ロラン・バルト 『テクストの快楽』 沢崎浩平 訳

「テクストの快楽(プレジール)、それは幸せなバベルだ。」
(ロラン・バルト 『テクストの快楽』 より)


ロラン・バルト 
『テクストの快楽』 
沢崎浩平 訳


みすず書房
1977年4月10日 第1刷発行
1986年3月10日 第7刷発行
160p 目次4p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,400円



本書「あとがき」より:

「本書は Roland Barthes: le plaisir du texte, Éditions du Seuil, 1973 の全訳である。」


バルト テクストの快楽 01


カバー裏文:

「現代において、ロラン・バルトはもっとも創造的で、知的刺戟に富んだ批評家である。1973年に刊行された本書で、彼は、テクストと快楽・悦楽との関係を、アフォリズムに似た断章のかたちで探究している。つねに転位してゆくバルト的批評の現在を示すと同時に、本書はまた、バルト独自の、ユニークな「読書の詩学」でもある。
 「われわれは、テクストについて何を知っているか。最近、理論がこれに答え始めた。しかしまだ、一つの問題が残っている。われわれはどのようにしてテクストを楽しむかという問題が。
 この問題を課さねばならない――たとえ戦術的な理由だけでしかないとしても。科学の公平無私、イデオロギー的分析のピューリタニズムに対して、テクストの快楽を確立しなければならない。文学の単なる娯楽化に対して、テクストの悦楽を確立しなければならない。
 どのようにして、この問題を課すか。悦楽の特質は語り得ない所にある。だから、断章の無秩序の連続に身を委ねなければならなかった。眼に見えない構図の切子面、鍵盤、泡、巻紙。単なる問題の提出、テクスト分析の学問外的ひこばえ。」(ロラン・バルト)」



目次:

凡例

肯定 Affirmation
バベル Babel
おしゃべり Babil
縁 Bords
ブリオ Brio
引き裂かれ Clivage
共同体 Communauté
肉体 Corps
註釈 Commentaire
漂流 Dérive
語る Dire
右翼 Droite
交換 Échange
聞く Écoute
感動 Émotion
退屈 Ennui
裏側 Envers
正確さ Exactitude
物神 Fétiche
戦い Guerre
想像物 Imaginaires
相互関連テクスト Inter-texte
等方性 Isotrope
言語 Langue
読書 Lecture
特権階級 Mandarinat
現代的 Moderne
ニヒリズム Nihilisme
命名行為 Nomination
愚民主義 Obscurantisme
オイディプース Œdipe
恐怖 Peur
文 Phrase
快楽 Plaisir
政治 Politique
日常的 Quotidien
取り込まれ Récupération
表象 Représentation
抵抗 Résistances
夢 Rêve
科学 Science
意味形成性 Signifiance
主体 Sujet
理論 Théorie
価値 Valeur
声 Voix

訳註
あとがき (沢崎浩平)

目次



バルト テクストの快楽 02



◆本書より◆


「テクストの快楽。それは、ベイコンの模倣者のように、次のようにいうことができる。決して弁解せず、決して釈明せず、と。それは決して何物も否定しない。《私は眼をそむけるだろう。それが、今後、私の唯一の否定となるだろう。》」

「エクリチュールとは言語活動の悦楽の科学、言語活動のカーマスートラである。」

「文化もそれの破壊もエロティックではない。エロティックになるのは両者の断層である。」

「快楽はテクストの一要素ではない。(中略)それは悟性や感覚の論理に左右されない。それは漂流だ。革命的であると同時に、非社会的で、どんな集団も、どんな精神状態も、どんな個人言語(イディオレクト)も、引き受けることのできないものだ。中性的なもの? テクストの快楽が顰蹙を買うものであることは明らかだろう。それが不道徳だからではなく、アトピックだからである。」

「悦楽の非社会的性格。それは社会性の突然の喪失だ。しかし、だからといって、主体(主観性)、個人、孤独の方に再び落ち込むことは決してない。すべてが失われるのだ。完全に。隠密性の極致、映画館の闇。」

「現代社会の疎外を免れるには、もはやこの手しかない。すなわち、前方への逃走である。(中略)ステレオタイプは政治的事実だ。イデオロギーの主要な顔だ。それに対して、「新しいこと」は悦楽である。(中略)「新しいこと」への(周辺部の、常軌を逸した)熱中――言述の破壊にまでいきかねない、気違いじみた熱中、ステレオタイプに抑圧された悦楽を再び歴史的に出現させようとする試み。」
「規則、それは濫用だ。例外、それは悦楽だ。例えば、時には、「神秘主義者」の例外を支持することもあり得る。規則(一般性、ステレオタイプ、個人言語(イディオレクト)、すなわち、凝着した言語活動)でなければ、何でもいい。」

「ステレオタイプに対する警戒が絶対的不安定性の原理である。それは何物も大事にしない(どんな内容も、どんな選択も)。二つの重要な単語の結びつきが当り前になると、すぐに吐き気を催す。あるものが当り前になると、私はすぐ放棄する。それが悦楽だ。」

「「テクスト」は「織物」という意味だ。しかし、これまで、この織物は常に生産物として、背後に意味(真実)が多かれ少なかれ隠れて存在するヴェールとして考えられてきたけれど、われわれは、今、織物の中に、不断の編み合せを通してテクストが作られ、加工されるという、生成的な観念を強調しよう。この織物――このテクステュール〔織物〕――の中に迷い込んで、主体は解体する。自分の巣を作る分泌物の中で、自分自身溶けていく蜘蛛のように。」

「快楽が宙吊りにする力については、どんなに強調してもしすぎることはない。それは真のエポケーだ。公認された(自分自身が認めた)あらゆる価値をはるか彼方で凍結させる停止だ。快楽は中性(悪魔的なものの最も倒錯的な形式)である。」










































































































吉岡実 『ムーンドロップ』

「遙かな(狭間)に
           (白波)が見える
                       「どうでもいいの
                            どうでも」

(吉岡実 「ムーンドロップ」 より)


吉岡実 
『ムーンドロップ』


書肆山田 
1988年11月25日 初版第1刷発行
137p 初出一覧2p 
22.5×14.5cm 
丸背布装上製本 函 
定価2,800円
装幀: 吉岡実
装画: 西脇順三郎



表題作「ムーンドロップ」は「題名と若干の章句をナボコフ『青白い炎』(富士川義之訳)から借用。」
本体布表紙には西脇順三郎によるイラストが箔押しされていて、やや厚めの半透明紙カバーがかけられています。


吉岡実 ムーンドロップ 01


帯文:

「バルテュス、クロソウスキー、ベーコンらの作品に穿孔する詩語――絵画の内側で踠くものたちをひき伴れ、画面の底に身を潜めるものたちを揺さぶり、画布の背後にもうひとつの宇宙をゆらぎ立たせる詩篇群

初秋の街路を
(黄金の果物)を抱えた
(少年)が通り
(模造板)にのせられた
(死者)が通って行く」



帯背:

「新詩集」


吉岡実 ムーンドロップ 02


目次 (初出):

産霊(むすび) (「ユリイカ」臨時増刊 1986.11)
カタバミの花のように (「朝日新聞」 1985.7.26夕刊 改作)
わだつみ (「毎日新聞」 1985.1.5夕刊)
聖童子譚 (「ユリイカ」臨時増刊 1984.11)
秋の領分 (小沢純展パンフレット 1985.9.17 改作)
薄荷 (『四谷シモン 人形愛』 1985.6)
雪解 (「文学界」 1986.1)
寿星(カノプス) (「海燕」 1986.1)
銀幕 (梅木英治銅版画集『日々の惑星』 1986.9)
ムーンドロップ (「潭」2 1985.4)
叙景 (「現代詩手帖」 1986.8 改作)
聖あんま断腸詩篇 (「新潮」 1986.6)
睡蓮 (「海燕」 1987.11)
苧環(おだまき) (「花神」2号 1987.8)
晩鐘 (「新潮」 1988.5 千号記念号)
青空(アジュール) (「文学界」 1988.1)
銀鮫(キメラ・ファンタスマ) (「ユリイカ」臨時増刊 1987.11)
鵲 (「毎日新聞」 1987.12.28夕刊)
[食母]頌 (「中央公論」 1988.10文芸号)



吉岡実 ムーンドロップ 03



◆本書より◆


「カタバミの花のように」より:

「涼しい風のひるさがり
              兎を抱いて少女が来る
わたくしは紅茶を啜り
             「事物と密着した部分へ
                            指を差し入れる」
蝉がジージー鳴く
           竹すだれを透かして眺めよ
   「肉体という
          広大なる風景」」



「寿星(カノプス)」より:

「「兄の寂寞を
         妹が慰める」
                 (ハーベスト・ムーン)
(秋の満月)
       「眠れるものなら
                 とっくに
        眠っているよ」」



吉岡実 ムーンドロップ 04













































































ロラン・バルト 『物語の構造分析』 花輪光 訳

「問題は、少なくともわたしが身に課す問題は、実際「テクスト」を、何であれ一つの記号内容(中略)に還元せず、テクストの表意作用(シニフィヤンス)を開かれた状態に保つようにすることなのである。」
(ロラン・バルト 「天使との格闘」 より)


ロラン・バルト 
『物語の構造分析』 
花輪光 訳


みすず書房
1979年11月15日 第1刷発行
1988年12月5日 第10刷発行
219p 目次1p 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価1,800円



本書「訳者解題」より:

「本書は、著者が指定した十五編のテクストのうち、(中略)八編を選んで収めたものである。」


バルト 物語の構造分析


カバー裏文:

「「物語はまさに人類の歴史とともに始まるのだ。物語をもたない民族はどこにも存在せず、また決して存在しなかった。あらゆる社会階級、あらゆる人間集団がそれぞれの物語をもち、しかもそれらの物語はたいていの場合、異質の文化、いやさらに相反する文化の人々によってさえ等しく賞味されてきた。物語は、良い文学も悪い文学も差別しない。物語は人生と同じように、民族を越え、歴史を越え、文化を越えて存在する」
 フランスにおける〈物語の構造分析〉は事実上、「コミュニカシヨン」誌、八号の物語の構造分析特集に始まると云ってよかろう。その巻頭を飾った、バルトの「物語の構造分析序説」は今や〈古典〉として名高い。この論文は現在においても、依然としてその重要性を失っていない。本書は、この記念碑的な労作をはじめ、批評家バルトの基調を示す「作者の死」「作品からテクストへ」、さらに、バルト的神話学ないし記号学の新しい方向を示す「対象そのものを変えること」等、八篇を収める。つねに変貌してゆくバルトの、60年代から70年代にかけての軌跡を明らかにする評論集。」



目次:

物語の構造分析序説
天使との格闘――「創世記」三二章二三-三三節のテクスト分析
作者の死
作品からテクストへ
現代における食品摂取の社会心理学のために
エクリチュールの教え
逸脱
対象そのものを変えること

原注
訳注
訳者解題




◆本書より◆


「作者の死」より:

「土俗的な社会では、物語は、決して個人ではなく、シャーマンや語り部という仲介者によって引き受けられ、必要とあれば彼の《言語運用》(つまり、物語のコードの制御)が称讃されることはあっても、彼の《天才》が称讃されることは決してなかった。作者というのは、おそらくわれわれの社会によって生みだされた近代の登場人物である。」

「「作者」の支配は、今もなお非常に強い(中略)が、言うまでもなく、ある作家たちは、すでにずっと以前から、その支配をゆるがそうとつとめてきた。フランスでは、おそらく最初にマラルメが、それまで言語活動(ことば)の所有者と見なされてきた者を、言語活動(ことば)そのものによって置き換えることの必要性を、つぶさに見てとり予測した。彼にとっては、われわれにとってと同様、語るのは言語活動(ことば)であって作者ではない。書くということは、それに先立つ非人称性(中略)を通して、《自我》ではなく、ただ言語活動(ことば)だけが働きかけ《遂行する》地点に達することである。マラルメの全詩学は、エクリチュールのために作者を抹殺することにつきる(ということは、これから見るように、作者の地位を読者に返すことだ)。(中略)彼は、(中略)「作者」を疑い嘲笑することをやめず、自分の活動の言語学的な、いわば《偶発的な》性質を強調し、散文の著作を通じて終始文学の本質的に言語的な条件を擁護した。この条件に比べれば、作家の内在性に頼ることはすべて、まぎれもない迷信であると彼には思われたのである。」
「言語学が示すところによれば、言表行為は、全体として一つの空虚な過程であり、対話者たちの人格によって満たされる必要もなしに完全に機能する。言語学的には、作者とは、単に書いている者であって、決してそれ以上のものではなく、またまったく同様に、わたし とは、わたし と言う者にほかならない。」

「われわれは今や知っているが、テクストとは、一列に並んだ語から成り立ち、唯一のいわば神学的な意味(中略)を出現させるものではない。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である。」



「逸脱」より:

「言語(ラング)は無限です(終わりがありません)。そしてこのことから帰結を引き出さなければなりません。言語(ラング)は言語(ラング)以前に始まります。わたしは日本に関してこのことを言いたかったので、わたしがこの地でおこなったコミュニケーションを賞揚したのです。わたしは、自分の知らない話しことばのまさに外にありながら、この未知の言語のざわめきや感情的な息づかいを通して、それをおこなったのでした。ことばのわからない国で生活すること、観光地以外の場所で広く生活することは、あらゆる冒険のなかでもっとも危険なものです(この表現が青少年向きの小説のなかでもちうる素朴な意味において、そうです)。それは(主体にとって)ジャングルに挑戦することよりも危険です。というのも、言語を越えて、言語の補足的周辺に、ということは、深さをもたない言語の無限のひろがりのなかに、身を置かなければならないからです。新しいロビンソン〔・クルーソー〕を想像しなければならないとしたら、わたしは彼を無人島には置かず、彼が音声言語(パロール)も文字言語(エクリチュール)も理解できない、人口一千二百万の都市に置くでしょう。これこそロビンソンの神話の現代版であろうと思います。」




















































































































プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー

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