谷川健一 『常民への照射』

「もし真のアナーキズムがあるとすれば、それは無権力な人間の平等社会というだけにとどまらず、他の自然にたいしても人間が権力を放棄した社会でなければならぬ。」
(谷川健一 「野性の沈黙と文明の饒舌」 より)


谷川健一 
『常民への照射』


冬樹社 昭和46年8月25日第1刷
365p 
四六判 角背紙装上製本(背バクラム) 
本体ビニールカバー 機械函 
定価1,000円
装幀: 秋山法子



本書「あとがき」より:

「しかも柳田と折口がおなじ民俗学者でありながら、あらゆる面で対照的であることが私の興味を引いた。本書の第一部を「柳田学と折口学」としたのはそのためである。この二人は一対として考えてみるべきである。第二部と第三部は、私をして魂を腐蝕させ、窒息させるようなものを感じないではいられないできた、日本近代社会への抗議にあてられる。私の中には「小さき者」を扼殺してかえりみない日本近代にたいする復讐のやむを得ぬ衝動がある。
 「いと小さき者」の世界、それは、農夫、漁民、娼婦、浮浪人などが形成する世界である。(中略)こうした「小さき者」への私の親近性は、彼らが悲惨な生涯を送っているからだ、というだけではけっしてない。私はそれらの人びとのエネルギーに驚嘆するとともに、「小さき者」たちの気楽な生活にもあこがれたのである。」
「本書は私がこの十年間に書いた文章の集成である。(中略)私は本書の題には、ありふれた人々を指すコモン・ピープルの訳語である、常民という語を使用することにした。本書は常民のさまざまな素材をとおして、さまざまな角度からとりあつかっている。」



谷川健一 常民への照射


帯文:

「無告の民とは自分の苦しみを告げ知らせることのない人びとを指す。その人びとへの共感に支えられ、柳田民俗学を最もラディカルに読もうとする立場から、民衆生活の基底を見据えつつ日本近代の暗黒をはげしく撃つ!!」


帯背:

「民衆世界への測鉛」


目次 (初出):

I 柳田学と折口学
『海上の道』と天才の死 (「論争」 1962年10月号)
折口信夫再考――私の折口学 (国学院大学新聞」 1969年9月10日号)
柳田学と折口学
 折口の「他者」としての柳田 (「日本読書新聞」 1966年1月1日号)
 柳田国男第二対談集 『民俗学について』 (「日本読書新聞」 1965年11月8日号)
 中村哲 『柳田国男の思想』 (「日本読書新聞」 1967年12月11日号)
 加藤守雄 『わが師折口信夫』 池田弥三郎 『わが師・わが学』 (「日本読書新聞」 1967年7月10日号)
辺境の神話学 (「辺境」 第二号 1970年9月)

II 近代の暗黒
無告の民 (学芸書林版『ドキュメント日本人』第七巻「無告の民」解説 1965年4月)
近代の暗黒 (平凡社版『日本残酷物語』第四、五部、現代篇1序文(改稿) 1960年5月~11月)
近代文化と庶民生活 (「朝日新聞」 1971年2月22日朝刊、3月1日朝刊)
沖縄が沈黙を破るとき (「朝日新聞」 1971年3月11日夕刊)
憑かれた人びと (「日本読書新聞」 1966年4月11日号)
神風連の神慮と行動形態 (「明治大学新聞」 1968年1月11日号)
明治と明治もどき (「熊本日日新聞」 1967年12月24日)
維新変革の虚妄と反乱者たち (三一書房版『明治の群像』3「明治の内乱」総論 1968年12月)
非日常的世界との交錯――娼婦の世界 (新人物往来社版『近代民衆の記録』3「娼婦」解説 1971年6月)
もうひとつの明治 (三一書房版宮岡謙二著『娼婦海外流浪記』解説 1968年3月)

III 文明の頽落の中から
祭としての〈安保〉 (「現代の眼」 1969年12月号)
野性の沈黙と文明の饒舌 (「映画批評」 1971年3月号)
洞窟の論理 (「国際文化」 1970年9月号)
深沢七郎論 (「流動」 1970年11月号)
政治と文化が癒着した近代百年 (「自動車とその世界」 1969年10月号)
日本のユートピア (社会思想社版『われわれにとってユートピアとはなにか』 1971年4月)

IV 書評一束
長谷川伸 『日本捕虜志』
加藤秀俊、米山俊直 『北上の文化―新・遠野物語』
羽原又吉 『漂海民』
村上兵衛 『青年の山脈』
森川護 『明治十年』
土井正興 『イエス・キリスト――その歴史的追及』
アンドレ・パロ 『キリストの大地――考古学・歴史・地理』
『三好十郎の仕事』
益田勝実 『火山列島の思想』
色川大吉 『明治の精神』
村野廉一、色川大吉 『村野常右衛門伝』
池田晧 『漂民の記録』
森嘉兵衛 『日本僻地の史的研究』

あとがき
初稿発表書誌




◆本書より◆


「憑かれた人びと」より:

「わが国には御霊信仰という固有の宗教思想がある。横死したり憤死したりした者のたたりをおそれて、これを神に祭るならわしである。わたしは近代への復讐の意味を、近代史の原点にさかのぼって考えようとしたとき、この人たちの怨恨につきあたった。」
「彼らは異端の烙印をおされ、脱出路をふさがれながら、正統性を立証しようとして、怨恨に火をつけた。怨恨とは包囲された者の自己証明の衝動であった。だからこそ、横死者や憤死者の死骸は、彼らの魂がふたたび陽の目をみることがないように、逆さまなかっこうで土中に埋められたのである。
 それから百年がたとうとしている。しかし後人は敗亡者の怨恨を地下から解放しようとする努力をすててかえりみない。彼らにも座をあたえ、それによって勝者の思いあがりを正そうとする民衆の叡智は忘れられた。もはや御霊信仰などという古めかしい考え方を現代にひきなおそうとするものはない。
 しかし挫折者の情念をとおしてみるとき、日本近代史はまったく異相を呈する。かつて東北地方のある県の歴史をよんだとき、日本の敗戦こそは、東北にとって真の近代史の夜明けであり、それまでは薩長閥の歴史にすぎなかったと述べてあるのをみて、感慨にうたれたことを思い出す。まさに明治戊辰以来、奥ぶかく流れつづけた復讐心が、自国の敗戦に喝采をおくる日本人たらしめたのである。
 この考え方からすれば、日本近代史は幕府方の勤王方にたいする、東北諸藩の西南雄藩にたいする、攘夷等の開化派にたいする、民衆の権力者にたいする怨恨の歴史であるということができる。彼らの胸中には、日本近代史が、優者の手中ににぎられているかぎり公正でも平等でもあり得ないとする毒のある想念がひそんでいる。それは、歴史が勝者の手で歪曲されたことにたいする無言の抗議として正当である。とすれば日本近代史における怨恨は、敗亡者の復権要求にとどまらず、歴史自身の自己修正運動といえるのである。」



「もうひとつの明治」より:

「日本の歴史のなかで、国家権力を背景としないで海外に進出し活躍した最大なものは、倭寇と無名の娼婦たちである。日本民衆史の中では、倭寇と、「娘子軍」あるいは「からゆきさん」の俗称で呼ばれる同胞女性は、代表者の位置を占めずにはすまぬであろう。」
「だからといって、満十八歳にみたぬ、いたいけな少女が、悪辣な男によって連れ出された冷酷な事実を無視するわけにはゆかないだろう。(中略)彼女らが海外に出たのはほとんど密航によったのである。」
「ここに十六歳のとき誘拐された女の直話がある。その少女は長崎の町で女中奉公しているとき見知らぬ男にさそわれ、二十七人の女と一緒に佐世保の沖に停泊する汽船にのせられた。
 「船の、ずっと船の底のな、波のポッポすれば、もうきたない話ですけれども、上からお客さんたちが、大便さしたりなんだりすりゃ、からだに落ちるとこ。夜、ちいさかランプつけて、まっ暗すみですもん、船底ですから。畳三枚ぐらいのとこで二十七人、みんな曲がっとっとですもん。潮がパッといきますと、もう身体でん何でん濡れて、一番底ですもん。食べものはこの位なにぎりごはんば一つずつ、日に三つです。辛かったことは忘れ切りまっせん……」
 これが密航婦が海外へはこばれるときのごくふつうの光景であった。」



「祭りとしての〈安保〉」より:

「すなわち、大衆が日常的規範から脱出しようとするとき、それが集団の狂気の形をとるのはむしろ当然で、それのないことのほうが不健全なのである。(中略)祭りのときはあばれないと日本の神々はごきげんがわるいのだ。水をかけあったり、裸でひしめきあったり、みこしが民家に飛び入ったりするのがゆるされるのが日本の祭りなのだ。」
「しかし、私が一ついいたいのは、ハレの日の狂気には笑いがともなわねばならぬことだ。その笑いは諷刺の笑い、罵倒の笑い、嘲笑など敵に浴びせかけるものだ。(中略)暗い情念にさいなまれて笑いを保有することのできないものは、狂気をもつことはできても、敵にたいする力を失うことになることがあきらかであることを指摘しておきたい。」



「野性の沈黙と文明の饒舌――トリュフォー『野性の少年』への一視点」より:

「この映画についていえば、少年の野性を殺すことが、その人間らしさを生かすことだと言わんばかりの陳腐な発想が鼻につき、いき苦しくなって、あいも変らぬヨーロッパ思想の独善ぶりに、うんざりしただけの話である。キプリングの小説にしたところで、ターザンの映画にしたところで、所詮彼らは自己の西洋文明を否定も反省もしていないのだ。そしてその延長上に、いわば裏返しとして、性こりもなくこの映画はある。
 私がこの映画の試写のさそいに応じたのは、まえに『アヴェロンの野生児』をよんで、大そう感銘したことがあったからだ。」
「この記録には、垢にまみれた野性の中から人間性が目ざめていく過程が述べられていると同時に、人間のなかに秘められた野性の嵐のざわめきも見出され、そこに感動することができる。人間は社会的動物であって、文明こそが人間を人間らしく仕上げるものであるとする命題に忠実にそって書かれたこの記録が、人間の中の痛切な「野性の呼び声」を私たちのまえに示してくれるのである。『アヴェロンの野生児』にかぎらず、野生児の話が私たちをゆすぶるのは、記録者の意図と反したところにある、というきわめて単純な事実に思い及ばなかった点で、この映画は度しがたい鈍さをもっているものなのである。
 もし真のアナーキズムがあるとすれば、それは無権力な人間の平等社会というだけにとどまらず、他の自然にたいしても人間が権力を放棄した社会でなければならぬ。」

「私はアルセニエフの『ウスリー探検記』の中に出てくるデルスウ・ウザーラのような人物に惹かれるのである。
 デルスウはツングースの一部族であるゴリド族に属する人間で、五十三歳になるまで一度も家をもったことがなく、常に野外で生活し、冬の間だけ樹皮で作った仮のパオを使用していた。その話は「物静かで率直で、その態度はつつましく、すこしも媚びるところがなかった。」彼は虎におそわれて深傷を受けたにもかかわらず、虎は人間のために朝鮮人参をまもってくれる神様だから、けっして撃ってはならぬと信じていた。デルスウはイノシシを「人」と呼んだ。アルセニエフがその訳を聞くと「だますでしょう。怒るでしょう。あちらこちらを放浪するでしょう。人間とおなじじゃありませんか」と答えた。デルスウにとっては、鳥も「人」だった。いやそれだけではないことを次の文章が告げている。アルセニエフとデルスウは夜、むかいあって物語にふけっていた。
 「火の上におき忘れられた鉄瓶は、シンシン音を立てて、執拗にその存在を明らかにしていた。デルスウはそれを少しかたわらへ押しやったが、それでも鉄瓶は唸りつづけた。デルスウはさらに遠くへ押しやったので、鉄瓶は少しばかりうるさい声を落とした。
 『何をわめくんだ! 悪人め!』デルスウはこう叫んで急に立上り、湯を地上へあけてしまった。
 『何が〈悪人〉なのかい?』と私は変に思って聞いた。
 『お湯ですよ』彼は簡単にこう答え、そして言った。
 『奴はわめくことも、泣くこともできるし、またうたうこともできますよ』
 この原始人は、自分の世界観について、ながい間、物語った。彼は水に活きた力をみとめ、活きた力の静かな流れを見、また洪水の時には、その咆哮を聞いたのだ。
 『御覧なさい』と、デルスウは火を指差し
 『あれもやっぱり同じく人ですよ』と言った。私は焚火をみつめた。薪は火花を上げパチパチと音を立てて燃えていた。火は長い舌を出したり、短い舌を出したり、赤くなったり、暗くなったりして燃えていた。そして炭火から楼閣や岩窟ができてはくずれ、できてはくずれた。デルスウは黙々としていた。私はなおしばらく坐って『生きた火』を見守った。河の中で魚が大きな音を立てて跳ねた。私はゾッと寒気を感じてデルスウの方を見た。彼は坐ったままで居眠っていた……」」
「私がデルスウに興味をもつのは、彼が都市生活をすることを断乎として拒否し、森や湖のほとりでくらしをつづけていくことである。都会は彼にとって死の同義語である。なぜなら都会は鳥やけものや火や水のなかに精霊が乱舞する場所ではないからだ。」



「洞窟の論理」より:

「突出した強大な力の原理にたいして、力の原理をもって対抗するならば勝敗は眼に見えている。しかも力の意味にたいして、アジアはじつに数千年来のながい懐疑の伝統をもっている。力が合理性をもったとしても、それは一時的なものにすぎない、というところからアジアの哲学は出発するのである。」

「権力に立ち向う精神の原型としての「力の否定」である。力は死に向い、無力は生に向う――ということを前提とした(中略)精神である。無用者も社会には必要である、というのはヨーロッパ風にみれば論理の矛盾にほかならないが、アジアでは無用者は社会の健全さを保っていく上に不可欠なものとされて、すこしもあやしまれないばかりか、「無用の用」をみとめない社会は当然に頽廃に陥る危険があるとみなされている。それは、「自我」、「力」、「合理主義」、「有効性」、といった近代の特徴にたいするきびしい批判として存在する。」
























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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