曙光は彼らの口を通じて語り、恍惚とした人々は恐怖する、あるいは悦びに浸るのだ。シュルレアリスムは夜の吝嗇に泣くすべての人に夢の扉を開け放つ。シュルレアリスムは、睡眠、アルコール、煙草、エーテル、阿片、コカイン、モルヒネの魔法行きかう交叉路である。しかしまたそれは鉄鎖を破るものであり、われわれは眠らず、われわれは飲まず、われわれは吸わず、われわれは嗜まず、われわれは刺さずして夢をみる。そしてランプの針の速さが、われわれの脳髄の中に、枯れ落ちた素晴しい黄金の海綿を挿入する。ああ! もしも骨が飛行船のように膨らむものなら、死海の闇を訪れようものを。道はわれわれを絡み合わせる風、ルビーの脆い外観の前でわれわれを顫えさすその風に抗して立つ歩哨だ。時間の壁にくっついた蛸時計のようにわれわれの耳の谺にへばりついている君らは投遣り加減でわれわれを微笑ます哀れな物語を作ることができる。われわれはもう中断するまい、「運動の観念はわけても一つの無力な観念である」(バークレイ)などといっても、われわれには速度の樹が見えるのだ。頭脳は天使のごとく旋回するし、われわれの言葉は鳥を打ち殺す弾丸である。白昼に電燈を点し、雨天でも眼の中に太陽を容れてとどまる能力を授けられた君らの行為は無償であり、われわれの行為は夢みられたものである。すべては囁言、暗合にして、沈黙と閃光とがそれら固有の啓示を奪いとる。敷石の間から肉の実をつけて出現する樹は、われわれの驚愕の中でしか超自然的ではない。だが両眼を閉じるべき時、その時は今にもはじまろうとしている。
…………………………………………………(中略)
革命……、革命……。
レアリスム、それは樹木を刈り込むことだ。
シュルレアリスム、それは生を刈り込むことだ。
          『シュルレアリスム革命』創刊号より」



ワルドベルグ シュルレアリスム 03


布表紙中央にマグリットの作品が印刷された紙が貼付されています。


目次:

凡例

シュルレアリスムの道 (パトリック・ワルドベルグ)
 序文
 言葉
 闘いの前夜
 宣言と運動
 シュルレアリスム革命
 詩人たちの趣味
 痙攣的な美
 先導者たち
 「絵画の彼岸」
 集中と拡散

シュルレアリスム文献集
 アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言集』より
  シュルレアリスム宣言(一九二四年)
  シュルレアリスム第二宣言(一九二九年)
 『シュルレアリスム革命』(一九二四―一九二九年)より
  緒言 J・A・ボワファール、ポール・エリュアール、ロジェ・ヴィトラック
  牢獄を開放せよ!――軍隊を解散せよ!
  死――柏の長城 ロベール・デスノス
  道徳科学――諸君の自由に! ルイ・アラゴン
  シュルレアリスム研究本部 アントナン・アルトー
  食卓につけ アントナン・アルトー
  ダライ・ラマへの手紙 アントナン・アルトー
  ヨーロッパ諸大学総長への手紙 アントナン・アルトー
  ヒステリー五十周年 ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトン
  ジャック・リゴーの文章
 アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』より
  シュルレアリスムと絵画(一九二八年)
  シュルレアリスムの芸術における発生と展望(一九四一年)
  オブジェの危機(一九三六年)
  先入対象のないデカルコマニーについて――欲望のデカルコマニー(一九三六年)
  優美なる死骸(一九四八年)
 マックス・エルンスト『絵画の彼岸』(一九三六年)より
  一九二五年八月十日
  一九二五年から今日まで
 ポール・エリュアール『見せる』(一九三九年)より
  絵画の彼岸
  自由な手
  ミロの誕生
  非合理の征服(サルバドール・ダリ)
 シュルレアリスム詩選
  アンドレ・ブルトン
   神々について
   ひまわり
  ロベール・デスノス
   こんなにも君を夢みた
  ポール・エリュアール
   ジォルジォ・ディ・キリコ
   ぼくは休息できると信じていた
  バンジャマン・ペレ
   もしもし
   将校コンダミーヌ・ド・ラ・トゥールの英雄的な死

名鑑
年表
訳註
訳者後記
書誌
図版目次
人名索引



ワルドベルグ シュルレアリスム 05

「ジャック・エロルド 「伝授する女」 1960」。


◆本書より◆


「シュルレアリスムの道」より:

「わたしはこの序説において、シュルレアリスムというイデオロギーの創始者であり立役者であった人々の、さまざまな意思と目標とを描き出すつもりだ。わたしはシュルレアリスム「運動」の進展と、その分裂における浮沈の模様を示すであろう。また造型表現の領域におけるシュルレアリスムの寄与、シュルレアリスムの及ぼした重大な影響についても書きとどめるであろう。しかし、次のことを忘れてはならない。シュルレアリスムの観念が最も顕著で最も広く知られている応用を見たのは、たしかに絵画や彫刻やオブジェを通じてであったけれども、シュルレアリスムとは、そもそものはじめは、何よりも思考の方式、感受する方式、生きる方式であることを目指すものだった、ということである。」

「シュルレアリスムの独創性をなすもの――『宣言』の中で主張されているような――、それ以前に存在した(おそらくある時期のドイツ浪漫派を除いて)あらゆる文学、芸術上の運動からシュルレアリスムを区別するもの、それは、存在の全体性に到達しようとするかれらの意志である。
 現実世界の訴訟――ブルトンの表現である――は、一方では無意識や夢の価値の過大視、他方では、幼年時代に特有なある恩寵の探究を意味するだろう。ブルトンはさらに書く。「もし(人が)いくらかの明晰を保持しているなら、彼はもう自分の幼年時代の方へ目を向けるしかない。保護者の世話で台なしにされたとはいえ、幼年時代はやはり魅惑にみちたものに見える。そこには、既知の苛酷さが一切存在しないので、彼は幾通りもの生き方を同時に眺望することが許される。……毎朝、子供らは不安をもたずに出かけて行く。すべては身近にあり、最悪の物質条件も優れたものとなる。森が白かろうと黒かろうと、人は決して眠るまい」。
 これら種々の問題点に関して、シュルレアリスムは無責任性に訴える(人間は理性の制禦および道徳の命令下から逃れるべきだと主張する)。それゆえ自ら非順応主義的であることを公言すると同時に、さまざまな忘我の状態に特別の関心を向ける。そのうち第一に挙げられるのはむろん夢であるが、それとならんで、ランボーの称揚した見る状態(「見者でなければならぬ、見者にならねばならぬ」)、あるいはまた、その手がもはや心霊主義のいわゆる彼岸からではなく、意識によって隠されたままの真の自我から発信される一つの通報を伝える道具にすぎなくなってしまうような、霊媒の状態が挙げられる。
 最後に、キリスト教教会の精神主義と、かれらの見るところ西欧思想停滞の因であるデカルト主義との、両者に激しく対立しながら、シュルレアリスムは迷信や呪術(いずれも幼児の思考に近い)を復権させ、それと同時に、とくに好んで、あるアナロジックな思考の行使に根拠をおくヘルメス的伝統(カバラ、グノーシス、錬金術)に注意を向けたのである。」



ワルドベルグ シュルレアリスム 04

「モーリス・アンリ デッサン 1934」。


ワルドベルグ シュルレアリスム 06

「アンドレ・ブルトン(18ヵ月) 1897」。






















































































 
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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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