谷川健一 『海神の贈物』

「これを見ると、今から半世紀前まで、奄美には「夜がとる」、つまり「夜が人をさらっていく」とか、「夜が人をとり殺してしまう」という言い回しがあったことが分かる。これは奄美に限らない。八重山でも夜おそく帰ったりすると、「夜にとられる」と言って家人が気をもんだという話を私は聞いたことがある。ここでは、夜が人間に畏怖を与え、その生命まで奪う凶暴な人格として存在しているのである。
 人間の力の及ばない世界、それが夜であった。」

(谷川健一 「異界の民俗誌」 より)


谷川健一 
『海神の贈物 
[民俗の思想]』


小学館 1994年3月1日初版第1刷発行/同年5月10日初版第2刷発行
253p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,300円(本体2,233円)
装丁: 舟橋菊男



本書「序」より:

「私は空と海とそこにかこまれた大地から大きな贈物を受けてきた。贈物の差出人は自然の中に生きる神である。このことを教えてくれたのは私が触れあってきた庶民、つまり小さきものたちであった。それは彼方からの、思いがけない贈物であり、それゆえにいつも胸のときめきをおぼえずには受けとることのできないものであった。私は海辺に生まれ育ったこともあって、水平線上に湧く雲に思慕の念をたやすことがなかった。思慕というよりは思郷というほうが正確かも分からない。」
「「小さ子」を敬愛し礼拝する思想は日本の民俗の中に脈々と伝わっている。小さき者、無力なる者、いたわしい者、可憐なる者をもってかぎりなく神に近い存在とする考えは、私たちのまわりでは三月の節句に飾る雛(ひな)にも見られるが、それは人間以外の者にも及んでいる。出雲大社の神在(かみあり)祭では海岸に打ちあげられる海蛇をとって三方(さんぽう)に載せ、竜蛇(りゅうじゃ)神としてあがめて神前に供えるが、大きい海蛇に対しては「小さくなっておいで」と言って海に放してやるという。「小さ子」を神とする考えはここにもあらわれている。
 私が権力の存在にもっとも遠い南島や東北を好んで旅をするのは、かつて辺境とか辺土の民と呼ばれた人びとへの親愛感からである。南島と東北は日本歴史の影の部分として長い間日の射さない場所であった。そこは異界であり、そこに住む人びとは異族、異人とさげすまれてきた。
 それら小さきものを主題として私はさきに『青銅の神の足跡』『白鳥伝説』『大嘗祭の成立』『南島文学発生論』を書いたが、ここ十年間(一九八一年~九三年)に発表し、本書に収められた文章はその基盤となるものであり、またその成果の延長上にあると見て差し支えない。」



谷川健一 海神の贈物1


帯文:

「風土に宿る小さき神を求めて、
民俗学者の思索の旅。」



帯裏:

「南九州から南島にかけて狩猟や漁のとき獲物の配分を示す語をタマスと呼んでいる。
……むかしはその場に居合わせなくても、たとえば家で眠っている赤ん坊にも、またゆきずりの旅人にも一人分のタマスが与えられた。そこには神のまえの平等の原則が貫かれていた。神のまえで獲物が多いことを祈願し、獲物がとれたときにはその一部を神にささげて感謝する、という古来の風習を前提とした平等な分配であった。
(「頒けるということ」より)」



目次 (初出):

序 小さきものの世界

南島へのまなざし
 南への衝動、北への衝動 (「読売新聞」 1991年8月8日夕刊)
 南島の空と海
  雨を呑むもの (「朝日新聞」――「山水鳥話」 1990年9月7日夕刊)
  海神の贈物 (同 9月14日夕刊)
  束の間の島 (同 9月21日夕刊)
  月夜の幸福 (同 9月28日夕刊)
 オモロの世界
  風に生きる (「言語」 1992年12月号、大修館書店)
  斧と船 (同――「ことばと民俗」 1987年12月号)
  遠い時代の鼓動を聞く――『おもろさうし』と『ユーカラ』 (「波」 1992年3月号、新潮社)
  シマウタの呪力 (「文学界」 1991年新年号、文藝春秋)
 神と村
  南島の村落 (『日本民俗文化資料集成 第九巻 南島の村落』、三一書房、1989年)
  神としての巫女 (『桜井徳太郎著作集』 第四巻月報、吉川弘文館、1990年)
 粟と稲の祭祀
  宮古島の粟ブーズ (「言語」――「ことばと民俗」 1987年10月号)
  初穂儀礼と収穫祭 (同、1987年11月号)

地名伝承を求めて
 地名から歴史を読む
  地名研究の学際性 (原題、地名研究に必要な学際性/「第三回全国地名研究者大会紀要」 1984年4月21日)
  地名の旅――平泉という地名 (「第二回神奈川県地名シンポジウム(小田原大会)紀要」 1988年6月19日)
  東北地方のアイヌの人名 (「北天塾」 第六号、1991年)
  星月夜、鎌倉山 (「神奈川県地名シンポジウム(鎌倉大会)紀要」 1987年6月14日)
  渡辺という地名 (「第七回全国地名研究者大会紀要」 1988年4月16日)
  地名と金属 (「第十一回全国地名研究者大会紀要」 1992年4月18日)
  若狭の地名伝承と歴史 (原題、伝承と歴史――若狭で考える/『日本歴史地名大系 第一八巻 福井県の地名』月報「歴史地名通信9」、平凡社、1981年)
  煙波の彼方――不知火海と海外文化 (原題、彼方へのまなざし/「全国地名シンポジウム(熊本大会)紀要」 1986年11月15日)
  甦る中世――朝鮮の史書にあらわれた日本の地名 (「第三回地名シンポジウム 熊本の中世」 1988年10月30日)
  二つのコムナリ (「文学界」 1986年7月号)
 風土と地名伝承
  悪路王という名 (「北天塾」 第七号、1993年)
  御霊信仰と佐倉――水の文化圏 (原題、御霊信仰と水の文化/「第三回全国地名シンポジウム(佐倉大会)紀要」 1986年10月4日)
  楠神の足跡 (「第六回全国地名研究者大会紀要」 1987年4月18日)
  ともしびの明石 (「短歌現代」 1993年10月号、短歌新聞社)
  地名における野と原 (「第五回神奈川県地名シンポジウム(相模原大会)紀要」 1992年3月8日)
  ユートピア幻想の島々 (「第四回神奈川原地名シンポジウム(藤沢大会)紀要」 1990年6月24日)
  沈鐘伝説 (「言語」――「ことばと民俗」 1988年7月号)
  姥という地名 (同、1988年3月号)
  姥が懐 (同、1988年4月号)
  黒潮がむすぶ南と北 (原題、南島文化に大きな恩恵を受けた日本文化/「地名全国シンポジウム紀要」 1984年10月19日)
  潮に洗われた地名 (「第二回全国地名研究者大会紀要」 1983年4月23日)

異界への招待状
 妖怪起源考 (「別冊太陽 日本の妖怪」 1987年春号、平凡社)
  モノとミサキ
  天つ神と国つ神
  一本足の怪物
  妖怪の両義性
  疫病と妖怪
  『稲生物怪録』
 異界の民俗誌
  妖怪からのめくばせ (『日本民俗文化資料集成 第八巻 妖怪』、三一書房、1988年)
  憑きもの――生霊と動物霊 (『日本民俗文化資料集成 第七巻 憑きもの』、三一書房、1990年)
  サンカとマタギ (『日本民俗文化資料集成 第一巻 サンカとマタギ』、三一書房、1989年)
  山人の民俗誌 (『日本民俗文化資料集成 第二巻 山の民俗誌』、三一書房、1991年)
  巫女の世界 (日本民俗文化資料集成 第六巻 巫女の世界』、三一書房、1989年)
  漂海民――家船と糸満漁民 (『日本民俗文化資料集成 第三巻 漂海民――家船と糸満』、三一書房、1992年)
 異界への旅
  両面宿儺の世界 (原題、古典の旅 記紀の世界一、美濃・飛騨/「ザ・ゴールド」 1月号、ジェーシービー、1987年)
  百済王誕生秘史 (原題、古典の旅 記紀の世界二、加羅(韓国)・唐津/ 同 2月号、1987年)
  仮面の民俗――黒潮と仮面 (『日本の仮面――神々の宴』、東海大学出版会、1982年)

民俗の思想
 頒けるということ (「思想」 1989年11月号、岩波書店)
 動植物名と民俗
  ミーとビヒ――生活者の植物分類名 (「言語」――「ことばと民俗」 1988年1月号)
  オジーの意味――動植物の分類命名 (同、1988年2月号)
 折口信夫の他界観 (「短歌現代」 1983年6月号)
 言葉と民俗
  タヂヒ(蝮) (「言語」――「ことばと民俗」 1988年6月号)
  すずしい話 (同、1988年8月号)
 聖なる疲れ (「新潮」 1991年10月号、新潮社)
 さまよえる天女 (同、1991年12月号)
 神を失った近代知識人――三島由紀夫への異和感 (同、1991年11月号)

初出一覧



谷川健一 海神の贈物4



◆本書より◆


「雨を呑むもの」より:

「琉球(りゅうきゅう)列島のさいはての与那国(よなぐに)島で目につくのは巨大な岩山である。昭和四十四年(一九六九)暮れに旅行したとき、私は地元の若者の道案内で、テンダバナと呼ばれる岩山の頂上にのぼった。休憩していると、無口な若者がとつぜん指さした。
 「アミヌミヤー」
 見ると、天空に、祖納(そない)の町をひとまたぎする壮大な虹がかかっている。」
「宮古島では天空の虹をテンヌパウ(天の蛇)と呼んでいる。パウはハブやヘビと同義語である。そしてニジをヌージとかノギと称する方言が日本各地にあるが、それはナガとかナギなど蛇をあらわす呼称の変形である。虹が天の蛇と見られたことはこれからも察しがつく。
 与那国島に旅行してから十年ほどたって、私は八重山出身の国語学者宮良當壯(みやながまさもり)が集録した『八重山語彙(ごい)』を何気なく開いて見ていた。すると、
  虹 アミヌミヤー。 雨を呑(の)むもの
という箇所に行き当たって、おどろいた。」
「さらに幾年かして、沖縄本島の西方の海によこたわる久米(くめ)島の十八世紀初頭の記録を読んでいたとき、雨乞(あまご)いの際に神に仕えるノロの祈願の言葉を書きとめてある文章に出会った。
 そこに「あめのみやのコージャ」という言葉が出てくる。コージャが天の泉の口をふさいで水を呑んでしまう。そのために下界には雨が降らなくなっている。そこで、人間のじゃまをせず、下界にも雨水をもたらしてください、と哀願しているのである。
 コージャは麹(こうじ)のような斑点をもつもの、という意味である。虹を斑点をもつ蛇に見立て、その蛇が「雨を呑むもの」と呼ばれてきた具体的な意味がようやくはっきりしたのである。大空にかかる虹は雨水を呑んでしまう厄介な蛇として憎まれていたのである。」



「星月夜、鎌倉山」より:

「この星月夜という名まえの由来は、もともと極楽寺坂(ごくらくじざか)の下につけられた地名である。『地名辞書』は、そこは星月谷(ほしづきや)と称していたが、森のかげで暗いので、星月夜と訛って呼ばれたのであろうと推測している。そこには、鎌倉十井(じっせい)の一つにかぞえられる星の井という井戸が残っている。かつて、この井戸の底をのぞけば昼でも水面に星の影が映って見えたという。星の井のかたわらに虚空蔵菩薩を祀る堂がある。
 「星の井」は武蔵(むさし)国荏原(えばら)郡奥沢新田(おくさわしんでん)村(現在、東京都世田谷区玉川奥沢町)にもあることが、『新編武蔵国風土記稿』荏原郡之十二に報ぜられている。「井の中に昼夜星影あらはるるにより名とせりといひ伝ふ」とある。星月夜は極楽寺へむかう切通(きりどおし)付近の地名であるが、そこに掘られたから星の井であって、白昼の星云々はそのあと生まれた伝説であろう。しかし、ふかい井戸の底に星の影が映るということは、古来ひろく信じられてきたことであった。
 極楽寺からすこしはなれたところに、月影(つきかげ)ヶ谷(やつ)という地名が残っている。この地名のことは『十六夜(いざよい)日記』にも見え、阿仏尼(あぶつに)が一時住んだ場所と伝えられている。「星月夜」といい「月影ヶ谷」といい、風流至極な地名であるが、私はその背後に、権力の座をめぐる鎌倉の血なまぐさい社会を思い描かずには済まない。
 燦爛(さんらん)とした星空の下の狂乱、それが鎌倉の歴史である。」



「沈鐘伝説」より:

「沈鐘伝説に由縁のある地名に鐘淵(かねがふち)がある。そのなかでもっとも有名なのは、謡曲『隅田(すみだ)川』に関わりをもつ木母(もくぼ)寺の北にある鐘淵である。この地名は、むかし亀戸(かめいど)(東京都江東区)の普門院(中略)の鐘を船にのせて隅田川を渡そうとして、誤って川底に落としたという伝承からつけられたとされている。
 鐘淵という地名は全国各地に見られる。沈鐘伝説は世界に分布している伝説で、ハウプトマンの戯曲『沈鐘』にもその伝説が取り入れられている。
 ではいつ頃、この伝説がわが国に渡来したのであろうか。それを知る手がかりとして、『万葉集』巻七(一二三〇番)の歌がある。
  ちはやぶる金(かね)(鐘)の岬(みさき)を過ぎぬともわれは忘れじ志賀(しか)の皇神(すめがみ)
 金の岬は福岡県宗像(むなかた)郡玄海(げんかい)町にある鐘岬(かねのみさき)で、古来、海の難所として知られていた。秋から冬にかけて西北の風が荒く吹くときは、怒濤が岸に押しよせて、潮けむりが空を蔽うばかりであるといわれている。そこで沈没する船は数知れなかった。『筑前名寄(ちくぜんなよせ)』によると、むかし三韓(さんかん)(朝鮮の古名)から撞鐘(つきがね)をはこんできたとき、その岬で鐘が沈んだので、そこを鐘の御崎(みさき)と言うとある。」
「「鐘を載せた船が沈んだという伝説をもち、海難のしばしば起こる鐘の岬を無事に過ぎたが、自分は志賀島にいます志賀海の神のことを忘れはすまい」というのが万葉集の歌の意味であって、これから見れば、万葉時代にすでに沈鐘伝説が渡来していたことが分かる。その伝説はおそらく朝鮮半島を経由してきたものであったろう。」
「志賀島の海人は、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にいう「倭の水人」の代表と見なされる。鐘崎から志賀島にかけて活動していた古代の漁民たちは、つねに危険をおかして海上の仕事にたずさわっていた。もちろん西北の烈しい季節風をまともに受けて遭難する船も多かったろう。そのようなとき、志賀島のわだつみの神の加護を必死に祈った。その彼らが、海底に沈んだ鐘の音を空耳に聞いたことがあったにちがいない。
  音に聞くかねの御崎(みさき)はつきもせずなく声ひびく渡りなりけり (『散木奇歌(さんぼくきか)集』)
 沈鐘伝説に悲哀を帯びた美しい物語が多いのは、海や川の水上生活者の思いがこめられているせいなのかも知れない。」



「妖怪起源考」より:

「お化けははるかな原始の声である。大昔、森羅万象の中に霊魂(アニマ)を見出していた時代、植物も岩石もよく言葉を話し、夜は炎のようにざわめき立ち、昼はまるでサバエが湧くように沸騰する世界があった。その中に存在するのは善意にみちたものばかりとは限らなかった。夜は蛍火のように自分をねらっているモノがあり、昼はサバエのような悪いモノがいた。サバエは稲の害虫であるウンカを言う。モノはもっとも単純で普遍的な日本語であるが、それは、隙あらばとたえずうかがっている油断ならない霊魂をも指していた。
 このモノを鎮める技術をもっていたのが物部(もののべ)氏である。この場合の物は物体ではなく、目に見えぬ霊魂のことである。(中略)『古事記』崇神(すじん)天皇の条によると、疫病の流行による災害を逃れるために、三輪(みわ)山に大物主(おおものぬし)神を祀(まつ)ったという。これはモノをおそれて、神に祀りあげた例である。
 南島でムヌ(ムン)が人間を害する力をもっていると信じられていたのは、本土のモノと同様である。奄美(あまみ)では、ケンムン(怪(け)の物)という妖怪がひどくこわがられている。今でもケンムンの存在を信じている人は多い。マジムン(マジモノ。蠱物)もケンムンとおなじものである。私は宮古(みやこ)島で、老婆が死んだ夫の枕許で「マジムンになるなよ」と呟(つぶや)く光景に接したことがある。いましがた身体を離れたばかりの夫の魂が悪霊(マジムン)にひきこまれて迷うことを、妻は警戒したのであった。」

「『日本書紀』では、虎、狼、蛇はいずれも「かしこき神」と表現されている。邪悪さと怜悧(れいり)さを兼備して、畏怖または畏敬の対象と見なすことのできるものは、すべて神であった。そこに貴賤や善悪の差別が生まれる余地はなかった。では、古代の日本人が高貴なるもの、善なるものだけを神と呼ぶようになった過程は、どのようにしてたどれるのだろうか。
 「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこかむよごと)」の中に「石根(いわね)、木立(こだち)、青水沫(あおみなわ)も事問(ことと)ひて荒ぶる国なり」とある。「事問う」は「言問う」ことである。それはたんに言葉を話すというだけではない。六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらえ)の詞(ことば)の中に「荒ぶる神等をば神(かむ)問はしに問はしたまひ、神掃(かむはら)ひに掃(はら)ひたまひて、語問(ことと)ひし磐(いわ)ね樹立(こだち)、草の片葉(かたは)も語止(ことや)めて……」とある。荒ぶる神を糺問(きゅうもん)したので、それまで私語を交わしたり不平を言ったりしていた岩石、樹木、草の葉もぶつぶつ言うのをやめた、という意味である。つまりここでいう「言問い」は、異議申し立てをしたり、異論を唱えたりすることを言う。これは大和朝廷の方針に従わず容易に屈服しない神々がいたことを示す。」

「柳田国男は天つ罪と国つ罪の区別に触れて、天つ罪は水田稲作農業に関わる土地占有権の侵害だが、国つ罪は犯罪の性質が明白に違う、と言っている。国つ罪は国つ神の犯すところであり、その例として、『日本書紀』景行紀の「男女(おのこめのこ)交(まじ)り居(お)りて、父子(かぞこ)別(わきだめ)無し」という箇所を引用している。このようにして、日本列島の先住民は後来の権力層によって異族として扱われ、人倫に悖(もと)る存在と見なされた。これは、国つ神と天つ神の間に段差が設けられたのであり、国つ神の零落を意味するものである。先住土着の民を国つ神と呼び、その犯した罪を規定したことは、天孫と称する支配者たちの選民意識にもとづくものであった。
 国つ神の受難の時代がはじまった。住む土地の狭くなった先住民たちは山間に追いやられた。」



「両面宿儺の世界」より:

「国家からは反逆者のレッテルを貼られても、地元の住民には深く尊崇され敬愛されるという両面をもった人物、それが両面宿儺だったのである。」
「このことは、歴史は征服された敗者の側からも眺めてみる必要のあることを示しているのではなかろうか。」



「神を失った近代知識人」より:

「宇気比は神に祈誓し神慮により事の正邪を判断するという古式のうらないの方法である。神風連の指導者である林桜園(おうえん)に『宇気比考』がある。(中略)その根本に流れる思想を私流に解説してみると、「人間が自分の運命を決定する場合に起こる不確定さをどう処理するか、その処理能力は人間にない」ということである。
 宇気比の思想では、人間の運命選択権が否定され、すべて神の託宣にゆだねられる。神風連は神慮がよしとしなければ、どんな好機でも行動に移るまいと覚悟した。神慮が可と出ればいかなる不利の条件の下にも欣然として立ちあがった。それは人間の状況判断を徹底して拒否する思想である。福本日南(にちなん)は神風連を清教徒と呼んでいるが、私はむしろ彼らは賭けの理論を述べている「パスカルの徒」に近いと思う。」
「神風連は明治政府の政策に不満をもち、いくたびか行動に立ちあがろうとして宇気比をおこなった。」
「終末に向かってひた走る彼らの欲望に足どめするかのように、神慮はつねに「不可」をもって報いた。こうして神風連の心情は爆発寸前の火薬さながらであったが、神慮の拒否には一言の抗弁もしなかった。
 その火薬に火をつけたのは明治九年(一八七六)三月の廃刀令であった。帯刀を禁止するのは武士の魂を奪うことにほかならぬと神風連は激怒し、太田黒伴雄は新開太神宮の神前に挙兵の議を問うた。このときはじめて神慮は「可」と出た。(中略)神風連はこの神示を受けて勇躍し、義兵をあげ、一夜にして敗退した。」



谷川健一 海神の贈物2

「悪路王首像 顔の表面が真っ二つに割られたように作られている」


谷川健一 海神の贈物3

「パーント神 宮古島島尻では、陰暦九月、ニッダアと呼ぶ井戸の底からパーントの面をかぶった泥だらけの神が出現する」








































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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