『土方巽舞踏大鑑 ― かさぶたとキャラメル』

「あと、衰弱してきたからじゃないかと言うけれども、私は五七歳で、五〇とれば七歳ですよ。精子が長い廊下を歩いていたという実感があって、これを稲垣足穂に話したら共鳴してくれたんですが、七歳のままストップしているというのはあるね、私の場合は。精子が七歳生き延びたんだから、もうそうとう長生きはしてるんですがね。」
(土方巽)


『土方巽舞踏大鑑
― かさぶたとキャラメル』

編集委員: 種村季弘・鶴岡善久・元藤燁子

悠思社 
1993年11月20日 初版第1刷
167p 
29.5×22.5cm 並装 カバー 
定価4,800円
アート・ディレクション: 勝井三雄
デザイン: 石橋昌子[勝井デザイン事務所]
編集: 宮澤壯佳
英文翻訳: 木幡和枝・Arturo Silva・Stanley N. Anderson



本書パンフレット「『土方巽舞踏大鑑』の刊行にあたって」より:

「1960年代に土方巽はさまざまなジャンルの芸術家を「暗黒舞踏」という「風ぐるま」に巻き込んだ。それはあたかも1910―1920年代のロシアにおいてディアギレフがバクスト、ピカソ、マティス、マリー・ローランサン等を創造の「るつぼ」に巻き込んだあの「黄金時代」を思い起こさせる。
土方巽の舞踏は、創造行為の核心をつくものとして舞踊界のみならず多くの芸術家に強烈なインパクトをあたえた。それは「運動(ムーヴメント)」に縁遠い日本の芸術界で実現した、きわめて貴重な革新的な契機であった。そして土方巽の登場とその意味は、三島由紀夫、澁澤龍彦、瀧口修造、埴谷雄高、大岡信、加納光於ら多くの芸術家・評論家によって論証されながら、その後、海外においてもオクタビオ・パス、ジョン・ケイジ、スーザン・ソンタグらによって高く評価され「舞踏(Butoh)」の名を世界にひろめたばかりではない。若い世代に多大な影響をあたえたことで、その先駆的偉業がいま混迷の時代に改めて見直されていることに注目したい。
本書は日本が誇り得る土方巽の伝説的イメージを辿りながら、その展開・継承の道程を明らかにするとともに、舞台と日常を同じ磁場に変えた土方巽のさまざまな場面を紹介し、明日の芸術に向けて強烈な示唆を照射する。
また土方巽記念資料館アスベスト館の全面的な協力と種村季弘、鶴岡善久、元藤燁子を編集委員に迎えることによって本格的な「土方巽像」が鮮やかに浮彫りにされる。」



本書には、布装函入り、ブロンズ製「土方巽の足」を添付した定価650,000円の20部限定版もあるようです。


土方巽舞踏大鑑 01

表紙写真: 
「骨餓身峠死人葛」より、1970年。


土方巽舞踏大鑑 02

裏表紙写真: 
「土方巽の足」、鋳造: 吉江庄蔵 ブロンズ、1993年。


土方巽舞踏大鑑 03

扉題字: 永田耕衣。


土方巽舞踏大鑑 04


目次:

細江英公 「「鎌鼬の里」にて/土方巽と写真」

[土方巽語録] (鶴岡善久 編)
舞踏とは命がけで突っ立った死体である

種村季弘 「土方巽私観」
合田成男 「二つの座標――土方巽と大野一雄と舞踏の現在」
酒井忠康 「先駆者の翼の影」
元藤燁子 「暗黒舞踏の原点へ――土方巽と秋田のことなど」

[土方巽へのオマージュ]
三島由紀夫 「危機の舞踊」
埴谷雄高 「胎内瞑想について」
澁澤龍彦 「現代の不安を踊る」
瀧口修造 「私記・土方巽」
ドナルド・リチー 「土方巽」
吉岡実 「青い柱はどこにあるか?――土方巽の秘儀によせて」

[土方巽舞踏コレクション]
暗黒舞踏の「風ぐるま」に
詩人や画家を巻き込んで

[公演ポスター]
「禁色」から「燔犠大踏鑑」へ

土方巽年譜
土方巽主要文献 [執筆年表・参考文献]



土方巽舞踏大鑑 05



◆本書より◆


「土方巽語録」より:

「汚れたものほど美しいものを創るというのはね、あの、あらゆる、あの、民俗舞踊の中にね、眠ってあるんです、実際に。だから、言語、美術品、建築、王位継承、ね、宗教、そういうものが全部根こそぎ奪っても、やはり踊りの種だけはこぼしていってるね。ダッタン人でもね、それから、フン族でもね、それは種ですよ、種。こぎたない種がね、美しいものを創るんですよ。これは人間だけのことではないですよ。だからいつでも汚い種をまいているんです。」

「俺は流しにある柄杓をね、畑のなかへこっそり置いてきたことがあるぞと、ね。水屋ってのは陽が当たらないから、柄杓がかわいそうだと思ってね、外の景色を見せてやろうと庭へね、そうっと置いてきたことがある、畑の中に。そういう器物愛。それから自分の体の中の腕が自分のものでないように感じとる。ここにね、重要な秘密が隠されているんです。舞踏の根幹が秘められている。
 そうするとね、こういうことも考えますよ。なあに、俺は空っ箱だい。うん。すると隣近所からもね、俺も空っ箱だい、なんて奴が出てきてね、クスクスクスクス笑っていると。なかにはね、まるで骨壺みたいだね俺達、なんて言ってね。なんとなくそのコミュニケーションがでてくる。わたしはふいごになったり柳行李になって、内臓を一切合切表へ追っぱらっちゃってね、そして遊んでたことがあります。ついでにね、この、とまっている馬を見ると鋸でひきたくなってきたりね、それから川をね、切ってくるとか、こおらせればいいわけですからね、川を切って持って来いとか、そしてどんどんどんどんそういうふうに体が拡張されていくんですね。
 空だってそうですよ。あれだって一枚の皿だと思えば叩き割ることだってできるわけです。」



土方巽舞踏大鑑 08


土方巽舞踏大鑑 09


本書パンフレット「土方巽 バイオグラフィー」より:

「1928年3月9日秋田県に生まれ、1986年1月21日東京で没する。享年57歳。本名は元藤九日生(くにお)。世界的なブームを呼んでいる「舞踏」の創始者で、「暗黒舞踏」という新しい表現形式を確立した。
秋田工業学校を卒業後、増村克子(江口隆哉門下)についてドイツ流のノイエ・タンツを習い、24歳で上京、その後安藤三子舞踊研究所に入門、モダン・ダンサーとしてデビューした。そのころ、大野一雄の舞台に出会ったことと、赤貧のなかでジャン・ジュネの作品を耽読した経験は、青年土方巽に強い影響を与えた。
1959年に「禁色」を発表、題名を借用したことから三島由紀夫と知り合い、さらに澁澤龍彦、瀧口修造らとの交流が始まった。「あんま」「バラ色ダンス」など、60年代の作品は、男性舞踏手による倒錯的エロティシズムと、挑発的な暴力を感じさせる作風で、既成の舞踊概念にとらわれない新しい肉体表現の生成に努めた。
しかし、1968年の「肉体の叛乱」の舞台を境に大きく変化し、70年代は厳寒の風土が育む日本人の肉体に舞踏の基盤を見出し「燔犠大踏鑑」と冠した一連の作品を作った。「四季のための二十七晩」「静かな家」の公演は、特に「東北歌舞伎」とも呼ばれ、重心を低くとりガニまたで踊る独特の様式を完成させた。
1974年以降は演出・振付に専念し、自らは舞台に立つことはなかった。「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」など多くの名言を残し、社会の裏面史や日常の背後に埋もれた身振りや記憶を作舞することに「暗黒」の意味をこめた。
これまでの西洋舞踊の多くが、肉体を発展的にとらえ、力のダイナミズムで踊りを構成するのに対して、土方巽は解体され衰弱に向かう肉体の一生に美しさを見出した。これは画期的な視点というべきもので、文学、美術、哲学、演劇、音楽、など、他ジャンルの人びとにも衝撃を与えた。」



土方巽舞踏大鑑 07


土方巽舞踏大鑑 06























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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