谷川健一 『神に追われて』

「「おまえの心は真白くなってしまっている。それでは長く生きられない。死にたくなければ、今から一時間のうちに、悪いことをしなさい」」
(谷川健一 『神に追われて』 より)


谷川健一 
『神に追われて』


新潮社 2000年7月25日発行
189p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価1,500円+税
装画: 田中一村
装幀: 新潮社装幀室
目次頁図版: 福嶺牧子「パウあるいはポー」


「初出 
『新潮』 '94年1月号および12月号、'97年5月号、'99年1月号に四回にわたって発表された作品に加筆」



小説です。
本書のテーマとなっている「神だーり」に関しては、1975年の著書『古代史ノオト』にも本書と同タイトルの論文が収録されています。「神に追われて」というフレーズは、英国の神秘詩人フランシス・トムスン(Francis Thompson)の詩「天の猟犬(The Hound of Heaven)」に由来するようです。

I fled Him, down the nights and down the days;
I fled Him, down the arches of the years;
I fled Him, down the labyrinthine ways
Of my own mind; and in the mist of tears
I hid from Him, and under running laughter.

(「夜はいく夜、昼はいく日を、われ神を逃げたり。/いく年の門をもよぎり、われ神を逃げたり。/おのが心の迷ひ宮にも似たる道を通りて/神を逃げたり。しかして涙の霧の中に/神よりかくれぬ。又は笑ひの河をくぐりつつ。」斉藤勇訳、本書エピグラフ)。


谷川健一 神に追われて


帯文:

「逃げても、逃げても、
神は追ってくる。――
神に憑かれた人たちの
衝撃的な宗教体験:。」



帯背:

「神に憑かれた人たち
の戦慄的体験」



帯裏:

「根間カナに突然神が乗る。
宮古の根、先祖の根を掘り起こせと神は命じる。
カナは狂気のごとく「御嶽(ウタキ)」(神を拝する聖地)を経巡るが、
神の苛烈な試練は止まるところをしらない。
――民俗学の権威の筆は、
理性や知性を超えた彼方に存在する
もうひとつの真実をわれわれに突きつける。」



カバーそで文:

「神に魅入られた時、
人は天国を約束されるのではなく、
この世にあって地獄を見る。
神に追われ、憑かれた人たちの
数奇な宗教体験。」



目次:

魂の危機

南島の巫女への道
洞窟の女神
悪霊とたたかう少女
神の森




◆本書より◆


「「神ダーリ」は奄美や沖縄で日常に使われている言葉であるが、巫病と称すべきものである。巫病にかかったとき身体がだるくなり、欠伸を連発することから、ダーリはだるいに由来する語であると言われているが、タタリの原義である顕(た)つと関連があるかも知れない。神ダーリは神が顕つという意味と私は考えたい。
 ありふれた日常生活を送っている人がとつぜん幻視や幻聴におそわれ、食物を受けつけなくなり、半病人のようなかっこうで、真夜中でもふらふらとさまよい歩く。医者に診せても治癒しないとき、南島では一応巫病にかかっているのではないかと疑うのである。巫病の特徴は一定の期間を経過すると、ふたたび常人にもどって、社会生活ができるということである。言動の健全さを取り戻す回復力が巫病にかかった人に秘められている。
 神ダーリは神によってためされる試練である。その危機を乗り切らなければ、一人前の巫者になることも、健全な心身を取り戻すこともできない。この試練時にはさまざまな誘惑がおそう。神の声として聞こえてくるものが、じつは邪神の声だったりすることがよくある。その声に耳を傾け、その声通りに行動すれば、たちまちのうちに袋小路に突きあたり、おそろしい狂者の運命が待ちかまえている。誘惑者の声はあまく、やさしい。
 南島では邪神をマジムン(蠱物)と呼んでいる。マジムンは神ダーリにかかった人を隙あらば迷った道に引きこもうとする。たとえば、どこどこにいい神がいるから拝みなさいと誘いかけ、目指す自分の神のところにたどりつかないように仕向ける。その邪神の声にしたがったが最後、狂気から回復する道は永久に閉される。」

「度重なる神の試練を受けて、カナの心は磨かれてきた。カナからは喜怒哀楽の感情がだんだん消えていった。しかし人間は悪心や欲心がなくなると、心が空気のように透明になり、生命力がとぼしくなる。カナの守護神であるマウ神は、彼女がミヤコ(現世)の人間でなくなることをたいそう心配した。
 そうしたある日、カナが空を見上げると、くるくる太陽がまわっていた。ヒマワリの花びらのように、外側は左まわりに花芯にあたる中心は右まわりに回転していた。やがて太陽からは尾のようなものが垂れ下った。みると、赤い紐をつたって美しい女神が降りてきた。女神は男の子と女の子を連れてきたが、二人が赤い紐を引張るたびに、どうしたわけかカナの足が地面を離れる。
 そこに彼女の先祖神であるツヅの神が駆けつけてきた。
 「おまえの心はあまりにキレイだから、今のせるがいいか、と女の神が言っている」
 と言った。のせるというのは天上に連れていく、ということだ。
 「おまえは神の使命だけでなく、先祖の供養や子どもの養育もしなければならない。イヤだと言え」と迫った。
 そこでカナは女神にはっきり断わって、天上に引き上げられることを免れた。
 ツヅの神はカナにむかって、
 「おまえの心は真白くなってしまっている。それでは長く生きられない。死にたくなければ、今から一時間のうちに、悪いことをしなさい」
 と命じた。カナがためらっていると、ツヅの神は声を荒らげた。
 「おまえの実家の二階に高校生が下宿しているが、その部屋の机の抽斗に紙幣が丸めて入れてある。それを盗るのだ」
さらにツヅの神は「それをもって近所の店で自分の言う通りの品を買え」と言った。カナは紙幣を盗んで雑貨店にゆき、ツヅの神の指示通り、玩具の刀と金魚鉢と茶こしの網と小さな香炉を買って帰った。」
「ツヅの神がカナにそっと言った。
 「盗ったことをすぐ白状すると、悪いことをしたことにならないから、今日一日はぜったいに黙っていなさい」
 そこでカナは母親に聞きただされても「ちがう」と素知らぬ顔をしていた。
 翌日になったので、カナは「母ちゃん、母ちゃん、私が盗った。元気になったらお金をきちんと返すから、それまで立て替えて払って置いてね」
 と母親に白状した。こうしてカナは小さな罪を犯したために、危い所で、神にいのちを取られずに済んだ。」

「ルチアは奄美大島名瀬の敬虔なカトリック信者の家に生まれた。
 ルチアが三歳の時、一人でテレビを見ていると、隣の部屋の白い洋服ダンスの扉が開いた。閉めようと思い、タンスの前に行くと、中からフワフワと白い霧のようなものと一緒に手が出てきたので、ルチアは自分の手を出してチョンチョンと触わると、それは冷たい手だった。霧のようなもののあいだから白い鬚の老人が左右に杖をもって立っている姿が見えた。ルチアはこわくて転げるように階段を駈け降りて、階下にいた母親の夏子に、
 「お母さん、今、タンスの中から白い手が出てきて、さわると冷たかったよ」と何度も言ったが、夏子は家事で忙しく、
 「あっちへ行っていなさい」
 と取り合わなかった。」




































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本