間章 『この旅には終りはない』

「いつだって悪くない時代なんてなかった。闘いが困難でなかったときなんてなかった。それゆえに私たちの可能性がためされているのです。」
(スティーヴ・レイシー)


間章 
『この旅には終りはない 
〈ジャズ・エッセイ〉』

OAK BOOKS

柏書房
1992年10月8日初版第1刷発行
219p アーティスト&ディスコグラフィー9p 著者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,800円(本体1,748円)
装丁: 宇野亜喜良



間章(あいだ・あきら)の没後刊行評論集。本書は1970年代に間章が自ら招聘してコンサートとレコーディングをプロデュースしたソプラノ・サックスのスティーヴ・レイシー、パーカッションのミルフォード・グレイヴス、ギターのデレク・ベイリーとの対話の記録です。
解説は作家の辻邦生。間章は立教大学仏文科で辻の指導を受けた(中退。未発表卒論は「ジョルジュ・バタイユとイニシアション」)。

本文中図版(モノクロ)多数。


間章 この旅には終りはない01


帯文:

「創刊 オーク・ブックス
間章(あいだ・あきら)を知らなければ
ジャズは語れない
彼(間章)の文章ほど、生きることに勇気を与え、生きることを愛さずにはいられなくするものはない。 辻邦生(解説より)」



目次:

スティーヴ・レイシーとの対話――その六つの〈時〉と〈場所〉
 1 チトン通り(レイシー宅)にて――一九七六年六月二日
 2 チトン通り(レイシー宅)にて――一九七六年六月三日
 3 チトン通り(レイシー宅)にて――一九七四年三月二十二日
 4 モンパルナス通りにて――一九七四年十月二十一日
 5 京都のホテルにて――一九七五年六月十六日
 6 オペラ通りにて――一九七六年六月五日

ミルフォード・グレイヴス・コレクティヴ
 1 より明確な〈生〉のためのドラムとその基礎
 2 スポンティニアスな音楽と開かれた人間の関係へ
 3 〈ミルフォード・グレイヴス論〉覚書

デレク・ベイリーの方位へ――即興演奏の新しい地平
 未知のアナーキスト、デレク・ベイリー
 開かれた自発的で固有な音楽の地平へ向けて
 ダウンズ・ロード(ベイリー宅)にて――一九七七年三月二十五日
 ダウンズ・ロード(ベイリー宅)にて――一九七八年三月二日)

初出一覧
間章――ある目覚めた場所へ (辻邦生)
アーティスト&ディスコグラフィー



初出:

スティーヴ・レイシーとの対話 (「ジャズ・マガジン」 1977年2・3月合併号、4月号、78年4月号)
ミルフォード・グレイヴス・コレクティヴ (「ジャズ・マガジン」 1977年8月号、10月号、11月号)
デレク・ベイリーの方位へ (「モルグ」 創刊準備号 1978年4月)


間章 この旅には終りはない02



◆本書より◆


「スティーヴ・レイシーとの対話――その六つの〈時〉と〈場所〉」より:

「私がスティーヴ・レイシーとはじめて会ったのは一九七〇年の冬だった。」
「その頃の私は自分のなかから、自分のまわりからジャズにまつわるものの一切を埋葬しようとしていたのだった。」
「七〇年の冬のはじめ私は単身ヨーロッパへ向かって旅立った。やがてパリに住むようになった私は、激しい憎悪に身を引き裂かれるようにして押し黙りながら部屋にこもってさまざまの想念を追いもとめ、自分の内なる荒野をさ迷いつづけていた。一切の光がなかった。私は深く自己の虚無的な〈密室〉のなかに閉じようとしている自分を感じつつも、そしてそこから脱け出ようとしながらも、どうにもそこから逃れえないままに〈過激な無関心〉にとりつくされようとしていた。
 そんなある日、どうしたきっかけなのか今でははっきり思い出せないが、スティーヴ・レイシーのコンサートへ行ったのだった。(中略)その日の夜、コンサートが終ってからレイシーは一人残った私を見つけて互いに自己紹介して、私たちは近くのカフェで話し合った。
 その日からだ、私には他に誰一人いなくても、またあらゆるジャズメンが日和(ひよ)っても脱落しても、少なくともレイシーがいる、ここに私よりも厳しい困難と必死に闘いながら音楽への闘いをさらに闘い、探究しつづける男レイシーがいる、私だけが闘いを止め、私のうちでジャズを解消しても埋葬してもならないのだ、という覚(さ)めが私のなかにしっかりと根づいたのは。」

A(間) 最初にベイリーと会ったときはあなたがいましたね。というより、私があなたと会いにサラヴァへ行ったらベイリーがいたのでした。そのとき少し彼と話しましたが、とてもすごい人です。恐ろしいくらい、精神的に強い人ですね。私は忘れられないんですが、「あなたを即興演奏家として尊敬しています、会えて光栄に思っています」と言ったら彼は、「とってもありがとう、そうですね、それは地獄みたいなもの(It is like a hell.)、即興というのは、地獄のようなものですから」と言いました。
L(レイシー) 覚えているよ。そしたら君は言ったじゃないか、「そうですか、確かにあなたは地獄にいる(Yes, sure you are.)」って(笑)。
A ずっと思っているんです、彼を日本へどうしても呼ばなくてはと。
L そうすべきだ、誰をさておいても彼を呼ぶべきだと思います。
A あなたの来日公演で、私がへたなこともあってか四千ドル(百二十万円)も赤字=借金を作ってしまいましたので、なかなかつぎが呼べません。借金を返すめども立ちません。
L なんと言っていいか(笑)。
A でも近々ぜひ実現します。しかし今、私は彼(デレク・ベイリー)とミルフォード・グレイヴスと、どちらを先に日本に呼ぼうか迷っているんです。ミルフォードにニューヨークで会って、彼こそぜひ日本に来てもらって多くのミュージシャンに知ってもらいたい存在だと思ったんです。」

L (中略)君も知っているように、私のすべての曲は誰かある特定の人に捧げられています。そのなかにはミュージシャンや画家や詩人や思想家それに友人などがいます。私は敬意を持ってそれらの人びとが一生かけて作業した仕事の全体へ、その一曲を持って向かいたいと思い、演奏するのです。」
「ひとつの曲はたいてい一年か二年かけて練習しながら曲として生まれます。私はそれをやはり一年くらいかけてさまざまな方法でまた練習します。曲といっても、とてもシンプルなのはご存知でしょう。いつもそれはシンプルなラインで、全体的なコンクリートなものではなくてむしろプラスチック(可変的)なものです。その曲からありとあらゆる潜在性や可能性を導き出そうとするのです。重要なことはこれらのことすべてが―ある具体的な実現をクラシック・ミュージックのように目指されるのではなく――即興演奏のために即興の追求のためになされるのだということです。それは即興の厳密化と自由さについての私の作業なのです。即興に自覚的になるための方法なのです。
 それはいわば私がそのきっかけをセロニアス・モンクから学んで、私なりに発展させていった方法なのです。」
「大きく言って二つの方法があると思うのです。即興によって無に達し、そこから何かトータルなものを逆に浮かびあがらせるという、即興へ身を投げかける方法です。それはいってみれば大海を泳ぎわたる泳ぎの名手のようなものです。この方法では私はかつてのソニー・ロリンズや現在のデレク・ベイリーをあげないわけにはいきません。それともう一つは、組織的、方法論的な即興の追求で、即興を方法的に作業づけ、即興と非即興のあいだに厳格な道をもうけ、聞く方法です。気ままさや偶然を排して、即興の向こう側まで泳ぎ渡ろうとする試みです。私の方法はどちらかといえばこのほうです。私は即興の決して見えない向こう側へ、即興のただなかから達したいという気持があるのです。」

L 誰だって偶然にすべてをまかせることなどできません。そうすると私には自由についてもう一度考え直してみる必要ができたんです。
 それはある状態ではなくて過程(プロセス)ではないのかと。私は今、自由であることの根拠が知りたいと思っています。なぜ人は自由であるべきかと。自由への道と方法が知りたいのです。〈ポスト・フリー〉というのは許された自由の状態からの脱出と反省です。フリーについて自覚的にあらゆることを学ぶことです。様式としてのフリー・ジャズ、ムーヴメントとしての現象のフリー・ジャズから客観的に身を引き離し、真のフリーとは何かと問いつづけることです。フリーを夢や熱狂から現実に引きもどし、もう一度省(かえり)み、それへ自覚的な方法をとおして具体的に向かうことです。
 一方的な恋から理解を持った愛へ向かうことです。」
L 私にとってもあなたに巡り会えたのはとても重要でした。見も知らぬところからあなたのような人が現われるとは全然思っていませんでした。
A 私はとてもまだまだだめです。今は分からなさの形が分かりつつあり、作業の場所が分かりつつあるだけです。いずれ本当の作業としての文章化、思惟の具体化をすると思いますが、まだ何年間かかかるでしょう。
 時はそう残されていません。時が残されているのは敵と体制のためですから。
L いつだってそうです。いつだって私たちはよりよき門口に立っていて、一歩づつ歩みはじめるだけです。
 前にも言いましたように、私は〈彼方〉(au-delà, out there)へ向かって現実的な闘いと具体的な歩みを進めるのです。一度だってそこに達したことなんてありません。だからこそ作業が、仕事(メチエ)が重要なんです。あらゆるところに罠があり、あらゆるところにいつわりの〈安息〉があります。
A 私はあらゆる集中力を払ってあなたと、あなたの作業を見つめます。それは私のひとつの使命なのです。
L 私たちは見つめることを知り、見つめる他者を知ることによってかろうじて発展し、前進できるのです。
A 時代はそして悪い方向にますます向かっています。
L いつだって悪くない時代なんてなかった。闘いが困難でなかったときなんてなかった。それゆえに私たちの可能性がためされているのです。
A そのとおりだと思います。そして、一切の可能性が闘い以前にはないのだと思います。」

L もし演奏がその演奏者の何かの披瀝にとどまるのであったら、演奏の作業や演奏の在り方の問題は、もっと単純で機能的な事柄に属するでしょう。演奏者の困難さの次元が違うと思います。過去において―恐らく十九世紀の終りから今世紀の二〇年代くらいまででしょうが―ジャズがある共通のコミュニティとそうしたコミュニティへの幻想を基盤としていた時期、そしてジャズがジャズであることを誰も認めることができ、そうしたことを容認させうる共通の文化的アイデンティティにひびがなかったとき、それは可能であったかもしれません。
 つまり疑いもなく共通のコンテクストの上で語るという語法がです。今や即興演奏はそうした共通なコンテクストの上での語法ではありえません。誰もが分裂したものを抱えているのです。そしてそれぞれが自己のコンテクストを組織し、そして文法も語法も自ら生み出さなくてはならなくなってきてさえいるのです。
 我々はもはやある確たるコミュニティに自己が属するという幻想すら持ちえませんし、そうしたコミュニティやコンテクストを確信することなど、ましてできないのです。」
L (中略)演奏者は一人なのです。シングル・ヴォイスしか持ちあわせていませんし、それを持続しなければいけません。一度に二つの声で二つの別のことを語るのは私には無責任に思います。(中略)演奏者は一人でありつづけます。そこにとても重要な意味があります。シングル・ヴォイス、シングル・ラインとして行為はあり、しかもさまざまに集中と分裂を反映し、創造と破壊のような対極的な局面を反映させ、主観と客観を反映させ、巻き込みながら行為は持続しなくてはなりません。
A まるで行為と意識の、二つの異なるものの相反する志向と局面に、十字架にかけられるように……。
L 十字架ですか。そうですね。決してパセティックなものではないけれど、そうですね。
A まさに試練の道です。人間の可能性と真の実現に向けての闘いです。
L あくまで一つの声で、そうしたことを含みながらそのテンションのなかで行為しなくてはならないのです。(中略)それ(ソロ演奏)はまるで一本の見えないワイヤーの上での綱渡りです。不注意になるとすぐ落ちてとり返しがつきません。」
L でも新しいことなんて何もない。それは単に形式的な見せかけにすぎないんです。作業性の在り方の新しい位相といったものならあるけど。でも私は黒人、白人、インカ人を問わない何千年の影響のなかにあるのです。何千年いや何万年かもしれない。私は音楽では何ひとつ所有していない。一人の個としての私だけの在り方や作業はあるけれど、私だけの音楽というのはありません。私のなかにさまざまな何千年、何万年の音楽がこだましているのです。本当につらい時期に私はそのことを深く学びました。無数の人びとが私を支えてkるえたのです。作家、アーチスト、プレイヤーとして多くの名前さえ知らぬ人びとが。それゆえにこそ私は私の個の方法にも、個であることの厳しさも逆に知ったのです。確かに私の行っているのは個的な作業、誰もそれを助けることのできない自分の作業ですが、その背景にもまたその内部にさえ無数の人びとがこだましているのです。そして私自身もどこか別の場所、別の人のうちにこだましているのだという重い責任を感じているのです。
A 確かにそのとおりですね。そうでなければ私とあなたは、ここでこのように会ってはいないと思います。本当に孤立しているのなら、なんの出会いも交感もなく、明日にでもすべては終ってしまうことが可能ですから。
L この世で終りうるものは何もありません。形を変え異質のものとなることはあっても、そしてまたすべてがはじまっているのです。私の作業はそのはじまっているものを私なりに受けつぎ、そして私なりにリアライズ(実現)、プレゼント(現前)するために賭けられているのです。それが私にとって個の意味です。決してなまやさしいことではありません。そのほかにオリジナリティなり個の意味はないと思います。」
A イギリスではどんな演奏者がクリエイティヴですか。
L 正直言ってデレク・ベイリーしかイギリスにはいない。あとはなにもない。いるとしてもまだこれからだ。また本当のことを言ってしまった(笑)。
A (中略)いろいろ注目すべきグループや演奏者がイギリスにいるとしても、ベイリーの次元に並ぶ人間は一人だっていないことは確かですね。
L まったくそのとおりだな。本当に信じられないくらいすごい演奏者だね、ベイリーは。」



「デレク・ベイリーの方位へ――即興演奏の新しい地平」より:

「その日は多分パリでは〈灰色(グリ)〉の日とでも呼びそうな一日だった。朝、ホテルで目覚めたとき、私はすぐに窓のカーテンをのぞいてそんな気がした。(中略)ロンドン、それは一日一日と亡び去ってゆきつつある街だ。街では多くのパンクや乞食やアルコール中毒者を見る。そして多分精神の病いに冒された人びとを。一年前にもましてそれらの人びとはロンドンの亡びを私に強く印象づける。朝の十時、今日も朝食を食べないことになってしまった。ちょっと外をのぞくと小降りだが雨が降っている。通りの向こうでごみの箱をあさっている犬が見える。やせて悲しそうな眼をした子犬だ。
 私はベッドにもぐり込んだまま、電話をすると約束した十一時を待っている……。 
 一時に私と桑原君はロンドンの東のはずれにあるデレク・ベイリーの家に着いた。タクシーのなかにいるあいだじゅう、私はレイジーな気持のまま、どこかで沸きあがってくるD・ベイリーとの再会の興奮をじっと静かに見つめていた。
 呼び鈴を鳴らすと、出てきたのはデレク本人だった。静かだがよくとおる声で彼は我々を招き入れてくれた。とても質素で感じのいい部屋。我々は彼の仕事部屋に入った。その部屋には椅子が二脚に小さなテーブルが二つ、そして彼自身のレーベルであるインカスのレコードと二十枚ほどのレコードが入っただけの小さな棚が一つ、そのほかにはギター数本とアンプ類――どれも小さな古いものばかり――があるだけだ。それは奇妙なことに私の想像したとおりの部屋だ。何ひとつ余分なものがなく、雑然としていながら、すべてのものは置かれるべきところに置かれてあった。この部屋がデレクの人柄のすべてを物語っている。どのように言っても角ばったところがなく、恐ろしいまでにしなやかで自然でそしてアナーキーな、限りなく謙虚で限りなくまばゆい固有性そのものとしてある彼の即興演奏のように、それは静かでクリアーだった。
 私たちは七四年に最初にパリのアベッスのカフェで会ったときのことを話した。あのカフェ、デレクと彼の夫人のジャニスそれにスティーヴ・レイシーたちがいた。私はそこでスティーヴにやっと彼の来日公演ができることになったことを告げ、デレクに「あなたも必ず近いうちに日本へ呼んで演奏してもらうつもりです。私は七二年に最初にあなたのソロ・レコードを聴いてからずっとそう決意していたのです。私はいつもあなたの即興演奏に敬意と驚きを持ちつづけてきました」と言った。
 そのときのことを彼ははっきりと覚えていた。
 「あなたはあのとき、黒いトレンチコートにずぶぬれになっていました。最初に会ったとき、私はあなたが何者なのか分かったように思えたのです。ジャニスもとてもよく、そのときのことを覚えています。そしてあなたはこうしてやってきた、あのときの約束を果たしに。とてもそれは素晴らしいことです」
 話はそこからはじまった。」

A(間) スティーヴ(・レイシー)の演奏、とくにソロについてはどう思いますか。
B(ベイリー) スティーヴ! 彼はまったく例外的なミュージシャンです。ソロにもさまざまな道がありますが、彼はある曲によってその曲の終りへ向かうという道のまぎれもないマスターだと思います。
A 〈終り〉と言いますと?
B ある曲があり、それを懸命に生き、そしてその曲の終りへ向かうというシンプルな意味においてです。
A するとあなたのソロは、終りのない、そして始まりにこだわらないものだという自覚がはっきりあるんですね。
B 私は演奏の終りはいつも仮初めの終りだと思っています。私は終りを意識しません。それはまさに終るようにして仮初めに音が消えてゆくということにすぎません。」
















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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