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大林太良 『海の道 海の民』 

「中世の百科事典『塵添壒囊抄(じんてんあいのうしょう)』には、天皇は海神の子孫だから応神天皇のときまで、竜のような尻尾(しっぽ)があったという奇怪な伝承を記している。このように天皇家には海神ないし竜神の血が流れているというのは、広くかつ後世まで民衆の間でも信じられていたのであった。」
(大林太良 『海の道 海の民』 より)


大林太良 
『海の道 
海の民』 



小学館 
1996年12月10日 初版第1刷発行
279p 索引・引用文献xxii
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,300円(本体2,233円)
装丁: 守先正
装画: 蓮見智幸



本書「あとがき」より:

「この本は『海と列島文化』に発表した論文を中心として、その他の機会に発表した海にかんする論文を加え、また加筆して、一冊としたものである。」


本文中に図版(モノクロ)52点、地図4点。
本書は もったいない本舗 さんで579円(送料無料)で売られていたのを注文しておいたのが届いたのでよんでみました。



大林太良 海の道 海の民 01



目次:

序章 まわりの海から日本文化をみる

第一部 列島と海洋文化
 第一章 日本の海洋文化とは何か
  一 海と島をみる視角
  二 漁撈と海上交易
  三 神話的宇宙論と古代における王権と海
  四 海民の社会
  五 東アジア海民の交流
 第二章 黒潮と海上移動
  一 人間と文化の移動と海流
  二 日本民族文化にみる黒潮の役割
 第三章 入れ墨の連続と不連続
  一 入れ墨習俗の変遷
  二 入れ墨他界観の分布
 第四章 日本の神話伝説における北方的要素
  一 北方からの道
  二 北方的要素の多様性

第二部 地域と海民
 第五章 合流と境界の隼人世界の島々
  一 俊寛とガイドブック
  二 隼人世界の島々の六つの特徴
  三 三つのルート
 第六章 内海の文化
  一 九州と畿内を結ぶ瀬戸内海
  二 中世の外敵伝説
  三 瀬戸内海文化領域
  四 海の豪族と水軍
  五 海の宗教
 第七章 伊勢神宮と常世の重浪
  一 遍歴と鎮座、王権と皇祖
  二 常世と豊穣
  三 海人と伊勢神宮
 第八章 若者組織の社会史――志摩桃取の場合
  一 志摩の沿海文化
  二 寝宿のもつ意味とその役割
 第九章 海と陸のヒスイの道――越と出雲
  一 階層化の進展と玉の役割
  二 神話にみる婚姻習俗

あとがき
初出一覧
引用文献
索引




◆本書より◆


第一章より:

「日本神話の体系は地上における王権の由来を説き、天皇家の先祖が天から降臨したことを語るのを主眼としている。そこでは表面に出ているのは王権の根源は天にあるという考えである。(中略)ところが、その一方で、太陽の女神(アマテラス)自身も、天で生まれたのではなく、イザナギが筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐原(あわきはら)で、海水で禊(みそぎ)をしたとき生まれたと『古事記』は語っている。(中略)つまり、太陽の女神、天界の支配者そして天皇家の祖神であるアマテラスも実に海辺に生まれたのであった。さらに、天孫が地上に降臨したのちは、その息子の山幸彦(やまさちひこ)は、海神(ワタツミの神)の宮を訪ねることによってはじめて王者となることが可能となった。そして山幸彦、その子のウガヤフキアヘズは、ともに海神の女をめとり、二代つづけて海神の血が入って、はじめて初代の天皇、神武(じんむ)が生まれたのであった。
 中世の百科事典『塵添壒囊抄(じんてんあいのうしょう)』には、天皇は海神の子孫だから応神天皇のときまで、竜のような尻尾(しっぽ)があったという奇怪な伝承を記している。このように天皇家には海神ないし竜神の血が流れているというのは、広くかつ後世まで民衆の間でも信じられていたのであった。」

「ところで、このような日本古代における王権と海との密接な関係は、アジアの東部では決して孤立したものではなかった。」
「新羅(しらぎ)の脱解(だっかい)王の出現を『三国遺事(さんごくいじ)』は次のように伝えている。第二代の南解王のとき、駕洛(から)国の海上に船が停泊した。駕洛の首露(しゅろ)王は臣民とともにこれを迎え、留めようとしたが、船は鶏林(けいりん)の東下西知村阿珍(あちん)浦にいたった。「時に浦辺に一嫗(おうな)あり、阿珍義先と名づけ、すなわち赫居(かくきょ)王の海尺(かいしゃく)の母なり」とある。彼女は、この海中に岩がないのに、なぜ鵲(かささぎ)が集まって鳴くのか不審に思って舟を漕いで行ってみた。すると一艘の舟の上に鵲が集まっており、舟のなかに箱が一つあった。この舟を樹下に曳いていって開けると、端正な少年がいた。これが脱解だった。三品彰英が論じたように、
   海尺は古く海辺の漁人に対する俗称であり、脱解を拾い上げたのがそうした海尺の母であったということは、この神話と信仰が本来漁民の間の伝承であり、あるいはちょうど我が海部族の海童信仰にも比すべきものでなかったかを示唆している(三品 一九七二、三一六―三一七)。
 私はこの三品説に賛成であるが、それにつけ加えることがある。それは、新羅の建国神話においても、表面では王権の根拠は天にあることになっていながら、そのかげに、海とのつながりが見えがくれする点で、日本の場合と類似していることである。」

「その後、朝鮮では高麗(こうらい)王家の祖が海とのつながりを示す伝説をもっている。『高麗史』によると、作帝建(さくていけん)は竜王の乞いに応じて海中の岩で老狐(ろうこ)を殺し、竜王の女(むすめ)と結婚した。しかし、のちに彼女が竜に化した姿をみたため、二人は別れることになったという。この後半の部分は、わが国のトヨタマビメ神話と共通している。そして竜女の生んだ子のうち、長男の竜建の子が高麗の太祖・王建である。」
「東南アジアにおける王権と海とのつながりは、いろいろな形でみられる。第一に、カンボジアの民間伝説に、牛飼いの少年が王から命ぜられて、海底の国に竜王の女を探しに行き、彼女を連れ帰り、王を亡(ほろぼ)して自らが王となり、竜女を皇后とする筋のものがある(中略)。」
「第二の事例は『スジャラ・ムラユ』(つまり『マレー年代記』)である。インド王チュランは海中探検を志して、ガラスの籠(かご)に入って海底のデイカ国に達し、そこの王女と結婚し、三人の子をもうけたが、三人の男の子が成人したら必ず地上の国に送るように言いのこして、チュラン王は南インドに帰った。そしてこの三人の王子はのちに南スマトラのシ・ダンタンの丘に天降ることになっている。」



第五章より:

「このように隼人世界と海外との交渉においては、種子島が古くから注目すべき地位にあったが、また中世においても種子島は、(中略)倭寇(わこう)の出身の最も多い薩摩(さつま)(鹿児島県西部)・肥後(ひご)(熊本県)・長門(ながと)(山口県西北部)につぐ九か国(島々も含む)の一つとして、大隅と相並ぶ存在であったし、また高麗(こうらい)への往来もあった。」
「もちろん種子島ほど顕著な交渉の歴史はなかったが、あの俊寛の流された硫黄島もまた、唐土から漂着するところであったという。『神社啓蒙』や『下学(かがく)集』(文安元年〈一四四四〉成立)、また『和漢(わかん)三才図絵』(寺島良安編。正徳三年〈一七一三〉刊)には、次のような灯台鬼の伝説が残っている。
 むかし軽大臣(かるのおおおみ)が遣唐使として唐土に渡ったとき、唐人に不言薬をのまされた。そして、身に彩画をほどこされ、頭に灯台をいただき、灯火をともし、灯台鬼となった。その子の参議春衡(はるひら)も遣唐使となり、斉明(さいめい)天皇二年(六五六)丙辰(ひのえたつ)の年に唐の皇帝に謁(えつ)した。千夜を経て、灯鬼が出たが、灯鬼はわが子をみて、指をかんで血で漢詩と和歌をしたため、自分が父であることを知らせた。春衡は父であることを知って、灯鬼を求めたが、日本に帰る日、颯州(薩州)硫黄島で父は没し、そこに葬った。だから、そこを鬼界という。
 なんとも奇怪な話であるが、『和漢三才図絵』も、「軽大臣は何時の人なるかを知らず」と記しているように、虚構の人物であった。しかし、『薩隅日地理纂考』一二之巻では、硫黄島の徳躰(とくたい)神社の祭神を軽大臣とし、石祠(せきし)で神体は自然石であること、軽大臣が息子にともなわれて帰朝のとき、「時に硫黄嶋に漂着し、遂(つい)に此の地にて薨(こう)じ、神に崇(あが)むといふ」などと記しているように、硫黄島でも信じられていた伝説であった。」




大林太良 海の道 海の民 02



大林太良 海の道 海の民 03







こちらもご参照ください:

谷川健一 『古代海人の世界』
網野善彦 『海と列島の中世』 (講談社学術文庫)
大林太良 『邪馬台国』 (中公新書)































































































『平妖伝』  太田辰夫 訳  (中国古典文学大系)

「ちょうどその酒宴の際、ふとその四望亭の柱の上で大きな音がしましたので、太尉から家来の者までことごとく吃驚(びっくり)しました。見れば誰か知らないが、弾丸をこの庭園に打ちこんだのです。」
「皆が騒いでおりますと、その弾丸は亭の地上をピョンピョンと何度か跳ね、糸巻きのようにクルクルと千百回も回りました。太尉、
 「どうも不思議じゃわい」
 すると、パン! と、大きな音がして、弾丸から一人の小さな人間が飛び出しました。」

(『平妖伝』 より)


馮夢竜 作 
『平妖伝』 
太田辰夫 訳
 
中国古典文学大系 36


平凡社
昭和42年11月5日 初版発行
426p 目次5p
菊判 丸背バクラム装上製本 貼函
定価1,100円
装幀: 原弘

月報 2 (8p):
『平妖伝』と『魯迅伝』(増田渉)/明代の思想(増井経夫)/中国小説の歴史(二)――唐の伝奇――(内田道夫)/編集部より/次回配本/図版(モノクロ)2点。



本書「解説」より:

「『平妖伝(へいようでん)』という小説は、『水滸(すいこ)伝』『西遊(さいゆう)記』などと同様に、その源を民間の語り物に発していると推測される。北宋(ほくそう)の仁宗(じんそう)皇帝の代に、貝州(ばいしゅう)(河北省)で宗教的色彩をおびた農民暴動が起こったが、その主謀者たちは妖人で、妖術を使い官軍を悩ましたことが史書に記されている。(中略)その話がふくらんで明代になるとついに全二十回の中編小説となった。その著者としては、かの有名な羅貫中の名が記されている。(中略)この小説は『水滸』と『西遊』を兼ねたおもしろ味があるという評判であったが、明代に流行した長編小説に伍しては量的に貧弱であるし、ストーリーの構成にも不完全なところを有していた。これに眼をつけたのが明末の文学者馮夢竜(ふうむりょう)で、かれはこれを増訂して四十回とし、話の筋をととのえて読みごたえのあるものとした。」
「『平妖伝』は史実に基づくとはいえ、王則らの反乱は第三十二回以後になってはじめて現われる。つまり、それ以前、全書の四分の三以上はその伏線として、妖人たちの銘々伝のかたちを採っている。それゆえ『平妖伝』は、(中略)本質的には『西遊記』などと同じ「神魔小説」に属すべきものである。ではこの妖術とは何かというに、これは道教に源を発したものであると考えられる。(中略)道教の実践面の一つがいわゆる「方術」で、まじない・祈禱(きとう)・おはらい・錬金術など、みなこれに属する。」
「これら妖人たちの法術は、正統的な「方術」そのものではなく、それを現実的に歪曲(わいきょく)し応用したものである。」



二段組。本文中に挿絵図版(モノクロ)80点。「解説」中に図版(モノクロ)6点。



平妖伝 01



目次:

主要人物一覧

引首

第一回
 剣術を授け処女(しょじょ) 山を下り
 法書を盗み袁公(えんこう) 洞(どう)に帰る
第二回
 修文院に斗主 獄を断じ
 白雲洞(どう)に猿神(えんしん) 霧を布(し)く
第三回
 胡黜児(こちゅつじ) 村裏にて貞娘(ていじょう)を鬧(さわ)がし
 趙大郎(ちょうたいろう) 林中に狐(きつね)の跡を尋ぬ
第四回
 老狐(ろうこ) 大いに半仙(はんせん)堂を鬧(さわ)がし
 太医(たいい) 細かに三支脈を弁ず
第五回
 左黜児(さちゅつじ) 廟(びょう)中にて酒を偸(ぬす)み
 賈(か)道士 楼下にて花に迷う
第六回
 小狐精(こせい) 智(ち)もて道士を賺(あざむ)き
 女魔王 夢にて聖姑(せいこ)に会う
第七回
 楊(よう)巡検 経を迎えて聖姑(せいこ)に逢(あ)い
 慈(じ)長老 水を汲んで異蛋(いたん)を得たり
第八回
 慈(じ)長老 単(ひとり) 大士の籤(くじ)を求め
 蛋和尚(たんおしょう) 一たび袁公(えんこう)の法を盗む
第九回
 冷(れい)公子 はじめて厭人(えんじん)符を試み
 蛋和尚(たんおしょう) ふたたび袁公(えんこう)の法を盗む
第十回
 石頭陀(せきずだ) 夜 羅家畈(らかはん)を鬧(さわ)がし
 蛋和尚(たんおしょう) 三たび袁公(えんこう)の法を盗む
第十一回
 道法を得て蛋(たん)僧 師を訪(たず)ね
 天書に遇(あ)い聖姑(せいこ) 弟を認む
第十二回
 老いたる狐精 灯を挑(かきたて)て法を論じ
 癡(おろか)なる道士 月に感じ懐(こころ)傷(いた)む
第十三回
 東荘を閉じ楊春(ようしゅん) 金を点じ
 法壇を築き聖姑(せいこ) 法を煉(ね)る
第十四回
 聖姑宮(せいこきゅう)にて紙虎(しこ) 金山を守り
 淑景園(しゅくけいえん)にて張鸞(ちょうらん) 媚児(びじ)に逢(あ)う
第十五回
 雷(らい)太監 饞眼(うらやましく) 乾妻(なばかりのつま)を娶(めと)り
 胡媚児(こびじ) 癡心(ちしん)もて内苑(ないえん)に遊ぶ
第十六回
 胡(こ)員外 喜んで仙画(せんが)に逢(あ)い
 張(ちょう)院君 怒って妖胎(ようたい)を産む
第十七回
 博平(はくへい)県にて張鸞(ちょうらん) 雨を祈り
 五竜壇にて左黜(さちゅつ) 法を闘(たたか)わす
第十八回
 張(ちょう)処士 舟に乗って聖姑(せいこ)に会い
 胡(こ)員外 雪を冒して相識を尋ぬ
第十九回
 陳善(ちんぜん)・留義(りゅうぎ) 雙(ふたり)ながら銭を贈り
 聖姑(せいこ)・永児(えいじ) 私(ひそか)に法を伝う
第二十回
 胡洪(ここう)怒って如意冊(にょいさつ)を焼き
 永児(えいじ) 夜 相国寺に赴(おもむ)く
第二十一回
 平安街に員外 重ねて興り
 胡永児(こえいじ) 豆人紙馬を戦わす
第二十二回
 胡(こ)員外 媒(なこうど)を尋ねて親(えんぐみ)を議し
 蠢憨哥(うすのろむすこ) 洞房(どうぼう)に花燭を点ず
第二十三回
 蠢憨哥(うすのろむすこ) 誤って城楼の脊に上り
 費将仕(ひしょうし) 遊仙枕(ゆうせんちん)を撲(う)ち砕く
第二十四回
 八角鎮(はっかくちん)にて永児(えいじ) 異相を変(あらわ)し
 鄭(てい)州城にて卜吉(ぼくきち) 車銭を討(もと)む
第二十五回
 八角井 衆(おおく)の水手 屍(しかばね)を撈(さら)い
 鄭(てい)州堂 卜(ぼく)大郎 鼎(かなえ)を献ず
第二十六回
 野猪林(やちょりん)にて張鸞(ちょうらん) 卜吉(ぼくきち)を救い
 山神廟(びょう)にて公差(やくにん) 雙月(ふたつのつき)を賞(め)ず
第二十七回
 包竜図(ほうりゅうと) 新たに開封府を治め
 左瘸師(さかし) 大いに任(じん)・呉(ご)・張(ちょう)を悩ます
第二十八回
 莫坡(ばくは)寺にて瘸師(かし) 仏の肚(はら)に入り
 任(じん)・呉(ご)・張(ちょう) 夢に聖姑姑(せいここ)に授かる
第二十九回
 王(おう)太尉 大いに募縁の銭を捨て
 杜(と)七聖 狠(むご)く続頭の法を行なう
第三十回
 弾子(だんし)僧 変化して竜図(りゅうと)を悩まし
 李二哥(りじか) 妖(よう)を首(つ)げ跌死(てっし)に遭(あ)う
第三十一回
 胡(こ)永児 泥蠟燭(どろろうそく)を売り
 王(おう)都排 聖姑姑(せいここ)に会う
第三十二回
 夙(ふる)き姻縁にて永児 夫を招き
 銭米を散じて王則 軍を買う
第三十三回
 左瘸師(さかし) 神を顕(あら)わして衆を驚かし
 王(おう)都排 夥(なかま)を糾(あつ)めて仇(あだ)を報ず
第三十四回
 劉彦威(りゅうげんい) 三たび貝(ばい)州城にて敗れ
 胡(こ)永児 大いに河北の地を掠(かす)む
第三十五回
 趙無瑕(ちょうむか) 生(いのち)を拚(す)てて賊を紿(あざむ)き
 包竜図(ほうりゅうと) 詔に応じて賢を推す
第三十六回
 文相国(そうこく) 三路より師(ぐん)を興し
 曹(そう)招討 喞筒(そくとう)にて賊を破る
第三十七回
 白猿(はくえん)神 信香にて玄女に求め
 小狐妖(こよう) 磨(うす)を飛ばし潞(ろ)公を打つ
第三十八回
 多目神 徳に報いて銀盆に写(か)き
 文招討 路(みち)に失(まよ)いて諸葛(しょかつ)に逢(あ)う
第三十九回
 文招討 曲を聴(き)いて馬遂(ばすい)を用い
 李魚羹(りぎょこう) 直諫(ちょくかん)して王則を怒らす
第四十回
 潞(ろ)国公 凱(がい)を汴京(べんけい)城に奏し
 白猿(はくえん)神 重(かさね)て修文院を掌(つかさど)る

解説

付録 三遂平妖伝国字評(抄) 滝沢馬琴編輯

あとがき




◆本書より◆


第一回より:

「さても大唐は開元の御代(みよ)、鎮沢(震沢のこと。いま江蘇省呉江県西南の地)という所の劉直卿(りゅうちょくけい)と申すお方、諫議(かんぎ)大夫をなされました時、宰相、李林甫(りりんぽ)を弾劾(だんがい)する上奏文をたてまつりましたが失敗し、職を捨て、閑居の身となりました。奥方はかねがね大夫に口を慎まれるよう忠告いたされておりましたので、お役ご免となりますと、つい、はしたない言葉も出ようというもの。ところが大夫はまがったことの嫌(きら)いな一本気の殿方、どうして負けておりましょう。かくていさかいがありましたので、奥方は心に屈託のあまり、病いの床につかれました。くすし(引用者注:「くすし」に傍点)を招き調治いたしましたが、一進一退、いっこうすっきりいたしませぬ。
 とある晩、夫人は寝床の上に起き上がり、少しばかりの粥(かゆ)を召し上がりましたが、腰元を呼んで碗(わん)を下げさせますと、にわかに銀の燭台が暗くなりました。腰元、
 「おくさま、おめでたいことがございますわ。あんな大きな丁字頭(ちょうじがしら)(灯心のもえさしの先端にできる塊、吉兆とされる)ができましたもの」
 「わたしにおめでたいことがあるものかね。それより早くかきたてておくれ。眼(め)さきが明るくなれば気分もさっぱりするだろうから」
 腰元は進みでますと、二本の指で棒をつまみ、まっ赤な丁字頭をかき落としました。丁字頭が卓の上に落ちると、燭台の背後より一陣のつめたい風が吹き起こり、その丁字頭を右に左に吹きころがして、まるで火の玉のようです。腰元は笑って、
 「おくさま、おもしろいじゃございませんか。丁字頭が生きてるようですわ」
 と言いも終わらぬうち、その丁字頭は、二、三度、ころころまわると、たちまち茶碗ほどの大きさの火の玉となり、床へころげ落ちますと、
 ――パン!
 と爆竹のように炸裂(さくれつ)し、あたり一面、火花が散って消えてしまいました。見ると身のたけ三尺ほどの老婆がそこに立っております。老婆は夫人に向かい、
 「ごきげんよう。ご病気とおききしたので仙薬をおとどけに来ましたよ」」

「袁公は森の中で折り目正しく玄女を八拝いたしますと、玄女は拝を受け、袖から竜眼肉ほどの大きさの二つの弾丸をとりだして、袁公に与えました。袁公はかしこまって頂戴いたしましたが、てのひらにのせてよく看(み)れば、白色で、鉛で鋳たようにあまり光沢がありません。袁公は口にこそ出しはしませんでしたが、心中いささか不審に想(おも)いました。
 ――これが粉でつくった団子なら一時の飢えをしのぐことができよう。銀でつくったものならまず二十匁ぐらいのもの、たいした値打ちではない。もしただの鉛の弾(たま)なら、おれは弾(はじ)き弓を習う気はないのだから、もらっても役には立たないし……。
 と考えておりますと、玄女は早くもそれに気づき、その弾丸に息を吹きつけると、
 「カッ!」
 と叫びました。見ると弾は光を放ち、たちまち右に左にとびはね、さながら二匹の金色の蛇(へび)が、袁公にまきつき、はいまわっている如く、頭から首のあたりを、往(ゆ)きつもどりつ、万条の寒光を発し、その寒さ堪えがたく、耳には千刀万刃の打ちあい触れあう音が聞こえます。あわてたのは袁公、眼(まなこ)をかたく閉ざしたまま、
 「師父よ! わたくしめには師父のご威光がよくわかりました。どうかお許しのほどを……」
 と叫ぶのみです。もともとこの二つの弾丸は、仙家で煉(ね)りあげた雌雄の二剣でありまして、伸縮は自在、変化は無窮、もし光を収めたときには鉛弾のようですが、一たび活動をはじめれば、よく百万の軍中を飛び交(か)い、来(きた)るときは矢の如く、去るときは風の如く、さてこそ仙家が剣を飛ばせ妖を斬るは百発百中というわけなのであります。」



第三回より:

「さて、もろもろの虫・獣はいろいろと変化のことが多いものでして、たとえば黒魚の漢(おとこ)、白螺(ら)の美人とか、また虎は僧となり嫗(おうな)となり、牛は王と称し、豹(ひょう)は将軍と称し、犬は主人となり、鹿(しか)は道士となり、狼(おおかみ)は小児となる。これらは他の小説に見えており、数えきれぬほどでございます。とりわけ猿と猴(こう)の二種は、最も霊性がありますが、何と申しましても、妖となり怪をなすことの多いのは、狐にかなうものはありませぬ。この狐というもの、生まれつき口鋭く鼻尖り、頭は小さく尾は大、毛は黄色です。もっとも玄(くろ)狐白(しろ)狐というのがありますが、これは寿(よわい)永くして毛色の変わったものでございます。『玄中記』というご本を見ますと、「狐は五十歳にしてよく変化して人となり、百歳にしてよく千里の外の事を知る。千歳にしては天と相通じ、人も制する能(あた)わず。名づけて天狐という。性よく蠱惑(こわく)し、変幻万端なり」とございます。」
「さて皆さま、わたくし、これよりこの狐媚の二字を講釈つかまつります。およそ牝(めす)の狐が男子を誘惑しようとするときは、美貌の婦人に化けまする。また牡(おす)の狐が婦人を誘惑しようとするときは、美貌の男子に化けます。これらはみな人間の陰精陽血を採って、修煉を完成する助けとするものです。ではどのような手で化けるかと申しますれば、生まれつき不思議な術を心得ておりまして、たとえば牝狐が婦人に変ずるときには、婦人のされこうべを用い、牡狐が男子に変ずるときには、男子のされこうべを用い、これを頭にかぶりまして、月に向かって拝するのです。もしも、化けてはならぬときには、そのされこうべはコロコロところがり落ちてしまいますが、もし、しっかりと頭上についておりまして、七七四十九拝を拝みおえますと、たちまち男女の姿に変わります。そこで木の葉や花弁をとって身をおおえば、五色の真新しい衣服となります。人々はその美しい容貌と華(はな)やかな衣裳(いしょう)を見、そのうえ、それが言葉巧みに近づいてまいりますので、フラフラにならない者とてはございません。(中略)それで狐媚と申すのです。それどころか、僧に逢えば仏となり、道士に逢えば仙人と称し、人を欺いて礼拝供養させまする。それで唐のころには狐神というものがあり、戸ごとに祭って怠らなかったといいます。当時の諺(ことわざ)に『狐がいなければ村はなりたたぬ』と申し、これは五代の時のことですが、その種(たね)は今にいたるも絶えてはおりませぬ。」

「とある日、銭氏が朝起きて身づくろいをしますと、髻(まげ)にさす銀の簪(かんざし)が見えません。着物・籠・箱・化粧箱・夜具など、いたるところ捜しましたが見えません。壁の根元に鼠(ねずみ)の穴がありましたので、明りをつけて何べんも照らしてみましたが、それらしい影もありませぬ。昼になってご飯が炊(た)きあがり、蓋をとってみますと、その簪はきちんと釜(かま)のまん中につきささっておりました。抜きとってみればあら不思議、やけどもしかねない釜の中にありながら、簪ばかりは冷たいのです。銭氏は言っても夫が信じまいと思い、黙っておりました。またある日、朝起きて寝台を下り、ぬいとりをした靴をはこうとしますと、片方がありません。趙壱、
 「おおかた猫(ねこ)でもくわえて行ったのだろう。ほかのをはいていたらいい」
 その日、趙壱は出かけると間もなくもどってまいりまして、袖から刺繡(ししゅう)をした靴を一つとり出し、銭氏に見せました。
 「おまえのじゃないかな」
 「そうです。どこで拾って来ました」
 「半里(みち)ほど先のざくろの木に懸かっていたが、不思議なことではないか」
 銭氏はそこではじめて銀の簪の一件を、夫に告げますと、趙壱、
 「これはきっと野山の妖精のしわざだ。諺にも、怪しいものを見ても怪しいと思わなければ自然に消え失せる、という。とりあわないのがいい」
 これより趙家には不思議が絶えませんでしたが、別に損傷はありません。夫婦二人はどうすることもできず、構わずにおきました。後になると慣れてしまい、いよいよ気にとめなくなりました。」



第五回より:

「もともと三人は狐の精でございます。飢えては花や実を食べ、渇しては水を飲み、夜は深い林や茂った草の中で眠るのですから、途中で幾日か暇どってもたいしたことではありません。これが人間でしたら、外へ出ればやたらに金がかかり、たとい昼間の一杯の粥(かゆ)、夜の一枚のござ(引用者注:「ござ」に傍点)にしろ、懐に何文かの銭がなければ手にはいりません。こうなりますと、かえって畜生の方が便利でございます。
 さて三匹の狐の精、数日の旅を重ねましたが、さいわい好い天気がつづきました。ある日たちまち大風が吹きだし、濃い雲がひろがると、春の雪が降りだしました。もともとこの雪と申しますもの、いくつかの名前がございます。一片のものは蜂児(ほうじ)、二片のものは鵝毛(がもう)、三片のものは攅(さん)三、四片のものは聚(しゅう)四、五片のものは梅花、六片のものは六出と呼ばれまする。この雪というものはもともと陰の気の凝結したものですから、六出は陰の数に応じております。立春以後になりますと、みな梅花の雑片で、六出はさらにございません。」



第七回より:

「ある日、州内のある家から法要に呼ばれましたので、慈長老、思案いたしました。
 ――身につける衣を、かれこれひと月も洗濯(せんたく)していない。さりとて着換えもない。ひとつ湯を沸かして洗うことにしよう。
 桶(おけ)を持ち、寺の前の淵(ふち)へ水を汲みにいきます。見ると、丸いものが水面を浮きつ沈みつしておりましたが、みるみる押し流されて桶の近くまでくると、慈長老が水を汲む拍子に、ポトンと桶の中へころがりこみました。長老は卵の殻だとおもい、すくいあげて見ると、まるのままの卵で、鵝鳥(がちょう)の卵のようです。」
「卵を日光に照らして見ますと、内側は充満して、種があります。急いで朱大伯の家をたずね、鶏の巣の中へ置いてもらい、もし鵝鳥が孵ったらおまえさんにやる、と言いましたので、朱大伯も承知いたしました。ところが大変、めんどりに抱かせて七日目に、朱大伯が餌(えさ)をやりにいきますと、めんどりは傍(かたわら)に死んでおり、身の丈(たけ)六、七寸の子供がその卵の殻を破って生まれ出(い)で、巣の中に坐っております。ほかの鶏の卵はみな空(から)になり、ひと山に積んであります。」
「慈長老、この話を聞いては、返す言葉もありません。是非なく墨染めの衣(ころも)を脱ぎ、巣ごと包んで寺へ持ちかえります。そして弟子たちにも告げずに、そのまま後ろの菜園へいき、鋤(すき)で土塀(どべい)の一隅の地面を掘りおこすと、鶏の巣をその子供の棺桶として、深く深く埋めてしまいました。」



第八回より:

「この蛋子和尚は、人が自分のことを、卵の殻から生まれたというのを聞き、自分でも不思議なことだ、きっと凡人ではないと思いました。そして、この世の中で天地を驚かすほどの事業をやりたいものだと考えます。僧たちは陰でかれのことを、畜生の種だとか、野良和尚だとか、鶏が孵(かえ)したとか、犬が産んだとか言うので、心中おだやかならず、寺を出て天下を雲遊したいと、いつも考えておりました。」


第十四回より:

「張鸞はある晩、月光が昼の如く輝いておりますので園中を散歩しておりました。突然、黒雲が月をおおい、一陣の怪風が西の方から吹いてまいりました。張鸞、
 「はて面妖(めんよう)な。いったいどんな神が通るのじゃろうな」
 風鎮(しず)めの印を結び、眼をすえて見ると、やがて風が過ぎたあと、雲は開け月は明るくなりましたが、にわかに物音がして空中から一人の娘が降ってきました。」
「かの娘こそは別人にあらず、まさしく胡媚児(こびじ)――かの小さな狐の妖精でありました。」



第十六回より:

「胡員外はまっすぐに書院へ来ますと、風除(よ)けの門を開(あ)けて内にはいります。当直の者に、
 「おまえたちは出て、外で控えておるように」
 と言いつけます。身をかえして風除けの門をしめてしまうと、あかりを点じます。壁炉の湯沸しの湯が煮えたぎったので、員外は上等の竜団餅をとって、湯沸しにいれます。一炉の香を焚き、二本の蠟燭を点じて、矢筈をとり画を掛けて見ますと、まったく零(こぼ)れ落ちんばかりの妖(なまめ)かしい美人です。員外は咳払いを一つして、卓を三度たたきました。たちまち卓のあたりから微(かす)かに一陣の風が起こりました。」
「風が過ぎれば、かの画中の美人はありありとひと跳(は)ねして卓の上に、またひと跳ねして地の上に降りました。」
「その女は員外の方をうかがって、丁重に、
 「ご免くださいませ」
 と挨拶します。員外はあわてて礼を返し、壁炉の湯沸しから一杯の茶を注ぐと、その女にわたし、自分も一杯注いでいっしょに飲みました。茶を飲み終えて茶碗(わん)と茶托(たく)を台の上へもどしますと、まだ何とも話をしないのに、かの女は一陣の風とともに元の如く画の中にはいってしまいました。員外はご満悦にて、
 「なるほどこの画は霊験のあるものあ。いまは最初だから、ひきとめなくてよかった。この次にゆっくり話をしても遅くはない」
 そこで画軸を自分で巻き、当直の者を呼んで道具をとりかたづけさせますと、寝室に帰って眠りました。」



第十八回より:

「さて蛋子(たんし)和尚は水を噴いて河をつくり、瘸児(かじ)は椰子(やし)の杓(ひしゃく)を投じて一葉の扁舟(へんしゅう)とし、県知事に同乗するよう勧めます。県知事がその舟を見ますと、(中略)大勢で乗れそうにもありませんので、再三ことわって、承知しません。(中略)三人は県知事に向かい手を拱(こまぬ)いて礼を述べます。張鸞が鼈甲(べっこう)のうちわを立てるとそれは帆となり、長嘯(ちょうしょう)一声、飛ぶが如くに走り去りました。またたく間に舟も水も見えなくなり、堂の下、階(きざはし)の前は元のとおりの光景にかえりました。県知事は驚きのあまり呆然として、一場の怪夢を見たかの如くです。」


第二十一回より:

「見ると永児はその広い空地で、小さな腰掛けに坐り、前には水のはいった一つの茶碗を置き、手には赤い葫蘆(ふくべ)を持っております。員外はひそかに考えました。
 ――どこを捜してもいないと思ったら、こんなところで、何をしているのだろう。
 驚かしてはいけないと思って、立ちどまったまま、何をするか見ております。すると永児はその赤い葫蘆の栓(せん)をぬき、傾けると、二百粒ばかりの赤小豆(あずき)と、ずたずたに切りきざんだわらとが地上に出ました。そして口中に呪文を唱え、水をひと口ふくんでプッと噴き、
 「カッ!」
 と叫ぶと、たちまち三尺ほどの人や馬に変わりました。ことごとく赤い兜(かぶと)・赤い鎧(よろい)・赤い袍(ほう)・赤い紐・赤い旗・赤いラッパで、赤馬が地上をぐるぐると駆けめぐり、一個の陣を布(し)きました。」
「こんどは白い葫蘆の栓をぬいてそれを傾け、二百粒ほどの白い豆と、ズタズタに切ったわらを地面にあけました。そして口中で呪文を唱え、水を含んでプッと噴き、
 「カッ!」
 と叫ぶと、みな三尺ばかりの人や馬に変じました。いずれも白い兜・白い鎧・白い袍・白い紐・白い旗・白いラッパで、白馬は銀牆(しょう)鉄壁のごとく陣を布きました。この薪置場はたいした広さでもないのに、四百あまりの人馬を収容し、二つの陣を布き、なお戦場の空地があって、少しも狭い感じがしません。員外は眼がちらついて、まるで夢の中に見る光景のような気がしました。」



第二十六回より:

「道士は懐(ふところ)から一枚の紙を取り出して、鋏(はさみ)でそれをまん丸い月の形に切り、その上に酒をたらすと、
 「昇れ!」
 と叫びます。見る見る紙の月は空へと吹き上げられていきます。三人がいっせいに、
 「すばらしい!」
 と喝采(かっさい)する間に、二つの月が空に浮かんでおりました。」
「道士、
 「拙者のあの明月の顔を立てて、どうか一杯やってくだされ」
 そこで四人はまた酒を飲みました。」
「さて鄭州におきましては、上は知事より下は庶民に至るまで、城の内外の住民は大騒ぎをいたし、みな天上の二輪の明月を眺めました。」



第二十九回より:

「ちょうどその酒宴の際、ふとその四望亭の柱の上で大きな音がしましたので、太尉から家来の者までことごとく吃驚(びっくり)しました。見れば誰か知らないが、弾丸をこの庭園に打ちこんだのです。」
「皆が騒いでおりますと、その弾丸は亭の地上をピョンピョンと何度か跳ね、糸巻きのようにクルクルと千百回も回りました。太尉、
 「どうも不思議じゃわい」
 すると、パン! と、大きな音がして、弾丸から一人の小さな人間が飛び出しました。はじめは小さかった体が、風に吹かれるとだんだんに大きくなって、身の丈六尺ばかりの和尚にかわり、身には烈火の袈裟(けさ)をまとい、耳には金の環を下げております。」

「杜七聖、
 「俺はこの東京にいるから、見物衆のうち何人かは一年のうちに見ておられる方もあろう、また見ていないお方もあろう。俺のこの法術は祖師から伝授されたもので、(中略)俺の息子を縁台に寝かせ、刀で首を斬り、この布をかぶせておけば、元どおりに首がつながる。ところでお立合いの衆、まず俺に、この百枚のお札を売らせて欲しい。それから法術をご覧に入れよう。このお札は一枚がたった五文だ」
 ドラを打ち鳴らしますと、見物人はたちまち身動きできないくらい――およそ二、三百人も集まりましたが、札は四十枚しか捌(さば)けません。杜七聖は札が売れないので腹を立て、大勢の人に向かい、
 「皆さん方の中に腕に覚えのある方があればお出合いくだされ」
 三べんたずね、さらに三べんたずねましたが、出て来る者はありません。杜七聖、
 「俺のこの法術は、子供を台の上に寝かせ、法をつかって呪文を唱えると眠ったようになってしまう」
 ちょうどいま法術を施そうとした時、残念ながら人群れの中におりました一人の和尚が、この法術に通じておりました。和尚は杜七聖の大言壮語を聞くと、先に呪文を唱えて、
 「カッ!」
 と言い、その子供の魂を取り収めて衣の袖に入れ、向かい側にある一軒のそば屋を見つけますと、
 「ちょうど腹がすいてる。まず、そばでも食って来て、それから子供の魂を返してやっても遅くはあるまい」
 和尚はそば屋の二階に上がりますと、街に面した窓ぎわに坐り、杜七聖の方を眺めております。給仕が来て箸を置き、漬(つけ)物をならべ、注文をきいて階下へ下りました。和尚は子供の魂を取り出し、小皿で蓋(ふた)をすると、食卓の片隅に置き、そばの来るのを待っておりました。」
「さて、一方、杜七聖は呪文を唱え、刀を取ると、その子供の首を斬り落としました。見物人はますます増(ふ)えてきます。杜七聖は刀を置くと、蒲団(ふとん)をかぶせ、お札をかかげて、その子供の上でぐるぐる回し、呪文を唱えますと、
 「おのおの方、気を悪くしてはいけない。俺はいつも独(ひと)り舞台だ。さあ、この舟が出たら、次の舟はないんだぜ。俺のこの秘術で、百枚のお札を売るんだ」
 両手で蒲団をあけてみると、子供の首はつながっていません。見物人はワーッと騒いで、
 「いつもは蒲団をあけると、あの子供はすぐ跳(と)び起きるのだ。きょうは首がつながらぬ。失敗したのだ」
 杜七聖はあわてて再び蒲団をしっかり覆(かぶ)せ、いい加減なことを言って見物人をごまかしながら、
 「皆さん、容易(たやす)いものです。今度はかならずつながります」
 再び歯をたたき、法を使い、呪文を唱え、蒲団をあげてみると、またもや首はつながれておりません。杜七聖はあわててしまい、見物人に向かって、口上を述べます。
 「さてこそお立合いの衆、世すぎの道はちがうとも、一家を養うつとめは同じ、と申しますのも、誰もが暮らしに追われていればこそでございます。さきほど、言葉が至りませなんだ段は、皆さん、ひとえにお許しのほどを。こんどこそ頭を接(つ)がせていただきまして、あとで一杯やらせてもらいたいものです。四海の内は、みな相識でありまする」
 杜七聖はさらに平あやまりにあやまって、
 「わたしが悪うございました。今度は接いでご覧に入れます」
 口の中でひたすら呪文を唱え、蒲団をかかげて見ますと、またもやつながっておりません。杜七聖は焦立(いらだ)って、
 「おまえは俺の子の首を、つながらないようにしている。俺はおまえに願って、何度も自分が悪かったと詫び、許しを求めた。それだのにおまえは、いつまでも、そんなに酷(ひど)いことをする」
 後ろの籠から一つの紙包みを取り出し、それを開(あ)けると、一粒のひょうたん(引用者注:「ひょうたん」に傍点、以下同)の種子をつまみ出しました。そして地面を掘って軟(やわ)らかにすると、そのひょうたんの種子を地に埋め、口の中で何やら呪文を唱え、水を吹きかけて、
 「カッ!」
 と叫びました。あら不思議、みるみる地中から一本の蔓(つる)が伸びて、次第に大きくなり、枝葉を生じ、やがて花が咲き、花が落ちて、一つの小さなひょうたんの実がなりました。大勢の人はそれを見ると、口々に喝采(かっさい)します。杜七聖はそのひょうたんを摘みとって、左手で提(さ)げ、右手に刀を持ち、
 「きさまは先刻、酷(ひど)いことをやった。俺の子供の魂を収め、首を接(つ)げないようにしたな。きさまも生かしてはおかぬぞ!」
 ひょうたん目がけて、そのくびれのあたりを一刀、まっ二つに斬り落としました。

 さてかの和尚はそば屋の二階で、どんぶりを手に持ち、食べようとしますと、不意にその和尚の首が胴体からコロコロところがり落ちましたので、二階でそばを食べていた大勢の人は吃驚(びっくり)しました。気の小さい者はそばを放(ほう)りだして階下へ駆けおりて行き、大胆な者は棒立ちになって見ております。するとその和尚はあわてて碗と箸を下におき、立ち上がると床板の上を手探りでさがします。さがし当てると両手で耳をつかまえ、その首をもちあげて胴体の上にあてがい、きちんとのせると、手で撫(な)でました。和尚、
 「わしはそばを食うのに気をとられて、あの子の魂を返してやるのを忘れていた」
 手を伸ばして小皿をあけました。こちらで小皿をあけた途端、向こうの杜七聖の子供が早くも跳び起きたので、見物人は喊(かん)声をあげました。」



第三十回より:

「さて温(おん)殿直は捕吏の一行を連れて、そば屋へ踏みこみます。そこへ和尚(おしょう)が二階から下りて来ましたので、温殿直はすぐ鉄鞭(べん)を振るい、捕(と)り手たちにその和尚を捕えさせます。和尚はつかまえに来た人を見ると、手でちょっと指さしました。不思議や、帳場の主人も、客をもてなしていた小僧も、店でそばを食べていた大勢の客も、ことごとく和尚に変じました。温殿直と捕り手たちも和尚になってしまいました。人々は顔を見合わせ呆然(ぼうぜん)としております。捕り手はあたりを見回しても誰を捕えてよいかわかりません。そば屋の中は大騒ぎになり、客はみな散ってしまいました。温殿直が、そば屋の亭主と残った人々を見ますと元どおりの顔になっています。店内を見回しても和尚の姿は見えません。温殿直はすぐに捕り手たちに手分けして追跡させます。」


第三十一回より:

「もともと相国寺には三つの不思議なものがございます。仏殿上の井戸は深さが三十丈もあり、頭髪で作った縄に黒漆のつるべを用いますが、このつるべには朱で、
 ――大相国寺公用
 と、したためられております。ある日、縄がきれて、つるべの行方(ゆくえ)がわからなくなりました。その後、航海から帰った人が相国寺にまいりまして言うには、
 ――自分が東洋の大海を航海していた時、海面に一つのつるべが浮かんでいるのを見た。水夫が拾いあげて見ると、朱で「大相国寺公用」と書いてある。それに見入っている時、風波がはげしくなり、ほとんど船が転覆しそうになったが、その場でつるべを送りとどける願をかけると、風波はすぐにおさまった。それでつるべをお返しし、願ほどきに来た、と。
 そこで初めてその井戸が、東洋の大海に通じていることがわかったのでございます。
 次に、相国寺の門前には一つの橋があり、延安橋と呼ばれます。橋の上から寺を見ますとまるで井戸の中にあるような気がいたしますが、仏殿の上からその橋を見ますと、寺の地盤よりもさらに十数丈も低いのです。またこの旗竿は銅で鋳造したもので、切ることもできず、鋸(のこぎり)でひくこともできません。これらが三不思議となっております。」




平妖伝 02



平妖伝 03



平妖伝 04



平妖伝 06



平妖伝 05



平妖伝 07









こちらもご参照ください:

『完訳 水滸伝 (一)』 吉川幸次郎・清水茂 訳 (岩波文庫)
呉承恩 作/小野忍 訳 『西遊記 (一)』 (岩波文庫)
孟元老 『東京夢華録 ― 宋代の都市と生活』 入矢義高・梅原郁 訳注
岡本綺堂 『中国怪奇小説集 新装版』 (光文社時代小説文庫)












































『堤中納言物語 付 現代語訳』 山岸徳平 訳注 (角川文庫)

「思ひとけば、物なむ恥づかしからぬ。人は夢幻(ゆめまぼろし)のやうなる世に、誰かとまりて、悪しきことをも見、善きをも思ふべき」
(「虫愛づる姫君」 より)


『堤中納言物語 
付 現代語訳』 
山岸徳平 訳注
 
角川文庫 2201/黄 二三 1 


角川書店 
昭和38年12月20日 初版発行
昭和57年8月10日 23版発行
264p 
文庫判 並装 カバー
定価380円
カバー: 栃折久美子



本書「凡例」より:

「本書は、十冊本になっている桂宮御本二本の中の一本を底本に用いた。しかし、桂宮本のままの複刻ではない。復原的な意味の批判と校正を加えたものである。」
「この物語を構成する十篇の各篇の成立は、おのおの異なるので、各篇の篇首に要旨、題名の由来、成立、作者について略述しておいた。」
「脚注は、解読に便なるように、能うかぎりしるしたが、(中略)出典・語義・用例などに関する詳細は省略した。」
「現代語訳は、それぞれの場面における心理状態や、言葉の省略、すなわち、省筆の部分や背景になるような点で、表現層の理解を深め、鑑賞を豊かにするに必要と思った事柄は、なるべく括弧に囲んで記載した。」




『竹取物語』と本書所収「虫愛づる姫君」は、本邦変わり者文学の双璧ではなかろうか。



堤中納言物語 01



カバーそで文:

「「花桜折る少将」ほか10篇の清新な短篇小説を集めたもので、同時代の宮廷女流文学には見られない特異な人間像、尖鋭な笑いと皮肉をまじえて描いた近代文学的作風は単に世界最古の短篇小説集というだけでなく、文学史上きわめて高く評価される。各篇の初めにそれぞれのあらすじ・作者・年代・成立事情・題名について解説する。」


目次:

凡例

堤中納言物語
 花桜折る中将
 このついで
 虫愛づる姫君
 ほどほどの懸想
 逢坂越えぬ権中納言
 貝合
 思はぬ方にとまりする少将
 花々のをんな子
 はい墨
 よしなしごと

現代語訳

解説
索引




堤中納言物語 02



◆本書より◆


「花桜折る中将」:

「あらすじ」より:

「夜深く女の家を出て帰途についた主人公の中将は、とある桜花の咲きにおう荒れた邸で物詣でに出かけようとする美しい姫君をかいま見る。あとで出入りの者に聞くと、故源中納言の女で入内も近いという。その前に姫を盗み出そうと、姫の家の女童としめしあわせてある夜ふけに姫のもとに行く。姫君と思ってほの暗い母屋に小さくなっている女を車にのせてつれ帰ったが、意外にもその人は、それとなく心配して姫のそばに、護衛のために寝ていた姫君の祖母の尼であったという筋。」

本文より:

「月にはかられて、夜(よ)深く起きにけるも、思ふらむ所(脚注:「女が(中将を)思っているかもしれないこと。冷淡だとか、物足りないとか。」)いとほしけれど、立ち帰らむも遠きほどなれば、やうやう行くに、小家(こいへ)(脚注:「粗末な家。庶民の家。」)などに例音(れいおと)なふもの(脚注:「いつも音をたてている朝の支度の物音や人声。」)も聞えず。隈(くま)なき月に、ところどころの花の木どもも、ひとつにまがひぬべく(脚注:「入りまじって見分けがたいさま。」)霞みたり。」

現代語訳より:

「(あまりに)明るい月の光にだまされたので、(もう朝になったのかと思い、家に帰るために)中将はまだ夜中のうちに(女の許を)起き出してしまったのであったが、それにつけても、(中将が帰ってゆくのに対して、女が、つらいとか物足りないとか)いろいろに物を思っているであろう、それをいじらしく思うけれど、そうかといって、女の許へ(もう一度)帰るにしては遠い道のりなので、(中将は)そのままだんだんと家路をさしてゆく。けれども(途中の)小さな家などで、いつも朝帰りの際には聞える人声や物音なども、今朝は(時刻が早すぎるのか)何も聞こえない。明るくかげりのない月の光に、あちらこちらの、花の咲いているたくさんの桜の木など、他のどの木も皆同じで、(まったく)一様に見違えてしまいそうに霞んでいる。」


「このついで」より:

「あらすじ」より:

「春雨のしとしとと降る昼間、つれづれを慰め申そうと中宮の御前で薫物がたき始められる。その香を聞かれるついでに、中将の君以下の三人が、それぞれ見聞した話をする。最初は、中将の君の聞いたという、あわれに愛情のこまやかな話。つぎは、中納言の君が去年の秋、清水寺に参籠したときに出会った事実談。そのつぎは、少将の君が東山辺に修行している祖母に、かつてついていっていたときに偶然に見た事実談である。どれも春雨のように、寂しく、あわれに、しめやかな物語であった。(中略)しかも三つの話はどれも和歌が焦点になっている。この点からすれば、三つの歌物語の集合なのである。」

本文より:

「「去年(こぞ)の秋のころばかりに、清水(脚注:「清水寺。中の院か坊かに参り、日限をきって籠る。」)に籠りて侍りしに、傍に、屏風ばかりを、物はかなげに立てたる局(つぼね)の、にほひいとをかしう、人ずくななるけはひして、折々うち泣くけはひなどしつつ行ふを(脚注:「「聞き侍り」にかかる。仏道の修行に、観音経などを読んでいるのであろう。」)、誰ならむと聞き侍りしに、明日(あす)出でなむとての夕つ方(脚注:「満願の日が来たので明日は下向する。」)、風いと荒らかに吹きて、木(こ)の葉ほろほろと、滝のかたざまに(脚注:「音羽山から出て来ている音羽の滝。滝の方向に。」:)くづれ、色濃き紅葉(もみぢ)など、局の前には隙(ひま)なく散り敷きたるを、この中隔(なかへだて)の屏風のつらによりて、ここにも(脚注:「自分も(傍の修行者も)。」)、ながめ侍りしかば、いとしのびやかに、

  『いとふ身はつれなきものを(脚注:「世を嫌い、早く死にたい身なのに、心の思いにかかわりなく生きながらえている。」)憂(う)きことも
     あらし(脚注:「「嵐」と「あらじ」(あるまい)を掛けている。」)に散れる木の葉なりけり
風の前なる(脚注:「日を経つつわれ何事を思はまし風の前なる木の葉なりせば」(『和泉式部続集』下)「厭へども消えぬ身ぞ憂き羨し風の前なる宵のともし火」(同集上)などによるか。」)』

と、聞ゆべきほどにもなく(脚注:「あまりよく聞こえるほどでもないが。」)、聞きつけて侍りしほどの、まことに、いとあはれにおぼえ侍りながら、さすがにふと答(いら)へにくく、つつましくて(脚注:「遠慮せられて。」)こそ止み侍りしか」」


現代語訳より:

「「去年の秋のころに、清水(きよみず)に参籠致しておりました。その折、(私の局(つぼね)の)側に、屏風ばかりを申しわけ程度に、仕切りの役にもたたないように立ててある局で、たいている薫物の匂いもたいそう趣があって奥ゆかしく、人数も少ない様子で、ときどき泣いている気配などがしながら(観音経など読んで)お勤めしているのを、いったい誰だろうと思って聞いておりました。そのうちに(私は、満願になったので)明日は下向(げこう)してしまおうと思っていたその夕方に、風が非常に荒々しく吹き、木の葉がはらはらと滝のほうへ乱れ散り、色の濃(こ)い紅葉などが、局の前には隙間もないほどに散り敷いているのを、この局の、隣の局との仕切りになっている屏風のそばに近寄って、私もじっと物思いにふけりながらながめておりました。すると、たいへんひそやかに耳立たぬようにして、(隣の修行者のほうで)
   この憂き世を、つくづくいやに思って、捨てたいと願うわが身は、なんの変わりもなく生き長らえているのに、なんのつらいこともあるまいと思う木の葉が、嵐に散ってゆくのであるよ。
   (まったく木の葉とわが身を取りかえたいと思う)風のともし火がうらやましい。
と、よく聞きとれないくらいに低く言ったのを聞きつけました。その先方の調子が、ほんとうに、たいそう身にしみてかわいそうに思われました。が、そうはいうものの、やっぱりすぐには返歌もしにくく、いかにも恥ずかしく遠慮されたので、(そのまま)何もいわずにやめました」」



「虫愛づる姫君」より:

「あらすじ」より:

「当時の女子の風習である、眉をぬいたり、お歯黒もつけない、年ごろの女性としての身だしなみもせず、朝夕、毛虫などばかりを好んで飼う異常な性格の姫君を描く一篇。在来の人物がもたない型を示し、特異な作品である。」

本文より:

「この姫君の、の給ふ事、
 「人々の、花や蝶やと愛(め)づるこそ、はかなく(脚注:「つまらぬ、考えが浅い。」)あやしけれ。人は、実(じつ)あり、本地(ほんぢ)尋ねたるこそ(脚注:「物の本質を、さかのぼり究めたのこそ。本体を求めないでただ化現の蝶や花だけを愛するのは、誠実な心のないものである。」)、心ばへをかしけれ」
とて、万(よろづ)の虫の、恐(おそろ)しげなるを取りあつめて、
 「これが、成らむさまを(脚注:「変化するならその様子を。「む」は仮定。」)見む」
とて、さまざまなる籠箱(こばこ)(脚注:「底だけが板で三方に紗または絽を張った箱。」)どもに入れさせ給ふ。中にも、
 「烏毛虫(かはむし)(脚注:「毛虫の別名。」)の、心深き(脚注:「意味深い。ここは、毛虫の毛深く太いのを趣あるごとくいう。」)さましたるこそ心にくけれ」
とて、明け暮れ耳はさみ(脚注:「額髪を正しく下げず耳に挾む。働く女の風情。」)をして、籠(こ)のうちにうつぶせて(脚注:「毛虫をうつむきにまげて。」)まぼり(脚注:「見守る。じっと見つめる。」)給ふ。」


現代語訳より:

「この姫君のおっしゃることには、
 「(世間の)人々が、花だの蝶だのと、もてはやし愛するのは、いかにも無意味なばからしいことだ。人間というものは、誠実の心があって、物の本体を追究しているのが、いかにも心だてが趣もあり、興味もある」
と言って、いろいろと、たくさんの虫の、恐ろしそうなのをお集めになり、
 「この虫が、どうなるか、もし変化するとしたら、その変化の様子を見ようと思う」と言って、(大きさや、形の)さまざまな籠箱などにお入れになり飼っていらっしゃる。その中でも、
 「毛虫の、浅はかでなく、考え深そうな様子をしたものが、特に奥ゆかしい」
などと言って、(平素は身だしなみもせず)朝に夕に、額髪を耳に挾んで、(毛虫を)籠の仲にうつ伏せて、じっとお見つめなさる。」



「ほどほどの懸想」より:

「あらすじ」より:

「賀茂祭のころ、頭の中将の小舎人童が故式部卿に仕える女童と恋をする。その縁から頭の中将に仕える家人と姫に仕える女房、さらに頭の中将と姫君の恋へと発展する、主従三つの階層の恋愛相を描いた点に注目される。最上層の頭の中将には、性格の弱い決断の乏しい男性が描かれている。」


「逢坂越えぬ権中納言」より:

「あらすじ」より:

「中納言には、ひそかに心を寄せる姫君があった。花橘の咲き匂うころ、その思いはさらに切なるものがあった。悩ましい五月三日の夜、宮中の管絃のお遊びに呼ばれてもの憂いながら出席し、その後に中宮の御所のほうに立ち寄ると、明後五日は菖蒲の根合だとて、女房たちが大騒ぎをしている。とうとう右の味方にとられてしまう。中納言はさして気乗りもしないようだったが、当日の根合にも歌合にも、右方はかれのおかげで勝った。
 やがて暑い六月が来た。十五日前後の月夜に、中納言は思い余って姫君を訪れ、宰相の君という侍女を通じて意中を訴え、対面を求めるが、姫君は「気分がすぐれない」と断る。ところが、宰相の君がその旨を伝えに外へ出るのと入れ違いに、中納言は姫君の声をたよりに忍び込んでしまった。そしていろいろとくどいたが、姫君はとうとう中納言の意に従わない。結局は逢坂を越えずに――思いもとげられずに、明けて行く様子に促されて中納言はむなしく帰って行った。」



「貝合」より:

「あらすじ」より:

「九月の有明月に誘われて浮かれ歩いていた蔵人少将は、とある邸をのぞき見し、仕えている少女から、主人の姫君とその腹違いの姉らしい東の姫君とが貝合をすると聞く。そこで味方をする約束で姫君の姿を見せてもらう。隠れ場所からのぞくと、家の中では、十二、三歳のまことに美しい姫君を囲んで、大勢の少女たちが騒いでいる。相手方は準備万端ととのえたというのに、こちらは十歳ぐらいの弟が相談役なのでたいそう心細い。そこへ相手の姫君が様子を偵察に現われるが、容貌といい、着物の趣味、着こなしといい、はるかに劣る上に態度が小面憎いので、少将は主人の姫君に同情し、勝たせてやりたくなる。少女たちは主人の勝利を祈念し、思わず口ずさんだ少将の歌を聞きつけて「観音のお告げだ」と喜ぶ。翌日、少将はりっぱな洲浜に小箱をはめて、美しいいろいろの貝を入れ、そっと南の高欄に置かせた。まもなく少女たちは洲浜を見つけ、「観音さまのお助けだ」と狂喜する。無邪気なその様子を、少将は隠れ場所から興味深くながめていた。」

本文より:

「「何わざするならむ」とゆかしくて(脚注:「知りたくて。見たくて。」)、人目見はかりて、やをら(脚注:「「やはら」で、徐々に。こっそりと。そっと。」)、はひ入りて、いみじく繁き薄の中に立てるに、八九(やつここのつ)ばかりなる女子(をんなご)の(脚注:「「……着たる」にかかる。「の」は指定格の助詞。」)、いとをかしげなる薄色の袙(あこめ)・紅梅などしだれ着たる(脚注:「下着の袙は薄紫色、上着は紅梅色の汗衫。子供だから襲の色目のとは違う。」)、小さき貝を瑠璃(るり)の壺(脚注:「紺色の光沢ある焼物の壺。」)に入れて、あなたより走る様のあわただしげなるを、「をかし」と見給ふに、直衣(なほし)の袖を見て(脚注:「薄の繁みの間からはみ出しているのを見つけて。「直衣」は貴族の平常着。」)、「ここに、人こそあれ」と何心もなくいふに、侘しく(脚注:「当惑した様子。困った状態。」)なりて、
 「あなかまよ(脚注:「あなかまびすし」の意。静かにしなさいよ。ああ、やかましいよ。」)。聞ゆべきことありて、いと忍びて参り来たる人。そと寄り給へ」
といへば、
 「明日の事思ひ侍るに。今より暇(いとま)なくて、そそき侍るぞ(脚注:「そそき→そそく、で落ちつかないこと。どうも忙しくて落ちつかないのでございますよ。」)」
と、さへづりかけて、往(い)ぬべく見ゆめり。

 をかしければ(脚注:「子供のくせに「暇なくて」などというから。」)、
 「何事の、さ、いそがしくは思(おぼ)さるるぞ(脚注:「「思す」は尊敬語。「る」は自然的可能の助動詞で「思さる」となった。」)。まろをだに『思はむ(脚注:「たよりに思う。赤の他人でもかまわずに。」)』とあらば、いみじうをかしき事も加へてむかし(脚注:「援助しよう。きっと加えようと思うの意。」)」
と言へば、名残なく立ちとまりて、
 「この姫君、上、外(と)の御方の姫君と(脚注:「母上が、外(違う)の御方の姫君、すなわち異母姉妹の姫君と。」)、『貝合(かひあはせ)せさせ給はむ(脚注:「女童が姫君の言葉を間接に言ったので敬語を用いた。」)』とて、月ごろいみじく集めさせ給ふに、あなたの御方は、大輔(たいふ)の君・侍従の君と、『貝合(かひあはせ)させ給はむ』とて、いみじく(脚注:「たいそう大げさに吹聴して。」)求めさせ給ふなり。まろが御前は、唯、若君一所(ひとところ)にて(脚注:「姫君の弟君。後に「十ばかりなる男の……」と見える。力になるのはこの弟一人である。」)、いみじく理(わり)なくおぼゆれば、只今も『姉君の御許に人遣らむ(脚注:「姉君は同腹の姉。「貝を心配してほしい」という使者である。「人」は「誰か」の意。この使者の役を女童が命ぜられたのである。」)』とて。罷(まか)りなむ」
と言へば、
 「その姫君たちの、うちとけ給ひたらむ、格子(かうし)(脚注:「格子は細長い四角の木を四つ目に組んだ戸で、寝殿の柱と柱の間などに用いた。外部との境のものは格子に板をうって、蔀格子といった。」)のはざまなどにて、見せ給へ」
といへば、
 「人に語り給はば(脚注:「たいへん迷惑する、の気持ち。」)。母もこそのたまへ」
とおづれば、
 「物ぐるほし(脚注:「ばかげている。狂っている状態。そんな心配をするのは。」)。まろは、更に物言はぬ人ぞよ。唯、『人に(脚注:「「人」は具体的な事物を特に漠然と抽象的にいう時に用いる。人・物・事など。」)勝たせ奉らむ勝たせ奉らじ』は、心ぞよ(脚注:「万事、少将の胸一つで、勝ちも負けもする。私の心持ち一つであるぞ。」)。いかなるにか(脚注:「女童の気持ちは、と問うた。」)。いと、物けぢかく(脚注:「姫の近くへ案内せよ。」)」
とのたまへば、万(よろづ)もおぼえで、
 「さらば帰り給ふなよ。かくれ(脚注:「隠れる場所。ものかげ。」)作りてすゑ奉らむ、人の起きぬさきに。いざ(脚注:「さあ、私といっしょに。」)給へ」
とて、」


現代語訳より:

「「どういうことをするのであろう」と知りたいので、人の見ていないころ合いを見はからって(小舎人童や随身は少し先にやり、少将は音のしないように)静かにそっと邸内に入り、たいへんたくさん生い茂っている薄の叢の中に(隠れて)立っていた。するとその時、(年のころ)八、九歳ほどの女の子で、たいそう趣深い薄紫色の袙(あこめ)や紅梅の衣などを(垂れ下げたりふぞろいに)乱りがわしく着ている子が、小さい貝を、瑠璃色(るりいろ)の壺(つぼ)に入れて、外から走ってくる。その様子が(いかにも忙しく落ちつかず)あわてているふうなのを、「おもしろい」と(興味をもって少将は)ご覧なさっていると、(女の子は、少将の)直衣の袖を(むら薄の間から)見つけて、「(なんとまあ)ここに人がいる」と、何気なく言う。それゆえに(少将は)困って、
 「ああ、静かに、ねえ。(私は)お話申さねばならないことがあるので、ほんとに、こっそり忍んでここに来た者なのです。そっとこっちへ寄っていらっしゃい」
というと、(女の子は)
 「(私は今)明日のことを考えておりますので。(そっと寄ってこいなんておっしゃっても困ります)今からもう暇がなく、どうも忙しいて落ちつかないんでございますよ」
と(忙しそうに)早口に話しかけて、(そのまま)行ってしまうように見えた。

 (少将は、その様子に興味をひかれて)おもしろく思ったので、
 「(明日のことを思って、今から暇がないなんて)何ごとで、そんなに、忙しく思いなさらずにはいられないのですか。(そんなに忙しいなら)せめてこの(見ず知らずの)私でも『たよりに思おう』というのでしたら、たいへんりっぱな援助も、きっとして上げましょう」
というと、(落ちつかず走り去ろうとしていた女童が)すっかり立ち止まって、(忙しいわけを、次のように語った)
 「ここの姫君と、母上が外(と)の御方なる(すなわち異腹の姉の)姫君とが、『(二人で)貝合をおやりいたしましょう』といって、(どちらの姫君も)この幾月か、たいへんに(貝を)集めていらっしゃいますが、あちらの(異腹の姫君)御方には、大輔の君と侍従の君と(二人)が『姫君が、貝合をおやりなさいます』といって、大げさに吹聴して、(方々から貝をさがし)求めなさるということでございます。ところが、私の御前は、ただ、(弟の)若君ひとりだけで、(ほかに誰も援助して下さる方もありませんので)どうしたらよいか、ほんとうに仕方なく困ると思われますので、(前にもお困りの時はそうでしたが)ただ今もまた、『姉君の御もとに誰か(使いに)やろう』とおっしゃって。(私が、その使いなのです)行ってまいりましょう」
といったので、(少将は、この女童を逃がさぬようにして)
 「その(貝合をなさる)姫君たちが、もしも、うちくつろいだ気楽な様子でいられる時があったら、(その様子を)格子のすき間などからでも(私に)見せて下さい」
というと、(女童は)
 「(私の取り持ちで、御身が姫君たちを垣間(かいま)見られたなどと)他人にお話になったならば(たいへん迷惑いたします)。私の母も、(そんなことをしては)いけないとおっしゃいます。(お手引きなどすれば、姫君はもちろん、母からもしかられます)」
と、(しかられることを)こわがっている。そこで、(少将はさらに)
 「(姫君たちを見たなんて、私が他人に話すものですか。御身の心配は)気違いじみた馬鹿らしいことです。私は(何も)物なぞ(人に)言わない人間ですよ。(だから口外はしません)ただ、『姫君に、勝たせ申そう、勝たせ申すまい』は、万事、私の胸の中にあるんですよ。御身の考えはどうなのですか。(勝たせたいならば、私を)ずっと姫君のお近くに(案内してほしいのです。きっと勝たせてあげますよ)」
とおっしゃると、(女童は、姫君を勝たせたいばかりに)何ごとも考えられずに、
 「それならば、お帰りなさいますなよ。隠れ場所を作って(御身を隠して)置き申しましょう。人の誰も起きないうちに(お隠れなさい)。さあ、こちらへおいで下さい」
といって、(連れて行った)」



「思はぬ方にとまりする少将」より:

「あらすじ」より:

「ある大納言に二人の姫君があり、両親の死後姉妹さびしく過ごしていた。姉には右大将の御子の少将が通い、妹には右大臣の御子の権の少将が通い始める。権の少将は、右大将の奥方の風邪見舞いにかこつけてその邸に泊り、妹君を迎えにやる。手紙もなく、「少将殿から」という口上だったので女房がまちがえ、来たのは姉君であった。権の少将はもっけの幸いと近づき、思わぬ姉君のほうに泊ってしまう。同夜、少将も愛人を迎えにやったがすでに姉君は出かけたあとなので、女房も当然妹君の迎えと勘違いする。少将は日ごろから心ひかれていた妹君と契りを結んでしまう。その後二人の少将は、姉妹のいずれをも深く思って恋を語ったが、その結末はいったいどうなったことであろう。」


「花々のをんな子」より:

「あらすじ」より:

「恋の風流を心得た好き者と自他ともに許す男が、宮中で言いかわした女が自宅へさがっていると聞いて、秋の夕暮ひそかに訪れてのぞき見をすると、多くの女たちが簾を巻き上げてうちとけ、それぞれの女主人たちを秋草の花にたとえて噂している。命婦の君という女が「あの蓮は女院さまに似ています」というと、いちばん上の姉が「りんどうは一品の宮さま」、次の妹が「玉簪花は大后さま」、三番目の妹が「紫苑は皇后さま」などと次々に話し合う。日が暮れ、女たちは主人の境遇を思って歌を詠みかわす。やがて夜も更け寝静まる。男はあせって歌を口ずさむ。聞き知る女もあったが明け方近くなったので男は帰って行く。この大勢の女たちは姉妹で、この好き者といろいろな関係を結んでいた。男は、女郎花にたとえられた左大臣の次女に仕える女に心ひかれているのだった。」


「はい墨」より:

「あらすじ」より:

「下京辺に、身分はあるが、不如意な生活を送る夫婦があった。男は知人の家に出入りしているうちに、そこの娘と恋におちいって通いはじめる。娘の父親は権勢のある人で、娘との同棲を男に迫る。男はやむなくもとの妻に因果を含める。妻は心中で泣きながら家を出て、召し使っていた女の住んでいる大原の里へと去っていった。その供をして行った召使いの少年は、その家の粗末さに驚き、女の心根にたいへん同情して、託された歌を男に伝えた。男はいまさらながら妻の愛情の深さを知って後悔し、大急ぎで家に迎えもどした。
 その後、男は急に思い立って新しい女を訪れた。女はあわてて、おしろいとまちがえて、はい墨を顔にぬりたくり、目ばかり光らせて対面したので、男は愛想をつかして帰ってしまう。男の薄情を怒った両親も、娘の様子に肝をつぶし、娘は泣き出す。呪われたといって陰陽師を呼ぶ騒ぎをしたが、涙でぬれた顔はしだいにもとの白い膚になったのだった。」



「よしなしごと」より:

「あらすじ」より:

「ある人がたいせつにしている娘を、身分ある僧侶が隠し妻にしていたが、年の暮に参籠しようとして、入用な品々を女から贈ってもらった。娘の帰依している僧侶がそれを聞いて、自分も借りたいがとて、諷刺した手紙をやった。その内容がおもしろいので写しておく。「はかないこの世がいやになったから、隠遁したい。地を離れた月日の中に交わり、霞の中に飛び住もうと思う。あなたは情のある人と聞いているからお願いします。まず天の羽衣を下さい。なければ破れ着物でもいい。住むのに檜皮屋・廊・寝殿もほしいが、破れ畳か、薦でも下さい。筵・屏風・盥……すばらしいのがよいが、破れ欠けたのでも結構。食物も願いたい。梨・栗・椎・海苔・糫餅……あらゆる名物がほしい。なければせめて足鍋一つ、長筵一枚、盥一つはぜひ必要です。大空のかげろう、海の水の泡という二人の召使いに託して下さい。この手紙は人に見せないように、返事は天に下さい」
 つれづれだから、以上のつまらないよしなきことを書きつけたのである。」

























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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