谷川健一 著/渡辺良正 写真 『民俗の神』 (淡交選書)

「漁夫がある日ヨナタマという魚を釣った。翌日それを食べようと、炭を起こし、魚をあぶろうとした。するとはるか海の彼方で「ヨナタマ、ヨナタマ、どうしておそくまで帰らないか」という声が聞こえた。ヨナタマはこれに答えて「自分はいま網の上にのせられてあぶり殺されようとしている。はやくサイ(津波の宮古方言)をやって救ってくれ」と頼んだ。」
(谷川健一 『民俗の神』 より)


谷川健一 著/渡辺良正 写真
『民俗の神』

淡交選書 16

淡交社 昭和50年5月2日初版発行
230p(うち図版72p) 地図2p 
A5判 角背紙装上製本 カバー 
定価1,500円
装幀: 西脇友一



本書「あとがき」より:

「日本民俗学の最高の課題が、日本人の神と霊魂の問題であることは、柳田国男と折口信夫の一致した見解であるが、私の民俗学への関心も具体的にはそこに集中した。いかに普遍的な装いをしていようと、生と死をつかさどる神の観念には、それを生み出した民族の匂いがつきまとっている。日本人の生と死についての意味を知ることなしに、普遍的な神を論じることをしたくない気持がここ二十年来、私にはある。本書は私が追いつめていった課題にたいする私なりの答案である。柳田と折口を導師として私は手さぐりですすんだ。その足どりはおぼつかないが、ともかくも二百枚の原稿の分量の中で、民俗の神についての一応の素描を試みたと思っている。」
「冒頭に山と海の代表例として遠山と志摩をもってきたのは、そこが私の気に入った土地柄であったからで、本書の取材のためにも何度か足をのばした。(中略)また本書に奄美や沖縄に言及した事例が多いのは、南島の民俗は本土に比べて鮮明な輪郭をもっており、また深い根源的な内容をもっていると思われるからである。(中略)渡辺良正氏の写真は、遠山の霜月祭や志摩の正月行事の活気あふるる光景をよく捉えている。この写真は、私の文章の理解のために大いに役立つものであるが、写真は写真として独立して見て貰いたいと思う。」



巻頭図版(モノクロ)75点。
本文中図版(モノクロ)多数。


谷川健一 民俗の神1


目次:

グラビア写真 
 遠山の霜月神楽
 志摩の正月神事

I
遠山と志摩
常民の世界観
現世と他界
産屋と喪屋
神と魔

II
神の住居
常世の贈物
動物神の訪れ

III
巫女の登場
祖霊と御霊
世直しの神
民俗学とは何か

あとがき (谷川健一)
グラビア写真解説 (渡辺良正)

遠山周辺図
志摩周辺図



谷川健一 民俗の神2



◆本書より◆


「常民の世界観」より:

「宮古島の平良(ひらら)市にある漲水御嶽(はりみずうたき)は宮古島の創造神をまつっているが、そのすぐかたわらに、犬川(いんがー)という井戸がある。むかし、宮古島の統一者の仲宗根(なかそね)豊見親(とよみや)の先祖にあたる目黒盛(めぐろもり)豊見親が敵とたたかって苦戦に陥ったときに、井戸の底から犬がとび出して、敵兵をかみ殺したと「宮古島旧記」に伝えられるものである。先頃この犬川と呼ばれる井戸のある場所に農協の建物が建った。宮古のカンカカリヤと呼ばれる民間巫女たちがこの由緒ある井戸をつぶすのに反対した。というのも宮古の人たちは子供が誕生したときにあびせる産湯の水をこの井戸から汲む習慣があり、宮古の産井(うぶかー)と呼ばれていたからである。
 農協側は井戸の処理に苦慮して、井戸のある一階を駐車場にした。井戸に蓋をしないでおくと、子供たちがそばで遊ぶときに危険なので、コンクリートの蓋をした。だがよくみるとその蓋に腕が入る位の穴が開けてある。それは今もみることができる。これはどうした理由だろうか。じつはこうしたのは宮古の人びとの世界観と密接な関係がある。
 宮古島では井戸に底はなく、そのまま海に通じ、また海と空とはつながっていると考えられている。これは日本の古代において海(あま)と天(あま)とが同音であることからも立証されよう。
 そこで、雨をもたらす竜神は天空から井戸に降り、井戸の底を通って海に出、海から天空にのぼるという循環をくり返すことができる。もし井戸に蓋をしてしまうと、その通路を閉すことになる。というわけで、農協側は犬川の井戸に蓋をしても、その蓋に小さな穴を開けて、宮古島の人たちの伝統的な世界観を尊重したのである。」



「常世の贈物」より:

「ところで、日神アマテラスの弟にあたるスサノオノミコトが、農作物を荒したあげく、手足の爪やひげを抜かれて根の国に追放されたという故事は、スサノオが粟の女神のオオゲツヒメを切り殺したという「古事記」の話ともあわせて考えてみると、さきに述べた久米島のおたかべに、ネズミが爪で稲を引っかけてかみ破ったからその故郷の常世に流しやるという行事と酷似している。
 では所払いによって共同体から追放された神はいったいどのような運命をもつことになるか。それを次にみてみたい。
 「日本書紀」に描かれたスサノオノミコトの追放されていく姿はきわめて印象的である。スサノオは手足の爪を抜かれ、根の国に追われていった。
  時に、霖(ながめ)ふる。素戔嗚尊、青草を結束(ゆ)いて、笠蓑として、宿を衆神(もろかみたち)に乞う。衆神の曰(い)わく、「汝(いまし)は是躬(み)の行(しわざ)濁悪(けがらわ)しくして、逐(やら)い謫(せ)めらるる者(かみ)なり。如何ぞ宿(やどり)を我に乞う」といいて、逐(つい)に同(とも)に距(ふせ)ぐ。是を以て、風雨甚だふきふると雖も、留り休むこと得ずして、辛苦(たしな)みつつ降(くだ)りき。爾(それ)より以来(このかた)、世(よ)、笠蓑を著て、他人(ひと)の屋(や)の内(うち)に入ることを諱む。これを犯すこと有る者をば、必ず解除(はらえ)を債(おお)す。此、太古(いにしえ)の遺法(のこれるのり)なり。
 この一節は追放された罪人の姿を描いてあざやかである。こうした流浪の神というのは貴種流離譚の中の人物であることはうたがい得ないが、それを証拠立てる行事を現在も八重山の川平(かぴら)に伝わるマユンガナシにみることができる。(中略)一年の折り目である節(しつ)の日に神は人間のかっこうをして、今晩だけでよいから宿をかしてくれ、と川平の家々を頼んでまわったが、どの家も節(正月)だから旅の人は泊めることができないとことわった。ただ南風野家だけがその旅人を泊めた。旅人はよろこんで、「私はほんとうは人間でなく神である。ほかの家は宿をかしてくれなかったが、おまえの家は親切だったから、ほかの誰の家の作物よりもみのるようにしてあげることを約束しよう。明年もまた節の晩にやってくるから迎えてくれ」といって去った。それから南風野家の作物はよくできるようになったといわれ、それを記念して村の若者がクバの葉でつくった笠蓑を着て家々をたずねてまわり祝詞を述べる行事がつづいている。この行事は雨のしとしと降る暗い晩をえらんでおこなわれるというが、スサノオノミコトの追放されていく姿にそっくりである。」
「以上の故事や伝承から次のような要約をほどこすことができるだろう。農作物を荒したというかどで所払いの刑に処せられた高貴な血筋の人間が、自分の罪を背負ったまま、村々を経めぐる。そこで苦難を嘗めるが、また迎え入れてくれる家もある、というものであって、「竹取物語」のかぐや姫のように天上で罪を得た人間が地上で貴種として受け入れられるという型を示している。折口信夫のいう「まれびと」の発想はここにあると私は思っている。」



「動物神の訪れ」より:

「このザンの魚を宮古の伊良部島ではヨナタマとかヨナイタマと呼んでいる。おそらく「海霊」の字をこれにあてたと思われる。このヨナタマは人面魚体のよく物をいう魚であって「宮古島旧記」には次の話が載っている。
 漁夫がある日ヨナタマという魚を釣った。翌日それを食べようと、炭を起こし、魚をあぶろうとした。するとはるか海の彼方で「ヨナタマ、ヨナタマ、どうしておそくまで帰らないか」という声が聞こえた。ヨナタマはこれに答えて「自分はいま網の上にのせられてあぶり殺されようとしている。はやくサイ(津波の宮古方言)をやって救ってくれ」と頼んだ。この会話を聞いたとなり家の母親は子供を背負うよりはやく家を走り出て、となりの島にのがれた。時を置かず轟然たる音とともに津波が押しよせてきて、その島の村はあとかたもなく洗い尽くされたという。
 このヨナタマは、人魚だとされている。ザンの魚のかっこうが人間の姿態によく似ているところから、糸満人などは人魚(ひといゆ)と呼んでいる。孤島の夜の底知れぬ静寂さの中に、この話を置いてみるときに、海にも中心霊のあることが感覚として理解できる。(中略)ヨナタマは海神の使者ではなく、海の霊そのものであった。」




























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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