ジャン・コクトー 『映画について』 梁木靖弘 訳

「そのとおり、またしても私だ。
自分にさよならを言おうとすると
いつまでたってもきりがない」

(ジャン・コクトー 『オルフェの遺言』 より)


ジャン・コクトー 
『映画について』
梁木靖弘 訳


フィルムアート社 
1981年10月31日 発行
1989年1月30日 第7刷
292p 
四六判 並装 カバー 
定価1,800円+税
装幀: 粟津潔



本書は、コクトー生前の単行本には未収録だった映画に関する文章を集成した没後刊行本(1973年)の日本語訳です。原書は『シネマトグラフをめぐる対話』と二冊セットで刊行されたようです。

Jean Cocteau: Du Cinématographe
本文中図版(モノクロ)24点。


コクトー 映画について 01


コクトー 映画について 03


目次:

編者序文 (アンドレ・ベルナール/クロード・ゴトゥール)

Ⅰ章 シネマトグラフと詩
 演劇とシネマトグラフ
 詩人たちの手に危険ですごい武器ひとつ
 映画、詩の媒体
 映画は勇気を持つ必要がある
 詩と映画
 映画における詩
 映画の美
 ヴェネチア・ビエンナーレのこと
 呪われた映画について
 映画祭の教訓
 カンヌの待合せ
 十六ミリの想像力

Ⅱ章 オマージュ
 ブリジット・バルドー
 アンドレ・バザン
 ジャック・ベッケル
 チャーリー・チャップリン
 ジェイムズ・ディーン
 マルレーネ・ディートリッヒ
 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン
 ジャン・エプスタン
 ジョー・アマン
 ローレルとハーディ
 マルセル・マルソー
 ジェラール・フィリップ
 フランソワ・レシャンパック
 ジャン・ルノワール
 イルジー・トルンカ
 オースン・ウェルズ
 ロベルト・ヴィーネ
 詩と観客
 映画の原典
 ある回想の続き
 ある回想の終わり
 肉体の悪魔
 ピカソの秘密
 砂の結婚
 オセロ
 裁かるるジャンヌ
 野獣の血
 顔のない眼

Ⅲ章 わが映画への註
 詩人の血
 美女と野獣
 双頭の鷲
 恐るべき親たち
 オルフェ
 オルフェの遺言
 声
 ルイ・ブラス
 悲恋
 クレーヴの奥方

Ⅳ章 未発表シノプシス
 オルフェ
 コリオランの生涯からの一挿話、あるいは自明の理
 コリオラン
 運のつき
 ガス灯、一大ギャグ・コメディ
 呪われた町
 イールのヴィーナス

Ⅴ章 ジャン・コクトー フィルモグラフィ (編・解説: 高橋洋一)

訳者あとがき



コクトー 映画について 02



◆本書より◆


「呪われた映画について」より:

「映画プロダクションなどはない。それはお笑い草だ。文学や、絵画や、音楽のプロダクションがないのと同じことである。いい葡萄酒のできる年があるという言い方にならえば、いい映画のできる年などない。美しい映画は一つの偶発事件(アクシデント)であり、ドグマの足をひっかけてやることだ。規則を軽蔑する映画、異端の映画、“呪われた”映画の何本かはシネマテーク・フランセーズの宝物であって、それらをこそ擁護するとわれわれは主張するものである。」


「映画祭の教訓」より:

「観客に野次られる映画を上演するのが主眼ではない。運悪く観客にめぐり逢えないでいた映画や、本当はずっと感受性があるのにそうではないと思われている観客を懸念して、封切りをためらっているような映画を上映するのが本意である。」


「十六ミリの想像力」より:

「フランスの魅力を形づくっているのは誰か? と私は聞きたい。政治家でないことは確かである。それは、ヴィヨンであり、ランボーであり、ロートレアモンであり、ヴェルレーヌであり、ド・ネルヴァルであり、ボードレールである。フランスは彼らを軽蔑し、追放した。飢えで苦しめた。自殺か、さもなくば病院での死に追いやった。
 われわれはこの神秘的な共有財産を保護しなければならない。」

「若者が自由に参加できないような芸術は、前もって有罪の判決を受ける。カメラが万年筆になるようでなければいけないし、誰もが自分の魂を視覚的文体に翻訳できるようでなくてはいけない。各人がフィルムを切り、撮影し、編集し、音をつけることを学ぶのが大事なのであって、この実に厳しいメチエの一部門に専門分化することを学ぶべきではない。すなわち、工場内の一機関のそのまたなかの一細胞になることでなく、水に飛び込めば自己流の泳ぎ方を発明するような、自由な肉体になるということだ。」



「ジャック・ベッケル」より:

「ジャック・ベッケルはおずおずと不明瞭に話すので、しまいにはある種の沈黙、曖昧な口ごもりへと、もつれてしまったように私には見えたものだ。そういうときの彼のうまく言えないもどかしさは、子供たちが自分の宝物を分けてあげようとするときの優美さにも比すべきものになった。
 それは彼が、子供の魂の、あのあらがえぬ魅力、くどくど弁解しないという魅力を持っていたからだ。彼を失ったことが私はつらい。しかし、私はそうとは信じられないのだ。なぜなら彼の映画が忠実に生を引き延ばしているのだから。」



「ジェイムズ・ディーン」より:

「ジェイムズ・ディーンは、私の眼には、習慣に対する不服従の一種の大天使と映る。そして彼の最高に美しい不服従の行為とは、約束された栄光に対して彼の死がつきつけた恐るべき拒絶のことではないか? 彼はいわば教師たちに舌を出して、教室の窓から逃げだす小学生のように、この世から出ていった。」


「ジャン・エプスタン」より:

「ジャン・エプスタンは規則に従わずに生きるという手本を、また、ただ魂と心の力だけをたよりに生きるという手本をあたえてくれました。」


「オルフェ」より:

「『オルフェ』はリアリズムの映画である、というか、ゲーテが現実と真実のあいだに設けた区別を守って、もっと正確に言うと、私に固有の真実を表現した映画である。この真実が観客のものと違えば、また私の個性の表現を観客の個性が拒否すれば、私は嘘つきよばわりされる。それにしても、この個人主義の国でいまだに多くの人が他人の考えにあいかわらずすぐ染まるということが、私には驚きである。」


「オルフェの遺言」より:

「私の映画を見る観客のほとんどが、これはくだらないとか、てんで理解できないとか言うのは目に見えている。彼らはまったく間違っているわけではない。なぜなら、私自身まったく理解していないので、ほとんどあきらめかけ、私を信じてくれた人々にお詫びをしようとまで思ったことがあるからだ。だが経験は私に教えてくれていた。一見意味がないように見えて実は意味のあるものを、どんな口実があるにせよ放棄してはいけないと。」

「難破ほど、死せる規則への不服従ほど、偶発事故ほど、まちがいほど美しいものはない。ただし人間がそれを聖化し、模範にしてしまうほど強ければの話だが。もしまちがいを犯した者が、それをボードレールの言う「美の最も新しい表現」へ変えるならば、まちがいはまちがいでなくなる。」



コクトー 映画について 04


















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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