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谷川健一 『神・人間・動物』 (講談社学術文庫)

「蛇が太古の伝説につきまとう動物であることはこれらの話をみても想像がつくが、このばあいの蛇の役割はけっして後世に考えられるような嫌悪の対象ではなかった。むしろ神と思われたからこそ、三輪山説話が成立したのである。」
(谷川健一 「不死と再生の象徴――蛇」 より)


谷川健一
『神・人間・動物
― 伝承を生きる
世界』

講談社学術文庫 738


講談社 
昭和61年6月10日 第1刷発行
275p 
文庫判 並装 カバー 
定価680円
装幀: 蟹江征治
レイアウト: 志賀紀子
カバーデザイン: 辻村益朗


「本書は、平凡社刊『神・人間・動物 伝承を生きる世界』(昭和五十年十一月)を底本としました。」



本書「エピローグ」より:

「本書は、雑誌「アニマ」に一九七四年一月号から一年間にわたって連載したものをまとめたものである。」


本文中図版(モノクロ)11点。



谷川健一 神・人間・動物 01



カバー裏文:

「古代人は狐や鳥の鳴き声に予兆を探り、それはまた、天上界の神が動物となって人間に幸福をもたらすという考え方とも通じた。本書は、白鳥、蛇、鹿、鵜、狐、鮭、熊などの野生動物の生態を通して、神と人間と動物の三者が織りなす親和力の世界を克明に描き出したものである。山林の伐採などにより、山野に住む生き物たちとの共存の場を失ってしまった神を畏れぬ現代人への鋭い警鐘をともなう、谷川民俗学の新しい境地を拓いた意欲作。」


目次:

学術文庫のためのまえがき

遠野から――プロローグ
 「自然の摂理」とは?
 追われる野獣
 神にまつられた狐狼
 海神の使者=鮭
 動物儀礼と共同幻覚
 生活者にとっての動物

霊界をはばたく使者――白鳥
 伝承の中の白鳥
 「産土(うぶすな)さま」になった白鳥
 「白鳥(しらとり)事件」といわれる争い
 北から渡来する神霊

海を照らす神(あや)しき光――海蛇(うみへび)
 「神光照海」の扁額
 竜蛇神をめぐる神事
 セグロウミヘビの威厳
 家に入った蛇
 大和の竜蛇信仰

海神(わたつみ)の娘――鮫(さめ)
 竜宮の姫はだれか?
 鮫と寄り添うイルカ
 人を食った鮫
 鮫に助けられた話
 海人=異族の悲話

もの言う南海の人魚――儒艮(ジュゴン)
 津波を起こす魚=ザン
 ジュゴン(ザン)の正体
 新城島のザン漁と巻踊り
 人魚を食った八百比丘尼

狩りに騒ぐ太古の血――鹿(しか)
 狩りの主賓だった鹿
 「殉教者」としての鹿
 志賀島と鹿卜(ろくぼく)の記憶
 鹿衣・鹿杖・鹿笛
 伝説の優しさと無残な乱獲

黄泉(よみ)への誘い鳥――鵜(う)
 能登の海鵜(うみう)
 「鵜取部」と鵜の役割
 「生と死」と鵜の関係
 鵜を利用してきた人間
 現代の鵜飼

不死と再生の象徴――蛇(へび)
 土器と土偶に残された蛇
 さまざまな蛇伝説
 神と蛇の生殖
 「創世記」に似た話の意味

狩言葉に満ちた世界――猪(いのしし)
 『後狩詞記(のちのかりことばのき)』の村へ
 椎葉村の猪狩り
 猪と神々の間柄
 「生類憐みの令」下の猪退治
 猟師言葉「ソジシ」の意味

葛葉(くずのは)の神秘と幻想――狐(きつね)
 予兆力を期待された獣
 狐と狼との関係
 葛葉神社と葛葉伝説
 女の血筋と狐憑(つ)き
 病める現象=狐憑きの問題

北の異族の匂い――鮭(さけ)
 川をのぼる鮭の感動
 アイヌの宝=鮭
 利権と保護の争い
 日常食から正月魚へ

荒ぶる山の神――熊(くま)
 熊狩りと禁忌
 狩りの方法と熊野商品価値
 アイヌと熊の関係
 怖れられた山の王者

エピローグ

解説 (別役実)




谷川健一 神・人間・動物 02


「湖の落日を眺めるキツネ」



◆本書より◆


「「学術文庫」のためのまえがき」より:

「人間と動物の関係はヨーロッパのようなキリスト教国と日本とでは決定的にちがっている。ヨーロッパでは神・人間・動物の秩序が厳然と保たれている。人間が神の地位を侵すことができないと同様に、動物は人間を凌駕(りょうが)することができない。しかし日本では、人間が神として扱われるばあいがあり、動物もまた神としてあがめられることが少なくなかった。
 神・人間・動物の関係は、ヨーロッパやアメリカでは垂直的かつ不可逆であり、それに対して日本では、円環的かつ可逆的である。このような差違は一神教であるキリスト教の秩序理念とちがった自然観、世界観が日本人の意識をながく支配して、今日にいたっているからである。
 森羅万象に対する親近感というよりは親和力をもちつづけてきた私たちの祖先は、動物との婚姻の伝説や物語をかず多く伝えてきた。(中略)人と獣の婚姻のほかに、神と獣の婚姻もある。また人と神との婚姻がある。すなわち三者の関係はたがいに環をなしているのである。しかも神と人間と動物とは、本体をおなじくするものが、ちがった現れ方をするばあいがしばしばである。三輪山の神は、夜は若い男の姿をしているが、昼は小さな蛇であった。」



「遠野から――プロローグ」より:

「「民俗学とは何か」と問われるときに、私は、人間と神、人間と人間、人間と自然の生き物、この三者の間の交渉の学であると答えることにしている。この三者は相互に対立するものであるが、対立の前提には相互間のつよい親和力があることを見のがすことはできない。」
「個々は対立しながら、全体としては親和力をもつ世界を形作っている。」
「人間と動物との交渉する世界とは、人間と神とが交感し、遊ぶ世界でもある。」
「古来、人間は動物たちの中に、さまざまな「意味」を発見してきた。夜明けや夕ぐれに鳥や獣の鳴く声を聞けば、そこに運命を予兆する深い神秘があることを疑わなかった。一定の期間をおいてやってくる渡り鳥や回遊魚(かいゆうぎょ)は、そのまま神の使者の訪れであると信じた。蝶や白い鳥のまぼろしのようなすがたを見ては、身体から脱け出る霊魂とも思い、また人間の魂をはこぶ道具とも考えた。その中にはすばしこく、かしこく、しかも人間に畏怖感(いふかん)を与えずにはすまない動物たちもいた。彼らはそれゆえに神とあがめられた。」



「葛葉の神秘と幻想――狐」より:

「日本の田舎でいう「狐狩り」は旧正月の十四日の晩か十五日の朝はやく狐を追い立てる行事であって、そうしておかないとその年は狐が悪いことをすると信じられてきた。(中略)また子供たちが鉦(かね)や太鼓(たいこ)を叩いてはやし立てながら村中をまわるだけというものもあったが、そのときにうたう歌に次のようなおどし文句があった。
 
  狐を食ったらうまかった
  まんだ歯ぐきにはさまっている
 
 狐は大そう賢い動物だから、この歌を聞けば衝撃を受けるとおもわれたらしい。(中略)おなじような文句で、後半だけをちがえたのもある。

  狐を食ったらうまかった
  ちいっとしっぽがにがかった
 
 この歌は狐をたべてうまいことはうまかったが、しっぽだけがすこしにがい味がしたというので、狐にたいする満足感が留保されている。(中略)まさか狐のしっぽをたべる者もなかろうが、まるごと狐が人間にたべられるしろものでないことを示して、狐の増上慢(ぞうじょうまん)をたしなめるかたわら、人が狐をあつかいかねて辟易(へきえき)した過去の悔恨(かいこん)をもこめているのである。
 というのも狐は人間に隷属(れいぞく)する動物でなく、むしろ人間のほうが狐の予兆力に何事かを期待し、それだけ狐を畏敬(いけい)せずにはすまなかった時代が、ながくつづいたからである。」
「狐のうかがうような目つき、すばしこい動作、そして人の耳をとがらさずにはすまない意味ありげな鳴き声が、夕暮れの山野に揺曳(ようえい)するとき、人間はそこに、なにがしかの意味をさぐらずにはいられなかった。
 大むかしには暁や夕暮れは神が訪れる時間帯とおもわれていた。『古事記』には、「曙立(あけたち)王」という人物がいて卜占(ぼくせん)をするが、沖縄の宮古島にも「暁空の神」(アキドラの神)がいてやはり占いをつかさどる。また夕占というのがあるのも、それだけ人間が予兆(よちょう)をかぎとるにふさわしい雰囲気をもつものであった。狐が幻想をさそう動物とおもわれるのも、こうした時間帯に出没することと関係があるかもわからない。
 陽が射していながら雨が降るのを狐雨といい、また蜃気楼(しんきろう)を狐館(きつねだて)というのも、人をたぶらかす狐の仕業(しわざ)というほかに、自然の微妙な移り変わりの状態を伝えているもののように私にはおもわれる。」
























































































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Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

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