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植田正治 『写真の作法』

植田正治 『写真の作法―アマチュア諸君!』
金子隆一 編

光琳社 1999年2月28日初版発行
304p 21×14cm 並装 カバー 定価2,400円+税
装丁: アートインターリレイションズ

 
写真家・植田正治(うえだ・しょうじ)による写真論、写真エッセイ集成。
 
「ここに収録した文章は、七〇年代になってカメラ雑誌に連載された「植田正治 写真作法」(アサヒカメラ・一九七四年一月~一二月号)、「アマチュア諸君!」(カメラ毎日・一九七八年一月~一二月号)、「続アマチュア諸君!」(カメラ毎日・一九八〇年一月~一二月号)、「交換しゃしん談義」(一村哲也と共作、アサヒカメラ・一九八二年一月~一二月)、「新・アマチュア諸君」(カメラ毎日・一九八五年一月~四月号)をもとにしたものである。」(金子隆一氏「はじめに」より)
 
 
植田正治 写真の作法1
 
帯文:
 
「「写真」のことならば、どんなことでも自由に考え、そして受け入れ、できなければくやしがり、できるまで寝食を忘れて没頭し、感動すれば誰かれかまわずその素晴しさを説く。でも決して苦悩する「求道者」ではなく、何よりも「写真」を歓びとして持ち続ける子供のように無垢な精神を体現している「写真家」として植田正治は私たちの前に「いる」のだ。」
 
 
植田正治 写真の作法2
 
 
目次:
 
はじめに (金子隆一)
 
私の写真遍歴
・くたばれローカルカラー
・斜視的風景論
・模倣の美学
・私のような呑気な写真は許されないのか
・私と砂丘
・知れ渡った名前を消すのはなんとしても惜しい、惜しい
 
アマチュア諸君へ
・ナツメロ月例
・われらシリアス・フォトグラファー
・初源への視線(まなざし)/演出写真考
・初源への視線/アマチュア写真考
・諸君のアマチュア精神までサビつくことはない
・どうして「本」嫌いなのでしょう
 
ちょっとすてきなもの
・私はコスモス
・「寝言」―「季節感」がないなんてなんという醜態であろうか
・仕事の多いことはいいことなのだ
・「カメラならぬ鞄(カメラバッグ)フェチ」
・頚椎異常は職業病か趣味病か
 
オリジナルプリントと印画紙①
・初源への視線/表現の手段として
・モノクロ礼賛
・引伸し談議
・私と暗室
・私と印画のフチドリ
・私と舶来印画紙
 
オリジナルプリントと印画紙②
・私と暗室作業
・いち早くRCに飛びついたくせに……
・心機一転、新しいデータに挑戦すべし
・オリジナル今昔
 
カメラとレンズ
・初源への視線/レンズとピントと
・私とズーム嫌い
・私とソフトフォーカス
・ノンプロ的撮影法
・非今日的写真術
・愛機遍歴
 
愛すべき「ライカ」
・夢見心地で、昔を振り返る
・掌上愛すべきカメラこそ
・私と「ライカ」
 
あとがき
・植田正治の年譜にかえて
・僕たちはいまも<植田正治>が必要なんだ! (金子隆一)

 
 
植田正治 写真の作法3
 
 
本書より:
 
「そもそも写真術が発明された当時から、色彩の再現は、この世界の夢であったはずで、それが現実になり、別に、不思議でも目新しくもなくなったりすると、急に、モノクロが魅力的に見えてくるというのだから、人間なんて、勝手なもので、「よその花は赤く見える」ものなのでしょうか。
いや、そんな単純な考え方でなく、黒と白に置き換えられた世界には、なんとなく、言葉にならない、不思議な魅力みたいなものが秘められていて、それが、カラー万能の時代であればこそ、よりいっそう、私たちの心を打つのではと考えることは、間違いでしょうか。
私のように、カラーを知らない時代から、写真に血道をあげている者にとって、モノクロームの世界こそが、自分の住むところと信じきって、それ以外に写真は考えられないといっても過言ではないくらいに、いまだに、それを主力に、ひたすら自分を賭けている毎日なのです。」
 
「屋根の上は子供の頃の秘密の遊び場であった。
二階の部屋を抜け出すと、そこは広い空の下である。隣へも三軒目へも自由に渡って行けた。暖かい日は陽のぬくもりが赤い釉瓦から足の裏に心地よかった。雀の巣に手をつっこんで雛をとって飼ったりもした。
写真をやるようになると、そこは恰好のテスト撮影の場所になった。遠近の甍(いらか)はピントをテストするには、もってこいの被写体でもある。だから、カメラを買い替えるたびに、いつも大屋根にのぼった。テストをしないと、なんとなく不安な、そんな時代であった。」
 
「それにしても、6×6センチ判であっても、35ミリ判にしても、一眼レフのファインダーは、わずか方寸の空間にすぎませんが、その中に自分を投入することができたら、そこに展開する世界は肉眼のそれにもまして、無限のひろがりをもつ天地になることは私がいうまでもないこと。
ファインダーに目を押し当てて、大自然のなかにのめり込んだとき、押し寄せる波濤は、遥か水平の彼方から私の心の中にまでひたひたと押し寄せてきます。流れ去る白い雲は、大気の輝きを伝えて、私は私だけの世界に佇むことができるのです。
人物に対した時だって、対話はすべてファインダーの中にのみあるのです。裸眼レンズから目をはずすまでは、私だけの世界で、話ができるなんて、写真する幸せみたいなものがファインダーの中に棲みこんでいるということを、いまさらのように実感として感じるようになりました。
(略)
そして、報道や記録の目を忘れた、というより、もっと、自らの心を大切にとねがうそんな私的な写真の世界は、時代に逆らった、おろかな写真の方法論なのでしょうか。」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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