「夜想」 17 特集: 末来のイヴ

「自動人形とは本来、人間の役に立つというような功利主義・実用主義とは無縁のものだ。自動人形はいつも人間と平行して生きつづけてきた。一方的に人間のためになるというようなものじゃない。むしろ人間にはむかうかたちで人間の本性に食いこんでいたのが自動人形でしょう。」
(巖谷國士)


「夜想」 17 
特集: 末来のイヴ

Yaso #17 - L'Eve future = Man Machine

ペヨトル工房 
1985年11月1日発行
240p 
A5判 並装 
定価1,200円
編集発行人: 今野裕一
A.D.: ミルキィ・イソベ



「独身者の機械」「マン=マシーン」特集。図版(モノクロ)多数。


夜想17 未来のイヴ 01


目次:

バレー・メカニック (オスカー・シュレンマー/訳: 天野知香・松浦寿夫)
末来のイヴ・・・・、さえも――ヴィリエ・ド・リラダンの独身者=機械 (ミッシェル・カルージュ/訳: 高山宏)
自動人形の物語 (インタヴュー: 巖谷國士)
人形哲学・考 (池内紀)
人間・機械――ギリシアからサイバネティックスまで (アラム・ヴァルタニアン/訳: 高山宏)
機械の視力――独身者マン・レイ? (松浦寿輝)
デュシャン、巧妙な視の技術者――『大ガラス』の作用について (南雄介)
末来の私生児 (松浦寿夫)
《Thaumaturgus opticus》――ルネ・デカルト、懐疑の自動機械 (ユルジス・バルトルシャイティス/訳: 高山宏)
永遠のアダムと機械じかけの人間(ホモ・エクス・マキナ) (松枝到)
『さかしま』から『ロクス・ソルス』へ (岡谷公二)
ロクス・ソルスあるいはロギクス・ソルス (北山研二)
テアトルム・マキナールム (高山宏)
人間変成の夢想を抱き続けた機械は今 (今野裕一)

PANORAMA
 末来のイヴ――アダムの肋骨
 アフリカの印象
 ヒューマノイドからアンドロイドへ、サイボーグからマンマシンへ
 AUTOMATON(オートマタ) 作品: 土井典



夜想17 未来のイヴ 02



◆本書より◆

 
巖谷國士インタヴュー「自動人形の物語」より:

「人間と自動人形というのは双子みたいなもので、宇宙の現状では、人形と人間はいつも向き合っているわけです。時には人間と人形が入れかわることもある。人間が人形になろうとしたり、人形が人間になろうとしたり。あらゆる自動人形の物語はそれをくりかえしている。ところが自動人形というものは人間とちがって、神が作ったものではなく、人間自身が作ったものです。それで神学上のいろいろな問題が出てくるけれども、同時にもう一方で科学のあり方が問われることになる。科学と自動人形との関係というのは、おそろしく複雑で微妙なんですね。
 筑波のロボットなどはこの間の事情とは関わりがない。それを捨象していい気持になるための装置のようなものですから。SFと結びつけたりしているけれど、あれはまあアシモフ以前です。アシモフはロボット三原則というのを立てて、結局「人間」という幻想を正当化するかたちで末来のオートマットの運命を限定したわけで、その後のSFもしばらくそれに従ったりしたんですが、ロボットが人間に危害を加えないとか、人間の進歩に益するべしというようなお題目は、もしもロボットたちが古きよき自動人形の血を引いているのだとすれば、彼らの歴史への侮辱です。自動人形とは本来、人間の役に立つというような功利主義・実用主義とは無縁のものだ。自動人形はいつも人間と平行して生きつづけてきた。一方的に人間のためになるというようなものじゃない。むしろ人間にはむかうかたちで人間の本性に食いこんでいたのが自動人形でしょう。ときには人間が自動人形を作るだけではなくて、自動人形によって「人間」が作られたというような関係が、じつは古典的なのです。」



岡谷公二「『さかしま』から『ロクス・ソルス』へ」より:

「私は一体『さかしま』のなにに心を動かされたのであろうか? 私は心底では、この作品を傑作とも、名作とも思っていなかった。(中略)極言すれば、一切がつぎはぎ細工なのである。
 それにもかかわらずこの作品には、ひどく差し迫ったもの、「このような作品を書いた後では、作者には、ピストルの銃口か十字架の下を選ぶほかに道は残されていない」とバルベ・ドルヴィリをして言わしめたものがたしかにある。それは全篇から湧き上ってくる、現実嫌悪、いや呪詛の感情の真正さであった。」
「それから二十年の歳月をへだてて、私はミシェル・レリスにみちびかれてルーセルを知り、『アフリカの印象』と『ロクス・ソルス』を耽読した。ルーセルの透明で、平静な世界には、毒はなかった。いや、そうではなく、ここでは毒は、所在がわからないほどに精製され、隈なく、すみずみまでゆき渡っていたのだ。最初のうち、誰も毒には気がつかない。迂闊な読者の中には、読み終わっても気づかない者もいるだろう。それほど毒は巧妙に隠されている。ルーセルの書き記す、少しも見栄えのしない、単純な、科学書の記述のように平板でさえある言葉のひとつひとつに、ごく微量の毒が付着している。ルーセルの世界になじむにつれ、毒は微量ながらも、ひそかに蓄積されてゆく。ある瞬間、口中にかすかな毒の香りがひろがる。それは私にとって、懐しい毒の味であった。」

「デゼッサントとカントレルは、そして作者のユイスマンスとルーセルはともに独身者であった。
 独身者は、生殖から、すなわち自然から切り離された、いや、自らを切り離した人間である。(中略)人間社会を成立させている根本の衝動が生命の維持であるならば、その社会の中で、彼はいつも疎外者、孤立者である。彼は、太古の昔から何代にもわたって、親から子へと受け渡されてきた生命の環を、自らの手で断ち切る。だから彼は未来にはつながらない。彼は反自然的存在であり、つねに現実の拒否者、否定者となる。
 反自然主義文学が、主として独身者たちによって担われてきたのは、むしろ当然のことだ。ミシェル・カルージュは、このような独身者たちの系譜をたどり、そこに現代の神話を見出そうとして、『独身者たちの機械』を書いた。
 カルージュの言うように、独身者にもっともふさわしいのは、機械である。それも生産に役立つものであってはならない。一切の有用性を持たぬ、ひたすら回転し、旋回しつづけるだけの無償の機械、金属の冷やかな輝きを放つ機械だ。それは、生殖から切り離された、社会にあって無用の存在である独身者自身の象徴である。」
















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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